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12.里麻の願い

 香苗が母親に肩を抱かれ自宅に入っていくのを見送ってから、里麻も自宅に戻った。

 里麻の脳裏に、学校でのやり取りがよみがえる。

 あんなに思い出せなかった、自分が生きていた最後の日の記憶がよみがえる。




「そんなこと言って、自殺しちゃったらどうする?」

「やっだー、あいつに、そんな勇気あるわけないじゃん」


 くすくすくす。

 アハハハハハ。


「あれ? 聞こえてた?」

「やだ、何怖い顔してるの? 誰かに言いつける?」


 できないでしょうとばかりに、あごを突き出し私をあざ笑うクラスメイト。以前は友だちだった人たち。


「片倉さんは、お優しくていらっしゃるから~、言いつけたりなんてしないわよね~」


 他には人がいないトイレだったから、その子たちも調子に乗っていたんだ。


「ぎ・ぜ・ん・しゃ」


 くすくすくす。

 アハハハハハ。


 教室に戻ると、なくなっているものがないかを見る。いじめられるようになってから身についた大嫌いな習慣。

 本当は教科書もノートも鞄に入れて、全部持って歩きたいくらいだった。でも、さすがにそんなことはできないから。


 その日なくなったのは、鞄に付けてあったキーホルダー。お誕生日に妹たちがプレゼントしてくれたビーズで作った手作りのキーホルダー。

 しまった、と思った。なんで外しておかなかったのだろう、と。

 慌てて探すと、ゴミ箱から見つかった。

 ……バラバラになったビーズと留め具が。


 くすくすくす。


 忍び笑いを聞いて振り返ると、私をいじめる首謀者は私をにらみつけると、ふんっと目を逸らした。その口元が楽しげに笑っているのを見て、無駄だと思った。

 何を言っても無駄だと思った。

 でも、もう我慢できなかった。


 そして、私は教室を飛び出した。




 里麻は自殺などしなかった。

 ただ、学校を飛び出し、家に逃げ帰る途中に交通事故に巻き込まれたのだ。

 家の近所の大通りを走っている時、


「危ない!」

「キャーーーッ!」


 里麻の耳に、そんな言葉と複数の悲鳴と急ブレーキの音が飛び込んできた。

 振り返った里麻の目には、大きなダンプカーが幼稚園の園バスにぶつかる瞬間が映った。そして、園バスを押し倒したダンプカーが、勢いを落とすことなく自分の方に向かって来るのが……。

 里麻の身体は大きく跳ね上がり、アスファルトに叩きつけられた。

 その日の空は灰色で、今にも雨が降り出しそうで、里麻は「どうして、こんなことになっちゃったんだろう」とそんなことを思いながら、静かに意識を失った。

 ショックで感じる余裕がなかったのか、忘れてしまっただけなのか、幸い、里麻には痛みの記憶は残っていなかった。




 すべてを思い出した里麻は、自室の床にぺたりと座り込んでいた。

 優しくて明るい母親、三人娘と奥さんには何かと甘い父親、自分を慕ってくれる可愛い二人の妹。不満なんて何もなかった。

 学校では色々あったけど、それでも他に友だちはいたし、執拗ないじめは教室の中でだけだった。死にたいなんて、里麻は思ってもいなかった。

 自分が死んだ理由を思い出し、今更ながらに、なんで死んでしまったのかと思えてならなかった。


 失ったものの大きさに里麻は呆然としていた。

 もう無理だと分かっているのに、もう一度、家族と触れ合いたいと、その想いばかりがただ募る。

 抱きしめ合いたい。「大好きだよ」って声をかけたい。「私も、りーちゃんが大好きよ」ってママに抱きしめてもらいたい。「里麻はいい子だ」ってパパに頭をなでてもらいたい。志麻ちゃん、麻帆ちゃんとつないだ手のぬくもりを感じたい。「お姉ちゃん、大好き」っていう二人を「お姉ちゃんもだよ」って言って力いっぱい抱きしめたい。

 里麻の目から、つーっと涙がこぼれ落ち頬を伝った。




 なんで、あの日、学校を飛び出したんだろう?


 里麻の顔がくしゃりとゆがんだ。


 なんで、ママに相談しなかったんだろう?



「おばさん、相談して欲しいと思うよ」



 自分が香苗に言った言葉が脳裏に浮かぶ。あれは、自分への言葉だ。

 心配なんて、かけちゃえばよかったのに。きっと、ママは「よく頑張ったね」って、「ママはいつだってりーちゃんの味方よ」って言ってくれたのに。パパだって、絶対に私の味方になってくれる。きっとパパは「学校なんて休んだっていいんだぞ? 里麻をいじめるようなヤツがいる学校、なんだったら転校したっていい」、そんな風に怒ってくれる。


 そう言ってもらえたら、私、それだけで、まだまだ頑張れたのに!


 隣の隣の教室には、幼稚園から一緒の幼なじみだっていた。なのに、いじめられていることを相談するなんて、考えもしなかった。それどころか、「元気ないけど、大丈夫?」って聞かれて、「ちょっと風邪気味で」なんてごまかした。


 絶対に知られたくないって思ったんだ。恥ずかしい……って。

 いじめられてる自分が恥ずかしい、って、そう思ったんだ。


「ねえ、香苗ちゃん。恥ずかしいのは、いじめてる方だよ」

「香苗ちゃんは何も悪くない。隠すことなんて、何にもないんだよ」


 香苗にはすんなりと言えたのに、自分ではそうは思えなかった。

 無視されて、教科書やノートがなくなって、くすくすとわざと聞こえるように笑われて、そんな日が続く内に、いつしか自分はろくでもない人間だって、私はいじめられるような人間だって、そんな人間だってバレるのが恥ずかしいって、そう思っちゃったんだ。


 ねえ? 恥ずかしいのは、私?


 何ひとつ悪いことをしていないのに、いじめられていた私? 


 違うよ。恥ずかしいのは、私じゃない。


 いじめてる方だ。友だちをいじめる子の方が、ずっとずっと恥ずかしい。


 恥ずかしいのは、私じゃない!




 里麻の目から、ぽろぽろと涙があふれ出す。握りしめた拳の上に、ぽつりぽつりと涙がこぼれ落ちる。


「……うっ、ひっく、うえぇっ」


 里麻の口から嗚咽がもれた。




 事故だったのだ。自殺したわけでもなんでもない、偶然の事故。

 秀一、真奈美、健太の三人が命を奪われたと同時に、里麻もその場で命を奪われた。

 でも里麻は、あの日、あの時、学校を飛び出さなければ事故に遭わなかったことを知っていた。

 今更どうにもならないけど、もしあの時、我慢できていたら、そもそも、自分がいじめられていなければ……と思えてならなかった。


 里麻は泣いて泣いて、泣いて泣いて泣いて泣いて、泣き疲れて眠ってしまい、目が覚めたら深夜だった。

 少しの間ぼーっとした後、里麻は真面目な顔で勉強机に向かうと、レターセットを取り出した。



 ◇   ◇   ◇



 恥ずかしくなんてない。

 誰かがあなたを嫌ったって、

 誰かがあなたをけなしたって、

 誰かがあなたに意地悪をしたって、

 何も恥ずかしくなんててない。

 あなたは、笑ってやり過ごせばいい。


 恥ずかしくなんてない。

 私は嫌われ者だなんて、思わなくていい。

 私はダメだなんて、思わなくていい。

 私には価値がないなんて、思わなくていい。

 ちゃんと、あなたを愛している人がいる。

 あなたを嫌う人と付き合う必要なんてない。


 あなたは誰よりも大切な人。

 誰もあなたを貶めることはできない。


 恥ずかしくなんてない。

 いじめられたって、恥ずかしくなんてない。

 どうしても気の合わない人だって、世の中にはいる。

 心を殺してまで、無理につき合う必要はない。

 子どもね、って笑ったらいい。

 悪口を言って、私の気を引きたいの? って笑ったらいい。


 恥ずかしくなんてない。

 たとえ誰かが、あなたを嫌いと言っても、私はあなたが大好きだから。

 そのままのあなたでいい。

 泣いたっていい。

 悲しいって、やめてって叫んでいい。

 助けてって言っていい。


 恥ずかしくなんてない。

 だから、一人で抱え込まないで。

 だから、相談して。

 だから、私の手を求めて。

 私はいつでもあなたの味方。

 私は、あなたを愛してる。

 あなたは一人じゃない。



 ◇   ◇   ◇



 里麻は最後に、こう書いた。



 ◇   ◇   ◇



 志麻ちゃん、麻帆ちゃん


 あなたたちが苦しむことがないように祈ってる。

 でも、もし心が壊れそうに悲しい出来事があったら、きっと誰かに相談してね。

 ママでもパパでも、志麻ちゃんと麻帆ちゃんがお互いにでもいい。仲良しのお友だちでもいい。


 一人で抱え込まないで。

 あなたは一人じゃない。


 あなたを大好きな人が、ちゃんといるから。

 あなたを助けたくて仕方がない人が、ちゃんといるから。

 すぐ近くを見回してみてね。


 志麻ちゃんと麻帆ちゃんが、大好きだよ。心から愛してる。



 世界で一番大切な、私の可愛い妹たちへ


 お姉ちゃんより


 ◇   ◇   ◇



 里麻は誰にも相談しなかった。

 だけど、思う。あのまま家まで帰り着いていたら、あの事故に遭わずに家に帰ることができていたら、きっと、誰かにぶちまけていた、と。

 多分、母親に話をして、母親経由で父親に話がいって、里麻が感極まって泣いていたら、妹たちが驚いて慰めてくれていた。

 里麻は泣き笑いの表情で、そんな家族の姿を想像する。

 来なかった未来を想像する。


 そうして、手紙に一文追加した。



 ◇   ◇   ◇



 あなたを大好きな人が、ちゃんといるから。

 あなたを助けたくて仕方がない人が、ちゃんといるから。


『私にもいたように、助けてくれる人が、ちゃんといるから。』


 すぐ近くを見回してみてね。



 ◇   ◇   ◇



 書き上げた手紙を持って、里麻は両親の寝室へと向かった。


「ママ、パパ」


 里麻が声をかけると、母親が目を覚ました。

 声の方へと顔を向けた母親が、ドアの隙間から顔を覗かせる里麻に気付いて、大きく目を見開いた。


「………………り、ま?」


 母親の目が信じられないと、里麻を凝視する。


「ママ」


 里麻はにこりとほほ笑んだ。


「里麻!」


 ベッドから跳ね起きると、母親は転がるように里麻の元へと駆け寄った。


「里麻! 里麻なのね!? ……あ、会いたかった! 会いたかった!」


 里麻をぎゅっと抱きしめる母親の目からあふれ出した涙は止まることなく流れ続ける。


「ごめんね、ママ」

「な、なに、が、ごめん? ママの方こそ、ごめ、んね」


 母親が里麻の髪を愛おしそうになでながら、涙に濡れた目で里麻を見つめる。涙で言葉が詰まる。


「え? なにが?」


 不思議そうに里麻が問うと、母親は苦しげに表情をゆがませた。


「気が付いて……あげ、られなくて」


 里麻が死んだ後、母親は里麻が真っ昼間の授業時間中に、公道を歩いていた理由を知った。

 母親は、里麻に元気がないなと気付いていた。でも、「ちょっと友だちとケンカしちゃって。大丈夫、すぐ仲直りするから」といった里麻の苦笑いを信じていた。信じてはいけなかったのだと、「ちょっと」ではなかったのだと知り、どれほど後悔したことか。

 母親の気持ちは里麻にもしっかりと伝わった。自分への深い愛情、そして強い後悔を感じて、里麻は全身に身震いを感じた。


「ママ、大好き」


 里麻は半べそになりながら、母親に抱きついた。


「ママもよ。りーちゃんが大好きよ。誰よりも大事な、ママの宝物よ」


 幼い頃の愛称を呼びながら、母親は愛おしげに里麻の髪を、背をなでる。里麻が幸せそうに目を細めた。


「きっとね、私、あの後、家に帰れたら、ママに相談したと思うんだ」


 里麻が言う。母親の肩に頭をコツンと乗せながら。


「里麻?」

「ねえ、ママ、お願いがあるの」


 里麻は母親から少し身体を離し、手に持ったままだった封筒を胸の高さまで上げた。


「これ、志麻ちゃんと麻帆ちゃんへの手紙」

「……え?」

「いつか、あの子たちに必要な日が来たら、渡してあげて欲しいの」

「……ママも読んでいいのかしら?」


 一瞬、恥ずかしいなと思いつつも、読まなきゃ、いつ渡せばいいのか分かりっこないと、里麻は小さく頷いた。


「封はしてないから、後で読んでみて」


 母親の手に封筒を手渡しながら、里麻の身体にたとえようもない充足感が広がっていく。

 ああ、お別れの時だ、と何故か自然と分かる。

 それを母親も感じたのだろう。慌てて里麻の手を掴んで言った。


「パパには?」


 父親だって、里麻に会いたいに決まっている。自分だけが里麻と話して、抱きしめて、手紙まで預かって……。母親は必死の目で里麻を見つめた。

 里麻の身体はもう柔らかな暖かい光に包まれ始めていた。

 里麻は光の中で、小さく笑った。それから、父親が眠るベッドへと足を運んだ。


「パパ、大好き。……いっぱい愛してくれて、ありがとう」


 そうして身体をかがめると未だ眠ったままの父親の頬に、優しくキスをした。まるで、幼い子どもの頃のように。

 身体を起こして、ゆっくり振り返り母親と目が合う頃には、里麻の身体はうっすらと透き通り始めていた。


「里麻!」

「ママ、またいつか会おうね」


 何の根拠もなかったけど、里麻は行く先が天国なら、いつかきっと会えるよね、と思いながら母親にほほ笑みかけた。母親もぽろぽろと涙をこぼしながらも頷き、里麻に笑いかけた。

 バイバイ、と小さく手を振った里麻の姿がまばゆい光に包まれる。

 あまりの眩しさに母親は目を細めた。部屋中が光に満たされ、何も見えなくなる。


「りーちゃん、元気で……」


 天に旅立つ娘への言葉にしては、あまりに場違いな一言だった。でも、それは母親のまぎれもない本心。行く先が天国であるのなら、そこで娘が幸せに暮らせたら……と母親は心から願っていた。

 ゆっくりと光が薄くなり寝室に元の薄暗さが戻った時、里麻の姿はなくなっていた。



 翌朝、目を覚ました母親は、ナイトテーブルに置かれた一通の封筒を見て、大きく目を見開いた。そして、おそるおそる取り出して手紙を読み、子どものように声を上げて泣き出した。

 その泣き声で目を覚ました父親は、おろおろしながら母親をなだめ、抱きしめたのだった。


(完)

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