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6.真奈美の後悔

 秀一のマンションを出た四人は、そのまま真奈美の家に向かった。

 真奈美の家へと歩く間に刻一刻と太陽は傾き、世界はみるみる夕焼けに染まっていく。

 里麻は朱く輝く街並みを感慨深く眺めた。

 里麻は、昨日も夕焼け空を見上げことを思い出す。その美しさに感動して、突風によろめいた挙げ句、女性にぶつかりそうになってすり抜け、心の中で「幽霊!?」と絶叫した。

 あれから、まだ一日しか経っていない。

 昨夜は自分が幽霊になってしまったと知って絶望して泣いていたのに、里麻は今、三人の子どもの幽霊先生として、三人を家まで引率中だ。

 人生、何が起こるか分からない。里麻は遠い目をした。


「里麻先生?」


 里麻の腕に抱っこされた秀一が、一瞬立ち止まった里麻を不思議そうに見上げた。


「ごめんごめん。考えごとしてた」

「かんがえごと?」


 秀一が首を傾げた。里麻は再び歩き始めながら、秀一の頬に自らの頬を寄せた。

 本当に、人生なんて何がどう転ぶか分からない。

 この子たちだって、まさかこんな幼さで命を落とすことになるなんて、いったい誰が思っていただろう? 里麻は、秀一のぬくもりを感じながら、前方で手をつないで歩く真奈美と健太の背中を見つめながら、そんなことをつらつらと思う。


「あれがマナの家」


 ふいに真奈美が振り返り、笑顔で里麻に告げた。真奈美が指さす先には、薄緑の壁をしたオシャレな輸入住宅が建っていた。




 真奈美の家の玄関ドアには鍵がかかっていて、こっそりは入れなかった。試しにインターホンは押してはみたものの、ドアは開けてもらえなかった。


「はい、どちら様ですか?」


 の言葉に、真奈美が、


「ママ! マナだよ!」


 と答えたが伝わらなかった。

 カメラには何も映っておらず、返事も聞こえないのでは、開けてもらえる訳もない。里麻は秀一を下ろして、唇を噛みしめて涙をこらえる真奈美をぎゅっと抱きしめた。


「……うっ、ふえっ。ママぁ」


 気丈にも大きな声で泣きたくはないと、必死で涙を止めようとする真奈美だったが、一度あふれ出した涙はなかなか止まらず、里麻の服を濡らした。

 里麻は真奈美を抱き上げると、庭に置かれたガーデンチェアの一つに座った。ひっくひっくと波打つ背中を、里麻は優しくさすり続ける。健太と秀一は不安そうに手をつなぎ、里麻にくっついた。

「マナちゃん、よく頑張ったね。大丈夫だよ。マナちゃんのママ、マナちゃんを忘れた訳じゃないよ。ちゃんと、マナちゃんのこと、大好きだよ」


 気休めにしかならないと思いながらも、里麻は抱き上げた真奈美にそうささやき続けた。それから、秀一と健太にも「大丈夫。里麻先生がついてるって」とほほ笑みかけ、二人の頭をぎゅっと自分の方に引き寄せた。

 それから、交互に三人の顔を見る。


「里麻先生もね、昨日、お家に帰ったら、だーれも里麻先生に気がついてくれなくて、悲しかったんだよ。ママも、パパも、妹たちもね、話しかけても誰も気がついてくれないの」


 話していると、昨日の夜にぽっかりと空いた心の穴を思い出して、里麻の目にも涙が浮かんでくる。


「……だ、だからね、マナちゃんの気持ち、分かるんだ、よ」


 なんでこんな話をしちゃったんだろう、と里麻は涙を必死にこらえながら、真奈美を抱きしめる腕に力を込めた。こんな話をしたんじゃ、余計、悲しみが深くなるじゃないかと、自己嫌悪に陥りそうになっていた里麻に、真奈美が声をかけた。


「里麻先生も?」


 真奈美は涙に濡れた顔を上げて、里麻の頬に手を触れた。いつの間にか頬を伝っていた涙を真奈美の細い指がそっとぬぐう。秀一と健太も里麻の頭に手を伸ばすと、優しくなでた。

 その仕草に、なんて優しいんだろうと心を打たれると同時に、里麻は自分が情けなくなってきた。

 私、十四歳だよ。この子たちより、うんとお姉ちゃんなのに。

 そう思うと、溢れた涙もすっと引いていった。


「あのね。猫のチルルだけは、私のことが見えたのかも知れない」

「チルル?」


 真奈美が聞き返すと同時に、健太が声を上げた。


「猫、飼ってるの!?」


 健太の目はキラキラ輝いていた。


「猫、好き?」

「うん! 大好き!」


 健太が力一杯頷くと、隣の秀一も嬉しそうに言った。


「ケンちゃんちにも猫ちゃん、いるよ。トラちゃんて言うの」

「ねえ、里麻先生、トラになら、俺が見えるの?」


 健太が里麻を見上げて聞いた。


「うーん。里麻先生も、チルルしか分からないんだけどね。触れなかったけど、里麻先生のことは見えていたみたいだった」


 真奈美も里麻の腕を引いた。


「ねえねえ、マナの家、犬を飼ってるんだけど……」


 真奈美の目も期待にキラキラ輝いていた。

 これはうかつなことは言えないな、と里麻は曖昧にほほ笑んだ。


「気が付いてもらえるといいね」




 そんな話をしている内に夜は更け、外は真っ暗になった。見るからに寒そうな秋の夜。時折風が吹き、庭の木がガサガサと揺れる。だけど、幽霊になってしまった四人はまるで寒さを感じなかった。そして、空腹もまったく感じなかった。

 里麻の時計が夜七時を回ろうという頃、真奈美の父親が仕事から帰ってきた。

 その父親の後について、ようやく四人は真奈美の家に入ることができたのだった。


「パパ」


 真奈美が嬉しそうに父親にまとわりつくと、父親はふいに立ち止まり辺りを見回した。


「マナ?」


 父親のその声を聞いて、真奈美は、


「パパ! マナだよ! マナ、ここだよ!」


 そう歓声を上げたが、父親には届かなかった。

 父親は小さく左右に首を振ると、そのまま家の奥へと足を進めた。がっくりと肩を落とした真奈美は、それでも諦めきれずに父親の後をついて行く。

 父親が入ったのはリビングではなく、輸入住宅には不似合いな畳敷きの和室だった。部屋の奥には大きな古い仏壇。きっとこの仏壇のために和室を作ったんだろうな、と里麻は考える。

 仏壇の横に作られた小さな白木の祭壇には、色とりどりの花や真奈美の写真の他、ぬいぐるみや絵本などが置かれていた。


「マナ……ごめんな」


 父親は祭壇の前に座ると、ぽつりとつぶやき膝の上で拳を握りしめた。その拳と膝の上に、ぽとんぽとんと涙がこぼれ落ちて水玉模様を作った。


「約束、なんで、破っちゃったんだろうな……」


 父親の背中が嗚咽に揺れた。


「パパ!」


 真奈美は父親の側に駆け寄るが、やはり気がついてはもらえない。


「パパ! マナこそ、ごめんね。大嫌いって言って、ごめんね!」


 真奈美は父親の隣に膝をつき、父親の顔を覗き込むようにして言うが、伝わらない。

 健太が呆然とする里麻の腕を引いて、言った。


「マナ、死ぬ前の日に、おじさんとケンカしたんだって」

「ねえ、パパ。マナ、パパのこと大好きだよ。……大嫌いなんて嘘だったんだよ!」


 真奈美は何度も何度も言うが、父親にその声が届くことはなかった。




「ねえ、マナちゃん、パパにお手紙書いたらどうかな?」


 伝わることがない真奈美の声を聞きながら、父親の嘆きを聞きながら、里麻が頭をフル回転させて出したのは、そんな答だった。

 そして今、四人は真奈美の部屋にいた。

 女の子らしくピンクのカーテンのかかった可愛らしい子ども部屋。真新しい白い勉強机の横には、ピカピカのランドセルが置かれていた。二度と使われることがないそれらを見て、里麻の胸は詰まった。

 里麻の言葉に従って、真奈美は今から父親に手紙を書く。いそいそと勉強机からレターセットを取り出す真奈美。


「可愛いの持ってるね」


 里麻が言うと、真奈美は嬉しそうに、


「幼稚園でお手紙ごっこするんだよ」


 と教えてくれた。


「里麻先生、絵本読んで」


 秀一が真奈美の部屋の本棚から絵本を引っ張り出してきた。


「マナちゃん、絵本借りていいかな?」


 律儀に里麻が聞くと、真奈美は「もちろん!」と笑顔で答えた。手紙でなら伝わるはずだと信じられた真奈美の表情は明るい。

 里麻は秀一と健太の二人ともを膝に乗せ、真奈美の邪魔をしないように、小さな声で絵本を読んだ。



 ◇   ◇   ◇



 だいすきな パパへ


 きのうは だいきらいっていって ごめんね。

 だいきらいって いったのは うそです。

 ほんとうはね まな パパのこと だいすきだよ。

 いつもいつも まなのこと かわいがってくれて ありがとう。

 まなも いつも パパが だいすきです。


 まなみより



 ◇   ◇   ◇



「マナとパパね、日曜日に遊園地に行くって約束してたの。だけど、パパ、急にお仕事の人とゴルフに行かなきゃいけなくなったって、約束やぶったの」


 真奈美が手紙を丁寧に折り、封筒に入れながら、里麻に説明する。


「そうだったんだ」

「それでパパに、嘘つき、大嫌いって言っちゃったの。マナ、その日はパパと口きかなくて、次の日の朝は、パパ、朝早くお仕事に出かけちゃったから……」


 里麻は頷く。それが最期の言葉だとしたら、父親もさぞショックだろうと。


「マナが死んじゃって何日も経ってるし、天国からの手紙って言っても信じてくれないかも知れないでしょう? だから、マナ、月曜日の朝に書いたことにしたんだ」


 真奈美が得意そうに言う。その考えの深さに里麻は目を丸くした。


「マナちゃん、賢いんだね」


 うふふ、と真奈美が笑った。




「風太」


 リビングの片隅で丸くなっていた野村家の飼い犬は、真奈美の声にチラリと目を開けた。そうして、「わふっ」と鳴いて跳び起きると、一直線に真奈美へと向かってきた。

 真奈美はそのままクルリと向きを変えて、階段を上がる。風太はクウンと甘えた声を上げて、真奈美の後をついてきた。

 自分の部屋に風太を誘導すると、真奈美は自分だけが廊下に出て、パタンとドアを閉めた。風太はドアに顔を摺り寄せながら、クウンクウンと鳴いているが、真奈美はドアを開けない。


「風太、ごめんね。そこで、しばらく鳴いていてね」


 室内は薄暗く、ただ一つ、勉強机の手元灯だけがつけられていた。

 その明りの下には、「だいすきなパパへ」と書かれたピンク色の封筒が置かれていた。




 その夜、キュンキュン鳴き続ける風太を探して二階に上がった真奈美の父親は、一瞬ためらった後で、真奈美の部屋のドアを開けた。

 なんで手元灯がついているのだろうと首を傾げながら、電気を消すべく勉強机に向かった父親は、封筒を見つけた瞬間、その場にくぎ付けになった。書かれた「だいすきなパパへ」の文字を凝視しながら、数分間その場で固まった後、ようやくぎこちない動作で封筒に手を伸ばす。

 ゆっくりと、ゆっくりと封筒を開けて、中の便箋を取り出して、真奈美からの手紙を読み……。


 その後、手紙を抱きしめた父親は、真奈美の部屋で一時間以上も号泣した。

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