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月が囁く、咲くは徒花  作者: なつのいろ
3/11

 


「これは違うて言うたやろ! それともこれが似合いやとでも言いたいんか!」



 かっと床に投げつけられた簪が跳ね返り、手を付いて頭を下げているカコの腕のあたりに当たる。烈火のごとく怒り狂う少女は、床に這い蹲っているカコを扇で容赦なく殴打した。



「も、もうわけありません、もうしわけありません」

「あんたみたいな出来損ないが生きてられるんは姐さん方のおかげや、それを忘れるんやないで!」



 葵、というのはカコと同じ天神の元で世話になっている少女だ。気性が激しくすぐに手が出るために、カコはここの女主人の次にこの葵のことが苦手だった。



「その辺にしよし、みっともない」

「けど、また姐さんの」

「黙り。もう聞き飽きたわ」



 明里天神は、この扇屋でも指折りの美人だ。彼女と一夜を共にするためには相当の金銭が必要になるともっぱらの噂で、この店で一番人気の天神だった。



「イチ、あんたもええ加減、賢う動き」

「も、もうしわけありません」



 葵はそれっきり鏡を覗き込んで化粧に集中してしまった明里天神に一瞬不満そうな顔をしたが、すぐに恐ろしい顔でカコを睨み付けた。



「姐さん、そしたら代わりに葵が行ってきます」

「ええからはよ行ってきよし」

「行ってまいります」



 カコは目を伏せたまま隣を通り過ぎる葵をやり過ごし、か細い声で明里天神に声を掛けた。



「ねえさん、うちに何かお手伝いできることはありますか」

「今はないから、そこで座って見とき」



 カコは大人しく部屋の隅に正座をしながら、鏡の中の美しい明里天神の姿に見惚れた。きりっと結い上げられた髪を鼈甲の簪や飾り紐が彩り、襟元から覗く白くなだらかなうなじは匂い立つような大人の色気を放っている。きっと、きっとこんな女の人のことを、あの人も好きになるに違いない。カコはそこまで考えて、ちくっと胸が痛むのを感じた。



 あれからどこででも目を凝らして探しているのだが、カコはコウを見つけられていなかった。幸か不幸かあれから古井戸に行かされることもなく、外に出る機会があまりなかった。別に彼とどうこうなりたいというわけではなく、ただ一目、もう一度だけ会いたかった。








「おい、そこの。おい、おまえ!これを座敷の近くまで持っていってくれ」



 ぼんやりしてしまっていたカコは、半ば押しつけるように手渡された酒の載った膳を持って長い廊下を歩いていた。


 明里天神についてこの揚屋に足を運んだカコは、ずらっと立ち並ぶ障子とその雰囲気に圧倒されていた。硝子が触れ合う音、三味線の音、酌をする女達の静かな声などがするりと耳に飛び込んでくる。いずれは自分もこんな雰囲気のところで客の相手をしなければならない時が来るのかと思うと、今から憂鬱だった。




 明里天神がいる座敷の近くまで来た時、きゅっと目の吊り上がった女が近付いてきてカコの持つ膳をぱっと取り上げた。そして戻れと言わんばかりにカコに強い目を向け、障子の方へとしずしずと歩いて行った。笑みを貼り付けて中へ声を掛けた女は、丁寧な仕草で障子を開ける。


 その時に部屋の中がちらっと見え、カコは思わず息を呑んだ。そこには前見た時と同じ、濃紺の着流しを着たコウが杯を片手に明里天神と並んでいた。障子はすぐに閉ざされてしまったが、カコはまるで取り憑かれたようにそこから動けなかった。喜びと悲しみが同時に襲ってきて、自分でもどうすればいいのかよく分からなかった。目に映った二人が余りにも絵になっていて、カコには少し刺激が強かった。



「やっぱり、明里ねえさんみたいな人がいいんだ」



 ぽつんと呟いて自分のなりを見る。薄くて短くて、いい匂いなどちっともしやしない。それが恥ずかしくて、カコは深く深く俯いた。もう一度彼に会いたいなどと考えていた自分がいっそ哀れにすら思えて、カコは足早に店の奥へと戻っていった。



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