17話 喰われる能力者
廃墟の三階まで来ただろうか。桜庭は建物内部で見つけた血痕を頼りに進んでいた。それはおそらく被害にあったトートバックの持ち主である女性のものと思われた。
息を殺し、足音で居場所を気取られぬよう慎重に進む。
曲がり角のすぐ傍や割れた窓ガラスの向こう側。その死角となった場所に深川が待ち伏せていないかと息を巻き確認していく。今すぐにでも吹き飛ばしてやりたい。今の桜庭の思考はそのことでいっぱいであった。
外から差し込む繁華街の光に埃やカビの胞子が舞う様子が照らし出されている。蒸し暑い廃墟の中で一層息が詰まりそうになる。
「……っ?」
ふと微かな声が聞こえた。耳を凝らしてみるとそれは女性の声の様であった。
うめき声。それも苦しみの中で今にも消え入りそうな。
桜庭は曲がり角から通りの向こう側を覗き込んだ。
血痕の続く先に女性が倒れている。窓枠から差し込むわずかな光の中で彼女は血だまりを作り、そこで弱々しく蠢いている。
「……クソが」
助けに出ても手遅れに思えた。それに彼女を助けようとして無防備になったところを狙う作戦のように思えてならなかった。
だがそうだとしても――
「化け物の猿知恵がどうしたってんだよ」
桜庭は襲撃を退ける自信があった。仮に襲われたとしても全身を光で覆い身を守れば深川は桜庭に触れることすらできない。その間に十分に態勢を立て直すことが出来ると考えた。
桜庭は女性の元へと近づいた。
「……意識はあるか?」
桜庭は女性に問いかけた。彼女は脇腹から大量の出血をしており、間もなく息を引き取ると思われた。
「……」
彼女の視線が僅かに動き桜庭の方へと泳いだ。弱々しい呼吸をしている。首を動かすこともままならないだろう。
その涙に汚れた顔からは生気が失われている。そんな彼女を見て桜庭は胸が締め付けられる思いがした。
「化け物はどこへ行きやがった? 教えて欲しい。俺がぶちのめしてやるからよ」
その言葉に彼女は僅かに力を取り戻した。そしてその最期の力を振り絞るようにして腕を動かすと、やがて一点を指示した。
廊下前方の天井。そこに開いた大穴。
力なくこと切れる彼女を尻目に、桜庭はすぐさまアンプを構え天井に向かって吠える。
「隠れてねえで出てきやがれ! 化け物がァ!」
その時である。突如後方から叫び声がした。
「春樹! 後ろおお!」
――明葉? 何を焦っているんだ?
桜庭は天井を警戒しつつも振り返った。
だが、視界に映ったのは先ほど息絶えたはずの女性であった。目の前で笑みを浮かべて立っており桜庭と目が合う。
――あれ? なんで生きて……?
「逃げ――」
骨の砕ける音。その音に明葉の叫びはかき消された。
女性の口が突如肥大化したかと思うと、桜庭の頭部を飲み込み噛み砕いていた。
桜庭の強張っていた筋肉が弛緩し、手足がダラリと垂れる。そして女性が首を噛み千切ると桜庭の体は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「くっそ!」
天笠たちはアンプを構えた。明葉も歯を食いしばり怒りをにじませてアンプを握りしめる。
深川は逃走中に道中にいた女性を喰らうと、その姿に身体を変化させ油断を誘っていた。尚も深川は女性の姿で桜庭の頭部を咀嚼している。天笠たちは警戒しつつじりじりと距離を詰めていく。
だが、深川が頭部を飲み込んだとき異変は起こった。突如その女性が頭部を抱えて呻いたかと思うとスッと人が変わったかのように大人しくなった。そして何やら両手に視線を落とし眺めた後、天笠たちの方を見て女性は言葉を発した。
「どうなってやがる……これは?」
その声は紛れもなく桜庭のものであった。
「俺の身体が転がっていて……俺は喰われたのか? だが意識はあるぞ? 訳が分からねえ! 何がどうなってんだ!?」
怯えた声で取り乱し始める様子に天笠達は攻撃に出られずにいた。
「俺は生きてるってことなのか? いや、だが……!」
「春樹! どういうことなのよ! 説明しなさい!」
「俺にだって分からねえよ! 確かに俺の意識なんだよ! 身体は変わっちまったが間違いなく俺は生きてるんだ! 訳が分からねえ! 頼むから殺さないでくれ! 助けてくれ!!」
助けを求めるようにその女性は天笠たちの方へと歩み寄ってくる。
「止まれ桜庭ァ! それ以上近づくとぶっ殺すぞ! 状況整理が先だ!」
「うるせえ! 俺だってパニクってんだよ! 俺は死んじまったのか!? 元に戻れるのか!? なあ! 俺は死にたくねえよ!」
「落ち着いて下さいよ桜庭さん! こっちだって混乱してるんですよ!」
「そうよ! 一旦止まりなさい! 落ち着いて話せば――」
「そう言って俺を殺す気だろうお前らは! なあ、明葉! お前は俺だって分かるよな! なあ!」
「あと五歩歩いたら殺しますね」
「いい加減に止まりやがれ! マジで言ってんだこっちは!」
「俺は桜庭春樹だ! 明葉、お前は分かるよな? お前と初めて組んだのは二年前! 人形野郎を始末するよう命令された時だ! これでお前なら分かるだろう! あの時、俺はお前に言ったよな! 次からも一緒に組んでくれって――」
「五歩」
怜が飛び出し女性に襲い掛かった。身を低く屈めたまま一気に詰め寄ると脚を目がけてアンプを横なぎに振るった。
だが、女性は天井近くまで大きく跳躍し身をかわした。
「――ははっ、おっかねえなあ。騙されちゃくれねえかお前は」
女性はあざ笑いながら怜の頭上を飛び越えると明葉たちの前に着地した。
「まずはこいつらからだなァ!」
女性は背後に隠し持っていたアンプを取り出すと明葉目がけて振り下ろした。
「……くっそ!」
反応の遅れた明葉を庇い、咄嗟に天笠がアンプで攻撃を受ける。
互いの力がぶつかり合い、激しい閃光が辺りを照らし出しす。
「明葉、彰! テメエら下がってろ!」
「でも!」
「身内の能力者同士でやり合ったことあんのか! いいから下がって――」
突如女性の右足が肥大化し、強力な前蹴りを放った。赤い光を帯びたその攻撃を受けて天笠は後方に吹き飛ばされた。ビルの壁が粉塵を巻き上げ崩れ落ちる。
「へへっ、油断しただろう?」
女性の肉体が激しく蠢いたかと思うと、瞬く間に桜庭の姿へと変化した。
「春樹の記憶と能力を奪ったってわけ……?」
「ああ、こいつの知識は頂いた。この身体も利用させてもらう」
深川の声色を使いそう言うと赤い光を纏った。彼の視線の先には怜がアンプを構えている。
「力がどんどん湧いてくるんだ。常に光を纏った俺を殺せるかな?」
余裕の笑みを浮かべる深川を前に、怜は表情を変えることは無かった。
そして――
「では動かないで下さいね」
再び駈け出す怜。
深川は余裕の表情で迎え撃つようにアンプをゆっくりと振り上げた。
だが怜と視線が合ったその時、深川は心の底から湧き起こる恐怖を感じた。
「う……! うぐぅうう!」
恐怖のあまりうめき声を上げた深川は全力で光を身に纏い、それと同時に回避に転じた。
だが、遅かった。
視界が青に染まる。それほどの強烈な光。
大きく跳躍し窓辺に着地した深川が見たものは欠損した自身の右腕。
脳が逃げろと叫んでいるのが分かる。
「……へへっ。頭の中の桜庭が喚いてやがるぜ。風宮怜は恐ろしい。やはり雲村さん達に殺されるべきだってなあ」
深川は額の汗を拭うと腕を横にかざした。すると切断箇所が蠢いたかと思うと瞬時に腕が生え、元通り再生した。
再びアンプを構える怜。そしてその後ろに彰と明葉。
「……痛ってえな」
そして瓦礫の中から天笠が這い出てきた。
仕切り直し。そう思われた時、深川はまたしても頭を押さえ苦しみだした。
「う、うがああぁあ!! あああ!! こ! こここ……コイツを殺してくれえ……! いや、死にたくない!」
苦しみながら絞り出したような声。そこには複数人の声色が混じっている。
「今度はなんだってんだよ……!」
天笠は痛みに顔を歪めながら憎らしそうに言った。
「あ、あぁぁ……、俺たちを殺してくれ。もう誰も喰いたくない。殺したくないいいい。助けてよお母さあぁん」
「……記憶が混濁してるんでしょうか? いや……先ほどと同じ猿芝居か?」
攻めあぐねた彰が不安そうに天笠に視線を送る。
「こ、殺――ぉぉおおおおおああああ! いい加減に黙りやがれえええ!!!」
突如深川は咆哮し、そして怒りにまかせて大量の肉片を吐き出した。
すると発作が治まったかのように深川は落ち着きを取り戻した。
「へ、へへへっ、先ずは一人殺せたんだ……今日は逃げさせてもらうぜ。俺は姿を変え……素晴らしい人生を勝ち取るのさ……」
「逃がさないっての!」
背後を取っていた明葉が素早く攻撃を繰り出した。
だが、深川は振り向くことなく光を纏った腕でそのアンプを弾き飛ばした。
通常ではありえない曲がり方をしている腕に対して明葉は舌打ちをし、素早く蹴りを放つ。
「いつものパターンだな、明葉ぁ!」
深川は再度全身に光を纏いその蹴りを弾き飛ばす。と同時に身体を大きく捻じり回転させ、明葉の頭部に掌底を放った。
「――っ!」
明葉もまた光を纏い消し飛ばされるのを防いだ。だが勢いまでは消すことが出来ず後方へ大きく吹き飛ばされる。
「おっと……」
飛ばされた先には怜がいた。彼女は明葉を受け止めたが共に後方へ吹き飛ばされてしまった。
次に深川の足元へと間合いを詰めていた彰がアンプを袈裟に切り上げる。だがそれも素早い動きで躱されると、深川は大きく後方に跳躍し距離を取った。
「戦闘経験が少ねえんじゃねえか? てめえら。お遊戯に付き合ってる暇はねえぞ!」
そう言うと深川はアンプを激しく発光させたかと思うと力強く床へと叩きつけた。
目が眩むほどの赤い閃光。光はヒビのように床面を伝達する。そして床は大爆発を起こしたかのように砕け散り、辺り一面へ瓦礫と砂埃をまき散らした。皆は光を纏い瓦礫から身を守り階下へと落下していく。
そのすきに深川は廃ビルから大きく跳躍すると、夜の街へと飛び去っていった。




