第22話:ショコラが降りてきた聖夜
ちょっと遅れた季節ものです。
思い出しながら、お気軽に読んでください♪
微糖成分注意です♪
◇
「時に、雪菜君。君は今月の二十四日の夜は空いているか?」
十二月に入り、夕暮れの時間も早くなった日のこと。
名曲喫茶【ベガ】で後片付けをしていた時、昴さんに声をかけられた。
「シフトなら、入れますけど?」
私にとって、二十四日は家族と過ごす日で、ただの平日だ。
「良かった。知り合いのピアニスト夫婦から招待されて」
「あら、それじゃあ、【ベガ】はお休みですか?」
完全に予定が空いてしまったな。
いつもより親孝行モードで過ごそうかな。
なんて考えていると、昴さんからとんでもない発言が飛び出した。
「いや、【ベガ】は夜まで営業して、それから向かう。開演は夜だから……何よりだ。チケットが余らなくてすんだ」
は?
今の発言の繋がりはなんだ?
「えっと? チケットって何ですか。もう一度分かるようにお願いします」
「ふむ? 耳が遠いのか君は。【ベガ】の営業後に、コンサートへ行くと言ったのだ。そのまま予定は空けておいてくれたまえ」
「ちょ、ちょっと待ってください。私、コンサートに行くなんて言ってませんよ?」
昴さんとコンサートに?
しかもクリスマスイブに?
それって世間的にはデートじゃない!
「ん? 予定は空いているのだろう?」
「いや、それはまぁ。空いてはいますけど」
「ふむ。門限があるのか? 問題ない。横浜の中華街近くのサロンだ。終演後でも二十二時程度には鎌倉に戻れる計算だ」
いや、そういう問題じゃなくて。
もしかして、この人。クリスマスにお誘いしてることに気づいてない?
まぁ、昴さんだからあり得るか。
「まだ、なにか心配事があるのか?」
覗き込むようにして、私に問いかける昴さん。
なぜか近い。近いって。
どことなく弾んでいる息が、髪に吹きかかる。
……普段はあまり意識しないのに。
なぜか近さを意識してしまった。
「残業手当は……い、いえ。問題ありません」
なし崩しに、私は答えてしまった。
「もちろん。それでは、そのまま予定を開けておくように」
昴さんは仏頂面のまま、そう言った。
こうして、私はクリスマスの夜を昴さんと過ごすことになった。
深い意味は特にないけどね。
◇
クリスマス当日。
元町・中華街駅周辺は、予想通りの状況だった。
横浜の街は、夜でもネオンが輝いており、明るかった。
そんな街に、若いカップルが大量発生していた。
駅前で待ち合わせて、ぎこちなく、または慣れた様子で、街へ繰り出していく。
彼らが一歩、店の並ぶ通りへ出ると、客引きたちが群がる。
そんな中、私たちはみんなが向かう方向とは逆方向に歩き出した。
「昴さん。こっちなんですか?」
街の中心から外れようとしていたので、私は尋ねた。
ちなみに、コンサートと言われたけれども、私の服装は普段と変わらない。
この前の一件で、嫌というほど思い知ったからね。
昴さんも相変わらずの格好。
白いシャツに、黒いジャケット、そしてデニムのズボンといういつも通りの服装だった。
冬だから、その上に灰色のコートと白いマフラーを羽織っている程度だ。
「うむ。小さなサロンだからな。だが、雰囲気はとても良い場所だ」
雰囲気がいい?
ひょっとして、いい雰囲気と言いたい?
周りから見れば、恋人のように見えるのかな。
でも、私たちの間にそういうロマンティックな空気は一切なかった。
友達でも恋人ではなく、雇用主とバイト。
上司と部下に近いけれども、そこに上下関係はあまりない。
店長と店長代理。責任感も適度にある、退屈しない居場所感。
それが今の私には、とても心地良かった。
「雰囲気がいいんですか。それは楽しみです」
しばらくして、目的地に着いたらしかった。
それは西洋風の庭に佇むマナーハウスのよう。
西洋式の建築ではあるが、普通の二階建ての家だった。
白い門扉に緑の蔦とクリスマスリースがあって、お洒落で可愛らしい。
「こんなところあったんですね」
「うむ。近場にあるものは、意外と知らないものだ。どうだ? いい雰囲気だろう?」
昴さんは庭を眺めながら言った。
庭の木にはクリスマスの飾りつけとイルミネーションが施されていた。
音もなく控えめではあるが赤、青、白色に輝いている。
とても綺麗だった。
「ええ。静かでとても落ち着いてますね」
そんな会話をしながら、私たちは中へと入る。
すると、小さな受付があり、そこに人が並んでいた。
「結構、人いますね」
「うむ。一応、現役のピアニスト夫婦だ。知り合いも多いのだろう」
友人知人や関係者を招くコンサートなんだろう。
受付を済ますと、少し広めの部屋に案内された。
「中学校の教室を思い出します」
「そうか? これぐらいの広さが丁度いいのだよ」
「どういうことですか?」
「音が良く聴こえる。ホールは響きを味わえるが、この程度だと生の音が聴こえるのだ」
「なるほど」
中央には二台のグランド・ピアノが向き合って用意されていた。
私たちが客席に向かうと、昴さんに声がかけられた。
「武蔵野さん。お忙しい中、今日は僕らのコンサートに来て下さって、ありがとうございます」
「今日はお二人で楽しんでいってくださいね。……こちらの方は?」
立ち止まると、タキシード姿の男性と、青いドレスを着た女性がいた。
私は、昴さんにどう紹介されるのかと興味がわき、返事を保留した。
なぜか昴さんが言いよどんでいると、ドレスの女性が苦笑しながら言った。
「武蔵野さんは相変わらずですね」
続けて、タキシードの男性が微笑んだ。
「相変わらず、女の子を困らせているのかなってことですよ」
へぇ。
昴さんって女の子を困らせていたのか。
私は半目でジロッと睨んだ。
面倒な誤解をされないよう、さっさと先手を打つことにした。
「昴さんの喫茶店で、アルバイトをしています。那須賀雪菜です」
昴さんが答えるより早く、私は答えた。
「これはどうも。僕は藤原大地。ピアニストです」
「私は妻の恵美子です。よろしくね、雪菜ちゃん」
私は順番に、彼らと握手をしていった。
「二人とも、そろそろ出番だろう? いいのか?」
「若い方が来てくれて嬉しかったから、ご挨拶を。積もる話はまた今度ということで」
「雪菜ちゃん、楽しんでね」
二人はそう言って去っていった。
「仲の良さそうなご夫婦ですね」
「うむ。この業界、中々結婚する人は少ないのだが。彼らは例外だな」
確かに。
昴さんを見ていると、結婚は出来なさそうだな、と思う。
変人だしね。
「何だ? その物言いたげな顔は」
「なんでもありませんよ。それより早く座りましょう? 始まっちゃいますよ」
私は昴さんを軽くあしらって、客席に着いた。
しばらくして、部屋が暗くなった。
そして、改めて二人が拍手と共に出て来る。
「今日はクリスマスイブという聖なる夜にお集まりいただき、誠にありがとうございます」
「私たちの音楽で、少しでも心が癒されることを願っています」
二人はお辞儀をすると、ピアノに向き合った。
途端に、空気が変わる。
静まり返った室内。
二人は鍵盤に手を置く。
目を合わせて、呼吸を合わせて……。
音が優しく打ち鳴らされた。
満天の星空から、音楽が降ってくるようだった。
二台のピアノの柔らかい音色が絡み合う。
ほろりほろりと、ふわりふわりと。
甘く芳しい香りを放ちながら、音は部屋いっぱいに混じり合う。
明るく、音が弾む。
時に切なく、音が嘆き悲しむ。
しっとり甘くて、ちょっぴり苦くて……。
まるでショコラを食べているようだった。
二つのピアノから放たれる音は、一度天へと昇る。
そして交わる。
きらきらと、はらはらと。
淡く輝く光の粒となって、私たちに降りかかってきた。
聖夜に降り注ぐ音楽に優しく包まれて。
私は二人の奏で合う世界に呼ばれ、一瞬、入口が視えたような気がした。
◇
「今日は本当にありがとうございました。店長」
帰り道、電車の中で私は昴さんに言った。
カップルが帰るには、まだ少しだけ早い時間。
電車の席は空いており、私たちは並んで腰かけていた。
「んむ。良い音楽だっただろう」
「えぇ。ご夫婦の息がぴったりで耳が幸せになりました」
「それは良かった」
音楽に関して、昴さんは素直だ。
だから、だろう。
微笑みを浮かべて、私を見ていた。
音楽って不思議だ。
音楽変人の昴さんのことは、理解出来ない。
でも、今の私は、昴さんと同じ世界を自分なりにだけど視えている気がしていた。
「あの曲、何て言う曲なんですか?」
私はあの幸せな時間をくれた音楽の名前を知りたかった。
「大バッハの《ゴールドベルク変奏曲》だ」
「優しい音楽なのに、大層な名前なんですね」
「ゴールドベルクは演奏家の名前だ。あの曲は、彼の仕えていた伯爵のために作られた音楽なのだよ」
「へぇ。伯爵はどうして作曲の依頼をしたんですか?」
「その伯爵は、仕事の激務もあって、不眠症に悩まされていた」
「眠れないほど大変だったんですね」
「それで『眠れない時間を癒すための音楽を作って欲しい』とお抱えの演奏家に言った」
「眠れないなら、癒されたい。なんか分かる気がします」
私も眠れないときに、音楽を聴いたり、ラジオを聴いたりする。
それと同じなのかもしれない。
「うむ。そのため、演奏家は師匠のバッハに作曲の依頼をしたのだ」
「どうしてですか。……バッハって、難しい音楽を作る人ってイメージでした」
「聴いていて穏やかな音楽に聴こえるだろう。それは、技巧的にも優れた音楽だからだよ」
昴さんは嬉しそうに語る。
この人は、本当に音楽変人なんだから。
私はそう思いつつも、嫌な気分にはならなかった。
「特に第三十変奏などは、テーマの上に二つの民謡を入れ込んで複雑な対位法の基に、美しい音楽が描き出されている……」
複雑なタイイホウ。分からないけど、分かりかけた。
低めの昴さんの声が心地よい。
だんだん眠くなってきた。
「……店長、すみません。私ちょっと眠くなってきました」
「《ゴールドベルク変奏曲》を聴いたからやもしれんな。構わない。鎌倉駅に着いたら、起こしてやろう」
少しだけ。
……ほんの少しだけ。
私は、素直にその言葉に頷き、聖夜と電車が紡ぐ音に身を委ねて意識を手放した。
……起こされた時。
私は昴さんの白いマフラーにちょっぴり涎を垂らしていたらしく、少しだけ文句を言われた。
面目ない。
というか、彼の肩に寄りかかって寝ていたのが、恥ずかしかった。
恋人じゃないのに。
赤の他人なら恥ずかしくもないのに。
きっと、あんな幸せな響きの音楽のせいだ。
私は意識的に、恥ずかしさと感情を追いやることにした。
――それは、ある冬の日のこと。
特別な夜の出来事。
ちょっぴり甘くて苦いショコラのような日だった。
第22話fin
ちょっと長めでしたが、いかがでしたでしょうか?
ゴールドベルク変奏曲はグレン・グールドの演奏がとても好みです。おやすみの際に聴くと、とても良い気分になれます♪




