子を託した母の想い
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県に到着した翌日の昼前のこと
案内された宿は部屋の入り口に面した広間を中心に、それに繋がっている寝室が四つあるかなり広い部屋であった。昨日、要は宿に案内されると、すぐに宛がわれた寝室に籠もってしまった。夕食時には寝室から出てきたが、あまり食べずにすぐ寝室に戻ってしまったのだった。澪がずっと要について慰めていたが、要が口を開くことはついにはなかった。そして、夜も深け戸締りを確認した後に冬史と澪は不測の事態に備え廊下に面した広間で仮眠をとったのだった。
特に何事も起こらず朝を向かえ、澪が確認のため要が寝ている寝室を訪ねた時にはまだ眠っていた。それは今しがた確認をした時も同じであった。
「澪、伯和様の様子は?」
「相変わらず、部屋に閉じ籠ったままっすよ」
答えた澪の表情はどこか落ち込んでいた。どんな言葉を使っても要を慰めることが出来なかった。また、自分がここに行こうと提案しなければ良かったと後悔していた。
その想いと同時に。………昨晩から色々と考えていた。
「せっかく会えると思っていたんだ。さすがに一日では無理もないな」
あと一日だけ早く着ければ翡翠の両親に会うことが出来た。だが、同時に要を賊の襲撃に晒すことになると考えると、冬史の気持ちは複雑だった。
「そうっすね、大人だって無理っすよ………」
「あぁ……」
広間にどんよりした空気が流れた。そして、澪が小さな声で呟いた。
「普通に接してくれる家族………。いなくなっちゃったっすね」
若干、五歳にして普通に接してくれる身内をすべて失ってしまった要のことを考えていた。勿論、都の外に出れば疫病や賊などにより両親や親族を失い身寄りのない子供達の話などよくあることだった。それは自分も………。
だが、それを経験した澪の目にはそれ以上に要が不憫に写っていた。
要を直接見るまで、皇帝の御子など食べることや寝る場所に困ることなく、後宮で守られて安全に暮らしている存在としか思っていなかった。そんな場所で暮らしているのに癇癪を起こす話を伝え聞く度に、澪には理解出来なかった。そして、なんて我が侭の皇子なんだろうと思っていた。
しかし、初めて後宮内で遠巻きに要を見た瞬間、何かが違うと違和感を感じた。その違和感は要を見るたびに強くなっていった。その正体は董太后の直属になり、要を間近で見た時、分かったのだった。だから澪はそうしたのだ。そして、翡翠の両親に会うことを提案したのであった。ある意味、澪が出来るささやかな贈り物であった。だが、その結果は要から唯一の家族を奪われた事実を突きつけて傷つけるだけになってしまった。だから、ずっと想っていたことを口に出したのだ。
「姐さん!あたし達が皇子の家族になりましょうっすよ!!」
澪は顔を上げて真剣な表情で伝えたのであった。家族を亡くしたのなら、家族を作ればいい。これが澪の出した答えであった。
「ば、馬鹿な事を言うな。畏れ多い過ぎるぞ!分別をわきまえろ」
それを聞いた冬史は即座に澪を叱責した。それは常軌を逸した考えで、漢の臣であろうとする冬史には理解出来ないことであった。しかし、澪は叱責など気にする素振りもなく珍しく冬史に噛み付いたのである。
「はい、はい。姐さん、相変わらず堅いっすね」
「澪っ!!」
冬史の怒声は部屋中に響き渡った。だが、その声に含まれる怒気に晒されても澪は引かなかった。そして、冬史に想いをぶつけたのである。
「だって皇子を普通の子と接してくれる家族がいなくなったんっすよ!だったら……」
「いや、董太后様が……」
澪の迫力に押された冬史だったが、その言葉に口を挟んだ。まだ、要には残された家族がいると……
「あの御方は少なくとも公人の立場を優先するっすよ。その為には平気で私情を捨てる方っすよ………。それを皇子にも強要してるじゃないっすか!」
その冬史の言葉を澪は切り捨てた。董太后は公人としては優秀であると思ったが、子の親としては澪は向いていないと感じていた。短い間だが要の専属になってからの董太后の要に会う頻度や接し方を見れば一目瞭然であった。
「それが立場をある者の定めだ」
冬史はあの日、董太后の想いを知った。そして、立場あるものには責任があり、それは仕方の無いことだった。だから、董太后の行動は当たり前のことだと思っていた。
「たしかに定めかもしれないっすよ。…………でも、それじゃあ皇子は誰からも人として接して………愛してもらえないってことなんっすよっ!!」
「そ、それは………」
一際、大きい澪の声が部屋に響いた。その言葉を聞き、さすがに冬史は返す言葉がなく言い淀んだ。
「しかも、後宮に閉じ込められたままで、同い年の友達すらいないっすよ!母親も友達もいない、まだ五歳の幼子っすよ、誰が支えるんっすか!」
澪の目の端にはうっすらと涙が浮かんでいた。それは要を想ってのことよりも、何故、冬史は分かってくれないのだろうという気持ちの表れであった。
「それは臣下として私が支える」
その想いだけは冬史は譲れなかった。自分が支え続けると………。その言葉を聞いた澪の目は、露骨に冬史のことを嫌悪した。
「臣下としてっすか?」
「あぁ、当たり前だ。私は翡翠様から頼まれた」
冬史は翡翠から頼まれ、それを受け入れた。その気持ちに偽りは全くなかった。それを証明するように、要のことを今まで真剣に悩んできたのだ。たしかに悩み苦しむことが多かったが、投げ出したいと思ったことは一度もなかった。そのぐらい、約束は大事であったし、要のことが大事であった。
「姐さん………。一番近い姐さんすら臣下としてしか接しないなら、誰が皇子を本気で怒ったり、抱き締めてあげたりするんっすか!あまりにも皇子が可哀想っすよ………」
「………澪…」
澪は冬史のその言葉がひどく悲しかった。そして、その想いを含んだ言葉は冬史の心に深く突き刺さった。
「この際だからはっきり言わせてもらうっすけど、その接し方が皇子をあんな風にしちゃったんっすよ!」
「なっ……」
そして澪は初めて要がああなった原因が冬史にあると伝えたのであった。思いもよらなかったその言葉を聞き冬史は固まってしまった。そして………
「あらあら、お取り込み中みたいね」
広間の入り口から場違いな声が投げかけられたのであった。冬史と澪は咄嗟にその声がした方を見ると、入り口には少し呆れたような顔をした孫堅が立っていた。
「………文台様」
予想もしていない人物の登場に冬史が声をかけた。
「どうやら、私が危惧した通りだったわね」
その問いに答えず、孫堅は自分が気にした通りだったなと口から漏れてしまった。
実は少し前から孫堅は二人の話を聞いていたのだ。別に盗み聞きするつもりはなかった。単に要の様子が気になったのと、昨日、娘達を抱きしめながら浮かんだ疑問を確認するために宿を訪れたのだった。ちょうどその時、部屋から漏れている声が聞こえたのだ。その話を聞いている内に、ずいぶんと不器用な娘にに子を託したなと、翡翠を思い浮かべ苦笑した。そして、翡翠の本当の気持ちを伝えなくてはと考え、二人に声をかけたのであった。
「どういうことですか?」
遠慮もせずの部屋に入ってくる孫堅に冬史は怪訝な顔で訊ねた。
「他の迷惑になるから広間の戸を閉めるわよ。朱儁もいいわね?」
「はい、文台の姐さん」
それを受け流して澪に訊ねた。澪は孫堅と直接話したのは昨日ほんの僅かだったが、孫堅の表情を見て何となく自分と同じ事を考えていると察していた。突然の登場には驚いたが、孫堅なら頑なな冬史に自分の想いを伝えてくれるかもしれないと感じていた。だから、戸を閉める孫堅に何も言わなかったのだ。
余談であるが、このような広間と寝室を兼ね備えた部屋は相部屋になることが多く、寝室には鍵が付いているため、一般的には広間の戸を少し開けておくのが常識だった。勿論、大事な話をするときなど閉めるのだが、冬史と澪は話に熱が入り閉め忘れてしまったのであった。また、孫堅の配慮で宿には他の人間は泊まってなかったが、宿の主人達に聞かせていい話しではなかったったため、広間の戸を閉めたのであった。
そして、二人の方へ振り向いて孫堅は話し出したのである。
「皇甫嵩、少し聞かせてもらったけど、その子の言っていることが正しいわよ」
その言葉は澪と同じで冬史に向けられていた。
「どういうことですか?」
さすがに冬史は憮然とした。
「あらあら、宮中の鬼娘もお堅いだけの忠臣なのね」
孫堅はそれには答えなく、冬史に毒づいたのであった。さすがに昨日会ったばかりの人間にここまで言われる筋合いはないと怒りを口に出した。
「いくら文台様でも聞き捨てなりません!」
「ねぇ、皇甫嵩。貴女に質問があるの?」
「そんな話を……」
「答えてくれない?貴女は今までの一人で生きてこれたの?」
孫堅は冬史の怒りなど知らないと言わんばかりに話しかけた。冬史が話を中断しようとしたが、孫堅の口調とは全く違う真剣な目を見て言葉が詰まった。そのぐらい真剣な目だった。だから、一先ず質問に答えることにしたのだ。
「そんなわけが、あるわけがない!私は周りの者に支えられて生きてこれた」
「ふ〜ん、そうなの」
冬史の声には若干怒気が込められていた。それはあまりにも当たり前のことであったからだ。ならず者や己の才を過信している者なら一人で生きてきたとでも言うだろうが、冬史からすればそんなのは道理から外れた詭弁でしかないと思っていた。人は誰かしらに支えられて生きている。それなくば生きていけない。当たり前の如く自分も同じだ。だが、その言葉を予想していたように孫堅は軽く流した。その態度に冬史は孫堅を睨みつけた。
「質問はそれだ……」
「じゃあさ、貴女のその生き方は誰に教わったの?」
しかし、孫堅は質問を続けたのであった。
基本的なことはすべて自分の両親から教わった。父と母は勉学には煩くなかったが、こと礼節や道理といったことに関してはとても厳しかった。そんな両親の教えを冬史は幼いながらに真っ当だと思っていた。礼節や道理に反する行動をすればいつか報いを受ける。それを守ろうとする心の姿こそ人のありようだと考えていた。
そして旅の武芸者に出会った。その武芸者は長い間、両親と暮す郷に用心棒として滞在していた。家の手伝いの合間を縫って、冬史は武芸者から基本的な戦いから兵法に至るまで幅広く沢山のことを教えてもらった。中でもトンファーを教えてもらってから武の才能は一気に開花したのだ。剣も扱えなくはないが、重心の運び方が苦手だった。そのため、よく剣に振りまわされていた。
しかし、トンファーは自分の手にしっくりと馴染み重心が振り回されることはなかった。そのため自分の一部として思い通りに動かすことが出来たのだった。特に集団戦では冬史の俊敏さもあり恐ろしいくらいにその真価を発揮していた。だが、その武芸者……師範が病で亡くなるまで、一度も師範には勝つことが出来なかった。死ぬ間際に師範は一筆の文を冬史に認めたのであった。もし、仕官するならばこれを持って都に行きなさいと言葉を添えて。それから数年して冬史は良家の子息との縁談を断って都で仕官することになったのだ。
都に赴く冬史に両親は一つだけ言葉を伝えた………人の道には反するなと。そのことを思い出すようにして冬史は答えたのであった。
「私の父と母………そして武の師範だ」
「そうよね〜」
孫堅の態度は相変わらず軽く受け流すだけだった。冬史は質問の意図が分からず困惑していた。だが、困惑よりも冬史の答えを聞き流す孫堅の姿に我慢の限界だった。
「文台様、いいかげんにし……」
「ねぇ、貴女の両親は一度も貴女のことを叩いたり、抱き締めたりしてくれなかったの?」
その語気を含んだ声をいなすように孫堅は問いかけたのだった。
両親は冬史のことをとても愛してくれていた。今でこそ武人として数々の立ち回りを演じるようになったが、幼いときは人見知りが激しく臆病な性格だった。そのため、夜一人で寝るのが恐くて、度々両親が寝ている寝室に忍び込んで一緒に寝ることが多かったのだ。そんな冬史を両親は怒ることなく、いつも暖かく迎えてくれた。その温もりの中で寝るのが幼い頃は大好きだった。
だが、そんな両親も人の道に外れた事をした時は本当に恐かった。父から何度、叩かれただろうか。そして決まって罰として食事が抜かれたり、誰か困っている者の手助けをさせられた。ただ、両親は冬史が食事を抜かれた時は同じように食べなかった。手助けをしている時は一緒に手伝ってくれていた。そして、冬史が反省して謝ると最後には抱きしめてくれた。
「そんなことあるわけがない!私の両親は幾度も叩いたり、抱き締めたりして私を愛して………ッ」
「ようやく、気付いたわね」
冬史は澪と孫堅が言わんとしたことに、ようやく気付いたのだ。自分が両親からしてもらったことの大切さを………。そして、皇子を任された自分は何一つ、してあげていなかった事実に………。
「しかし、私は漢の臣……」
「姐さん………」
冬史は皇子を任されたとのはいえ、大前提には漢の臣なのだ。漢の臣であったがために皇子と縁を持つことが出来た。それを捨て置いて皇子とは接することなど出来ないと考えていた。ある意味、この考えは義を重んじる冬史らしかった。だが、澪の目にはなんともいえない悲しみが広がり、孫堅はいらついていた。そして、冬史に詰め寄った。
「焦れったいわね!もう、あの子には母親はいないのよ!そして、父親は腑抜けで、祖母は立場が大事!だとしたら誰があの子を抱き締めて本気で叱ってあげるのよっ!」
「だが………」
その言葉を聞いても冬史の心は頑なだった。正確に表現するなら心は揺らいで葛藤していた。しかし、幼い頃より教え込まれた義の精神は、心の奥深くまで染みこんでいたのだ。そんな冬史に澪は自分が後宮で見た、皇子に対しての姿を訴えた。
「姐さん。なんで皇子があたしに懐いてたか知ってましたっすか?」
「………」
何も言葉を返すことが出来なかった。
「あたしは皇子に普通の街の子達と同じように接してたっすよ」
「………」
「初めて、皆の皇子に接する姿を見てで愕然としたっすよ。くっつかず、離れずの距離感っすよ。姐さんはそれよりましでしたけど、大事な時は同じだったじゃないっすか? だから、あたしは皇子に対して近所の子達と接するのと同じように接したんっすよ………、だから皇子はあたしになついたんですよ。姐さん、お願いっすから皇子に………」
澪の目には涙が溢れていた。どうか分かってほしいと………冬史だからこそ。
澪の気持ちは冬史には痛いほど分かっていた。だが、あと一歩が踏み出せなかった。
「……澪……。だが私……ッ!!」
その言葉は言いかけた瞬間、冬史の首には剣が皮一枚切ったところで止まっていた。それを手にする孫堅の目には冬史に対しての軽蔑や怒りといった感情が浮かんでいた。
「文台の姐さん」
驚いて澪が声をかけるも聞こえていなかった。孫堅は心底、冬史の態度に腹が立っていた。
「貴女、本当にむかつくわねっ!! もう、貴女にはあの子を任せておけない。いいわ、私が皇子を引き取って育てるわ!」
「なっ!!」
「どうせお忍びでしょ?だったら貴女達さえいなくなれば誰も分からないわよ」
「きさ……」
「動くな!! 動くと首が落ちるわよ」
「……ッ!」
冬史が動きかけた瞬間、孫堅は剣を握る手に力を込めた。そして、首から一筋の血が剣に伝ったのであった。そして、孫堅は最後の質問を問いかけた。
「あの世に行く前に答えなさい………皇子が大事?」
「当たり前だ!」
孫堅の目はどこまでも真剣であった。それに対して答えた冬史の心にまったくの揺るぎはなかった。
「それは王美人に頼まれたから?」
「ああ、我が真名と命に代えて誓った」
「ねぇ、皇甫嵩。あの子……、翡翠は貴女になんて皇子のことを頼んだの?翡翠が臣下としての貴女に頼んだの?」
「それは………」
冬史はその質問に言葉が詰まった。そして、今でも覚えているあの時の記憶を思い出していた。あの時、翡翠は自分に何て言っただろう………
(これは王美人としてではなく、この子の母親としてのお願いなの)
(大丈夫よ、義真。私の真名を預けれる貴女だからお願いしているの)
(ありがとう、冬史。伯和をよろしくお願いします)
あぁ、そうだった……。冬史は思い出した。
「翡翠様は母として私にお願いされました………」
「そうよね。翡翠は一人の母親として貴女にお願いしたでしょ?」
冬史の表情が変わったのを確認して剣を首から外した。
(そうだ、私は何を勘違いしていたのだろう………。翡翠様は皇子を臣下に託したのではなく、我が子を私に託してくれたではないか………)
その想いと同時に、冬史の頑な心は溶けていった。
「はい……」
「誰かに母親として子をお願いするってことはね、私と同じくらいその子を愛してほしいって意味なの。悲しんでる時は一杯抱き締めて、悪さしたらしこたま叩いてってことよ。その気持ちは母親なら皆一緒なの」
「文台様……」
孫堅は母の気持ちを伝えた。二人を脇で見ていた澪は今の冬史なら分かると思い、あの時のことを伝えた。
「姐さん、皇子が今回、襄陽行きを決めた時の内緒話っすけど。行かないと姐さんが余所に行ってしまうって嘘をついたんっすよ。そしたら頑なに拒否してた皇子がすぐに頷いちゃったんっす。きっと皇子が一番抱き締めてほしいのはあたしじゃなくて姐さんなんっすよ♪」
「澪……」
「もう、大丈夫みたいね」
最早、冬史の顔に迷いはなかった。
「至らぬ身で申し訳ありませんでした文台様。澪、すまなかった。そして、ありがとう」
ありのままの気持ちを二人に伝えた。すると澪はうれし涙を浮かべて冬史に抱きついた。
「姐さん、大好きっす」
「やれやれ、手のかかる娘だこと。皇子にもそこの子にも愛されてるわね♪」
「はい、私は幸せものです」
「だからこそ、貴女も愛してあげなさいね………精一杯ね」
「はい、文台様」
澪に抱きつかれながら笑顔で孫堅に答えた。暫く、澪にされるがままにしていたが、冬史はあることを思い出した。
「あと、つかぬこと聞いてもいいですか?」
「?」
孫堅は一瞬、きょとんとした。
「なぜ、王美人様………、翡翠様の真名を知っているのですか?」
「あぁ〜、それね。だって私とあの子が育った県は一緒よ。いつも私の後ろをついて歩いて来てたから……そう、まるで妹だったわ。だから、祭……って、黄蓋も知ってるわよ。勿論、木蓮も一緒よ。ちなみに木蓮の医師としての力を開花させたのは私なのよ♪」
孫堅は質問を聞いて、懐かしむように笑みを浮かべた。それを聞き、冬史と澪は目を見開いた。
「そうだったのですか!」
「ええ、そうよ。だから翡翠が後宮入りする時は、嫌な感がするから大反対したんだけどね。………でも、あの子聞かなくてね」
孫堅の表情が少しだけ翳った。
「文台様………」
「文台の姐さん………」
まだ、後悔していると感じた二人は何もかける言葉が見つからなかった。部屋の空気が一瞬重くなりかけたが、孫堅はそれを吹き飛ばすくらいの笑顔を浮かべて冬史に聞いた。
「って、しみったれた話でごめんね!あと、私からも質問していい?」
「なんでしょうか?」
「あの子は劉協皇子の真名を貴女に伝えれたの?」
「なぜ、それを!!」
「う〜ん、私の感なんだけどね」
冬史は少し考えて答えた。
「翡翠様付の侍女の話では木蓮との会話の中ですでに真名を決めてるという話があったみたいなのですが、私含め他者は聞いておりません」
「やっぱりね」
「文台様?」
どうやら自分の感が当たった。だから、贈ろうと……
「ここに来てくれて良かったわ。貴女に劉協皇子の真名を教えてあげるわ」
「ご、ご存じなのですか?」
「知ってるんっすか?文台の姐さん!」
冬史と澪はこれにはさずがに驚いた。思わず、孫堅に歩み寄った。
「ち、ちょっと、近すぎるわよ。まぁ、仕方ないか。――――ええ、知ってるわよ。劉協皇子の真名はね……」
「堅殿はおいでになられるかーーー」
「祭?ごめん、ちょっと待ってて」
それは祭の大きな声によって遮られた。しかも、若干の焦りを含んだ声だったため、孫堅は広間の扉を開けて声のした方に呼びかけた。
「祭、ここにいるわ」
「堅殿、大変じゃぞ!!」
孫堅を見つけ祭が、焦りの表情を浮かべて駆けつけた。その顔を見て広間にいる三人の顔に緊張が走った。
「何があったの?」
「た、大変じゃ。昨日、追っ払った賊が……」
「まさか?しかも、こんな日中に?」
さすがの孫堅も逃げ出した翌日の昼に賊が襲来するのとはあまり考えていなかった。襲撃があるとしたら夜から夜明けの間だと考え、警戒していた。
「そうじゃ、第一発見者は蓮華様なのじゃが……」
「蓮華が!? 蓮華は無事なの?」
「ああ、少し擦りむいているが無事じゃ。じゃが、賊から蓮華様に街に知らせるように逃がした男の子が取り残されてるようでな……」
蓮華の無事を聞いた孫堅は少し安堵した。だが、祭は冬史と澪の方を見て言いづらそうに話した。
「男の子?」
「で、その男の子の風貌が言い難いのじゃが、劉協皇子と一緒なのじゃよ」
先程、県の外より自分の名を呼びながら走ってきた蓮華のことを掻い摘んで伝えた。動揺している蓮華から何とか聞き出して、賊の襲撃と蓮華を庇って逃がしてくれた男の子のことを聞いて愕然とした。その男の子の背格好が昨日見た皇子と一緒だからであった。
「……ッ、そんなこと……皇甫嵩?」
孫堅はありえないと思っていた。何故なら、冬史と澪がいてそんなことは起こりえないからだ。だが、その話を聞いて冬史はすぐ行動した。
「伯和様、入りますよ!鍵が……ッ!お叱りはあとで受けます」
「姐さん!」
広間にけたたましい音が響き渡った。寝室の扉を何度か叩いたが返事がなく、内側から鍵がかけられていたため、冬史は扉を蹴破った。そして、寝室の中を見て愕然とした。
「なっ……」
「えっ、なんで皇子がいないっすか。………窓が開いてる………」
寝室はもぬけの空だった。しかも、窓が開け放たれており、薄手の布が窓枠に巻きつけてあった。それを見て冬史はかなり動揺した。
「まさか……、って、待ちなさい!」
「文台様!離して下さい。伯和様が………」
寝室から踵を返して走り出ようとした冬史を孫堅が咄嗟に抑えた。
「皇甫嵩落ち着きなさい!…………落ち着いたわね?」
「すいません」
孫堅が一喝した。その声で冬史は少しだけ落ち着きを取り戻した。それを確認して祭に訊ねたのだった。
「祭、蓮華はどっちから来たって?」
「街の東の河原のじゃよ」
「このことは兵には?」
「いや、詰所に行く途中に立ち寄ったからまだじゃ。蓮華様はわしと一緒にいた雪蓮様や冥琳に預けて先に向かわした」
「わかったわ。じゃあ、祭あなたはそのまま詰所に行って兵を指揮して東に来て。雪蓮と冥琳は蓮華に付いて、街の防衛の指揮を取るように」
「わかった、堅殿は?」
「私はこの二人と一緒に先に皇子の元へ向かうわ!」
「け、堅殿、それは無防……」
相手の数が把握できてないないのにと言いかけた。
「祭、わたしの命に従いなさい!いいわね?」
「了解じゃ、すぐ堅殿の元へ駆けつけるから無理するでないぞ……、では」
その顔を見て無理と判断した祭は兵を指揮するためにすぐに広間から走り出した。
「ええ、頼んだわ祭!では、私たちも行くわよ!」
「はい!」
「はいっす!」
祭の背中に続くように孫堅は走りだした。それに冬史と澪が続く。宿から出た三人は遥か先に見える東の森を目指して通りを駆け抜けていった。
「こっちよ」
(伯和様………翡翠様、どうかお守り下さい!この命に代えても……)
(ようやく姐さんがわかってくれたっすのに………皇子、いま行きまっすからね!)
(守ってあげれなかったあの子と同じには絶対にさせない!)
冬史、澪、孫堅はそれぞれの想いを心に秘め、要の元を目指した。
読んで頂きまして、ありがとうございます。
いよいよ、次回は賊との邂逅になります。
お楽しみに。




