第30話:機械時計の美
時計って見ていて、癒されるときってありませんか?
では、お気軽にお読みください♪
◇
「常連さんの共通点ですか?」
御新規さんの質問に、私は深く考え込む。
「お店柄、音楽家と音楽愛好家が多いんですけど……」
そこで言葉を濁らせる。
そして、そのまま言い切った
「みなさん、貪欲なんですよね。いい意味で」
私の答えに、御新規さんは難しい顔をしていた。
「まぁ、一度会えば分かると思いますよ?」
私はそう付け加えたのだった。
◇
「この前は定期演奏会に来てくださり、ありがとうございました」
そう言って、ぺこりとお辞儀をする少年。
彼は昴さんのかつての教え子である本田陸くんだった。
彼は、ふらりと名曲喫茶【ベガ】へ訪れた。
相変わらず閑古鳥の鳴く喫茶店で、暇を持て余していた私と昴さんだったが……。
彼の到来で【ベガ】は、にわかに活気付いた。
「陸くんの吹奏楽部、凄かったよ!」
「うむ。見事なパフォーマンスだった」
「あれ、練習するの大変だったでしょう? 音楽だけでも素晴らしかったのに、動きも軍隊みたいに揃ってたよ!」
「見た目も大事に。……それがうちの部活のモットーなんです。確かに練習は大変ですけど、とっても楽しいんですよ」
陸くんは、満面の笑みで言った。
これは少し前の話。
私と昴さんは、彼の所属する吹奏楽部の演奏会を聴きに行ったのだ。
その時の興奮を思い出しながら、私と昴さんは陸くんに感想を伝えた。
当日の彼は片付けに忙しく、とてもでなく感想を言える雰囲気ではなかったのだ。
『今日は見に来てくださったお礼と、挨拶に来ました』
なんて彼は言って、お店に来たのだけど。
お礼を言いたいのは私の方だった。
あんなに楽しい演奏会を観させて貰ったんだもんね。
その事を伝えると、「楽しんでいただけたようでなによりです」と嬉しそうに言ったのだった。
そんな陸くんは、客席に着くと私へ向けて声をかけた。
「あっ、雪菜さん。アイスティーを一つお願いします」
彼は当然のように、私を指名して注文をした。
ちなみに、昴さんはピアノの前に陣取って、清書作業とやらをしていた。
なんでも、書き留めた譜面は定期的に清書して、ファイリングしているんだとか。
作曲家も大変なんだな、なんて思いつつも……。
それって今やることなのかな?
という当たり前すぎる感情も湧き上がる。
まぁ、昴さんだから仕方ないか。
私は紅茶を陸くんに出して、一息ついた。
「はい、陸くん。でもよくアイスティーなんか飲めるね」
二月も最終盤とはいえ、まだ寒い季節だった。
いくら店内が暖かいとはいえ、私は冷たい飲み物を頂く気分にはなれない。
「今日は体育があったんで、喉が乾いていたんですよ」
体育。
高校生も大変だよなぁ。
勉強に運動、それに部活。
過ぎればあっという間だったとは思う。
けれども、今あの生活に戻れと言われると、少し気が引ける。
なにより、朝が起きられないだろう。
高校生って、朝も早いもんね。
それに比べて大学生は、幾分も楽かもしれない。
「あっ、そうそう。昴さん」
元気よく陸くんが声をかける。
すでに出した紅茶は飲み干していた。
そうとう喉が乾いていたようだった。
「ん? どうした?」
昴さんは譜面から目を離さずに、おざなりの返事をした。
「今、J.S.バッハの《シャコンヌ》をやっているんです」
「ほう。《シャコンヌ》というと《無伴奏ヴァイオリンパルティータ第二番》の《シャコンヌ》か?」
興味を惹かれたのか、昴さんのペンの動きが止まった。
陸くんの方をじっと見つめる。
「そうです。大曲にも挑戦したいなと思って……。昴さんも好きな曲でしたよね?」
昴さんが好きな曲。
音楽ならばなんでも好きなんだと思っていたけれども……。
そんな昴さんがことさら好きな曲か。
私も興味が湧いてきた。
「うむ。聴いているだけで心が洗われる名曲だからな」
「せっかくなんで、聴いてもらえます? 昴さんの意見が聞きたいなと思って」
「別に良いが……。辛口になるかもしれんぞ」
「え? いつもは辛口じゃないんですか」
驚いた私。
昴さんは、陸くんの演奏になにかと文句を付ける。
私が聴くと名演奏なんだけど、彼のお眼鏡には敵わないそうなのだ。
その昴さんが辛口とか相当に厳しいんじゃない?
「それくらいが丁度いいんです。そろそろ曲に慣れちゃって、客観的に見られなくなっていたんで」
演奏家も大変なんだね。
練習し過ぎると客観的に見られなくなるかぁ。
絵でも、描きすぎて冷静に見られなくなることがあるらしいけど……。
それと同じかしら?
「ふむ、よかろう。今日はヴァイオリンを持っていなかったな。これを使うといい」
「ありがとうございます」
そう言って、昴さんは例のヴァイオリンを差し出した。
このヴァイオリンって、あれだよね?
昴さんの同期がプレゼントしたやつ。
結構大切そうなものだったけど。
それを貸すってことは、やっぱり陸くんのことを信頼してるんだろうな。
師弟のちょっとした関係性を見れて、私は微笑ましく思った。
「それじゃあ、演奏しますね」
陸くんは立ち上がり、ヴァイオリンを構えた。
「あれ? 昴さんは伴奏しないんですか」
てっきり、昴さんがピアノを弾くものだと思っていた私はそんな言葉を出していた。
「この曲はな、伴奏がない曲なのだよ。無伴奏。すなわち、完全にヴァイオリンの独奏用に作られている」
私の疑問には昴さんが答えてくれた。
へぇ。無伴奏ってそういう意味なのね。
音だけで聞き流していた意味を知り、私は納得した。
でも、伴奏がないとメロディーだけでつまらない音楽になるんじゃないかな。
そんなことを思っていると、陸くんが演奏を始めた。
それは、厳粛な乾いた音の重なりの上に、奏でられた。
ゆっくりと時を刻む時計のように、音楽が響く。
その一つ一つは洗練されていて、精密に計算されているようだった。
歯車が噛み合うように、音楽が流れていく。
音と音が連なり、音楽は進み行く。
遥か高く聳え立つ教会の時計塔。
かつん、かつんと。
足音を響かせて、階段を一歩一歩踏みしめていく。
それを登り詰めると、急激に下降を始めた。
自由落下をするメロディー。
地に着いて弾み、また落下を始める。
メロディーは緩やかな弧を描いていく。
そして……。
甘い音楽が口に広がる。
時が止まり、一秒は永遠に拡大されていく。
楽園に辿り着いたようだった。
麗しい響きに、私は体を震わせる。
澄んだ空気が、肺をいっぱいに満たしていく。
再び回り始める歯車。
滑らかに時が動き出していく。
メロディーが幾度も繰り返される。
神に栄光あれ、と叫ばんばかりに。
それはまるで、機械時計のような美しさを持った音楽だった。
「どうだったでしょうか?」
演奏が終わった陸くんの息は上がっていて。
流れ落ちる汗がぽたりと床に垂れた。
「……」
しばらく昴さんは無言だった。
仕方なく私が感想を言おうとしたところで、彼は口を開いた。
「良い演奏だった」
私は目が飛び出るかと思った。
あの昴さんが!
陸くんの演奏を誉めた!
陸くんも意外だったようで、ぽけっとした顔をしていた。
「凄いね! 陸くん! 昴さんが誉めたよ!」
「雪菜君。君は俺のことをなんだと思っているのかね」
「だって! 陸くんの演奏になにかと文句を付けるじゃないですか。だから今回もグチグチと小さいことを言うのかと思って」
「俺は音楽に正直なだけだ。良いと思えば良いと言う。悪いと思えば悪いと言う。それだけだ」
確かに。
彼は、こと音楽に関しては誤魔化しや、おべっかを言わない人だもんね。
ということは、本当に名演奏だったということになる。
「陸くん! 昴さんのお墨付きだよ! 良かったね!」
その言葉にようやく陸くんも現実を理解したのか、はにかむような笑みを浮かべた。
「でも、それだと困るんですよね。なにかアドバイスとかありませんか?」
ちょっと照れたような顔を浮かべて聞く陸くん。
……なんていうか。
音楽家って貪欲過ぎる生き物じゃない?
昴さんにしても、陸くんにしても。
良かったなら、それでいいじゃないと思うんだけど。
「そうだな。ヴァイオリンの特性からして難儀なことだが、もう少し和音を感じさせて欲しい」
あちゃー。
昴さんも批評家モードに入っちゃった。
でも、難儀ってどういうことなんだろう?
「ヴァイオリンだと和音? を出しづらいんですか?」
私はすかさず聞いた。
「ヴァイオリンは楽器の構造上、いくつもの音を同時に鳴らすことが出来ないんです」
その問いに、陸くんがすぱっと答えた。
「この曲の難しい点だな。伴奏がないため、和音を弾くことになる。そのため、それを分けて弾きつつも和音として成立させなければならないのだよ」
「うーん。もっと間の取り方を上手くしないといけないかなぁ」
「それと、低音部にあるモチーフをもっと効果的に響かせなさい。高音部との対比や、変奏曲としての側面をより深く掘り下げていくといい」
「なるほど。意識しているつもりだったんですけど、まだ足りなかったんですね」
あーあ。
昴さんと陸くんが盛り上がるといつもこれだ。
専門的過ぎて、私には全く理解出来ないよ。
嬉しそうに音楽を語る二人を見ながら、私は強く思った。
音楽家って本当に貪欲な生き物ね。
私は分からない世界で話を進める二人を遠巻きに見ながら、片付けを始めるのだった。
それはある平日のこと。
貪欲な生き物と触れあった日の出来事。
美しい機械時計を眺めているような一時のことだった。
第30話fin
この曲は、ピアノ編曲やギター編曲など様々な楽器で演奏されることがあります。
私はブゾーニ版のピアノ編曲が好きです♪




