裏切った者の想い
連続投稿分です。
作者からのお願いです。
今話から鬱展開があります。
そのため、初めて読んでいただく方はぜひ「翡翠の花」まで読んで頂ければ幸いです。
02/02 本文を改定しました。
時は翡翠の部屋に戻る。
先程の何皇后の言葉を聞いて翡翠は固まっていた。
そして、それを翡翠の背中ごしに聞いていた要も同じく固まっていたのである。
(あの、木蓮さんがそんなことするわけない)
生まれてから一月あまりほとんど一緒に過ごし、翡翠と同様に愛情を注いでくれた木蓮が人を殺そうとするなど到底思えなかったからだ。
「何皇后様、それは何かの間違いです!木蓮がそんな事をする訳がありません!」
「じゃが、実際にわらわはこの通り傷を負って、目撃した者もいるのじゃぞ…。のう?」
動揺しつつも翡翠が木蓮を庇って答えるが、何皇后は事実を突き付け翡翠と要を取り囲んでいる親衛隊の隊長に問いかけた。
「はい、我々もこの目でたしかに見ました。あの女医師がしたことを」
隊長はほくそ笑んで答えた。
「………しかし、」
「なにか言いたいことでもあるのか、王美人よ」
「はい。木蓮が無闇に人を傷つける者でないことを私はよく知っています。その人柄は私以外にも宮中の多くの者が知っています」
「だからなんじゃ?よもや、お主はわらわが嘘を申してると言いたいのか?」
何皇后がキッと翡翠を睨みつけた。
「………いえ、そうは申てません。ですが、何かわけがあったと思うのです」
「ふむ、なるほどのう。さすがはあの女医師の主じゃな」
「ですから、私が木蓮から直接話を聞きだします。お願いしますから、私に木蓮と会わして下さい、何皇后様!」
翡翠は何皇后に対して懇願して頭を下げた。その翡翠のことを何皇后は満足そうに見下して一言。
「それは聞けぬ頼みじゃな」
「ど、どうしてですか!」
反射的に翡翠は顔を上げて、何皇后に詰め寄った。それは木蓮の無実を信じているゆえの行動であった。
だが、何皇后にその思いは伝わらなかった。逆に何皇后はまるで自分の思ってた通りに翡翠が行動するので内心笑っていた。
「お願いします、何皇后様」
「駄目なものは駄目じゃな」
「どうか、私を木蓮と会わして下さい」
縋りつく翡翠を何皇后は煩わしそうに振りほどいて一蹴した。
「必要はないものはないのじゃ!あの女医師がわらわを殺そうとしたのは事実。そして、それをおまえが指示したのは明白じゃぞ!!王美人よ!!!」
それを聞いた瞬間、雷に打たれたような衝撃が翡翠の中を突き抜けた。
「………ッ!それは何かに間違えです!私はそんな指示を木蓮にしていません。それにそんな指示をするあろうわけがありません!」
突然、突拍子もないことを言い出した何皇后に対して、翡翠は食って掛かった。だが、何皇后はそれに動じる様子もなく笑みを浮かべた。
「やれやれ、ほんに困ったのう………」
「何皇后様、それも何かの間違いです!お願いですから木蓮に会わせ確認させて下さい」
再度、翡翠は何皇后に縋りついた。
「しつこいのじゃ!」
だが、それを煩わしそうに何皇后は手で跳ね除け、その勢いのまま翡翠を突き飛ばした。
「きゃっ」
(翡翠お母さん!)
短い悲鳴をあげて翡翠は床に倒れ伏した。何皇后は倒れた翡翠に近付くと、見下しながら言葉を続けた。
「わらわを殺すことに失敗して捕まった、あの女医師はこう申していたぞ。王美人の命でわらわを殺そうとしたとな!」
「えっ!?」
思うわず翡翠は聞き返した。それは自分の耳がおかしくなったのではと思ってだ。
「どこまでとぼける気じゃ、王美人よ!斉峯はお主に命令されて、わらわを殺そうとしたと申しておったのじゃ。ほんに碌でもない主に仕えた斉峯は可哀相じゃな。わらわを殺すように命令したおまえに斉峯を会わす道理はあるわけなかろう!!」
「………(………)」
翡翠はあまりにも衝撃すぎて何も考えれなくなっていた。それは寝台で寝かされていた要も同様だった。
そんな二人を余所に何皇后はさらに饒舌に続けた。
「どうやら、観念したようじゃな。王美人!おまえを皇后のわらわを誅しようとした罪で拘束する!!勿論、そこの赤子も同罪じゃ!!親衛隊よ、王美人親子を拘束するのじゃ」
その言葉で親衛隊たちは王美人を拘束しようと動き出した。
「お待ちください何皇后様。伯和は関係ありません」
茫然自失であったが翡翠は何皇后の今の言葉で我に返って反射的に言葉を発した。
「関係なくはなかろう!親の罪は子の罪であるのは世の常、わらわを誅しようとした者の子は例え皇帝の子とはいえ死罪は免れぬ。勿論、わらわを殺そうと実行したあの女医師もそれは同罪じゃ!それだけではない。おまえと女医師の一族郎党もすべて即刻死罪じゃ!!」
絶対者のように何皇后は振る舞い言い放った。
「そ、そんな………、お、お願いします、何皇后様。親の罪は子の罪とはいえこの子はまだ生まれたばかりの赤子です。一体、何の罪があると言うのですか?どうかわが子だけは………、どうか何皇后様、お慈悲を」
すでに翡翠は親衛隊によってその両脇を押さえ込まれたいた。そして、寝台の近くには要を捕まえようと近付く親衛隊の姿が見えたので自由になる首や頭を使い必死に何皇后に訴えた。
「なるほど、たしかに親に罪があるとはいえ生まれたばかりの子には罪がないかもしれんな………。つまり、おまえは親に罪があることを認めて、自ら生んだ子の助命をしてるのじゃな?」
「そ、それは………」
「それはなんじゃ?もしや、しらを切って赤子を助けてもらえるとは思うまいな。勿論、しらを切れば即ち抵抗したものとして、この場で親子共々切り捨てるやもしれんがのう。して、どうなのじゃ、おまえが命じたのであろう?答えるがよい、王美人よ」
もはやこの状況を覆すことが出来ないことを翡翠は悟った。それは自身の死を意味していた。だから、伯和だけでも助けたいと思った。
「何皇后様!わたくしはどうなっても構いません…ですから、」
満足そうに見下していた何皇后は突如、拘束された翡翠の顔にそっと近付き、その耳元で優しく呟いた。
「わらわを誅しようとしたことを認めるのじゃな。たしかに親の罪とは言え、生まれて間もない赤子、しかも子は親を選べぬのに死罪とは不憫じゃなのう。仮にも片親はわらわの子同様に皇帝陛下。それは同じ陛下の御子を持つわらわとして忍びないのう………。わかった!そこまで言うのであれば、わらわにも慈悲の心がある」
「何皇后様」
反射的に顔を上げた翡翠を間近に見て、何皇后は言葉を続けた。
「ならば、王美人よ!ここで毒を飲み自害いたせ!!」
その声はどこまでも冷酷であった。
「そ、それは………」
その言葉でさらに動揺した翡翠の耳元で何皇后はそっと囁いた。
「王美人よ、よく考えてみるのじゃ。もしも、この件が宮中に知れ渡ったら、わらわが庇おうが、おまえの子の死罪を免れることは不可能じゃ。それはよく知っておろう。いくら、わらわと言えども宮中の意見をからおまえの子を庇うことは叶わぬ。………しかし、今ならわらわの胸の内にそれをしまえるのじゃ」
そして、
「そして、おまえがここで自ら毒を飲んで自害すれば、わらわを殺そうとして捕まえた女医師も、おまえと女医師の一族郎党も助けることができるのじゃ」
「本当ですか?」
聞き返してくる翡翠に何皇后はとても優しい声で、
「ここにいる親衛隊もわらわの言葉の証人じゃ。いくらわらわの親衛隊とはいえ、かりにも漢の臣。嘘をつき、わらわの言を違わずことはないはずじゃ」
それはとても甘い甘い甘言だった。
もし、木蓮や侍女のどちらかが一緒に部屋にいてくれれば違ったかもしれない。いや、例え一人でも普段の冷静な翡翠ならこんな甘言に惑わせられることはなかった。
しかし、出かけて戻らない木蓮を心配して動揺してる最中、突如として部屋に親衛隊が雪崩れ込んできて思わぬ何皇后の登場、その何皇后から語られた木蓮の突拍子もない行動とそれを自分が指示したとの告白、そして伯和と一族郎党もすべて死罪………。 あまりにも荒波のごとく次々と襲いかかってくる話の連続に翡翠は抗うことだできずに飲み込まれてしまったのだった。
もはや翡翠に抗う術はなかった。
また、賄賂や官位を売り買いするのを嫌い、左遷された厳格な父と、それを優しく支える母の元で育った翡翠にとって、覚悟していたとはいえ、目の前に突如として襲いかかってきた宮中の謀、それも謀に長けた何皇后の謀の前では冷静な対応が出来るはずもなかった。いや、冷静な対応をするにはあまりにも若く、また経験が少なすぎたのであった。
それは転生前、欲望渦巻く謀とは無縁の生活をしていた要も同様であった。この異様なやり取りと空気に飲まれて先程から一声も発することが出来なかった。もし、このとき要が声を発して泣き声でもあげてたら結末は変わっていたかもしれない…………、だが、そんな謀の経験が皆無な要にはどだい無理な話しだった。
寝台に寝かさたままの要の目には、魂が抜けたように茫然自失になっている翡翠と、その力のない翡翠の両手に毒の入った器が持たせようとしている何皇后の姿が映っていた。要の目の前では力のない翡翠の両手に毒の入った器を持たせた何皇后が自身の両手で包み込みでいだ。そして、ゆっくりと何皇后は包み込んだ器を翡翠の口元に近付け、その僅かに空いている翡翠の口の器をつけ中身を流し込んだ。
「…あ………(駄目だ!翡翠お母さん!)」
我に返った要が必死に叫ぼうとしたが声が全くでなかった。まるで声の出し方でも忘れてしまったように喉をひゅーひゅーと空気が抜けるだけであった。それでも何度も何度も必死に声を出そうとしていた。それでも声は全くでなかった。それと同時にあまり動かない手足も必死になってじたばたと動かしていた。
(お願い、翡翠お母さん気付いてっ!!)
だが、無情にも要の想いに翡翠が気付いたのは、毒を飲まされた後だった。それは、倒れていく最中だった。
翡翠が毒を飲み込んだのを確認した何皇后よって突き飛ばされ、倒れるていく最中のことだった。ぼんやりとした翡翠の視界の隅で必死になって動く何かを見たとき、翡翠は気付いたのだった。それがわが子であると………。
要の目にはまるでスローモーションのように突き飛ばされてゆっくりと倒れていく翡翠の姿が映っていた。そして、要と翡翠は目が合い、翡翠はようやく要の行動に気付いたのだった。それは刹那のことであったが、翡翠と要にとっては永遠にも近く感じられていた。
(翡翠お母さん!)
(伯和!!)
その瞬間、ようやく我に返り本来の翡翠に戻ったが、突如として体の中から業火で焼かれたような激痛が頭の先から足の先まで、全身という全身に一瞬で駆け抜け、激痛のあまり翡翠は床をのたうち回っていた。声にもならない悲鳴をあげて、床でのたうち回る翡翠を見て何皇后と親衛隊の兵たちは満足そうに笑っていた。
(お母さん、お母さん)
要は必死で手足を動かして母の名を呼んだが、喉は空気が抜ける音しか立てなかった。
(伯和、伯和、伯和)
耐え難い激痛に見舞われた翡翠は意識を失うが、すぐ次々と襲ってくる激痛によって覚醒されられていた。それでも翡翠の心は叫んでいた。わが子の名を…………。
だが、そんな翡翠の行動をあざ笑うかのように次々と毒は翡翠の体を蝕んでいった。
そして、翡翠の口から大きなどす黒い血の塊が吐き出された瞬間、のたうち回っていた体はピタりと止まりその場でがくがくと痙攣しはじめたのだった。
(翡翠お母さん!)
手足を激しく動かしている要の心の中には悲鳴にも似た叫び声が響いていた。そして、その目に涙が溢れていた。だが、それとは逆に部屋の中には何皇后と親衛隊たちの笑い声が響いていた。
すでに虫の息になり痙攣も治まり動かなくなった翡翠を、満足そうな顔で見ていた何皇后は何を思ったか倒れている翡翠に近づき、これ見よがしにその耳に真実を語りだしたのだった。
(ごめん、本当にごめんね、翡翠。でも、これしかないのよ)
木蓮は心の中で何度も一緒に育った翡翠に謝っていた。
きっと翡翠はこれからするであろう、自分の行為を知ればとても悲しむだろう。木蓮は翡翠の悲しむ顔が見たくなかった。だから何度も何度も心の中で謝った。そして心に決めて顔をあげた。
(たとえ、私の命がなくなろうと翡翠とその子だけは絶対に助ける!!)
そう、木蓮は決意したのだった。
先程の何皇后との会話の中で、どうしても翡翠を亡き者にしたいことが分かってしまったからだ。あの何皇后がそれを曲げることはまずありえない。そんなのは何皇后が過去にしてきたことを見れば一目瞭然だった。ならば、自分は何皇后の手から翡翠を助けると。
たが、拘束された今の状態ではそれは不可能だった。ならばこそ、何皇后の提案を木蓮は受け入れたのであった。どうしても自分を使って翡翠を毒殺させようとしているのなら、絶対に隙があるはずだと考えて。
翡翠を助けるためなら、私はどんな汚名でも被ってみせよう………と。
ただ、翡翠は嘘だとは言え、自分が何皇后に寝返ったと知ったらきっと悲しむだろう………。そして、この後するであろう行動を知ったらさらに悲しむことになるだろう………。二重の悲しみを与えてしまう翡翠に対して心の中でずっと謝っていたのだ。
そんな、木蓮の内心など知らず、何皇后や親衛隊たちは覚悟した木蓮の顔を見て、翡翠を毒殺するのを決心したと勘違いして満足そうな表情を浮かべていた。
その後、産後の体調回復のために毎日、木蓮が煎じた漢方薬を翡翠が飲むことを知った何皇后は、漢方薬に毒を混ぜるようにと命令した。そして、何皇后の目の前で木蓮は予め用意されていた毒と、侍女が持ってきた普段煎じる漢方薬を調合させられた。その調合物を何皇后は親衛隊の隊長に手渡して、翡翠のところまで同行して監視するよう命じたのだった。
それから毒を飲ませる段取りを隊長から指示された木蓮は、親衛隊の囲まれて、後宮内にある翡翠の部屋へ向かいだした。
その、最中に木蓮は少ない時間で考えた自分の行動を確認した。
(私が翡翠に直接伝えたとしても何皇后は、私を嵌めて自分が殺されそうになったことを理由に、その主の翡翠を殺そうとするはず。何故なら、翡翠と何皇后の立場の差は開きすぎているから。それに宮中でもかなりの権力を持つ何皇后ならば、それぐらい造作もないのは明白だわ。となると、何皇后と同等の権力を持つ人物に縋るしかない。そう、董太后様。そうすれば翡翠たちだけは間違いなく何皇后の手から助けてくれる。…………私は何皇后に嵌められた事が明白になってもだめね。無官の私がこの国の皇帝の生母の部屋に許しもなく勝手に入り、そして訴えるのだから。それは重大な不敬罪なる…………でも、これしかないっ!!)
そう、現皇帝の生母である董太后は宮中でも何皇后と同等の権力を持っているのだ。しかも、董太后は翡翠のことをとても気に入っていて、産まれてばかりの要のこともとても大切に想ってくれていた。だから、木蓮が訴えれば無礼なれど何皇后の企みから翡翠たちを庇ってくれるだろう。そうなれば、さすがの何皇后とはいえ翡翠たちに手出しを難しくなるのだ。
だが、董太后の身分はほぼ皇帝と同じなのである。そのため、側室付きの木蓮との身分差は天と地ほど違う。そんな木蓮が董太后の許しもなく勝手に部屋に入り、話しかければ非常に礼に反した行為とみなされ、どんな理由であってもその場で死罪は免れない………。例えるなら江戸時代に町医者が将軍に話しかけようとしているのと同じだ。
(でも、命を捨てる覚悟はもうできてる。そして、董太后付きの義真はきっと私の話しを聞いてから行動する。だって私と彼女はすでに………)
義真と出会ってから一年以上経ち、木蓮は義真の性格をよくわかっていた。その彼女がたとえ主の命であれ、理由も聞かず無闇に殺生はしない。それが自分ならば尚更だと木蓮は義真の性格を思い出しながら更なる覚悟を決めたのであった。
だが、大きな誤算があることに木蓮は気付いていなかった。
それは昼前に何皇后によって体調を崩された翡翠が、董太后の部屋で休んでいたことだ。普段、翡翠に付き添って董太后の部屋へ行くと、天気の良い日は必ずと言っていいほど中庭の庭園で昼食をした後に、董太后の部屋でお茶をするのだ。そのため、昼も過ぎてから何皇后の部屋に呼ばれたことから、時間的に董太后と翡翠は部屋にいると木蓮は考えてた。しかし、今日は翡翠が体調を崩したことによってそれが違っていた。それを木蓮が知るはずもなかった。
後宮には皇帝生母の太后、正室の皇后、複数の側室の貴人、美人、宮人及び采女ほかが暮らす宮殿がある。中央の大きな庭園を中心に花弁のごとく五つの宮殿が建てられているのだ。そして、宮殿から宮殿へ行く時は必ず中央部の庭園の脇を通るのである。また、後宮のしきたりで皇后の宮から美人の宮に行く時は必ず太后の宮の前を通らなければならなかった。そこが木蓮の狙い目だったのだ。
しかし、董太后の宮に近づいた時に木蓮は自分の目を疑った。それは遠く離れた場所で董太后に連れられた翡翠が中庭に行くのが見えたからだった。監視である親衛隊もそれに気付いたようで、隊長が止まるように命令した。
(なんで………、今日に限って違うなんて…………でもっ!!)
今を逃したら次はないと木蓮は覚悟をした。気付かれないように周りを確認すると、木蓮を真ん中に六人の親衛隊に囲まれているため、咄嗟に間を縫って動ける隙は全くなかった。しかし、親衛隊もこの状況をどうするか話し合っているため、木蓮に意識は向けられていなかった。
(それならば!)
木蓮は息を大きく吸い込み、その場で思いっきり叫んだ。翡翠ならきっと自分に気付いてくれる。そうすれば、翡翠と一緒にいる董太后も親衛隊に囲まれている自分に気づき、何皇后の親衛隊に詰問するだろうと。
だから、
「翡翠ーーーーー!!!」
木蓮はありったけの声を出して全力で叫んだ………つもりだった。
しかし、覚悟を決めていたとはいえ極度に緊張して、すでに木蓮の口や喉に湿り気はなく乾ききっていたのだ。そのため、木蓮の声は掠れてしまい、思ったように声は出なかったのだった。再度、叫ぼうとした木蓮の運はすでに尽き果てていた。親衛隊の隊長はすぐ木蓮の首に鞘をしたままの剣を力一杯叩きつけた。首に衝撃を受けた木蓮は薄れゆく意識の中で自分の擦れた叫び声に反応して辺りを見回す翡翠の姿が映っていた。
(………翡…翠……ご…めん………ね)
そう、心の中でつぶやきながら木蓮の意識は暗闇に沈んでいった。
この日を最後に後宮内で木蓮の姿を見た者はいなかった。