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月が囁く、咲くは徒花  作者: なつのいろ
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 どうしたらいいのか分からず座敷の近くを彷徨っていたカコは、しばらくうろうろするも何故か店の中にはいないと直感してこっそり外に出た。足は自然と、彼と初めて出会ったあの古井戸のある方へと向かっていた。




 暗い裏道を通り黙々と歩いていたカコは、やがて誰かの話し声が聞こえた気がしてはっと息を飲んだ。きんと甲高いその若い女の声に、聞き覚えがあった。音を立てないようにそっと近付くと、井戸の近くに二つの人影が提灯の光に照らされてゆらゆらと揺れているのが見えた。




「コウさま、コウさまは、どんなお人がお好きですか?」




 葵の甘えた声が、やけにざらっとカコの耳に飛び込んでくる。どきどきしながら身を隠したカコは、その問いに答える聞き覚えのある低い声に思わず身体を震わせた。




「俺は、素直で真っ直ぐなのに憧れるな。どうも、人は自分には無いものに焦がれるものらしい」

「まあ。コウさまも、真っ直ぐで男らしいお人やないですか」




 口元に手をやり楽しそうにくすくす笑う葵の紅い振袖が、蝶のようにひらりと揺れた。やがて伏し目がちにコウを見上げた葵は、目を細め恍惚とした表情で口を開いた。




「コウさま」

「なんだ」

「コウさまは、なんでうちに会いに来てくれはったんですか?」




 コウは黙って葵を見下ろしている。葵は頬を染めながら、そっと彼の胸に擦り寄った。




「葵は、コウさまのことをお慕いしております。コウさまも、おんなし気持ちでいてくれてはるんですよね?」

「・・・・・・葵、俺は」

「うち、うち、コウさまとやったらーー」

「俺が人を好きになることはない」




 腕を掴まれ引き離された葵は、ぽかんと目を見開いている。コウは相変わらずの無表情でそんな彼女を見下ろした。




「何故ここに来るのかと言ったな。気になる子どもがいるからだ。その子が気にかかるから、俺はここに来ている。はなから女を買う気などなかった」

「な、何言ってはるの? そんなん、うちに、うちに会いに来てくれはったんでしょ?」

「俺に子どもを愛でる趣味はない。おまえに会ったのは、あの子がどんな扱いを受けているのか気になったからだ。思った通り、おまえはあの子につらく当たっている。俺には、それが解せない」

「な、何を言ってはるんかうちには、」

「あの子は真面目で、素直で、真っ直ぐな子だ。腹いせに痛めつけていいような子ではない」




 固まっていた葵は、震える唇でようやく思い当たった人物の名を口にした。




「もしかして、もしかしてその子って、イチのことですか」

「そうだ、あの日おまえが突き飛ばしていたあの子だ」




 葵はしばし呆然とした後、くしゃりと顔を歪ませた。先ほどまでほんのり色付いていた顔は、今度は怒りで赤く染まっている。よりにもよってこの場面でカコを引き合いに出されたのが、彼女にとってはとても屈辱的だった。




「あの子は、あの子は恩知らずや。何にも出来ひん出来損ないのくせに、役立たずのくせに。あんなん、さっさと死んでしまえばいい!」




 きつい口調でそう言い放った葵は、はっと息を飲んだ。その目ははっきりとした恐怖に彩られている。それまで黙ってじっと葵の言葉を聞いていたコウは、不意にすっと右手を伸ばして葵の頬を撫でた。彼が一歩葵の方に近付いたため、カコのいる位置からは葵の恐怖に強張る表情とコウの広い背中しか見えなくなる。




「な、なに、やめて、来んといて!」




 葵の手にしていた提灯が地面に落ち、あっという間に和紙が燃え上がる。手足をばたつかせて暴れているが、背中を井戸に押し付けられてすぐに動きを封じられる。必死に顔を背けようとするも、コウの大きな手がそれを許さない。側から見るとまるで恋人同士が抱き合っているように見える二人だが、実際は巣にかかった獲物とそれを今まさに喰らおうとしている蜘蛛のようだった。カコは息をするのも忘れて二人の様子を見守った。




「俺が、楽にしてやろう」




 コウが、ゆっくりと顔を近付ける。カコは思わずあっと声を上げた。葵の小さな口に、彼の美しい唇が重なった。恐怖に見開かれていた葵の瞳がとろんと蕩けて、やがて不自然にぐるんと回った。




 どれくらいの時間だっただろうか。コウが身体を離すと、葵の首はがくんと後ろに仰け反った。そのまま崩れ落ち、彼女の身体は井戸にもたれかかる。彼はそこから目を離さず、振り返らないまま言った。




「カコ、いるんだろう」




 ひっ、と悲鳴を上げたカコはしかし、腹をくくって震える足で物陰から出た。コウは、静かな目でカコを見つめている。




「見ていたのか」

「は、い」

「俺が怖いだろう」




 言葉に詰まったカコは、震える両手をぐっと握り締めてふるふると首を振った。




「今のおまえは、俺の正体を見たも同然だ。怖くないはずがない」

「こ、こわく、ありません」

「嘘をつくな。ならば、この姿を見ろ。これが俺の本当の姿だ、妹を探し荒野を彷徨い挙げ句の果てには鬼と化した、醜い化け物の姿だ」




 炎に照らされて、コウの姿がめきめきと異形のものに変わる。爪が伸び、目が裂け、口からは牙が突き出している。髪から角のようなものが生えて、それはまさしく鬼の形相だった。恐怖にがくがくと震えるカコを見て、彼は荒々しく笑った。




「所詮は人だ、俺と共にいられるわけがない。誰も彼も、外面しか見ておらぬ。俺と共にありたいなどと、よくも口に出来たものよ」




 カコは、恐ろしい姿のコウを前にしながらも、何故だか死の恐怖は感じていなかった。この優しい鬼が、涙を流すことも出来ずに泣いているような気がしたのだ。そしてそのことが、カコにはひどく悲しく感じられた。気がつくと、身体の震えは止まっていた。




「コウさま、約束、覚えていますか。いつか、いつかこの世の終わりみたいに大きな月を見に行こうって。うち、どこまででもついて行きます。だからお側に、コウさまのお側に置いてください」




 炎のように赤く燃える恐ろしい目、しかし深い悲しみを秘めたその目が真っ直ぐにカコを見据えている。カコは静かに歩み寄って、腰に手を回してぎゅっと抱き付いた。いつもは温かいその身体は、今は氷のように冷たい。思わず身震いしそうになりながら、しかし、カコは渾身の力で彼の身体を抱きしめた。




「・・・・・・カコ」




 どれくらい時間が経っただろうか。いつもの美しく温かい手が、カコの頭をするりと撫でた。





「本当に、俺と来るのか」




 きっといつか後悔する、と静かな声が降ってきた。カコはぱっと身体を離し、怒った顔で言った。




「うち、コウさまに置いて行かれたらここで死んでやる。死んでもいいから、コウさまと一緒にいたい」




 じっとカコを見つめていたコウは、やがて目を細めてなんとも言えない顔をした。不思議と、それが彼の笑った顔だと分かった。ならば行こうかと言ってくれた彼に、カコはとびっきりの笑顔ではいと答えた。




「先に店の方へ戻っていてくれ、すぐに追いつく」




 カコは嫌だと首を振ったが、優しく背中を押されて仕方なく歩き出す。後ろ髪を引かれながらゆっくり店に向かっていると、遠くからぼちゃんと大きな音がした。カコは一度足を止めたが、振り返ることなく真っ直ぐに歩き出す。今はもう、何も怖くはなかった。



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