4話 桜庭春樹と夏見明葉
深夜三時過ぎ。終電もとうに終わり始発までまだまだあるこの時間帯。小さな駅から少し少し歩いた土手沿いの住宅街を一人の男が歩いていた。
人通りのないこの一帯から聞こえてくるのはこの男の靴音と、賑やかに鳴り響く虫の音だけであった。
そんな中、男は突如として背後から加わってきた金属音に気が付き歩みを止めて振り返った。
それは聞き覚えのある――金属バットを引きずる音。そして男の視線の先には街灯に照らし出された不審な人物の姿があった。
「う、うふふふふ……気づかれちゃったぁ」
その不審な人物は楽しげに身体を震わせると、自らパーカーのフードと脱ぎ去りその顔を覗かせた。
その人物の顔――正確には、人間ならば顔とされるその部分には、目や鼻などといった器官は存在せず、その真っ白い肌に大きな口だけが存在する異形の姿をしていた。
その異形のモノは男が逃げ出せぬことを見ると、その大きな口をニヤリとゆがませた。
そして突如としてバットを振りかぶったかと思うと男へ目がけて駆けだす。
「うふ、お前をくぅ、ククッ、く、く、喰ってやるよぉ!」
異形は男を昏倒させたのち、ゆっくりと食事を済ませるつもりなのだろう。振り上げたそのバットを何のためらいもなく男の頭部めがけて力強く振り下ろした。
男は微動だにしない。そして振り下ろしたバットが男の頭部を捉えるその瞬間、今度はその男もまた笑みをこぼし、そして呟いた。
「やっと見つけたぜ。くそったれが」
突如、周囲は男の身体から発せられた赤い光に照らし出された。
振り下ろされたバットが赤い光に触れる。するとその部分は突如として消え去った。
結果、男の頭部を捉えたはずのバットは空を切ったかのように手ごたえはなく、切断されたバットの先端が遠くの地面に転がりカーンッと音を立てた。
「フンッ……」
戸惑う異形を前に、男はすぐさま右手の赤く光るDecay Amplifier――通称アンプを振り上げて異形を袈裟に切り上げた。
「ああああアアアアアア!」
異形の片腕は切断され、胴体にも深い裂傷を負った、そして悲痛な叫び声を上げてその場に膝から崩れ落ちる。
「コソコソと逃げ回りやがって。ここで駆除してやるよ。応援を呼んだのも無駄になっちまうが……おい明葉ァ! 一気に叩くぞ!」
「言われなくても!」
明葉と呼ばれたその少女は、突如身を潜めていたアパートの駐輪場の壁を粉砕して一直線に間合いを詰めると、すぐさま男と共にアンプを異形めがけて振り下ろした。
「アアアア! ァ? ――アタシを殺すの?」
突如、幼い女の子の声が聞こえた。
「っ!?」
突然のことだった。そのため男の脳裏に一瞬、その振り下ろす手を止めようかという戸惑いが生まれた。男は当然振り下ろす手を止めることは無かった。そしてその言葉を発したのが眼前の異形であることを瞬時に察していた。
だが、その一瞬の戸惑いにより、男の振るったアンプの軌道に狂いが生じた。
異形は身体を逸らした。それによりアンプはその頭部を捉えることなく首元から胴体を大きく縦に切断する形となった。
「ちぃ!」
「何やってんの! 春樹!」
二人はすぐさま二撃目を振るった。
「死にだぐないいいいいい!!!」
異形は身体を大きく損壊させながらも、今度は中年の男性のような雄たけびを上げて駆けだした。
「やっぱり息の根を止めなきゃ動けるってか!?」
「逃がさないっての!」
二人は逃げる異形の足元目がけて同時にアンプを放つと、その左右両方、膝から下の部分を吹き飛ばした。
だが、その異形の動きは止まることなく、残っていた片腕をゴムのように伸縮させ、電線を掴み大きく跳躍した。
「あああああああ、は、はやく――早くコイツを、殺じでくれええぇぇ!」
再び声色を変えたその異形は若い男性の声でそう喚いたかと思うと、かろうじて繋がっていた胴体部分を自らの手で切断し、身軽になった上半身だけで宙高く飛び上がり近隣の土手を流れる川へと着水した。
「ちぃっ! 腕が伸びるなんて聞いてねえぞ! おい明葉! 直ぐに追うぞ!」
「無理じゃない? 昨日の雨の影響か……川の流れが速すぎる。完全に逃げられちゃったね」
「なっ……。クソ!」
春樹は悔しそうに顔を歪めながら、ただ川の下流を眺めることしか出来なかった。
静けさの戻った一帯において、その増水した川の音がやけにやかましく響いているように感じられた。




