第19話 言葉では伝えられないこと
少しばかりダークな雰囲気かもしれません。
お気軽にお読みください♪
昇り始めた太陽がまばゆい朝方のこと。
小鳥たちがちゅんちゅんと鳴く声が辺りに響き渡っていた。
もう冬の足音が徐々に強くなる季節だった。
肌寒い空気の中、私は手を擦り合わせながら、名曲喫茶【ベガ】へ向かっていた。
店の通りまでたどり着くと、柔らかいピアノの音が聞こえた。
子供を寝かしつける歌のように、ゆったりとした速度で奏でられる音楽。
ちりん、ちりんと。
鈴の音を響かせて、店内に入る。
既に暖房の効いていたせいか、店の窓は結露しており、外は見えない。
たらりと窓に張り付いた水滴が零れる。
秋も終わったなぁ、とそれを見て染々思った。
その時、柔らかな音色を響かせていたピアノの音が、陰りを持った鬱屈とした音に変わった。
荒涼とした風景を思い起こさせるような暗い音が続く。
やはりというか、ピアノの音の主は昴さんだった。
彼は喫茶店の準備そっちのけで、音楽と触れあっていた。
その姿に、文句をつけようと思って……、止めた。
孤独にピアノを弾く彼の姿に、何故か心を奪われた。
なぜ、こんなにも寂しい音を奏でるのだろう?
なぜ、この音は私にこんなにも寂寥の念を訴えかけてくるのだろう。
それは落ち着いた曲のはずだった。
それなのに、心を鷲掴みにされたように胸が痛い。
どくん、どくん、と。
心臓が鼓動する音が聴こえる。
見える景色は、いつもと変わらない店内だ。
三つの客席。
たくさんの楽譜とレコードの陳列された棚。
一台のピアノ。
そして、独りで音楽に向き合う昴さん。
こんなにも、この店は寂しかっただろうか。
こんなにも、昴さんは孤独だったのだろうか。
再び、音楽は柔らかな優しい響きに戻った。
洗練された音の繋がり。
でも、私にはそれが感情を抑制した慰めに聴こえた。
私はこんな昴さんを知らない。
音楽バカで、口を開けば音楽で、口を閉じても音楽で……。
その癖、子どもには優しくて、面倒見のいいところがちょっとあって。
唐変木で、仕事はろくに出来なくて。
……これまで色んな昴さんを見てきた。
でもこの昴さんは違う。
その内面は今まで完璧に隠されてきたのではないのか。
そう思えるほどに、寂しく優しい音色を、丁寧に、丁寧に、塗り重ねていた。
音楽が終わった後も、私は口を開くことが出来なかった。
躊躇われた。
ねぇ、昴さん。
あなたにも悩みはあるんですか?
私が悩みを抱えるように、あなたにも……。
「むっ、雪菜君か。もうこんな時間になっていたのか」
「あっ、はい」
私は疑問を口に出すことは出来なかった。
「仕方あるまいな。準備をするか」
これまでと変わらない昴さんがそこにいた。
内心の動揺を押し隠して、私も普段通り振る舞う。
でも、どうしても気になって、遠回しに昴さんへ尋ねる。
「さっきの曲、何ていう曲なんですか?」
いつもと同じ台詞。
でも、その意味合いは今までとは少し違う。
曲を知れば、私の知らない昴さんのことを少しでも知れる。
そんな気がしたのだ。
「……聴いていたのか。ヨハネス・ブラームスの《三つの間奏曲》第一番だ」
「ブラームス……。どんな人なんですか?」
知らない作曲家だった。
あんなに寂しくて美しい曲を書く人はどんな人なのだろう。
自然と、私は気になって聞いた。
「よく言えば、誠実で真面目。悪く言えば、偏屈で頑固だろうか。晩年は特に、な」
「さっきの曲は晩年のもの何ですか?」
「うむ。晩年のものだ。生涯結婚をしなかった彼は孤独を感じることもあったのだろう。譜面から美しさと同時に、寂寥感が滲み出ている、と俺は思う」
ぽつり、ぽつりと彼は言った。
「とても綺麗な曲でした」
そして、とても寂しい曲でした。
それは言えなかった。
「第二のベートーヴェンとまで期待された巨匠の音楽だ。卓越した音楽だよ」
それだけを言って、彼は口を閉ざした。
それから私たちは黙々と、開店準備をする。
その沈黙は、常連さん(今日は優しくて毒舌家の鈴木さんが初めにやって来た)が来るまで続いたのだった。
結局、私は聞くことが出来なかった。
なぜ昴さんがあの曲を、どんな思いで弾いたのか。
聞くことは出来なかった。
でも……。
昴さんのことをきちんと知りたい。
そう思ったきっかけは、間違いなくこの音楽だった。
第19話fin
言葉でなく伝わることもまたあると思います。
物書きが言っていいことか分かりませんが。




