第14話(Re):忍び寄る足音
小説もまた読む人によって、意味が異なる面白いものだと思います。
さて、それでは。
お気軽にお読みください♪
◇
「店長のお店の姿ですか?」
御新規さんの言葉に、私は困り顔で言った。
「お分かりかとは思うんですけど。いつもピアノに張り付いてますね」
御新規さんも、思わず苦笑いをする。
「でも、彼は向き合っているんですよ、音楽と。もう少しお仕事にも向き合ってほしいんですけどね」
私はため息と共に、そう言ったのだった。
◇
「おう、今日も繁盛してるじゃねえか。あっはっは」
私と昴さんしかいない名曲喫茶【ベガ】に、皮肉的な言葉と共に、一人の男性が訪れた。
煎餅屋さんの稲葉隆二さんだった。
帽子を脱ぐと彼のトレードマークである円形ハゲ(私が勝手にそう思ってる)が姿を見せた。
次第に寒くなっているというのに、相変わらず元気そうで何よりである。
彼がここに訪れるのは、久しぶりだった。だが、普段から大通りを通るときに挨拶をしていたから、懐かしい印象を私は受けなかった。
「年中、煩い奴め。少しは歳というものを考えろ、おっさん」
「息子の方は相変わらずみてぇだな。嬢ちゃんはどうだ? 風邪とか引いたりしてねぇか?」
「えぇ、おかげさまで」
彼はいつもこうやって知人の調子を気遣うようだ。
こういう性格に救われているご老人たちもいるんじゃないかな、と思う。
元気な人を見ると、こちらも元気になってくるからね。
「さあて、今日もいつもので頼むわ、嬢ちゃん」
ホットの珈琲と、パウンドケーキだったよね。
私は手早く準備をし、おじさんのテーブルへ持っていく。
ちなみに、カップの絵柄は太陽にした。
彼の性格と、頭から連想されたものがそれだったからだ。
私の裏の意図は気づかずにか、おじさんは香りをゆっくり味わってから、飲み始めた。
しばらく経った後、おじさんは昴さんへ声をかけた。
「今日は《楽興の時》の第三番を頼む」
「一応、聞いておくが、ラフマニノフの方だな?」
「あぁ。この店で聴くのはラフマニノフって決めてるんだよ」
この前来た時もその作曲家の演奏をお願いしてたよなぁー。
頭の片隅にある記憶を呼び覚ます。
確か、ロシアの作曲家で、鐘の人だよね。
私が頭をフル回転させて、思い出している頃、昴さんはピアノへ向かっていた。
そして、小さく長い深呼吸をした。
奏でられた音はとても寂しく冷たい響きをしていた。
それを優しく包むように柔らかな音の重なりが鳴る。
凍える大地がすすり泣き、しんしんと雪が積もっていく。
そんな光景を想い起こさせた。
そして、低く重い足取りで何かが迫ってきた。
刻々と近づくそれは、まるで死神のように、足音を響かせてやってくる。
死神が目の前までやってくると、また大地がすすり泣き始める。
最後には、何度も何度も訴えるように、悲しげな声をあげて音楽は終わった。
「あぁ、広大なロシアを感じるな。今の時期はもう凍えるような寒さなんだろうか?」
おじさんの漏らした独り言に私も考えさせられた。
今の音楽は冷たい冬を感じさせるものがあった。
「ええっと、曲名は確か……」
「セルゲイ・ラフマニノフの《楽興の時》の第三番だ」
「何か寂しい曲ですね」
「うむ。彼の弟が亡くなった頃に作曲されたものと言われていている。途中、葬送行進曲のような低音の行進があるところも特徴だ」
「でもよ、弟が亡くなったってだけじゃねえだろうな。陰鬱な雰囲気なのわよ」
「どういうことですか?」
おじさんの言葉に、私は首をかしげた。
弟が亡くなったってことは一大事な気がするけど。
「うむ。ラフマニノフの生きた当時のロシアはな、革命の真っ只中にあった。ロシア革命だよ。彼も亡命を余儀なくされ、二度と祖国の地を踏むことはなかった」
「え? 自分の国に帰れなかったんですか?」
「そうなのだよ。彼は愛する祖国のことを何度も想い、帰りたいと願いながらも、ついに叶わなかった」
平和な現代日本に生きている私には分からない。
でも、自分が日本に帰れなかったら……。
それはとても寂しいことだろう。
「そうやって聴くとな、葬送行進曲ってのも頷けるが、軍隊が忍び寄ってくる足音にも聞こえるんだよな」
音楽は人によって、聴こえ方が異なる。
それをすでに教えられていた私も、率直に言った。
「私には、冬空に死神がやってくる音に聴こえました」
「ふむ、なるほどな。軍隊に、死神か。ラフマニノフは何を想い、この音を記したのだろうな」
私は譜面を読むこともできない。
でも、こうやって真摯に譜面と向き合う彼を、おじさんと共に見ていると、思わずにはいられないことがあった。
作曲家も一人の人間として生きていたんだな。
私やおじさんや、昴さんのように。
そして、今も音という形で何かを伝えようとしているんだ。
……昴さんはそれと向き合っているのかもしれない。
そう思うと、音楽狂いの変人がとても偉大な人物に思えるような気がしないでもなかった。
まっ、でも変人なのは変わらないっか。
うんうん、と独り言を漏らしながら譜面に書き込む彼を見て、私はそう思うのだった。
――それはある休日の一コマ。
忍び寄る冬の足音が聞こえる日の出来事。
私にとって、音楽家の想いに触れた時間だった。
第14話fin
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