第21話:絵の世界
今年も残すところあと僅かですね。
少し信じられません。
ではお気軽に、どうぞ♪
それは十二月の日のことだった。
『日曜日の気温は下がる』
という天気予報は、大当たりだった。
外は一段と冷え込む気候で……。
厚着をしていないと凍りつく一日になりそうだった。
そんな日に……。
私と昴さんは暖房を効かせた店内で、言い争いをしていた。
「だ、か、ら! 元に戻すだけでいいんです!」
「どれも同じだろう。元など分かるか!」
話題はカップの置場所のことだ。
昴さんの片付けはいつも適当だ。
あるカップが定位置に置かれていなかった。
そのことを指摘すると、面倒臭気に反論してきた。
そのため、言い争いになっていたのだ。
すると……。
ちりん、ちりんと。
鈴の音が響いた。
「あっ。いらっしゃいませ!」
私は急いで気分を切り替えた。
扉を開けて、一人のお姉さんがやって来る。
歳は二、三十代程度だろうか。
黒いコートに赤いマフラーをしていた。
見たこともない人だ。
昴さんも反応していない。
おそらく、御新規さんだろう。
「あぁ、良かったわ。手頃の喫茶店が空いていて」
そのお姉さんは、手を擦り合わせながら、言った。
「もしかして、休憩場所を探してました?」
私は尋ねる。
休日の鎌倉駅はとにかく人が多い。
そのため、駅前に近い喫茶店はどこも満席になってしまう。
こう寒いと、暖房の効いた店に入りたい。
その思いは誰もが同じで、さらにお店は混むのだ。
「えぇ。そうなのよ。この店が空いていて助かったわ」
上着を脱いで、客席に着くお姉さん。
「ゆっくりしてくださいね」
私は笑みと共に、メニューを手渡した。
「用が済んだら、帰ってく……んむっ!」
何か失礼なことを言いかけた昴さんの足を踏んでおいた。
全く。
店長という自覚がないんだからこの人は。
「それじゃあ、暖かい紅茶を頼めるかしら?」
「かしこまりました。種類はどうなさいますか?」
「フレーバーティーなんてあるかしら?」
「ございますよ。アップルのフレーバーがおすすめです」
「それにするわ」
「はい。少々お待ちくださいね」
私は紅茶を準備しにいく。
その間、お客さんはがさごそと何かを取り出していた。
それは大きなスケッチブックと鉛筆だった。
何をするんだろう?
そう思いつつ、準備を終えた私は客席に向かう。
「お待たせ致しました。ホットのアップルティーです」
紅茶をお出しする。
その際、スケッチブックに描かれたものが見えた。
「わぁ、綺麗な絵!」
それは【ベガ】の店内が描かれた絵だった。
鉛筆で描かれたそれは、まるで写真のようだった。
「ごめんなさいね。いい雰囲気の店だったからつい」
「絵描きなのか?」
そこで、初めて昴さんが客に興味を持ったようだった。
彼も覗き込むように、スケッチブックを見る。
「えぇ。主に風景画を書いているの。今日は山の方に行ってきたのよ?」
そう言って、彼女はパラパラと下絵を見せてくれた。
近所で一度は見たことがある風景。
それが黒と白の線で、活き活きと描かれていた。
こうやって見ると、綺麗な世界に住んでいたんだなぁ。
私は感嘆した。
「見事な絵だ。そこに生きた自然があるようだ」
昴さんも目を輝かせてみていた。
この人、音楽以外にも芸術関係に凄く関心を寄せるんだよね。
写真の青年が来た時も、嬉しそうだったし。
「そう? まぁ、これでも生業にしているからね」
「絵師さんだったんですか?」
「まあね。……それだけだと食べていけないけどね?」
苦笑するお姉さん。
それに昴さんも大きく頷いていた。
「この国は芸術家に厳しい世界だからな」
私は詳しく知らないけど。
音楽や絵で食べていくことが、大変なことぐらいは予想がついた。
絵を書き終えたお姉さんは、アップルティーを啜る。
すると、彼女の視線が一つのものに向けられた。
「ここのお店、ピアノがあるけど。演奏とか頼めるのかしら?」
「うむ。何か弾いて欲しい曲があるのか?」
今日の昴さんは、機嫌がいい。
多分、見事な絵を見たからだと思う。
もしかして……。
綺麗なお姉さんと話せたから、とかじゃないよね?
「いえ。私、音楽はさっぱりなの。何かお勧めの曲とかない?」
「ふうむ。絵描きか。ならば、あの曲がいいかもしれないな」
昴さんはそう言うと、ピアノへ向かった。
ピアノ椅子に座ると、軽く伸びをする昴さん。
そして、短く鋭い呼吸音の後に、音楽が響き渡った。
重厚な音の塊と共に、ファンファーレのような音楽が鳴る。
ファンファーレが終わると、強く素早い動きで蠢くような音楽が流れ出した。
そして、またファンファーレが流れ出す。
次は、陰鬱な雰囲気の音楽が奏でられる。
すると、またファンファーレが流れる。
次々と現れる世界。
そして、それを繋ぐように形を変えるファンファーレ。
まるで、様々な世界を冒険しているようだった。
最後は、重厚で輝かしい音が怒濤のように押し寄せて、締め括られた。
「素晴らしいわ! 画廊を歩いているようだった!」
お姉さんは拍手で、その演奏を褒め称えた。
圧倒されていた私も、思い出したように拍手をする。
「ふむ。やはり、画家には通じるのか」
その歓声を聞いて、昴さんは言った。
「どういうことですか?」
私の問いに昴さんは笑みを浮かべていた。
「この曲はムソルグスキー作曲の組曲《展覧会の絵》という」
「なるほど。絵を題材にした作品なんですね」
それで、昴さんはあのように言ったのか。
「うむ。彼の友人の建築家が死んだ際、遺作展が開かれた。そのスケッチや絵を見て、ムソルグスキーが作曲をしたと言われている」
「色々な絵が音になっていたわ。面白かった!」
お姉さんの興奮は冷めやらぬようだった。
芸術家同士、通じるものがあったのだろうか。
「この作品の特徴は、絵と絵を鑑賞する間に、《プロムナード》が入れ込まれていることだ。これによって、聴き手は実際に展覧会で歩いているような感覚を覚える」
あのファンファーレみたいな音楽には、そんな効果があったんだ。
確かに、世界と世界が繋がっていくようだったなぁ。
「本当に展覧会を見に行っているようだったわ」
「そうですね。いろんな世界を渡り歩いているようでした」
「うむ。そうだろう。それぞれの絵も特徴的な性格をしていて、聴いていて飽きが来ない。名曲でありながら、独創的な組曲だよ」
あっ、これやばいかも。
私が思った時には、すでに時は遅かった。
「……作曲家ムソルグスキーは、専門的な作曲の教育を受けなかった。彼はほぼ独学で作曲法を学んだのだ。だからこそ、独創的な手法で個性的な作品が産まれたといえる」
「そうなの!? こんな名曲が!」
お姉さんもヒートアップしていく。
「この曲はラヴェル編曲の管弦楽版も非常に有名だ。ラヴェルの他にも多くの作曲家が編曲をしている。それも、この曲が管弦楽的な響きを感じさせるピアノ曲であることから……」
あーあー。
これ、止まらないよ、もう。
呆れて、遠目に二人を見る。
私は大きくため息を吐いた。
まぁ、お客さんも楽しそうだからいいか。
その後、日が沈みかけるまで、二人は絵や音楽の話で盛り上がっていた。
本当に初対面なの? この人たち?
そう思ったけど……。
得てして芸術家という生き物は、そんなものなのかもしれない。
◇
「随分、楽しそうでしたね。店長?」
私は恨みの籠った目で、昴さんを睨んだ。
考えても見て欲しい。
良くわからない話を何時間も聞かされたら、誰だって恨みの一つは言いたくなるでしょ?
「うむ? まあ芸術の話に尽きることはないならな」
まぁ、しょうがないか。
私はそう思いつつ、もう一つの気がかりになっていたことを尋ねることにした。
「ああいう女性がタイプなんですか?」
話が通じて。しかも美人だったし。
結構、お似合いかもしれない。
「何の話だ?」
一方の昴さんは、本当に何を聞きたいのか分からないといった顔をしていた。
まぁ、そうだよね。
そういう人だし。
「何でもありませんっ」
どこか安堵している私がいて……。
まさか、とは思ったもののすぐに否定する。
音楽変人に惹かれるなんてこと、あるはずないよね!
ピアノへ向かっていく彼を見ながら、私はそう思うのだった。
第21話fin
加筆修正作業のため、今後も不定期で新しい話はあげていきます。
ご理解頂けると幸いです。




