第28話:店長との関係は?
今回は少し甘めでしょうか?
お気軽にお読みください♪
◇
「私と店長の関係ですか?」
御新規さんの問いに、私は真面目な顔で答えた。
「出来の悪い兄ですかね」
御新規さんは思わずといった風に吹き出すのだった。
◇
寒さが一段と増す二月のことだった。
節分も過ぎた頃合い。
来るバレンタインに向けて、小町通りにあるお菓子屋さんは、大賑わいだった。
みんな、決意と共に買いに来ているのだろうか?
それとも、義理チョコや友チョコ目当てで買いに来ているのかもしれない。
バレンタイン。
好きな人も、恋人もいない私にとっては、厄介な行事の一つだった。
義理チョコって文化作ったの誰よ、もう。
って気分で、店前を通り過ぎたのだった。
ちなみに、名曲喫茶【ベガ】は普段通りの営業だった。
すなわち、閑古鳥の鳴く穏やかな時間が流れていた。
そんな中、現在の私は昴さんをどやしつけて、珈琲や紅茶の煎れ方について説明していた。
しかし、途中で匙を投げる。
だって、あまりにも不器用なんだもん!
ピアノなら、あんなに器用に弾きこなすのに。
不思議なものだった。
「むぅ」
ばつの悪そうな顔をしている昴さん。
「だ、大丈夫です。音楽と同じで慣れですって」
あまりの不味さに、自分でも落ち込んでいた昴さんを精一杯励ます。
しおらしい昴さんは、滅多に見ない。
私は少しだけ嬉しかった。
いつも昴さんは、高いところにいたから。
自分が教えるということが嬉しかったのだ。
そんなことを考えていると……。
ちりんちりん、と。
鈴の音が響いた。
入ってきたのは、常連のお婆さん、鈴木さんだった。
「あらあら。まるで夫婦みたいね」
うふふ、と微笑む鈴木さん。
「誰がだ!」
「嫌です。こんな人!」
こんなやり取りも、何回目だろう?
しかし、断固として譲らない。
音楽変人が移ったら困るじゃない?
「昴さん、雪菜ちゃん。お久しぶりね」
「うむ」
「お久しぶりです、鈴木さん」
私と昴さんは気を取り直して、挨拶を返した。
「この前は節分のお祭りでしたけど、お店は混んだかしら?」
「平穏そのものだったよ」
そこで即答する店長も、いかがなものだろうか。
「あらあら。でも、落ち着きがあるお店は少なくなったから。……私としては嬉しいかもしれないわ」
「あ、あはは」
笑い事じゃないんだけどね。
鈴木さんの天然毒舌は、今日も相変わらずのようだった。
「雪菜ちゃん。ホットミルクティーとマフィンを頼めるかしら。……昴さんは演奏を頼みます」
「くっ」
鈴木さんは、練習の成果を見せようと意気込む昴さんに、容赦なく一撃を見舞う。
落ち込む昴さんが可笑しくて、思わず頬が緩んだ。
私は手早く準備を済ませると、鈴木さんへお出しした。
「ありがとう。昴さん、今日はリストの《愛の夢》第三番をお願いするわ」
その言葉に、昴さんは額に皺を寄せた。
「フランツ・リストとは珍しい」
「二人の姿を見ていたらね、愛の曲を聴きたくなったのよ」
鈴木さんはそう答えた。
「なんでですか!?」
「愛の形はそれぞれよ。別に恋だとか言いたいわけではないの」
私の猛抗議を軽くいなす鈴木さん。
うーん。
まぁ、ダメダメな兄を見守るのも愛の一つかもしれないな。
私はつい先程の昴さんを思い出して、妙に納得してしまった。
「ふむ。まあよかろう。リストの《愛の夢》だな」
昴さんは、ピアノへ向かっていき、姿勢を正した。
柔らかな呼吸音の後に、ゆっくりと音楽が奏でられる。
甘く歌うようなメロディー。
抑えられない感情の波がたゆたう。
歌が木霊し、音は華やかに色付く。
時に、囁くように愛を告げ……。
また時には、叫ばんばかりに愛を問う。
最後に……。
名残惜しげに奏でられた音は、伝えきれない想いのように響き渡った。
「美しい曲ですね」
私はうっとりとして言った。
「ええ。愛とはなにか、考えさせるような演奏だったわ」
鈴木さんも、柔らかな表情で言った。
「この曲はリストが作曲した歌曲を基に編曲されたものだ。副題としては《三つの夜想曲》という名が付けられている」
「歌曲を編曲したものなんですね」
「そうだ。原曲は愛といっても、人間愛などの普遍的な愛を謳ったものなのだよ」
「この歳になるとね、しみじみと思うのよ。愛ってなにかしら? ってね」
「リストにとっても、難題であっただろうな。生涯結婚することはないものの、多くの恋や子どもの死を経験した彼には……」
「え? 結婚してないのに子どもがいたんですか? 養子とかでしょうか」
「いや。彼の恋は不倫が多かった」
「ふ、不倫ですか」
ちょっと、返答に困る内容だな。
「今のご時世と違い、それが当然であったからな」
へぇー。
確かに、今では考えられない常識だ。
「彼は天才的なピアニストでもあったから、メロメロになる貴婦人も多かったのよ」
メロメロって。
あまり聞かなくなった表現だなぁ。
「うむ。時に、彼は名誉欲が強い貴族趣味として伝えられる。だが、それは彼の一面にすぎない」
「どういうことですか?」
「演奏会でちやほやされることに、心身的に疲労しても感じていたのだ。そのため、晩年などはかなり落ち着いた作風も多い」
「人は見かけによらないとも言いますもんね」
私がそう言うと、昴さんは大きく頷いた。
そして、猛烈に捲し立て始めた。
「彼は読書家で信仰心の強い人物でもあったからな。確かに、平民に生まれ、きちんとした教育を受けなかった負い目から、貴族趣味や超絶技巧的な見世物を好む傾向もあった。ショパンなどは彼のことを……」
あっ。
また始まっちゃった。
私はもう慣れてきたので、しばらく放置することにした。
すると、鈴木さんがそっと私を呼んだ。
「ねえ、雪菜ちゃん?」
「なんですか?」
「そろそろバレンタインだけど、昴さんにはあげるのかしら?」
「は、はぁ? なんでですか!」
思わず声が大きくなってしまう。
「いや、だってお世話になっているんでしょう? 義理よ義理」
「ま、まぁ。確かにそうですね」
「もしかして、本命をあげるつもりだったのかしら?」
「そんな訳ないですよ!」
一気に顔が熱くなった。
私は語気を強めて反発する。
「あらまぁ。横やりだったかしら。愛の形はそれぞれですものね」
鈴木さんはお茶目に微笑んでいた。
くそぅ。
ま、まぁ?
お仕事ではお世話になってるし?
いや、なってないけど。
でも、義理ぐらいはあげなきゃいけない関係かもしれない。
う、うん。
義理だ、義理。
義理チョコぐらいは渡してあげよう。
私は密かにそう決心するのだった。
――それはある二月の日のこと。
街が恋に色づく季節の出来事。
私にとって、ちょっとした決意を胸に秘めた日のことだった。
第28話fin
誤字脱字報告ありがとうございます。
なるべく気を付けてますが、やはり見落としは出てしまいますので。
申し訳ありません。