2.受け渡し場所にて
「……でよぉ〜、そいつのせいでバンパー凹んじまったから板金出さなきゃならねえんだけど、何時なら大丈夫かな?」
碓氷峠で謎のAE111とバトルを繰り広げた翌日、俺は三鷹市にある馴染みのカーショップの店員に電話を掛けていた。
俺が今乗っているヴィッツもそのカーショップで購入した車なので、メンテナンスや車検等はこのアパートが建っている足立区からその三鷹まで走って直接お願いしているのだ。
「分かった。じゃあ1週間後だな。よろしく」
板金作業の日程も決まって電話を切った俺だが、そこで今度は別の相手と電話しなければならない事を思い出した。
(あ、そういや今日ってあいつが金を渡してくれる約束の日じゃねえかよ)
何処の会社にも属さず、フリーで身体を売っている俺は料金を基本的に前払いで現金で貰っている。
しかし、客の中にはカードでしか買い物をしない人間も居るので、そうした客からは銀行振り込みか後日手渡しかを選んで貰うシステムになっている。
大抵の客は銀行振り込みを選んでくれるのだが、中にはこうして男と肉体関係を持っている事がバレるとマズイ身分の人間も居るので、そうした客は手渡しで金を払ってくれる。
今回の客もその一人で、俺と肉体関係を持ってまだ日が浅い、プジョー乗りの若い実業家だ。
だが、金を持っている割にはその金払いが悪いのが難点だった。
(金持ちにはケチが多いってどっかで聞いた事があるけど、あながち間違っちゃいねえのかもなぁ)
事実、その実業家には何回も代金を踏み倒されそうになっている俺は、相手が指定する場所まで素直に出向いてそこで支払っているのだ。
今回は神奈川県にあるヤビツ峠まで来てくれれば金を払うと言われたので、俺は指定されたヤビツ峠の展望台に向けて足立区の加平出入口から首都高に乗り、東名高速を通るルートでヴィッツを走らせる。
午前中はこれまでの売り上げから税金やら何やらの支払い関係で色々と手が離せなかったので、ようやく夕方になってヤビツ峠に向けて出発する事が出来た。
(この分じゃ、向こうに着くのは夜になるな……)
ヤビツ峠は神奈川県にある、碓氷峠よりも狭いかも知れない峠道だ。
サイクリングロードとして使う自転車乗りや、マラソンのランナーが沢山居る事で有名なコースだが、車で走るのは普通に走るだけでもかなり疲れる。
碓氷峠と同じくつづら折りの狭い山道な上、途中で道がほぼ一車線になる区間もあって、対向車とすれ違うだけでも神経を使うポイントが幾つもある。
実業家だったらそんな狭い場所で金を支払わず、素直に現金で支払えば良いのにと何時も思っているのだが、向こうには向こうなりの事情があってこうして場所を指定しているらしい。
雑誌やテレビ等に何回も出演経験がある様な、新進気鋭のやり手の実業家だからこそ、男と肉体関係を持っているなんて事が世間にバレればそれだけで大スキャンダルである。
一応、俺はこれでも成人しているので未成年を買春している訳では無いのだが、問題はそこでは無くてその実業家の性癖の話だ。
(本当、人間ってどんな事を考えてるかなんて分かんねーよなー)
素直な気持ちを心の中で呟きつつ、俺は東名高速道路を使って神奈川県へと向かい、1時間50分程掛けて目的のヤビツ峠へ辿り着いた。
待ち合わせ場所の駐車場脇に建っている木製展望台に辿り着くと、そこには既に見知った顔の男がかったるそうな顔をしながら待っていた。
くすんだ金のロン毛に、やや釣り上がり気味の意志の強そうな眼付きで、黒のスーツに黒のストライプ柄の白いワイシャツを着用していた。
駐車場には彼の愛車の、WRCエアロの黄色いプジョー206がひっそりと佇んでいるので俺はそのプジョーの3つ隣にヴィッツを停め、男に向かって歩いて行く。
「遅いぞ、僕をどれだけ待たせれば気が済むんだ」
「すみませんザルスさん……それで、例の物は?」
男の嫌味を適当に流しつつ、俺は男……青年実業家のザルス・エイムスに向かって手を差し出す。
「全く……これだから貧乏人は困る。金さえ手に入ればなりふり構わないっていうその姿勢が僕は気に食わないね」
(あんたに言われたくねえよ)
自分だってケチの成金野郎じゃねえか、と心の中で罵倒しつつも、俺はこの前の代金を封筒で受け取って中身を確認する。
……が。
「ちょ……おい、これは一体どういう事だよ?」
中身を見た俺は、こちらから提示した金額よりも少ない代金しか入っていない事に気が付いたのだ。
当然これは「サービス料」として不十分なので、俺はザルスに抗議の声を上げる。
だが、ザルスは悪びれるどころか開き直った態度でいけしゃあしゃあとこんな返事をし始めた。
「君とはもう、これでおさらばだよ。手切れ金とでも思ってくれたまえ」
「意味が分かんねーよ。俺にもちゃんと分かる様に説明して貰わなきゃ、このまま黙って帰る訳にはいかねえんだ。こっちも商売やってんだからよ!!」
そもそもこう言う場合の手切れ金と言うのは、正規の代金に色をつけて渡すものであって、決してこんな足りない代金を出す行為では無い筈だ。
何がどうしてこれで手切れ金なのか納得出来ない俺に向かって、ザルスはハアーッと深い溜め息をつきながら腕を組んで答え始めた。




