15話 生まれ変わった日常
「またのご来店、お待ちしております!」
「またきてね~」
煌びやかなエントランスを持つ雑居ビル。その前で、黒服の男が頭を下げ、ドレスを来た女が楽しげに手を振る。
見送られるのは若いホスト風の男。年齢に似つかわしくない高価なスーツに金無垢の腕時計。とても品のある格好とは言えない。
「近いうちにまた来るよ。ミキちゃんもまたね~」
男はそう言って電飾看板の溢れる夜の街へと歩き出す。
「あ~ボトルばんばん開けたなあ。中々いい店知ってるじゃねえかこのオッサン」
男は財布から取り出したキャッシュカードを見て笑うと、カードを握り潰し粉々にした。
「こんな遊びもあるんだな」
財布から覗く証明写真を見て男は呟いた。それは学生証に張り付けていたものを剥がし、財布に忍ばせていたものであった。写真に写るのは深川幸雄、この男の正体であった。
学校での惨劇後、逃走した深川は様々な人々を喰らった。女生徒やホスト、暴力団員や小金もちの社長。目につく面白そうな人々の後を付けては人気のないところで頭部を食い、記憶や財産、そして顔を奪い自分のものとしてきた。先ほどのキャバクラ遊びも、どこぞのホストの外見を借り、どこぞの男性の知識と金を使っての事である。深川はこの短い期間で酒、女、ギャンブル、グルメといった多くの娯楽を経験した。
だが、どうにも満たされない。これほど多くの経験、そして記憶を奪ったというのに、何故か心は満たされない。もっと過激なもの、刺激の強いものを経験したい。
――ドラッグか? 暴力的な何かか? 何をすれば……
ふと路地裏に目をやる。人がいた。スーツに丸メガネの小さい男。客に向かって扇子を開き、怪しい笑顔で客引きを行う。
「ちょっとお兄ちゃん。最近遊びまくってる人でしょ。なんだかまだまだ遊び足りないって顔してるよ?」
こいつを俺は知っている。誰の記憶だったか、一度会ったことがあるのを覚えている。どんな店であったかは覚えていないが、とても良いことがあったとだけは記憶している。
「うちなら最高の楽しみが味わえるよ」
以前と同じようにそいつは客引きをしていた。
「最高の?」
「ええ、そうです。お兄さんの羽振りの良さ。噂で聞いてるから特別だよ」
深川は男に指示された現場についた。そこは雑居ビルの一室。入り口には大男が警備をしている。
深川は客引きから聞いた合言葉を伝えた。男たちは無言で扉の脇に寄った。
期待に胸を膨らませ中を覗く。
――だが、何故そんなにいい思い出なら、何故俺は忘れているのか……
その答えは直ぐに分かった。
なんてことはない。クソッタレな匂いが鼻を刺激する。
煙の充満したその部屋では複数人の少女たちが、男たちの前で肉人形のようになり果てている。男たちの表情はどれも腑抜けた、醜い、反吐の出るような恍惚感に満ちた顔である。
ドラッグを使用しての乱交。それが曖昧であった記憶の理由であった。
――なんだ……しょうもない
こんなものか。俺が得られるのは、この先の人生に待っているのはこんな程度の物なのか。
深川は肩を落とした。
直ぐに退店しようとすると、男たちがそれを制してきた。
「はい、ちょっとストップ。どこ行くんですか?」
「帰るんだよ。こんな遊びはつまんねえ」
「それは困るんだよねえ。しっかり遊んで行ってくれなきゃこっちも安心できない。世間にチクられたらってこと。分かるよな?」
「……ああ、誰かの記憶にあるな。店内の監視カメラの映像を色々利用してんだったな。口封じにも、商売にも」
クソッタレな人間どもだ。こんな奴らが闊歩する中、俺は地べたを這うようにして生きなければならなかったのか。俺の得られる人生はその程度の物だったというのか。
「邪魔はしねえよ。黙っててやるから俺に関わるな。シラケて気分悪いよ俺は」
そう言って背を向けた深川の肩を男たちが掴む。むしゃくしゃしていた深川は背を向けたままその手を掴み、物凄い力で自身の前方に引っ張った。男の身体は宙に浮き、背負い投げでもされたかのように深川の前を逆さに落ちてゆく。
「喰っても何も得られないな。こんな奴ら」
逆さになった男の腹部に前蹴りをお見舞いする。男は扉を吹き飛ばし、屋外に転がった。最早、男に意識は無かった。
深川はそのまま店を出た。
打ちひしがれながら街を行く。どこへ行くのかは自分でも分からない。ただ、楽に慣れはしないだろうかと感じていた。
ふとビルの屋上を見る。楽になれる場所。ああ、思い出したわ。ここでアタシの友達が死んだんだっけ。
そう思った時である。
ドサッ! っと重たい何かが降ってきた。
女子高生のようである。頭部から血を流し、時折痙攣しながら苦しそうにうめき声を上げている。
周りにいた人間もそれに気付いた。情報は伝播し、周囲に人だかりができてくる。悲鳴を上げる者もいれば、慌てふためくだけの者、写真を撮るものまでいる。
「救急車を呼べ」という声もあるが、もはや助からないのは明らかであった。
深川はその女子高生にふらふらと近づいていく。
「君は何を思ってその行動に移したのか、俺に教えてくれ……。俺もどうすればいいのか分からなくなってきたから、君の人生を参考にさせてくれ……」
深川は瀕死の女子高生を抱きかかえると、顔を近づける。
「ちょっと君! 救急車に任せるから! 素人が不用意に近づいちゃ――」
男が言い終わる前に、深川は女子高生を食った。巨大化させた口で彼女の頭部を丸呑みにし、首から食いちぎり鮮血を散らす。
周りの人々は状況を理解できていないのだろう。硬直し後ずさる。
「君はなぜ死のうとしたのか……君の人生を教えてもらう」
深川の脳に彼女の記憶が流れ込んでくる。フラッシュバックする風景。悲痛な心の叫びを感じる。
『甘えてんじゃないよ! 辛いのは皆同じなんだよ』
『あんたがいけないんだよ! なんでこんなことも出来ないあんたがね!』
両親が、同級生が、周囲の人間が彼女を罵倒していく。抑圧された彼女の感情はストレスとなり彼女を責めたてる。脳が締め付けられるように痛み、やがて思考する事すら拒む。
ついには彼女の活力は失われていき、心が擦り減り、消えていく。
――私の人生に、幸せなんて無い。私は存在する意味がない。私じゃ、私じゃ駄目だった
「あああああぁ!!!」
振り払うように深川は叫び、頭部を地面へと打ち付けのた打ち回る。
「何が『甘え』だ! 俺だってなあ! 俺は認めねえぞ! 私は、ワタシだって生きて幸せになってやるんだあああ!」
少女の意識が深川の意識と交わり、支離滅裂な言動を繰り返す。
その様子に動揺する人々もいれば、スクープとばかりに女子高生の死体と一緒にいる深川の写真を撮るものも大勢いた。
そんな人々を深川は睨みつける。
「嘲笑ってんじゃないよ! 私を笑い者にしやがって! 私を撮るな! 私を嘲るなああ!」
深川は右腕を前に突き出した。と同時に腕は凄まじいスピードで伸びていき写真を撮っていた男性の頭部を吹き飛ばした。
その右掌に現れた大きな口が男性の肉片を咀嚼する。すぐさま男性の記憶は深川のものとなる。
「貴様だって所詮、この程度の人生じゃねえか! 恵まれて、周囲に甘えて生きてきた分際で私に向かって偉そうにしやがって。お前らこそ生きてる価値あるのかよ! 私の糧になって死んでしまえ!」
悲鳴を上げ逃げ惑う人々に対して深川は両の腕を伸ばし、その腕で彼らの頭部を喰らっていく。
喰って喰って喰いまくって、その度に深川は罵倒する。頭部のない死骸が大量に転がる大通りの中で深川は空に向かって咆哮する。
「アタシは……僕は……ああぁ……」
やがて周囲のあらかたを喰い終わる頃には、深川はポツリッポツリとうわ言を漏らしていた。
周囲の人々は遠くで逃げ惑っている。周りには死骸が散乱している。その様子を視点の定まらない眼球で見渡す。
――私はこんなにも喰っていたのか。いや……私とは――自分は一体誰なんだ?
その時である。
「見つけたぞ、深川ァ!」
息を切らせて男がやってきた。手にはアンプを構えており、ゆらりと赤い光を放っている。
――フカガワ……? どこか懐かしい……。何だっけな?
朦朧とした意識で視線を声の方へ向ける。
そこにいたのは桜庭であった。汗で髪を乱し、憎悪に満ちた表情で深川を睨みつけている。
「あの時のケリつけてやるよ! 今度は確実にぶっ殺してやらぁ!」
アイツを覚えている。深川はそう思った。だが、大勢の人間の記憶が入り乱れ思考が流されていく。もうそんなことどうでもいいじゃないか。そんな声さえ脳裏で聞こえてくる。次第に元の自分が溶け合い、消えていく気がした。
だが、
「あぁ……消えていく……俺が消えていく。怖い。そんなのは……」
――そんなのは嫌だ……俺は記憶を取り戻す。俺は俺なんだから!
深川は大量の肉を吐き出した。先ほどまで喰らっていた大勢の人間の肉を。それにつれ、徐々に寝ぼけていた脳が少しだけ蘇った気がした。
「いったい何をしてやがるテメエ……」
桜庭が苦々しい表情で言う。予期せぬ行動に警戒し、身動きが取れずにいる。
俺は……俺はそうだ深川だ。そしてあいつは……あの時学校にいた――
「――なんだ……お前。あの時の負け犬君じゃないか」
深川は口を拭うとニヤリと笑った。




