8話 思い悩む天笠
「今日はまた一段と暑いなあ。――くそ。探せども異形は見つかりやしねえ」
昨日に引き続き天笠は神社へとやってきた。
昨日、川の下流に向かって異形を探していたのだが結局見つかりはしなかった。そこで天笠は、再度見逃しはないかと神社を起点に捜索を始めようと思っていたのだった。
神社の木陰で一度涼もうと考えた天笠は胸ポケットから煙草を取り出し、そして火を点けようとした。
その時、ふと視線の先に何やら目に留まった。深川の姿がそこにはあった。彼は薄ら笑いを浮かべながら呆然と空を見上げて座り込んでいる。
「おう、深川。今日もここにいたのか」
天笠は煙草をポケットにしまいながら問いかけた。
「ああ、天笠さんですか。おはようございます」
思いのほか元気な挨拶に天笠は少々驚き、そして笑いかけた。
「なんだ? 今日は元気じゃねえか。何かあったのかよ」
「ええ。実は自分でもいまいち理解できていないんですが……アレを一体どう言っていいのやら……」
「えらく勿体ぶるじゃねえか。何でもいいから適当に話してみろって」
「そうですか――何と言いますか、俺、実はさっき一度死んだみたいで」
「死んだ?」
突然の言葉に天笠は困惑した。
耳で聞き取ったはずの深川の言葉を瞬時に理解できず、その言葉は耳を通り抜けて行った。
「何を言っているんだ? お前は」
嫌な胸騒ぎを押さえながら、天笠は平静を装って話を続けた。
「文字通り、先ほどの言葉通り、俺は死んだんだと思うんです。昨日までの俺は死んだ。そう思う。いや実感しているんです」
「……じゃあ、今のお前はなんだ?」
「今の俺も深川です。生まれ変わったって感じですかね。まあ『人を食ったような話』でしたね。――ちょっと俺、明日から学校に行きますね。そんで色々と挑戦してみようと思います。努力してみようと思います」
「えらくポジティブになったもんだな。まあそれなら良いんだが。――あのな……なんというか、ネグレクトなり……何かそういったことで悩んでんなら――」
「いいですよそんなこと。もう俺には関係のない事柄になったんで。ありがとうございました」
そう言うと深川は天笠に背を向け、そして歩き出した。いつもの小さく丸まったような歩き方ではなく、顔を上げて胸を張ったような歩き方に見えた。
やがて神社の木陰の向こう、強い日差しの差す光の中へと消えていった深川に対して天笠は何も声をかけることが出来なかった。
「アイツ……ひょっとしてもう……」
心のどこかで抱いていた嫌な予感が今、現実のものとなってしまったような気がした。そうであっては欲しくない。気のせいであって欲しいと願う天笠は、気が付けば視線を神社の拝殿へと向けていた。
そのことに気が付いた天笠はハッと我に返ると、苛立ちを露わに舌打ちをして胸元から煙草を取り出し火を点けた。
「……何が神だ、阿呆らしい。俺もらしくねえなぁ」
煙の立ち上る先。木陰から覗く空は相も変わらず雲一つない美しいほどの晴天であった。
そしてその青空から降り注ぐ太陽光は、アスファルトに転がりちょうど死骸となったばかりの蝉を尚も容赦なく炙り続けていた。
〇
「それで、何か手がかりは見つかりましたか?」
その日の夜中。特に収穫の得られなかった怜、彰、天笠、そして明葉は偶然にも街中で出くわし、一緒にファミレスで食事をとることになった。
明葉によると桜庭は人と会う約束があるからと、どこかへ行ってしまったということであった。
「なーし。傍観者からの情報もなーし。もう死んだってことで良いんじゃないの?」
明葉はやさぐれたようにフライドポテトにフォークを突き刺し、次々と口へと運んでいく。
「いやいや。胴体や足を消し飛ばしても元気一杯な感じで逃げられたんじゃなかったでしたっけ? ――って痛って。冗談ですって……。まあ、俺も何も収穫は無いんですけど……」
うるさい――と明葉に肩を叩かれながら、彰も疲れ切った様子で答える。
「俺……もう今日だけで一気に疲れましたよ。日影もない中で一日中この炎天下をさ迷い歩き続けて……」
「私はそれを春樹と二人でずっとやってたんだけどね……。あの時逃がしてなきゃ今頃は報酬を貰ってクーラーの効いた部屋で涼んでんのかなあ。怜ちゃんは何か収穫はあった?」
「いえ……私も何も得られませんでした。いったいどこを探せばいいんですかね。川沿いを更に広範囲探すにしても……。そもそも草木が生い茂っていて探しにくいですし……何より暑すぎます……」
氷だけになったグラスを両手で握りながら怜はぐったりと首を垂れた。
皆が完全に疲れ切って愚痴をこぼし合う中、天笠はソファーにもたれ掛りながら黙ってコーヒーカップを見つめていた。
「怜さんも明葉さんも駄目だったか……。天笠さんは何か見つかりました? 手掛かりなんかは」
「――あ? あぁなんだ? スマン。聞き逃した」
「どうされたんですか? さっきからぼーっとされてますが……。手がかりですよ。何か見つかりました?」
「あぁ……」
天笠の脳裏には深川の事がよぎった。だが――
「いや……何もないな。今のところは」
――天笠は深川の事を話さなかった。
「……そうですか。俺、明日は日射病で倒れるかもしれないですよ」
「ひょっとしたらやっぱり人間に姿を変えて潜伏してるのかなあ……。あっ! じゃあ私、明日はゲーセンとか人の多い所を見て回るね!」
「自分が屋内の涼しいところで遊びたいだけじゃないですか……って痛っ。足蹴らないでくださいよ……」
二人が騒いでいるのを尻目に怜は天笠をじっと見ていた。
「なんだよ……」
バツが悪そうに天笠は言った。
「いえ、なんでも」
「……フンッ」
コーヒーカップをガチャリと置くと、天笠はきまり悪そうに指で机をコツコツと叩きながら黙り込んだ。
暫しの間、天笠は何やら俯きながら考え込んでいるようであった。
やがて意を決したかのように小さく息を吸い込むと、何気ない雰囲気を装い切り出した。
「……生まれ変わるっつうのは、救われるものなのかね」
唐突な言葉であった。だが、先ほどからギャーギャーと騒いでいた彰と明葉は特に気にもせず会話を拾った。
「なんか言ってましたね同じようなことを怜さんも。どこかの誰かになれたらなんて。まあ確かに面白そうですけど――イテッ。だから蹴るなって」
「あたしは興味なーし! 誰かになったって意味ないじゃん。それに私、自分の人生気に入ってるし」
「まあ……そんなもんだろうな、普通は」
「でもどうしたの? 急に黄昏ちゃって。あそこの高校球児を見て羨んじゃった?」
明葉は茶化すように遠くの席の高校生たちを指さした。部活帰りであろう大きなエナメルバッグを持った男子生徒達が数人、楽しげに会話をしていた。
丸められた頭、そして妙に整えられた眉毛から明らかに野球部と見て取れた。
「羨む――か」
彼らを見て天笠は深川を思った。彼ら野球部にいるような学生たちは学校内においても活発で、それこそ学生生活という青春を存分に謳歌しているのだろう。勉強に恋愛に、そして野球であれば甲子園と言った大きな目標に向けて全力で取り組んでいる。それを羨ましいと思う人々もいるであろう。
深川もそういった人々と同じような羨望を抱き、それを欲するのだろうか。
天笠には少し違うように思えた。彼はもう生きる気力が枯れているような印象を受けた。羨望など抱かずただ生きているだけのような。
「――あぁいや。何でもねえよ。暑さで頭がやられちまったのかな、俺も」
天笠は何でもないと会話を終わらせると、残っていたコーヒーを飲み干した。
ふと目を横にやると怜はグラスの氷をクルクルとかき回している。何も言わないのか。そう天笠が視線を戻そうとしたとき、怜はそのままポツリと言葉を発した。
「何かありましたら、教えて下さいね」
なんだ、視線に気づいていたのか。何やら見透かされているような気がして天笠は居心地が悪くなった。
「チッ、分かってるよ……。さっさと終わらせてこんなクソ暑い中での仕事は終わりにしたいもんだ」
そう言うと天笠は立ち上がり、伝票を持って一人でレジへ向かった。
「え? 俺らの分まで全部おごってくれるんですか!?」
「ごちそうさまでーす。さすが年長者!」
「うるせえよ阿呆共。今回だけだ」
ぶっきらぼうに答えると、尚も騒がしい二人を背に天笠は支払いを終えた。
「さて、これからどうすっかなあ……」
ボンヤリとそんなことを呟きながら、天笠は一人ファミレスを後にして暗い夜道へと消えていった。




