7話 生まれ変わる
翌日も深川は夏期講習をサボり、昨日の神社に一人座り込んでいた。
いつも学校に間に合うように家を出るのだが、どうにも学校に近づくにつれ足が重くなり、最近ではふと気が付けばここへ来てしまっている。
昨日と同じくミンミンゼミの声を聞きながらボンヤリと遠方の入道雲を眺めていると、なにやら背後の茂みが音を立てていることに気が付いた。
「……猫か?」
餌など持っていないぞ、などと思いつつ振り返る。
その最中に深川はある違和感を思えた。
――なんだか……猫にしては音が大きすぎるんじゃないか……?
そのように感じながらいざ振り返ってみたその時である。
それは今まさにゆっくりと茂みを揺らしながら這い出してきているところであった。
白い。だがまるで人間の上半身のようにも思えるそのドロドロとした物体は人間でいう腕のようなもので地面を這いずりながら、深川の方へと近づいてきていた。
何がなにやら訳が分からないといった表情で深川はじっとその正体を見定めようと視線を向けていた。
するとその白い物体は顔のような部分を持ち上げ、そしてそこに一つある――人間でいう口と思しき部分をもごもごと動かし言葉を発した。
「お兄ちゃん――そこの君――生まれ変わりたくなぁい?」
「……え?」
女の子、そして若い男性の声が聞こえた気がしたと深川は一層混乱した。目の前に映る白い物体が人間であるとは到底思えなかったからである。
ただ混乱し恐怖を感じることさえ忘れているような深川に対し、尚もその白い物体は接近しそして続ける。
「辛そうな顔してるじゃない。きっと辛いことがあったんだろう?」
「……辛いこと……? まぁ、辛いですけど……」
「分かるわよ? 俺らみんなそうだったんだから。俺らみんなと同じような目をしてらぁ」
「……」
「そら辛いだろうよ。一人ぼっちで誰も理解してくれねえんだから」
「……そうですね……つらい」
何故だか深川の頬に一筋の涙が流れた。突如として現れた得体のしれない物体に二言三言言葉をかけられただけなのに。
ずっと言って欲しかった言葉を言ってもらえたような気がして、深川の感情は高ぶっていた。
突然の出来事による混乱と感情の高ぶりにより、深川は訳が分からなくなっていた。
そんな深川を前に、その得体のしれない物体は優しい口調――老人や幼子の声色で続けた。
「だからね、辛いならやり直すんだよ。僕らが力になれるよ?」
「力に……?」
「ああ、そうさ。一緒に生まれ変わるんだ。君がもし良ければだがね。どうだい? 生まれ変わりたいかい?」
正直なところ、何を言っているのか分からなかった。ただ、助けになってくれるということは理解したつもりだった。
こんな自分に助けを差し伸べたところで、もう取り返しはつかないのにと申し訳なくもなったりもした。だが、
「はい……お願いします」
何も考えられない深川はすがるように答えた。
「うむ。分かった。では――くわれてくれるね?」
「はい……」
その返答を待ってか待たずか、眼前にあったその白い物体を見つめていた深川の視界は突如として暗闇に覆われた。
――急に暗い……でも、くわれてくれって……?
僅かの間の思考の遅れ。そして直ぐに脳が理解に追いついた。
――そうか……「喰われてくれ」ってことか……
ああ、暗いのは既に頭が口の中なんだな。深川は理解した。
「ぐげぇ!」
首もとを鋭く押し潰される苦しみに深川の喉は勝手に音を発した。
下顎と上顎。そこに生えそろった鋭利な歯列に押し潰されることで、深川の喉元は力に反発し強く押し返そうとする。
しかしその鋭い歯を前に喉元の肉は到底耐えきれず、歯列に沿って深川の喉、そして気管までもが音を立てて噛み千切られていった。
次いで感じるその灼熱のような激痛を前に、深川の意識は遠退いていく。
その最期を迎える深川の脳裏には微かに死への恐怖が湧き上がった。
「嫌だ。死にたくなんて……無かった」
深川はここで終わる自分の人生を悔やんだ。
深川の頭部は白い異形の怪物に食いちぎられた。
〇
「蒸し……暑い……」
どれくらい時間が経ったのか。
いや、もしかしたらほんの数秒であったのかもしれない。
激しくキーンと甲高い耳鳴りがする中、深川の視界は次第に鮮明になっていった。
──何が起こった? 何故自分は生きている? 夢であったのか?
死に際の苦しさも激しい痛みも、そして後悔の念さえも深川ははっきりと記憶していた。自分の経験したことであるから当然である。
「ええっと……確か学校に向かっていた途中でこの神社に来て、ぼーっと座っていたら白い何かがやってきて――食われてくれって言われて……」
先ほどまでの事を思い返そうと考えを巡らせる。
だがその一方で、頭の中に今まで自分が知りもしなかったような知識、考えが同時に湧き上がってくるのを感じた。化粧のやり方、少女漫画の内容、会社での仕事や家のローン、就職までの道のり等が鮮明に浮かび上がってくる。
それはまるで先ほどまで自分が寝ぼけていたかのように脳が冴え渡っていくようであった。
それに伴い深川は今までずっと抱えていた憂鬱感や不安感、そして無気力感といった負の感情の全てが吹き飛び、あたかも完全なる自由でも得られたかのような活力を感じて気分が高揚するのが分かった。
まるで世界が眩い光を放っているようなそんな感じさえしてくる。
深川は自らの手のひらに視線を落とした。いつもの見慣れた、自分の掌である。
――何がどうなった?
天国にでも転移したのかなどと思い、状況を整理すべくいつもの灯籠脇に腰を下ろした。
その時である。深川の脳裏に先程の異形の者の声が響いたような気がした。
──これからはお前の身体で色々な世界を味わっていこうじゃないか
ああ、そうか。俺は食われて、生まれ変わったのか。
深川はすっと府に落ちた心地がした。
「ふふっ、ふふふ。ハハハハハッ」
気分がいい。自然と笑いが込み上げてきた深川は頬が引きつり痛むのを感じながら久しぶりの笑いを堪能する。
「空ってこんなに青かったかなあ。いや、それはいつでも変わんないか。ハハッハハハハ」
ジジジッっと蝉が飛ぶ。そうかと思えばすぐさまアスファルトの上に転がり力なくジジジッと絶命する。ただそんな様子を見ただけで再び笑いが込み上げてくる。
箸が転がろうもんならどうなろうか。そんなことを一人考えながら深川はただただ笑い続けていた。




