第16話(Re):おもちゃの兵隊
今回は微糖成分ありです。
苦手な方はお気を付けて。
それでは、お気軽にお読みください♪
◇
「喫茶店がお休みの時の店長ですか?」
御新規さんにそう聞かれて、私は考え込む。
「プライベートのことは分かりませんけど、どうせ音楽浸けだと思いますね」
ある日、店長と休みに出掛けたことを思い出して、私は言うのだった。
◇
それは休日の昼下がり、子どもがお菓子を食べるぐらいの頃合いのことだった。
私は鎌倉から電車で二駅ほど先にある大船にいた。
駅前の小さな本屋や、ラーメン屋、八百屋などが立ち並ぶ商店街を歩き、目的地へ向かう。
子ども連れの家族や、おじいさん、おばあさんが練り歩く通りを突き抜けて、多くの車が行き交う大通りを抜ける。
その先に私の目的地、市営の大きなホールはあった。
私は少しばかり緊張していた。
なぜって?
それは、あまり馴染みのない居場所へ赴くからだった。
私がこんな場所へ来た理由。
それは一週間前の昴さんと交わした会話に遡ることになる。
◇
「時に、雪菜君。来週の土曜日だが臨時休業になった」
「え? どうしてですか?」
営業が終わった頃合いに突然、昴さんから持ちかけられて、私は疑問で返した。
その日は、確か私もシフトに入っていたはずなんだけど。
「うむ。俺が以前、音楽教室で教えていたことは話したな?」
「ええ、聞きました」
「そこで大人向けのレッスンもしていたのだが……。その教え子の娘さんがコンクールに出るらしい」
「ほぇー」
昴さんが教えていた人の娘さん。
何だかややこしいな、と思いつつ、相づちを打つ。
「それでな、『よかったら聴きに来てください』と頼まれたのだ。その日が土曜日なのだよ」
「それで、臨時休業って訳ですか」
昴さんらしい理由だった。
だって、そんな理由で仕事をお休みにすることも、それが面倒見のいい性格に由来することも、彼らしいとしか言いようにない。
「そういえば、雪菜君はコンクールを聴いたことはあるか?」
「いえ、ないですけど」
音楽のコンクールとか、全く関係のない人生だったし。
友達の発表会を聴きに行くぐらいしか、ホールには縁もなかった。
「……ふむ。そういえば君は子どもに興味があるように思えたな。もしよかったら、君も観に行くか?」
「えぇーと、私なんかが行っていいもんなんですか?」
「ジュニアの小さなコンクールだ。別に気負わなくてよい。真剣な子どもたちの姿を見ることも、またいい刺激になるかもしれん」
真剣な子どもたちか。
まぁ、子どもは嫌いじゃないし。
予定も無くなったから、行ってみるのもいいかもしれない。
「いいですよ。場所はどこなんです?」
「大船の市営ホールだよ。知ってはいるだろう?」
「あー。あの大きなところですね。分かりました」
意外と近くて吃驚した。
「それでは、ホール入り口に午後二時頃、待ち合わせよう」
「分かりましたー」
その時の私は何も考えず、軽い気持ちで返事をしたのだった。
◇
そして、当日になって初めて、私の心中は凄まじいほど混乱したのである。
よく考えれば休日に音楽を聴きに行くとかデートみたいじゃない? いやでも、相手が昴さんだし? ノーカウントでしょ?
えっ? 服装どうしよう? コンクールだから正装? いやでも私が出るわけじゃないし? かといってラフすぎるのも失礼かな?
と、こんな具合である。
ちなみに電話で昴さんに確認をとったところ……。
「君は何て馬鹿なことを言っているんだ。出演するわけでもないのだからカジュアルでよろしい」
と、呆れ声で言われた。
でも仕方ないじゃない。知らない世界なんだから。
とりあえず、あまり目立たない程度におしゃれをして、ホールへ向かったのである。
「ふむ、時間には正確なようで何より」
昴さんは、ジーパンに白いシャツ、そして黒のジャケットを羽織ったいつも通りの服装だった。
何色にしよう? と悩んだ私の時間を返せと言いたくなる。
ちなみに、薄い水色のワンピースにカーディガンを羽織ることにした。ピンクだと目立ちそうだし。
「昴さん、早いですね」
「知り合いへの挨拶を先に済ませたのだ。さて、中へ入るか」
すっと、歩き出す昴さんを追いかけようとして、私は転びかけた。
あちゃー。
ヒールのせいで、感覚がずれていることを忘れていた。
「むっ、大丈夫か?」
昴さんが慌てて手を握り、私は何とか転ばずにすんだ。
「ごめんなさい。ヒールのこと忘れてました」
「気合いをいれんでよい、と言っただろうに」
昴さんは「はぁ」と大きなため息をついた。
そこで気づく。
あれ? 私、手を握ってない?
少し顔が熱くなってくる。
しかし、当の本人は全く意識していないようで。
「ほれ、さっさと歩け」
と、手を離し先へ向かってしまった。
うん、それぐらいの距離感がちょうどいいよね。
私はそんな彼を見て思うのだった。
◇
「昴さん、見てるこっちも緊張するんですけど」
「なぜ君が緊張するのだ?」
訳が分からんという顔をする昴さん。
小さなコンクールと聞いて、発表会の延長かな、なんて思ったら大間違いだった。
小さな子どもたちが緊張に震えながらピアノを弾く姿を見ると、「安心してー」と声をかけたくなる。
それほどにホール内は、はりつめた空気で支配されていた。
緊張のせいで頭が真っ白になったのか、演奏が止まり、泣き出す子までいた。
それは私が知らない子どもたちの姿だった。
「おっ、彼女の番だな」
件の娘さんが現れたようで、昴さんが囁き声で話しかけてきた。
その女の子は、まだ小学生にもなっていないかな、という程の年頃だった。
小さな足で、てくてくと舞台上を歩いて、かわいらしいお辞儀をした。
そして、ピアノに向き合い、大きく深呼吸をしている様子が見えた。
瞬間、始まった。
それは私でも知っている曲だった。
確か、モーツァルトの《トルコ行進曲》だっけ?
小学校の頃、友達が弾いていた。
その演奏は、他の子と何か違っていた。
「ほぅ」
昴さんが息を小さく漏らした。
音が生きていているようだった。
メロディーが前へと進み、伴奏が足踏みをする。
まるでおもちゃの兵隊が行進しているように思えた。
そして、華やかな凱旋と共に、おもちゃの兵隊の行進は終わりを告げた。
◇
「あの子、落ちちゃいましたね」
コンクールが終わった後、ようやく張りつめていた糸がほぐれるように柔らかな空気に包まれた会場で私は言った。
「うむ。残念なことだ」
「他の子より、楽しそうな音楽だったのに不思議です」
私がそう言うと、昴さんはゆっくりと首を降った。
「仕方あるまい。入賞した子どもは誰も卓越した技術を持っていた。彼女は確かに良かったが、技術的にはぎこちなく、まだオクターブもきちんと鳴らせていなかった」
技術的なことは私には分からなかった。
でも確かに、少し慌てている印象は受けていた。
「こういう世界もあるんですね」
「そうだな。コンクールにはコンクールの世界がある。それは良し悪しで語れるものではないのだよ」
ちょうど、件の女の子がお母さんに連れられてやって来た。
「武蔵野さん。今日はありがとうございました」
「ありがとう! おじちゃん」
昴さんに挨拶をする二人。
「よく頑張ったな。楽しい演奏だったよ」
昴さんは優しく女の子の頭を撫でながら言った。
それに、彼女は誇らしげに、同時にくすぐったそうな笑みを浮かべていた。
「ちゃんと、とまらずにひけたよ。すごいでしょ!」
「えぇ、すごいわ! ママも吃驚しちゃった」
「えへへ」
手を引いて去っていく二人を見て、私は心が洗われるような気持ちになった。
「少し安心しました。子どもって無垢ですね」
「うむ、そのまま無邪気な心を忘れずに育ってほしいものだ。そう思わせる演奏だった」
昴さんも頷くようにして、そう言ったのだった。
――それはある休日のこと。
真剣な子どもたちと向き合った日の出来事。
私にとって、音楽の二面性を知った時間だった。
第16話fin
トルコ風って名前を見るとアイスを思い浮かべるのは私だけでしょうか?




