3.里麻先生、誕生
里麻の右手の先には年少さんの男の子、藤枝秀一。その秀一の向こうには年長さんの女の子、野村真奈美。左手の先には年長さんの男の子、大平健太がぶら下がっていた。
四人が今見ているのは、公園から歩いて十分ほどの距離にあるエドモンド幼稚園。
「ここが、あたしたちの通ってた幼稚園!」
と、里麻を見上げて得意そうに教えるのは、しっかり者の真奈美だった。
「……あき先生」
園庭の向こうに見える園舎を眺めて、大粒の涙を浮かべるのは秀一。
「今日の給食、何かなぁ」
とお腹を押さえたのは、食いしん坊の健太。
園舎の方から聞こえてくる子どもの声は、いかにもほのぼのとした現実世界。そんな平日の真っ昼間に、幼稚園を門の外からうかがっている怪しい人物だというのに、里麻は誰からも咎められない。
里麻は幽霊になってしまった現実と、青空の下、太陽に照らされた幼稚園から漏れ聞こえる幼児や先生の明るい声とのギャップに戸惑っていた。
里麻自身も、里麻の妹たちも近所にあるエドモンド幼稚園に通っていた。あの頃は、まさか、こんな風に幼稚園を見に来るなんて思ってもいなかった。
里麻は小さくため息を吐いた。
「お姉ちゃん?」
里麻のため息に真奈美が敏感に反応し、心配そうに見上げてくる。里麻はつないだ手のぬくもりと、その「お姉ちゃん」という言葉に涙が出そうになる。ほんの数時間ほど前には公園のブランコの上で、誰とも話せず誰とも触れ合えないことに絶望すら感じていたのに、と。
「なんでもないよ」
里麻は真奈美に笑顔を見せ、秀一と健太の様子もうかがった。健太はもう退屈になり始めているようで、そわそわと辺りを見回している。秀一は先生やお友だちを思い出して寂しくなったのか、今にも泣き出しそうな顔で里麻の手をぎゅっと握りしめていた。
「行こうか?」
里麻が言うと、三人は「うん」と頷いた。
行こうかとは言ったものの思い当たる行き先もなく、里麻たちは結局、もといた公園へと戻ってきた。
「えぐっ、ひっくっ。……あき先生」
歩きながら、ぽろり、ぽろりと涙をこぼし始めていた秀一は、公園に着く頃にはしゃくり上げるまでになっていた。
「あき先生ってね、ゆり組さんの担任の先生よ」
と真奈美が教えてくれる。そのゆり組が秀一のクラスだ。
「シュウ君、あき先生には会えないけど、マナちゃんとケンちゃんが一緒でしょう? 寂しくないよ」
公園のベンチに座ってしくしく泣く秀一の頭をなでながら、真奈美が言う。
「そうだぞ、三人一緒だろ?」
健太も秀一の頭をぽんぽんと優しく叩く。
「二人とも優しいね」
自分たちだって寂しいだろうに、と里麻が思わず言うと、
「あたしたち幼なじみなの」
と真奈美が教えてくれた。
「家が近所で、お母さんたちが友だち同士なんだ」
と健太も言う。
真奈美と健太に慰められても、秀一はなかなか泣き止まなかった。里麻は、十四歳の自分ですら、あの絶望感だったのだ、まだまだママが恋しい年少さんじゃ仕方ないと思う。
そんな中、いつまでも泣き止まない秀一を前に、最初は気丈に振る舞っていた真奈美と健太の目にも涙が浮かび始めると、里麻のお姉ちゃん根性がむくむくとわき起こってきた。
三人姉妹の長女である里麻は、小さい子の扱いにも慣れていたし、すこぶる面倒見のいいお姉ちゃんでもあった。
「シューウ君」
と明るい声で言いながら、里麻は涙が止まらない秀一を抱き上げた。
家族にはまったく触れなかったのに、今、同じく幽霊である秀一には、何の苦労もなく触れることができ、しかも確かなぬくもりを感じられる。そのぬくもりに里麻の胸はふわっと暖かくなった。
「ね、里麻ちゃんじゃダメかな?」
「……り、りま……ひっく、ちゃん?」
大人ではないけど身体は大人並みに成長した里麻に抱き上げられ、秀一もまた安心したのだろう、里麻の身体にすっかり身を預けた。秀一の柔らかいほっぺたが里麻の頬にぺたりと合わさる。
「そう。里麻ちゃん、シュウ君を抱っこだってしてあげられるよ」
里麻はそう言って、秀一を抱いたまま、ゆらゆらと身体を揺すり、秀一の背中を優しくなでた。
その時、健太が何かを思いついたかのように、パンッと手を打った。
エドモンド幼稚園では、里麻と同じ中学生の職場体験を受け入れていた。もちろん、短大生や大学生の実習生もやって来る。自分たちと年の近い実習生や中学生たちは、毎回、園児たちに大人気だ。
健太はそれを思い出したのだった。
「里麻先生っ!」
「……え?」
健太のキラキラした表情を見て、真奈美も、
「そうだ! 里麻先生だ!」
と、パッと明るい顔になって両手を祈るような形に組み合わせた。
そのまま、健太と真奈美は嬉しそうに、
「里麻先生だよね~!」
と言いながら、ハイタッチした。
「……えぐっ、り、里麻……せんせ?」
里麻の腕の中で、秀一の背中がぴくんと動いた。それから、里麻の方にもたせかけていた頭を上げて、里麻の顔をじっと見つめた。
涙に濡れた顔はべたべたで、眼は真っ赤。その秀一が、里麻をじっと見つめて、うかがうように小さな声で言った。
「里麻先生?」
「はーい」
戸惑いながらも、里麻は急いで笑顔を貼り付けて秀一に応えた。その瞬間、真奈美と健太が里麻に抱きついてきた。
「里麻先生っ!」
秀一が泣き止んだかと思ったら、今度は真奈美と健太がわんわんと泣き出してしまった。
里麻に会うまでの長い時間、お姉ちゃんだから、お兄ちゃんだから頑張らなくちゃと気持ちが張り詰めていたらしい。緊張の糸が切れた二人の涙は、しばらく止まらなかった。




