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第11話(Re):美の継承者



     ◇



「ここで働き始めて気づいたことですか?」

 御新規さんの質問に、私は難しい顔になった。

「音楽家って、凄い人たちなんだなってことですね」

 私の回答に、御新規さんは思案顔になった。

「歴史を伝える人たちなんですよ」

 私は笑顔で語りかけるのだった。



     ◇



「こんにちは! 武蔵野(むさしの)先生、雪菜(ゆきな)さん!!」


 穏やかな雰囲気の漂う名曲喫茶【ベガ】。


 その日もいつも通り、暇を潰していた私と(すばる)さんだったのだが……。


 突然の大声と扉を開け放つ音によって、休息の時間は終わりを告げた。


 店に飛び込んできた人は、かつての昴さんの教え子であり、ヴァイオリニストの高校生、本田陸(ほんだりく)くんだった。


「あれ、本田くん。こんにちは。どうしたの? 凄く元気良さそうだけど」


「煩いぞ。落ち着きを持ちなさい。楽器が壊れたらどうする?」


 私たちの反応は正反対だった。


 退屈を嫌う私は好意的に、静寂を好む昴さんは嫌悪的に、彼を迎え入れる。


「それがですね! 大、大、大ニュースなんですよ!」


「うんうん」


「いいから用件を話せ。耳が痛い」


「僕、今度の音楽教室の発表会で、ヴァイオリン協奏曲を弾くことになったんです」


 ほぇー。大ニュースなのか。

 多分、名誉なことなのかなぁ?


「ほう、それはおめでとう。それで何を弾くんだ?」


 昴さんも興味を惹かれたようで、少し声を上擦らせて彼に聞いていた。


「メンデルスゾーンの第二番第一楽章です! ちゃんと、音楽教室のオーケストラと演奏するんですよ! やった!!」


「うむ、それはいい経験になるだろう。しっかり励むといい」


「おめでとう! 本田くん」


 嬉しいことだ、と察したので私も祝福しておく。


「それでですね。昴さんにメンデルスゾーンについて教えてもらいたくて。曲はさらったんですけど、何だかまだ掴めていないような気がするんです」


 少し嫌な予感がする。


 昴さんに「音楽を語って」と頼んだら、それこそ日が暮れて、また昇っても話続けるだろうから。


「ふむ。彼について語れと言われたら、一日やそこらで終わるものではないな」


「あー。それは流石にキツいです、武蔵野先生。バカな僕にも分かるレベルでお願いします」


 予想通りな昴さんの反応を、ズバッと拒否をする本田くん。


 助かった。本当にありがとう、本田くん。


「だとすると……。いや、音に聴いた方がよいか。適当に伴奏するから弾いてみなさい」


「あっ、はい。分かりました」


 昴さんは楽譜が沢山しまわれている棚へ行く。


 そして、かわいい小さな楽譜を持ってくると、ピアノへ向かった。


 本田くんも楽器を準備し、楽譜とそれを置く台(何て言うんだっけ?)を用意した。


「雪菜君も感想を述べてやって欲しい。少し長めな曲だが頼めるかな? 聴衆の意見も大切な勉強だからな」


「お願いできますか?」


「構わないですよ」


 私の意見が参考になるとは思えないけど。

 まぁ、聴くだけなら私にも出来るし。


 私は二人の奏でる音楽を待つことにした。






 それは、短い昴さんの伴奏の後に漂ってきた。


 整えられた美しいヴァイオリンのメロディーが、甘い香りを匂わせて響く。


 どこか切ない響きを持つそのメロディーは、私の心をゆるやかに揺さぶった。


 奏でられた音は流れるように、時には桃色に、時には水色に鮮やかな彩りを添えていく。


 と、昴さんの伴奏が消えて、目まぐるしく迸る旋律がヴァイオリンから放たれた。


 しばらくの後、また甘く香り立つメロディーが流れ、音楽は続いていった。


 ……あぁ、音楽がこんなにも鮮やかなんて私は知りなかった。


 まるで、美術館に展示されている絵画のようだった。






 情熱的な音で曲が締め括られた瞬間、私は思わず拍手をしていた。


 それは義務や義理とかそういったものではなく、無意識の内にしていた感情的なものだった。


「凄い! 凄いよ! とっても甘くて切ない音楽だった。何だろう、言葉だけじゃ言い表せない。ごめんね?」


 私は早口で感想を捲し立てた。


「ありがとうございます。うーん、でも何か違うんだよなぁ」


 本田くんは顔をしかめて言っていた。


 私は唖然とする。


 これでも駄目なの?

 音楽ってどれだけ厳しい世界なの?


「ふむ。ひとまず、さらえてはいるな。俺から話すとすれば……」


 昴さんも深刻そうな顔をして、言葉を選んでいた。


「あ、あのぅ。今の演奏じゃ駄目なんですか?」


「うーん。なんだろう。弾けてはいるんだけど……」


「そうだな。弾かされている、といった感じだ」


「そうなんですよね」


 私は何を言っているのか、さっぱり分からなかった。


「……ふむ。君はメンデルスゾーンについて、どれだけ知っている?」


「ええっと、ロマン派の作曲家で裕福な生まれの人だった。それで、貴族的な雰囲気の人なのかなと」


「まぁ、間違ってはいないな。彼は銀行家の息子に生まれたユダヤ人で、非常に裕福な生活を送れていた。厳格な教育を受けたこともあって、知識的かつ洗練された美意識を持つ人だったと言える」


「わぁ。そこまでは知りませんでした」


「いかにも富裕層って感じです。悩みも無さそうな人だなぁ」


「そうだろうか? 裕福であればこその悩みも多かっただろう。芸に秀でればこそ、大衆への迎合とも向き合わねばならない」


「んー? 私には想像出来ない悩みですね」


 一般庶民の私には、ちっとも理解出来ない悩みだった。


「……それに、彼は確かにロマン派を代表する作曲家であったが、同時にそれまでの偉大な芸術の継承者でもあったのだ」


「えっ、どういうことですか?」


 首を傾げる本田くん。


「彼の時代までの音楽は使い捨ての側面が強かった。どれだけ傑作であっても作曲家の死後に演奏されることは稀だったのだよ。彼はそういった忘れ去られた傑作を呼び起こしていった。今日(こんにち)のように、昔の作品が省みられる機会は多くなかったのだ」


「使い捨てなんて勿体ないですね。せっかく書いたのに」


 私は作曲家たちの苦労を少し考えて、そう言った。


「うむ、おそらくメンデルスゾーンもそう考えたのだろう。

 ……それまで名前も忘れられていた大バッハや、著名なベートーヴェン、ヘンデルなどの名作を彼は自分の演奏会に取り入れていった。

 彼はロマン的でありながら、古きを尊ぶ美の継承者でもあったのだよ」


「美の継承者かぁ。難しいなー」


「うむ。……だからこそ、陸君。君も継承者の一人として、譜面と向き合いなさい。そこに答えがあるかもしれない」


「分かりました。もう少し譜面と向き合ってみることにします」


 私は二人に紅茶を振る舞いつつ、真剣に話し合う様子を見守るのだった。




    ◇




「あのぅ。昴さん?」


 本田くんが帰った後、私は昴さんに問いかけた。


「何だね?」


「私なんかが口を挟むのも変ですけど。……抽象的なことばっかり言ってましたよね。もっと具体的なことを話した方がよかったんじゃ?」


「確かにな。だが、それは彼の先生がして下さるだろう」


「なるほど。理由があったんですね」


「俺に出来ることは、簡単には見えない部分、それに意識を持つよう促すことだ。それ以上は蛇足だ。彼自身が気付かなければならないこともあるのだよ」


「難しいですね、それ」


「うむ。だが時として音楽家は、孤独に偉大な先駆者と向き合わなければならないのだ」


 そう言って彼もまた、先駆者の楽譜と、にらめっこをしていた。


 私はそんな昴さんを見つつ、本田くんの演奏が素晴らしいものになるよう願うことしか出来なかった。



 —―それはある少年の熱意に触れた日のこと。

 ちょっとした知らせが舞い込んだ日の出来事。

 私にとって、音楽の厳しさを知った時間だった。



第11話fin

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