第2話(Re):店長は唐変木!
今回は歌曲です。
◇
「店長のいいところ、ですか?」
私はその問いにしばし考える。
「……強いて言うんでしたら。唐変木なところですかね?」
その答えに、御新規さんは苦笑するのだった。
◇
夏も終盤に入る季節。
午後になって、日差しが傾き始めていた。
鎌倉駅周辺は、平日だからか、少々落ち着いていた。
夕食の買い物だろうか?
レジ袋を持った主婦たちが多く見られる。
私は大学の帰り道、バイトへ向かっていた。
蝉の大合唱は、まだまだ現役だった。
サウナのような気温もあって、うんざりする。
私は、ハンカチで額を拭いながら歩く。
と、突然背後から声をかけられた。
「あっれー? 雪菜じゃん」
振り向くと、そこには知った顔があった。
「あっ、江波ちゃん。こんにちは」
幼なじみの夢見江波ちゃんだった。
「何? これからバイトー?」
彼女のふわりとパーマを軽くかけた髪の毛が揺れる。
「うん。江波ちゃんも?」
「違うよ? あたしも【ベガ】に行くところ」
「あれ? どうして?」
ちょーっとだけ嫌な予感がする。
「いやいや、お得意さんだし。遊びに行こうかなって」
江波ちゃんは、【ベガ】が洋菓子を仕入れているケーキ屋さんでアルバイトをしている。
それに幼なじみということもあって……。
私は彼女と親友みたいなものだった。
「……昴さん、目当て?」
最近、顔だけは良い昴さんに絆されたようで心配なのだ。
あの人だけはダメだ。
音楽以外は何も出来ないから。
「ま、まぁ? それもなくはない」
はぁ、と私はため息を吐いた。
「もしかして、またフラれた?」
「……うん」
ちょっと涙目になっている江波ちゃん。
彼女は恋多き女性だ。
綺麗な見た目をしているんだけど、男運が悪い。
「だからやめなって言ったのに」
彼女は悪い子ではない。
気さくで明るく、誰とでも仲良く出来る女性だ。
だが、少しばかり惚れ性なところがある。
「分かってはいたけどさ、しょうがないじゃん」
恋は盲目と言うが。
私はあまり恋をしたことがないから、分からない。
「しょうがないな。今日は一杯奢ってあげる」
お酒じゃなくて紅茶だけど。
「ありがとう! 持つべきものは友だね!」
こうして、二人で【ベガ】へ向かうことになったのだった。
◇
小町通りからはずれた閑静な一角に、名曲喫茶【ベガ】はある。
店へ入ると、予想通りの光景があった。
店長は店番などそっちのけで、ピアノを嗜んでおられた。
「もう、昴さん! 何してるんですか」
大きな声でどやす。
すると、億劫そうに昴さんが顔をこちらへ向けた。
「なんだ、ケーキ屋のバイトと雪菜君か」
「とっとと準備してください。お客さんです!」
「別に気にかける必要もなかろう。知った顔だ」
「知った仲でも、オンオフぐらいしてください!」
もうまったく。
これだから昴さんは……。
この喫茶店の店長、武蔵野昴さんは変人である。
音楽狂いで、それ以外は興味がない。
店は道楽と言い切る困った人なのだ。
その様子を見ていた江波ちゃんが、口を開く。
「いいなぁ、雪菜は。武蔵野さんと仲良く出来て」
「どこが? 私から見たら江波ちゃんの方が羨ましいよ」
「どうして?」
「ケーキ屋さんの主人と奥さん、優しそうじゃない」
それに、仕事もきちんとしてるし。
「あー。確かに。でも、春香さんはおっとりし過ぎなんだよね」
苦笑する江波ちゃん。
「そうなんだー。しっかり者ってイメージだったんだけど」
「うん。この前も会計のミスとかしてたしね。意外でしょ」
「意外だね」
これが隣の芝生は青く見えるっていうやつなんだろう。
私はそんなことを思い、メニューを渡した。
「じゃあ、アイスココアお願い! ご馳走になります♪」
もう、調子いいんだから。
私は苦笑して、準備に向かった。
「あのー、武蔵野さん?」
その間、江波ちゃんは昴さんに話しかけた。
「うむ。何だ?」
「あたし、別れちゃいまして……」
「それは残念だったな」
「うぐっ」
一撃必殺というか。
空気が読めないというか。
それとない江波ちゃんのアピールは撃沈に終わった。
いいぞ、それでこそ昴さんだ!
まぁ、でも少し江波ちゃんが可哀想過ぎるな。
そう思った私は、昴さんに一つ頼み事をする。
「店長、江波ちゃんに、何か曲を弾いてあげてください」
「うむ? どういうことだ?」
全く話が読めないといった感じの昴さん。
はぁ。これだから全く……。
「失恋した女の子を、慰めてあげてくださいってことです」
「何だ。そう言うことか。しかし、俺の曲で慰められるものか?」
「ええ! お願いします、ぜひ!」
ありがとう。
と、小さく口パクで伝えてくる江波ちゃん。
「まぁ、良かろう。何かリクエストはあるか?」
「武蔵野さんチョイスでお願いします!」
おおぅ。大胆だな。
でも。
私も聞かれたら、そう答えるしかないかもね。
クラシック分かんないもん。
「ふむ。失恋、失恋か……」
しばし考えた後、彼はピアノに向かっていった。
ふっ、と。
店内が静寂に包まれた。
私と江波ちゃんは黙って待った。
そして、深い昴さんの深呼吸の後に、音楽が奏でられた。
軽やかなピアノ伴奏が始まる。
その後……。
すぐに昴さんが口を開く。
歌だ!
何語だろう?
多分、発音的にドイツ語かな。
昴さん、歌も上手かったんだ。
私は少しばかり感心してしまった。
美しい線を描くように、メロディーが歌われる。
明るい歌声が伸びやかに時を止める。
そして、また歯車が動き出すように進む。
楽しげな曲調だった。
でも、どこか物寂しさを覚えた。
切ない気持ちが胸に沸き上がってくる。
何でだろう?
そして、まるで夢が覚めるかのように。
伴奏が短く奏でられ、曲は締め括られた。
「わぁー、とっても綺麗な曲! 武蔵野さん、ありがとうございます!」
「気に入ったのならば良かった」
「何て言う曲なんですか?」
私の質問に、昴さんは目を開く。
「知らないのか。教科書にも載っている有名な曲なんだがな」
うーん。覚えがない。
音楽の時間に、外国の歌なんて歌ったっけな?
「フランツ・シューベルトの《野ばら》だよ」
「華の曲を歌ってくれるなんて! 感激です!」
確かに!
失恋した女の子に華の曲を送るなんて。
この人は何を考えてるの!?
私が少しむくれていると、昴さんが解説を続ける。
「シューベルトは歌曲の王と呼ばれるほど、たくさんの歌を書いたことで有名だ。他には《魔王》などもあるな」
「あっ。《魔王》は聴いたことあります」
中学校の頃、聴いた覚えがある。
病気の子どもが《魔王》の幻想を視ているみたいな曲だったかな。
「そうか。いい曲だっただろう?」
「面白い曲だったなぁとは」
「シューベルトの歌曲は、素晴らしい旋律はもちろん、伴奏が見事に曲想を表していることが特徴だ。歌と伴奏が丁寧に混ざり合い、一つの曲へと織り成されている」
「へぇ。なるほど」
……そういえば《魔王》も。
色んな登場人物や効果音が、状況を表していたなぁ。
なんて、思い出す。
「ちなみに、この《野ばら》の詩は、有名なゲーテが書いたものだ。他にも色んな作曲家が音楽にしている。日本だと、ヴェルナーの作品も有名だな」
突然、歌い出す昴さん。
残念ながら、私はそちらの曲も知らなかった。
しかし、二つの曲を聴き比べて、私は思ったことがあった。
「……どちらも何か、明るい曲なのに切なさを感じました」
「あたしも。何でだろう?」
江波ちゃんと一緒に首を傾げる。
すると、昴さんはゆっくりと頷いた。
「そうだな。確かにこの曲は花の曲だ。野原に咲く一輪の薔薇についてのな」
「綺麗なだけの花じゃないんですね」
「野原ってことは、自然の強さも感じられるね」
私たちは昴さんの言葉に意見を返していく。
「うむ。自然の強さもあるのだよ。そこで、切なさを感じた理由だが……」
「理由は?」
私は気になって、問いかける。
「その美しい薔薇を青年が摘み取ってしまうのだよ」
昴さんは物憂げに言った。
「綺麗な薔薇を摘みたくなる気持ちは分かるけど……」
「何か空気読めてないね。その人」
私たちは口を揃えて言った。
自然に咲いているからこそ、綺麗なものもある。
摘まれてしまったから、切なさを感じたのかもしれない。
私はそう思った。
「確かにな。そしてこれは学校では教えられない内容だが……。君たち程度の年齢なら構わんだろう」
「どういうことですか?」
「この詩は、薔薇を女性に例えたものだ」
確かに、学校では教えられない内容かもしれない……。
ちょっと生々しい話だものね。
「あー。そういうことですか」
江波ちゃんも、理解できたようで難しい顔をしていた。
「一説には、ゲーテの昔の恋を題材にしたとも言われていてな」
うわぁ、余計に生々しくなった。
あの切なさはそういうことだったのか!
ようするに、摘んでしまった後悔も詩に含まれている。
のかもしれない……。
「何か未練たらしいですね」
そう思うのは、私が女性目線で見てしまうからなのかな?
でも、だとしたら、どうしてそんな曲を江波ちゃんに?
新たな疑問と、憤りが沸いてきた。
すると、昴さんが言った。
「まさに。これは年配からのいらん助言だが……」
彼は一呼吸置いて言った。
「人は薔薇を愛でる時、必ず棘で傷を負うのだよ。だから、君は振った男を後悔させてやる程度の気持ちで、自分を大事にしなさい」
少し驚く。
武蔵野さんにも、こういう大人な一面があるんだ。
あー、これは江波ちゃんもやられちゃったかな。
案の定、目を輝かせている江波ちゃん。
「どこかに私を一生愛でてくれる男性はいないかなぁ」
ぽつりと漏らした彼女の言葉に、昴さんは言った。
「世の中に男性など転がる程といる。いつかは見つかるさ」
前言撤回。
この音楽馬鹿は、女心を欠片もわかっとらんわ。
見事に撃沈した江波ちゃんを撫でて慰めてあげた。
でも。
内心でどこか安堵していたのは……。
おそらくこの唐変木に、親友が彼の毒牙にかからなかったから……。
きっと、そうだろう。
◇
しばらくして、江波ちゃんは復活し、元気に帰っていった。
二人きりになった後、昴さんは私に声をかけた。
「……そうそう。君もだぞ、雪菜君」
「はい?」
「男には気を付けることだ。くだらん男に引っかかったりしないようにな」
「えっ?」
どきり、となぜか心臓が高鳴った。
「いや、すまない。心配する必要もなかったな。余計な一言だった」
その一言が余計なんだよ!!
いいもん。
そのうち彼氏の一人二人作って驚かせてやるんだから。
私は強く決意をして、昴さんの頭を手元に持っていたお盆の縁で叩くのだった。
――それは、夏の終わりも近づく日のこと。
何てことはない日常の出来事。
私にとって、ほろ苦いチョコレートのような時間だった。
第2話fin
この曲は学校で歌ったという人も多いかもしれませんね。
ちなみにシューベルトは、仲間内で小さな演奏会を開いたりもしました。
その際に、自身の過去作品の旋律をアレンジして入れ込んだことも頻繁にあったそうです。