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十常侍


(ふんっ、お飾りの分際で生意気を言いおって!!)


張譲は毒づきながら劉協の後ろ姿を忌々しく眺めていたが、目的を思い出して興味を失ったように踵を返してある部屋に向ったのであった。部屋の近くまで行くと入り口は厳重に警備されていた。実はこの部屋は十常侍以外は誰も入室することができないのだ。それは例え皇帝であっても同じだった。張譲の姿を見た警備の禁軍兵は直立不動になって背筋を伸ばした。


「もう、皆はそろっているか?」

「は、はいっ!ほ、他の十常侍の方々は揃っておいでです」


話しかけられた禁軍兵は、上擦りながら何とか答えた。だが、その顔には恐怖が浮かんでいた。


(それでいい。誰が主かしっかりわかっただろう?)


張譲はほくそ笑んで奥に進みながら、先日の生意気な警備兵のことを思い出ていた。中々、美人であったため、夜の酌をするようと命じたところ何を思ったかそれを断ったのだ。他の禁軍兵が見ている前で、こともあろうに十常侍たる自分の誘い断って恥をかかせたのだ。その怒りたるは言い表せないほどであった。だから、自分の命じたことが、いかに大事であったかその命と家族の命をもって教えてやったのだった。他の者にもわかるように惨たらしい形で………。


「おお、張譲殿遅かったではないか」


その言葉で張譲は考えるのをやめて目の前に意識を戻した。

そこには贅の限りを尽くした景色が広がっていた。古今東西の調度品がそこかしこにと並んでおり、真ん中には翡翠で作られた大きな卓があった。その卓には十二席の椅子が円を描くように並んでいて、一席を残してすでに埋まっていた。皆、張譲と同じように一目で高価だと思える服に身を包んでいた。


「遅れて申し訳なかった。途中で劉協殿下にお会いしたのだ」


遅れて悪いとは微塵にも感じさせないような物言いで答えた。


「おやおや、あの引きこもりの劉協殿下と途中で会うとは珍しい」


今、話しかけてきたのは近くにいる温厚な顔をした夏惲であった。この温厚な顔の下に潜んでいるのはとんでもないぐらいの腹黒さである。


「どうせ忠犬も一緒にいたんじゃろ?のう、張譲?」

「何で劉協殿下が本宮殿にいるんだ?」


この中で一番痩せていて、年配である宋典が聞いてきた。しかし、張譲が答える前に孫璋が口に物を入れながら疑問を投げかけてきた。

宋典は張譲を十常侍まで引き上げてくれた恩人で唯一、頭が上がらない人物であった。孫璋は張譲より巨漢で常に食べ物を何か食べていた。


「殿下は書物庫の庭園に行く途中だったようです。宋典様」

「おぃおぃ、何だって書物庫の庭園なんだ?本殿の庭園じゃないのかよ?」


今度はにやにやとした顔をした郭勝が聞いてきた。郭勝は見た目は宦官の中でも一、二を争うほど秀麗であったが、その性癖と残虐性もまた一、二を争うほど凄まじかった。先日、禁軍兵を殺したときに場所、人、道具、後始末などすべて郭勝に手配してもらったのであった。


「大方、何皇后を気にしたんじゃないですか?」

「あぁ、そうだ………」


ほっそりとして背の高い段珪が先に答えて、張讓は大きく頷いた。


「何皇后は劉協殿下のことを嫌っているし、劉協殿下もそれを気にしている節があるからしかたないよ」


この中で一番若く少年みたいな外見をした韓悝そう付け足した。


「そうじゃな。まぁ、いくら何皇后が心を入れ替えて劉協殿下を好きになろうとしても溝は深まらんだろうて」

「だな。さすがに気の弱い殿下であっても親の敵とは仲良くはできるわけねぇよ。しかし、あの殿下の気弱さも、もう少しどうにかならないもんかね。いつも、後宮の外に出るときは忠犬と一緒じゃねぇか」

「本当にそうだね。あれじゃ、殿下の方こそ子犬だよね。昔と違って癇癪も起こさないし、後宮の自室からもあまり出ない。その上、気弱で大人しい………まぁ、僕たちの操り人形としては最高だけどね」

「まったくその通りじゃな。桓帝の再来になるかもしれんのう」


この話しに今まで黙っていた、趙忠、畢嵐、栗嵩、高望、張恭たちも加わり、話しに花が咲いていた。それぞれ、要の評価を言い合うがどれも情けないやら、おどおどしているやら似たような評価であった。


(あまりにも出来過ぎてはいないか………)


しかし、段珪だけは一人何かを考えるように口を閉ざしていた。


(襄陽から戻った殿下はたしかに癇癪を起こすことはなくなった。そして、皆が話すように必要以上に後宮から出ることがない。出たとしても常に皇甫嵩や朱儁が一緒で、それ以外の者と出ることない。また、気弱で何かある度にすぐ二人の影に隠れる。我々からすれば操り人形としては最適だ。だが、あまりにも上手く運びすぎてはないだろうか?いくら殿下だとはいえ、あの皇甫嵩がこのまま君主とは何たるかを教えないで、甘やかしたままにするのか?それはいつまでだ?あれから三年も経つのだぞ?殿下はもう八歳だぞ、………やはり何かあると考えた方がいいかもしれんな)


「段珪?先程から何か考えてるようじゃが、殿下に関して何か気になることでもあるのか?」


一人だけ口を閉ざしている段珪を訝しんで宋典が話しかけた。


「はい、あまりにも殿下の現状が我々にとって都合よすぎるのではと………」

「段珪さんは心配性ですね。もしかして、殿下の言動が僕たちを騙すためにわざとしていると?」

「いや、殿下が意識してやってるとまではさすがに思ってないが………」

「じゃあ、誰がってんだ?董太后か?忠犬二匹か?それとも三人でか?で、あの気弱な殿下を裏で操ってるってか?」

「………おそらく」

「ふざけんじゃねぇぞ、段珪っ!!てめぇ、一体いつあの三人が殿下を操る時間があるっていうんだ!」


淡々と答える段珪の態度に郭勝が切れ出したように立ち上がった。


「まぁ、まぁ、郭勝さん落ち着いて………。しかし、段珪さんは忘れたんですか?殿下周辺にも私の手の者が潜んでいることを?その者たちから私にそんな報告はないのですよ。それなのに殿下は操られてると言うのですか?つまり私の手の者たちが、すでに私を裏切っているといいたいのですか?困りましたね……いくら段珪さんと言えどもそれは聞き捨てならないですよ」

「そこまでは言っていない………」

「では、何だというのですか?ぜひ、納得する説明が聞きたいですね、あなた以外のここにいる全員はね」


夏惲の口調は温厚だったが、目の奥の視線は冷ややかだった。その目を見た段珪は悪寒が走っていた。そして場の雰囲気は一気に段珪を糾弾するように様変わりしていった。傍から見れば十常侍は纏まっているように見えるが、内部は全く違った。自らの利権を守ることで一致しているが、けして彼らは仲間ではないのだ。


「落ち着くのはお主の方じゃぞ、夏惲。段珪は気になると言ってるだけで、けしてお主を配下を疑ってるわけではないぞ?のう、段珪」

「はい、宋典様。夏惲殿、けして要らぬ詮索をするつもりはありません。不用意な発言をして申し訳ございませんでした」

「うむ、段珪も発言には気をつけるのじゃよ。夏惲もこれでよいかのう?」

「ええ、宋典様がそう言うのなら………」


夏惲は渋々と納得をした。そう、年長者である宋典がいるから十常侍たちはばらばらにならずにいられるのだ。


「段珪が言う通り、たしかに都合よく事が運んでいるような気もするがのう、あの殿下が誰かに操られているとはさすがに無理があるわい。しかも、殿下はまだ八歳の子供じゃよ。思うように操るなど不可能じゃよ。それに皇甫嵩、朱儁と一緒にいる時間よりは侍女たちといる時間の方が圧倒的に長い。それなのに夏惲の配下の侍女に気付かれないように操るなど到底不可能じゃよ。まぁ、お主たちは知らないだろうが、先代の桓帝も幼いときは劉協殿下と似たような感じじゃった。しかも、歳を重ねても中身はまるで劉協殿下をそのままにしたような感じじゃったわ。それと同じじゃよ。それよりもそんなことで我々の足並みが揃わないほうが問題じゃよ。この話しは何か具体的なことが分かるまでお主の胸の内にしまっておくのじゃ。よいか?」

「わかりました、宋典様」

「皆もよいな?この件で段珪を不要に糾弾してはならんぞ?」


段珪以外の全員が頷いたのを見て、宋典は満足そうな顔をしたのだった。そして、場の雰囲気が元に戻っていった。


「ふむ、では、本題じゃ。皆に集まってもらったのは知っての通り、また諸侯が力をつけはじめた。それをどうするかじゃ」

「ええ、たしかに最近の諸侯の力のつけようは目に余るものがありますね」

「じゃあ、虎のときと同じように潰してしまうか?」

「それは駄目です。今回は諸侯の数が多過ぎますよ。それに最近、力をつけはじめてた諸侯の多くは優秀です。劉表配下の黄祖みたいに単純にはいかにですよ。寧ろ、逆です。特に曹操なんかは………」

「曹操?あの、目つきの悪いちんちくりんだろ。たしかに優秀とは聞てるけど、そこまでのものなのか?袁紹の方が問題なんじゃねぇか?」

「郭勝さん、僕も夏惲さんと同じ意見です。袁家の財と兵は脅威ですが、袁紹自身の頭の中身は空っぽですからね。まぁ、側近の顔良は注意が必要な人物でしょうが、曹操に比べれば全く問題がないですね」

「たしかに我々のとって一番邪魔になりそうなのはたしかじゃな。して、曹操を含め諸侯の力を削ぐ具体案があるものはいるかのう?」


宋典が周りを見回わすが、誰も妙案がなく部屋は静まり返った。


しばらく沈黙が続き………


「私に考えがある」


その沈黙を破ったのは張讓であった。


「おぉ、さすがは張讓。して、どんな案じゃ?」


張讓は周りの視線を感じながら自らの案を話し始めた。


「はい、現在国内では曹家、袁家本家、分家をはじめ、過去に類を見ないほど有力諸侯の当主が立て続けに変わっておる。また、旱魃などの被害があるのにもかかわらず、多くの諸侯は我々に納める金を得るためにより一層税をかしておる。これは我々にとって良い心がけだがその反面、飢えや税を逃れるため、一家全員で官の庇護を受けない流民に堕ちるものが多いと聞く。特に豊かな南ではない中原北部でかなりの数の流民が発生していると聞く」

「張讓さん、何が言いたいのですか?もしかして、税を下げて流民を救済しろと馬鹿馬鹿しいことでも言うのですか?」


胡散臭そうに夏惲が見てくるが、張讓は気にした素振りを見せずに話しを続けた。


「今はまだ大丈夫だが、さらに膨れ上がるのは時間の問題だ。私が危惧しているのはその膨れ上がった流民に手を差し伸べる者が現れることだ。その筆頭にいるのが曹操だと某は考えている。当主になったばかりのあの娘は早速、領内の腐敗を一掃するための行動を起こした。その手際のよさもあり領内の腐敗はほとんど払拭された。その評判は領民に知れ渡り、周辺の民にも伝わっていると聞く。我々にとっては忌々しい話しだがな。そして、いま領内の政に精を出しているようだ。それが済めばその目は外に向けられよう。そこにいるのは土地を持たない流民の群れ。賢しい曹操ならそれに気付くであろう。その数はそのまま労働力になると。きっと、あの娘は領内の発展のため流民に手を差し伸べるだろし、流民も評判の良い領主の手を喜んで取るだろう。そして領内が発展した頃には曹操の名声は多くの民の間に広がっているだろう。また、諸侯も領内の発展のため曹操の手法を真似るであろう。それが落ち着けば皆はこう思う、果たして漢は必要なのかと………この先は言わなくてもわかるであろう?例え、曹操を殺してもいずれ同じようなことは遅かれ早かれ起きるだろう」


張讓の話しを聞いていた十常侍たちはその話しの信憑性に息を飲んだ。彼らは諸侯には監視の目を向けるが、あまり民の動向は意識していないのだ。特に民以下の存在である流民などは………。張讓はここで一息ついた。そして、


「だから私はこの膨れ上がった、流民を使って反乱を起こさせ、中原周辺の諸侯にぶつけることを提案するっ!!」

「………ッ!!!」


一同に緊張が走った。


「てめぇ、言うことかいて反乱だぁ?ふざけるんじゃねぇぞ!」

「貴方は馬鹿ですか?わざわざ我々の基盤が揺るぐようなことを自らするなどとは………」

「そうだよ、張讓さん。乱が起きれば諸侯は宮中の責任を問うに決まってるよ」


十常侍たちは次々に非難の声を上げそれは部屋全体を包んだ。ただ、宋典と段珪だけは静かに何かを思案していた。


「皆、静まれ!」


顔を上げた宋典の一喝で非難する声は徐々に収まっていった。


「張讓に案を申せと言ったのはわしじゃ。しかし、お主もまたとんでもないことを言うのう………。乱を起こした流民を操るなど出来るわけがなかろう。もし、その流民と諸侯が合流しでもしたら我々はおしまいじゃよ。そのぐらいはお主もわかっておるじゃろ?」


声は優しいが、その目は冷ややかだった。返答如何では張讓の命運はつきる。だが、


「流民と諸侯が合流することは絶対にない。そして、私はその乱を操る方法を知っている」

「なんじゃとっ!!!」


この答えにはさすがの宋典も目を見開いて驚いた。


「………太平要術の書を使うのですね?」


一人、黙っていた段珪がようやくここで口を開いた。


「あぁ、そうだ」

「ちょっと待って下さい。あの書は眉唾物の奇書で………」

「いいえ、奇書ではありません。あの書は人間の心理を事細かに分析したものです。そして、如何にそれを利用して集団を操るかに特化した危険な本です。昔、曹騰様が所有していると聞いて、子の曹嵩に頼んで見せて貰ったことがありますから、間違いありません。あれほどまで集団を操ることに富んだ本は、あの本以外で見たことがありません。しかし、張讓殿。操るにしても集団を象徴する存在がいるのですか?我々の思い通りに動き、かつ流民もついて行くような存在………」

「それには………張三姉妹を使う」

「張三姉妹って何じゃ?」


自信をもって張讓は答えたが、宋典はぽかんとした顔で質問をした。宋典以外の十常侍たちも皆同じような顔をしていた。彼らが下賎としか見ていない民の間を渡り歩く旅芸人など知らないのは当然である。


「最近、中原周辺の民の間で話題になっている旅芸人のことです。その歌を聞いた民の中には彼女らの虜になり、人が変わったように熱狂的に彼女らの興業に通う者もいるそうです。………なるほど、つまり張三姉妹の熱狂的な虜にしてしまい、それを利用して乱を起こすというのですね。しかも、流民はその性質上娯楽にはいつも飢えている。だからすぐに喰いつくというわけですね」

「その通りだ、段珪殿」


張讓は段珪の説明に満足そうに頷いた。


「しかし、その三姉妹が都合よく言うことを聞くのかよ?」

「いや、聞かないだろう。だから、三姉妹周辺を我々の手の者(親衛隊)で固め、熱狂的な虜になった者を思い通りに動かす組織(ファンクラブ)を作り、彼女らの活動に資金(スポンサー)を出し、それを広く宣伝する。いくら、三姉妹に自らの意向があったとしても、大勢に膨れ上がった組織を纏める手の者、資金提供者、その意向の前ではどうとでもなる。そして、膨れ上がった集団の矛先を中原周辺の諸侯に向けぶつける。いくら諸侯でもかなりの疲弊は免れないだろう。もし、諸侯が集団を打ち破れば領内の乱を察知できなく皇帝の威信を傷つけた罪を問う、張三姉妹が勝ったとしたら、三姉妹にはこの世から消えてもらう。そして、頭を失った組織は我らが編成を申し出た官軍によって蹴散らすだけだ」


張讓が胸を張って言い終えた。その熱弁の影響で顔はほんのりと上気していた。


「中々、面白そうな話しですね」


夏惲が満足そうな顔で頷くと、それは辺りに伝染した。


「そうじゃな、中々興味深い話しじゃったな。他に案があるものがいなければ張讓の案をもう少し細かく吟味したいと思うのじゃが、どうじゃ?」


張讓の案を聞き終えた他の十常侍たちは、それでいいと言わんばかり静かに頷くだけであった。その顔はどれも思い思いの満足そうな表情を浮かべて。


この後、この計画は念入りに練られ、数ヵ月後に実行されたのだった。



大陸を震撼されることになったその乱の名は“黄巾の乱”


だが、その乱を仕掛けた者が宮中にいるとは誰も知らなかった。



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