5.意外な申し出
肩の痛みにも段々と慣れて来た頃、東京都内に入った俺のスマートフォンに着信が入った。
運転しながらチラリとディスプレイを見ると、そこには高速に乗る前に掛けたエイアルの電話番号が。
通話しながらの電話はいけないと分かっていても、治療の事で頭が一杯だった俺は周りの交通状況に注意しつつ応答する。
「もしもし?」
『もしもし、カイザム君かい?』
「あ、エイアルさん……お久し振りです」
声の主は俺が予想した通り、開業医のエイアルさんだった。
『私に電話をくれたみたいだけど、出来れば今度から病院の方じゃなくて名刺の裏に書いてある私の個人携帯の番号にに掛けて貰えないか。君との関係について聞かれる様な事があると困るからね』
「分かりました、すみません」
『で、用件があって掛けて来たんだろう?』
「はい、それがですね……」
確かに職場にそのまま掛けるのはプライバシー的にまずかったか、と俺はエイアルさんに謝罪した後、プジョーのザルスとの一件を話した。
「……それでこれからエイアルさんの所で治療をお願いしたいんですけど……」
だが、電話の掛け先について注意されたばかりの俺に対する返答は当然の如く……」
『おいおいおい、ちょっと待ってくれ。電話だけでもまずいのに直接私の所に来られたらもっと困るよ』
「ですよねえ……」
しかし、会話はそこから意外な展開になる。
『だが、病院じゃなければ治療は可能だ』
「えっ?」
言葉の意味が分からず俺が聞き返すと、エイアルさんはとんでもない提案をし出した。
『私の家に来てくれればそこで治療をしよう。診療時間もうそろそろ終わるし、妻も協力してくれる様にお願いしておくから』
「えっ、良いんですか?」
まさかの申し出に俺は声が裏返った。
『ああ、全然構わないよ。むしろその方が私にとって都合が良いし、君との関係も妻は知っているからバレる心配も無い。それに傷を負っているとなれば早く治療しないとどんどん悪くなるからな。簡単に縫う位だったら全然出来るから。それで良いなら私の病院に来てくれれば、道案内も兼ねて一緒に乗って行くよ。今は車なんだろう?』
「そうです。ありがとうございます」
『気にしないで。着いたら携帯の方に掛けてくれれば行くから。それじゃ待っているからね』
電話を切った俺は名刺の住所をカーナビに入れて、ヴィッツのスピードを上げて真っ直ぐその場所に向かう。横浜市内から東京都内は首都高ですぐなので、俺は治療のアテが出来て気持ちが楽になった。
(はー、これで一安心。やっぱりコネは作っておくもんだぜ!!)
世の中には作りたくないコネもあるんだけど、と一言呟きつつヴィッツのアクセルを踏み込み、何とか病院に辿り着いた。
(ここだな。えーっと携帯の電話番号は……)
街の医者と言う表現がしっくり来る病院の前にヴィッツを停めた俺は、エイアルさんに電話をするべくスマートフォンと名刺を取り出した……が、それと同時に俺のヴィッツの助手席の窓をコンコンと誰かにノックされた。
「ん……あ!」
「やあ、久し振りだな」
窓をノックして来たのは俺の予想通り、この医院の院長のエイアルさんだった。
細身でスラリと背が高く、真っ黒な髪を耳が隠れる位まで伸ばしている柔らかめな目つきの人である。
「丁度窓から君のこの車が見えたものでね。それで、電話で言ってた傷って言うのは……」
「ああ、これです」
俺が傷を見せると、エイアルさんは冷静な表情でそれを眺めて頷いた。
「止血はしたみたいだけど、思ったよりも深いね。この車の中じゃちょっと狭いから、私の家に行って治療しよう。ここから車で10分位だからすぐ着くよ」
「すいません、お願いします」
この流れで道案内をして貰った俺が辿り着いたのは、医師の家とはとても思えない様なこじんまりとした2階建ての一軒家だった。
それでも港区にこうして一軒家を持てるだけの財力はあるし、家の横にはシルバーのベンツが停まっている事からも分かる通り、やっぱり医者って金持ちなんだなあと思い直した。
(俺みたいに男と肉体関係を持たなくても良い様な気はするけどなあ)
他人の趣味にケチをつけるのは悪いと思うけど、素直にそう心の中で呟いておく。
◇
「……っと。これで良し」
負った傷の治療をして貰い、エイアルさん曰く後は完治するまで放っておけば良いらしい。
「どうもありがとうございます」
「どういたしまして」
「それじゃ、俺はこれで……お邪魔しました」
そう言いつつ俺はそのまま帰ろうかと思ったのだが、そこで背中にエイアルさんの声が掛かった。
「ちょっと待って。僕から一つ言いたい事があるんだけど」
「えっ、何ですか?」
まさか呼び止められるとは思っていなかった俺は、一体何の話なんだろうかとエイアルさんの方を振り向いた。
すると、エイアルさんは穏やかな顔でとんでもない事を言い出したのだ。
「治療費の件なんだが、払う気はあるか?」
「へっ?」
「せっかく診察して怪我まで治してあげたんだから、そのまま帰るって言うのは常識が無さ過ぎないか?」
そう、このエイアルさんは金にがめつい訳では無いのだが、今回は俺が治療して貰った患者の立場なのだ。
「冗談じゃないですよね?」
「私が冗談でこんな事を言う筈が無いだろう?」
穏やかな顔はそのままだが、目が笑っていないのが本気の証拠である。
「……分かりました。お幾らですか?」
だが、その答えは更にとんでもないものだった。




