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真・恋姫†無双〜後漢最後の皇帝   作者: フィフスエマナ
第二章 伝えられなかった真名
23/31

知らされた事実

お待たせしました。完成しましたので投稿します。

また、次話と分割しましたので、次話はかなり短くなっています。


それと村の呼び方では規模があいまいで表記が難しいので、当時の行政区分の表記を利用することに致しました。


里………だいたい百戸の家が集まった村のことを一里。

郷………十里を一郷と呼びます。

県………郷が複数集めたものを県と呼びます。

郡………県を複数集めたものを郡。

州………郡を最終的に管理するのが州です。


中には諸説あるものもありますが、細かい所は気にしないで下さい。


それではお楽しみ下さい。







長沙から北に馬で一日の距離にある県の入り口で三人の女性が声をおとして話していた。三人とも見た目麗しい女性だったが、どこか近寄りがたい雰囲気をしていた。


「と、いう訳なのだ」


冬史は襄陽からここに行き着くまでのことを掻い摘んで話し終えた。孫堅と祭はどこか複雑そうな表情で冬史の話しを聞いていた。そして孫堅が口を開き確認をしたのである。


「つまり、県長の王に会いに来たと……」

「県長……?孫文台様、たしか王美人様のお父上は県令では?」


翡翠の父である王伯淳を県長と呼んだため、口を挟んだのであった。

この時代、家が百戸集まれば、一里、一里が十集まれば、一郷(千戸)、郷が複数集まれば県、県の長を県長という。また、郷が十以上集まれば県令、県が複数集まれば郡、その長を(郡)太守という。そして郡を統括するのが州、その長を州牧という。

口を挟まれたことを特に気にした様子もなく孫堅は答えてのであった。


「あ〜、それね。中央は県令なんて呼んでるけど、ここら辺って昔から江賊の被害が多かったから多くの民は北に移住していったのよ。まぁ、王伯淳が赴任してからだいぶ被害もなくなったのだけど、それでも四郷前後しかいないのよ。だからね、私たちは昔から県長と呼ぶのよ」


官職名だけ立派で実際の職はそれに見合っていない官職など地方ではよくあることだった。


「そうだったのですか」


洛陽の都以外の任に着いたことのない冬史は地方の実情をあまりよく知らなかった。そんな世間知らずとも言える冬史の反応に、孫堅と祭は少しだけ苦笑していた。だが、すぐ何かをかみ締めるような表情になり孫堅は伝えたのである。また、祭も同じような表情をして目を失せたのであった。


「ええ、それと申し訳ないんだけど、貴女達の目的は叶わないわよ」


冬史の身は瞬間的に強張った。その言葉は冬史の頭の中で何度も反復していた。孫堅の言葉が正しければ、この旅の目的が否定されたからであった。そして思い当たる節があったのだ。


「どういう訳ですか、孫文台様!」


その考えを振り払うように孫堅に詰め寄ったのである。


「………死んだのよ」


孫堅は、短かいがはっきりと冬史の耳に聞こえる声で伝えたのであった。そう、翡翠の父親の王伯淳が死んだと……


「………ッ!!」


それを話した本人のいたたまれない表情を見て、冬史はその場で凍りついたのだ。それはさっき振り払った考えと同じであったからだ。冬史が動揺しているのが手に取るように分かっていたが、孫堅は話を続けた。


「死んだ………。違うわね、殺されたのよ。この惨状を見て分かると思うけど、夜明け前に賊に襲われたのよ。先日、柴桑で発生した賊を官軍が取り逃がしてね、国境を越えて長沙まで流れてきたのよ。すぐに私も兵を率いて半分近くは討伐出来たんだけど………、分散して逃げてた奴の一部を取り逃がしたのよ。そして、長沙に引き返してる最中に緊急の知らせが届いてすぐ駆けつけたんだけど………間に合わなかったの。………ごめんなさい」


その声にはどこか自分を責めているような含みがあった。事実、孫堅は間に合わなかったが、真実は少し違っていた。

柴桑で賊を取り逃がした官軍の将が自身の失態を隠すために長沙側にその事を伝達をしなかったのであった。それにより、孫堅が賊の存在を知ったのは国境に配備していた自らの兵の全滅の知らせによってだった。その知らせを聞くと、すぐに手勢を集めれるだけかき集めて討伐に向かったのだ。その甲斐あって領内深くまで賊に進入されずに済んだのだ。

しかし、余裕をもって兵の準備が出来たわけではなかったので、自ずと相手に出来る賊は限られてしまう。また、孫堅に恐れをなした賊の頭が早い段階で逃げ出したため、賊達は蜘蛛の子を散らすように分かれて逃げてしまったのだった。その一部がこの村を襲って、孫堅が駆けつけたのを知るとまた逃げ出したのだった。


「力不足ですまぬ、皇甫嵩殿」


一通り話しが終ると、祭も頭を下げた。だが、今の話を聞いて冬史は孫堅だからこそ、この程度の被害で済んだのだと思った。自分なら絶対に同じことは出来ないだろうと。そして聞いた話では、この県の死傷者も翡翠の父が住民を逃がすために善戦したので、夜明け前に襲われたのにもかかわらず、驚くほど少なかったのである。だが、それに引き換え駐留していた兵はすべて殺されてしまっていた。それは最後まで残っていた翡翠の母や使用人達も同じであった。


「黄蓋殿、孫文台様が悪い訳ではありません。寧ろ、孫文台様と王伯淳様の手腕があったからこそだと思います。責められるべきは賊であり、それを知らせなかった者達です」


冬史はやるせない気持ちで一杯だった。


「申し訳ないのですが………、王伯淳様と奥方様のご遺体は……」


正直、言いたくなかったが、要に見せる前に自身で確認しなくてはとの思いで口に出すことができた。


「案内するわ。こっちよ………」


孫堅は沈んだように答えて案内をした。その姿は先程、戦っていた人物とは別人のようだった。冬史がそれに続き、その後ろには祭が続いていた。

しばらくすると周りよりも少し大きな建物が見えてきた。それと同時に風に運ばれて血の濃い臭いが鼻につき冬史は顔をしかめたのだった。そして、更に進んだところで目を見開いて立ち止まった。辺り一面に血溜りの後が広がっていた。いや、正確に言うならば建物の壁にどす黒い血の後がいくつもあり、それが地面に広がって大きな血の海の後を作っていたのだ。冬史はここが最後まで抵抗をした場所だと分かった。

建物の中に入って絶句した。その凄惨な室内に胃の中身が逆流しかけたが、何とか押さえこんだ。そして冬史は絶対に要には見せてはならないと決めたのだ。

その考えは孫堅も祭も同じであった。その後、孫堅は自らの手で建物に火を放った。火が建物の広がったのを確認すると冬史は孫堅と祭に要を迎えに行くと伝え、二人が隠れている林に急いだのであった。だが、その馬の歩みは心なしかゆっくりであった。





要と澪は約束の刻になっても戻らない冬史のことが心配だった。すでに要の顔には不安がありありと浮かんでいた。澪が不安を拭い去ろうと色々努力したが、その努力は実ることなく、ますます要の口数は少なくなっていったのだった。澪も本心では冬史のことを心配していたが、帰らぬ者を心配するよりも、守るべき者のことを優先さるため、気持ちを切り替えていた。


「伯和様、姐さんとの約束の刻は過ぎております。一旦、船着場まで引き返し、そこで待ちましょうっすね」


このままでは夕暮れまえに船着場に戻ることが難しくなるため、苦渋の決断を伝えたのである。


「………」


その言葉を聞き、要の表情は固まった。そして消え去りそうな声で伝えたのだ。


「もう、少しだけ……」

「……しかし、っすね」

「お願い。あと、少しだけ………約束したから」


澪は珍しく曇ったような表情をしたが、何かを考えるように沈黙して大きく息を吐いた。


「じゃあ、あと少しだけっすよ。けど、それで姐さんが戻ってこなければ船着場まで戻りまっすよ。伯和様、約束っすよ?」

「うん、約束する。ありがとう、公偉」


要は澪を見上げて何度もお礼を伝えた。


(あ~あ、私もこの笑顔には弱いっすね)


要を見つめながら澪は心の中で苦笑していたのであった。そして、すぐにでも移動できるようにと、馬の準備に取り掛かっていた。その最中に遠くに帰って来る冬史の姿が見えたのであった。

要と澪は待ち焦がれた人物が間近に近付いた瞬間、駆け寄る足を止めてしまったのだった。冬史の着ている服は所々破けていて、髪の毛はほつれ土埃がついていたからであった。一見して澪は戦いがあったことを察していた。要は冬史の変わりように驚いていた。

冬史は要を見ると一瞬難しそうな顔をしたのが、すぐに優しい顔に戻したのである。


「伯和様、遅くなりました。ただいま、戻りました」

「義真、おかえり」


その顔を見て嬉しくなって要は抱きついたのであった。冬史は少しだけ驚いたが、すぐに下半身に抱きついている要の頭を優しく撫ぜた。そして、冬史は伝えねばならないこと伝える決心をして、腰を屈めて話を切り出したのだ。その話しを聞いていく内に要の顔は笑顔から凍りついたように青ざめていったのであった。


その後、冬史が要と澪を連れて孫堅が待つ県に戻ったのは、空が茜色になった頃であった。





冬史は事前に聞いていた県の一角にある建物へ要と澪を案内するように馬を進めていた。要の存在を知られないために臨時の詰め所とは別に用意しされた場所であった。その建物の前で孫堅が祭を連れ立って方膝をつき出迎えたのだった。そして、澪に手伝ってもらって要が馬から下りるのを確認すると、孫堅は臣下の礼を取り語りだした。


「劉協皇子、お初にお目にかかります。我が性は孫、名は堅、字は文台と申します。不肖な身ではございますが、長沙の太守をお預かりしてる者でございます。以後、お見知りおきを………。また、此度の件に関しては私の力不足でございます。まことに申し訳ございませんでした」


孫堅は臣下としてではなく、本心から要に詫びたのであった。その言葉に含まれる気持ちは要以外に痛いほど伝わっていた。また、孫堅が本心でここまで詫びたを祭は見たことがなかった。


「………」


しかし、謝罪された本人は無言であった。その表情はどこか虚ろである。一瞬だけ孫堅と目が合ったが、すぐ焦点がずれたように呆然としていた。


「伯和様?」


その態度を見かねた冬史は、心配そうに話しかけたのである。


「……コク…」


要はただ頷くだけであった。

先程、翡翠の両親のことを話した後からこうなってしまったのだ。たが、それはしかたなかった。せっかく亡き母親の両親に会える直前でその機会は永遠に失われてしまったからだ。また、楽しみの気持ちが大きければ大きいほど、その反動は大きい。それはここにいる誰もが分かっていた。そのため、これ以上は無理と判断した冬史は失礼のないように伝えたのである。


「孫文台様、申し訳ありませんが、伯和様は少し動揺されていまして……」

「ええ、わかってるわ。今日の宿はあたし達で用意したからそこで休んで。一応、古い知り合いってことにしてるから、よろしくね」


その問いかけに、最初から承知済みだと言わんばかりに今後のことを伝えたのであった。


「ありがとうございます」

「祭、案内してあげて」

「了解じゃ、堅殿。伯和様、義真殿、公偉殿、こっちじゃよ」


祭は要達を宿まで案内するために先導した。


「皇子、それでは行きましょうっすね」

「……コク…」


そして、要の手を澪が握るのを確認すると孫堅に目で合図して歩みだしたのであった。冬史と澪も孫堅に軽く会釈をして、それに続いた。その要の後ろ姿を見送った孫堅はまるで我が子を心配する母親のような顔をしていたのだった。





「祭、ありがとう」


孫堅は臨時の詰所で案内を終え帰ってきた祭を出迎えていた。


「お安いご用意じゃよ」


祭は孫堅の労いに胸を張るように笑顔で答えたのであった。


「しかし、劉協皇子とこんな場所で会えることになるとは、さすがに驚いたわい」

「ええ、私もびっくりしたわ」


孫堅もそれには同意だった。


「じゃが、皇子は無口じゃの。たしか堅殿の真ん中の娘と同じぐらいじゃろ」

「蓮華の方が2つだけ歳上だけどね」

「それにしても全く違うもんじゃな。あながち宮中の噂通りかもしれんな……」



孫堅の次女、蓮華は七歳と幼いが、母や姉に負けずとの意気で、日夜努力している姿を祭はよく見かけていた。幼いなりに、立派な孫家の上に立つ君子とならんとする姿はなかなかのものだった。だが、先程会った皇帝の御子はどうだろうか?漢の行く末を担う者だが、比べるまでもなく君子たる者の気配すら感じられなかった。たしかに五歳と幼いが、主の長女や次女の五歳の時と比べれば雲泥の差であった。だから宮中から伝わった噂話は本当ではないかと思っていた。

また、祭は襄陽での要の実情をほとんど聞いていなかったのであった。劉表は文化人であり、武人を野蛮な者として見る節があったので、あまり孫堅との関係は良好ではなかったのだ。そのため、襄陽での要の姿はここ長沙地方には伝わっておらず、祭が知らないのは当然であった。もし、聞いていれば評価は違ったかもしれない。それは孫堅も同じであった。

だが、孫堅の感想は祭のそれとは全く違っていた。その表情に気付き祭は訊ねたのだ。


「ん、堅殿?」

「祭には悪いけど、私はたぶん違うと思うわ」


孫堅は少しだけ考えて真剣な表情で伝えたのであった。


「何故じゃ?」


祭は興味深い目をした。


「う〜ん、何故かを理屈で説明するのは難しいのだけど……」

「もしや、感か?」

「そうよ、私の感がそう言ってるわ♪」

「そうか、そうか。堅殿の感はよく当たるからな。じゃったら見物かもしれんな」


孫堅の直感。その言葉を聞き祭は納得していた。通常の人間の感などはあてには出来ないが、ことこの主に関して言えば全然違うのだ。この感があるからこそ、主は幾多の戦闘で生き残り、謀り事にも負けることなく、今の地位を手に入れることが出来たのだ。それは元服前から付き従っている祭には十分よく分かっていた。

祭の視線を感じながら孫堅は、先程、要と目が合った時の事を思い出していた。あの一瞬、要の目の奥には悲しみではなく悔しさの感情が浮かんでいたのだ。普通、五歳の子ならあの状況であの感情は有り得ないと孫堅は思っていた。まして宮中から伝え聞く人物なら尚更だと。だから孫堅は今の要は噂とは違うと感じていた。それにもう一つだけ理由があった。


「そうね。それにあの子は………翡翠の子だからね」


そう、この理由が一番大きかったかもしれない。あの妹のような子。………翡翠の血を引く子ならそうはならないと思っていた。孫堅の顔には懐かしむような、悲しいような、何とも言えない表情が浮かんでいた。今までただ一度、本心から外れて欲しかった自分の直感。


「あぁ、そうじゃったな。たしかに皇帝の子であると同時に、あの娘の子じゃったな。失念しとったわ。ほんに芯の強い子じゃったな」


祭も孫堅と同じような表情をして答えたのであった。


「ええ。翡翠も木蓮も、けしてあんな死に方をする娘達じゃなかったわよ!」

「ほんに残念じゃったな。気のいい娘達じゃったのに………。すまんな、しみったれてしまって」

「大丈夫よ。でも、翡翠の子だけは平穏に生きてほしいけど、宮中にいる以上は………」


翡翠と木蓮の死を伝え聞いた時、孫堅は深い悲しみと悔しさに囚われていた。事前に防げなかった自分に対して。そして、事件の詳細が明るみになり、それを聞いた時、孫堅は激情に駆られ誰も近づけなかったのだ。その怒りの矛先を向けられた賊達の末路を見れば、孫堅の怒りのすさまじさが一目で分かった。

それは今でも続いている。そのため、孫堅は宮中を毛嫌いして距離を置いていたのであった。だから冬史から宮中の言葉を聞いた瞬間、あそこまで反応したのであった。いや、孫堅だけでなく、昔から仕えている臣下で翡翠と木蓮を知るものは等しく同じ気持ちだった。

祭は、よく自分と主の後ろを着いて来ていた二人の姿を思い出していた。いつも明るい笑顔でいた子。人一倍、我慢強かった子。主同様、その娘の子には平穏に生きて欲しいと思っていたが……


「じゃな、可哀想だけど……堅殿?」


祭は扉の向こうに人の気配を感じで問いかけた。


「ええ、気付いてるわよ。………出てきない、雪蓮!」


孫堅は笑顔で祭を見て、扉の向こうでいる気配に鋭く言い放った。扉の向こうで一瞬、びくっとしたような気配がした後、扉が開けられた。


「なんで分かったの母様?」


雪連と呼ばれた少女は驚いた顔をしながら部屋に入って来た。見た目は孫堅や祭と同様にかなり露出度の高い赤い服に身を包んでいた。顔立ちは孫堅とよく似ていたが、まだ年頃の娘っぽい雰囲気を残していた。ちょうど少女から大人の女性になる途中であることが伺える。


「ははは、まだまだ気配が消えてませんでしたぞ、策殿」


完璧に気配を消していたと思っていた雪蓮に祭が笑いながら答えた。彼女は孫堅の娘で、名は策、字を伯符、真名は雪蓮という。驚く自分の娘を見ながら、まだ扉の向こうにある気配に向かって孫堅は声をかける。


「その通りよ雪蓮。って、後ろにいる子達も出てきない」


その声を聞き、更に扉の向こうから二人の人影が出てきたのだ。


「申し訳ございません、文台様」


一人は雪蓮と同い年ぐらいの娘で、やはり露出度の高い朱色の服で身を包んでいた。心なしか雪蓮より発育がよく、すでに成人女性に劣らない体付きであった。また、眼鏡をかけたその顔立ちは秀麗で賢そうだった。だが、雪蓮のあっけらかんとした雰囲気とは違い、こちらは真面目そうな雰囲気だった。そのため、断りもなく来たことを謝罪しながら部屋に入ってきたのだ。彼女の姓は周 名は瑜 字を公瑾 真名は冥琳という。


そして、続いて入って来た人物を見て、孫堅は目を見開いて驚いた。まさか、ここに来るとは思わなかったからだ。


「えっ!? 冥琳だけじゃなくて蓮華も来てたの?」

「はい、おかあさま………」


彼女は孫堅の真ん中の娘で、名は権、字を仲謀 真名は蓮華という。顔立ちは可愛くあどけなさを十分残した優しい雰囲気の少女だった。また、体付きは子供だったが、こちらも露出度の高い服で身を包んでいた。先程、祭が要の批評をした時に比べたのがこの七歳の少女だった。部屋に入って来た少女の顔は怒られる前の怯えた子供であった。


「………はぁ〜、雪蓮どういうことなの?」


孫堅はため息を吐き出し、雪蓮を一睨みして訊ねた。その顔は言葉以上に有無を言わさなかったため、雪蓮は思わず一歩下がった。


「お、おかあさま。ねえさまは悪くありません。わたしがねえさまに無理を言ってつれて来てもらったんです」


目を合わせている二人の横から蓮華がおどおどしながら、事情を話して謝ったのであった。


「ごめんなさい、母様。でも、蓮華もしばらく母様に会ってなくて寂しそうにしていたから………」

「そう、冥琳も認めたのね?」

「本当に申し訳ありません」


雪蓮と冥琳も無断でここに来たことを謝ったのだ。


孫堅は柴桑から流れてきた賊が分散して逃げたため、討伐に領内を転々としていて彼此一月以上は長沙に帰っていなかった。ここまで帰らなかったのは娘達が生まれてから初めてのことであった。また、賊の知らせが唐突すぎて一人でも多くの兵と指揮官が必要だったため、元服前の雪蓮と冥琳の二人とほとんどの兵を連れて城を出て討伐に向かったのであった。

勿論、領内の臣下には兵を率いて城の守りを固めるようにと伝令を送っていたので防衛に関しては問題はなかった。だが、一歳半の小蓮と一緒に残された蓮華は不安だった。最初こそは小蓮の面倒を健気にも見ていたが、時折耳にする伝令のあまり良くない報告や、駆けつけて来た臣下達の物々しい雰囲気を目にして不安が募っていったのだった。そして、一足先に帰ってきた姉達から孫堅が明日の朝に帰って来ると聞かされて喜んだのだ。その晩は起きたら母様に会えると思い楽しみにして眠りについたのであった。

だが、王伯淳からの火急の知らせを聞きつけた、孫堅は長沙の手前で進路を変更したため長沙には戻らなかったのであった。また、その知らせを聞いた城内の重臣達の間にも不安が広がっていた。それは今まで孫堅の素早い対応で領内の被害がほとんどなかったからだった。そして、襲われた場所は長沙から僅か北に行った所にある県で、目と鼻の先であった。

朝起きて、母様に会えないと聞いて落ち込んでいた蓮華にとってその話しは、不安を募らせるだけにしかならなかった。もう、蓮華の心はそれに堪えることが出来なかった。母様に会いたい……そう言って姉達に泣きついたのだ。今まで聞き分けがよく、あまり我が侭を言うことのなかった蓮華のその姿を見て雪蓮は驚いた。色々考えて結果、母様が県から賊を撃退したことを聞いていたので、姉として妹の望みを叶えてあげようと心に決め、冥琳を見たのだ。冥琳も最初こそは反対を口にしていたが、蓮華の儚げな姿を見て思わず頷いてしまったのだった。その後、三人は城下へ出かける素振りをして城を抜け出してここまで来たのだった。


「はぁ〜〜〜」


その話しを一通り聞いて、孫堅は大きく息を吐いた。


「母様?」

「おかあさま?」

「文台様?」


雪蓮、蓮華、冥琳が思わず声をかけた。孫堅は母親としては子供達の気持ちがとても嬉しかった。だが………


「貴女達!!何を考えてるのっ!雪蓮や冥琳は初陣を済ませたからといってここは子供の遊び場じゃないのよっ!!」

「………びくっ!!」


孫堅の怒気を含んだ鋭い声が部屋中に広がった。ここまで自分達に怒った姿を見たことがなかった三人は、その声を聞き一気に竦みあがった。


「け、堅殿?」

「祭、口出ししないで!!」


祭が思わず宥めようと声をかけたが、それは一刀の元に斬り捨てられた。そして、孫堅は雪蓮と蓮華を見て激しく言い放った。


「雪蓮、蓮華!もっと自分が孫家の上に立つ者として自覚しなさい!もし、道中で何かあったらどうするの!そして、私にもしものことがあったら誰が孫家を継ぐの!まだ、小蓮は小さくて孫家は崩壊するわよっ!」


孫堅の怒りは当たり前のことであった。長沙からここまでの街道は比較的に安全だったが、その先にある県が賊に襲われた以上はもはや街道は安全ではなく、いつ賊が現れてもおかしくないのだ。賊如きに後れを取るつもはないが、討伐中は自分の身にさえ何が起こるか分からない。最悪、自分と同時に娘達も落命することだって状況的にはありえたのだ。そうなると、残されるのは長沙にいる二歳にも届かない小蓮だけだ。いくら孫家に忠義を尽くしてくれている臣下達とはいえ、一度に主と後継者の二人を亡くせば、必ずそこには綻びが出る。その機会を官を売り買いする宮中の者達が逃すわけはない。そうなれば、二歳にも届かない羊に率いられた獅子の群れなど一瞬で崩壊する。一番上の娘はそれを分かっている。なのに破ったのだ。孫家の上に立つ者として軽率過ぎる行動を孫堅は許せなかった。その怒りは横で青ざめている冥琳にも向けられていた。


「それは冥琳、あなたもよ!貴女は雪蓮の断金であり、対になる孫家の柱石なのよ。そんな貴女にもしものことがあったらどうするのっ!」


孫堅は冥琳にとても期待していた。それは単に名家周家の令嬢だからではなく、一人の人間として高く評価していたからであった。若いながらも政や軍略にここまで長けた者を孫堅は見たことがない。自由奔放な性格の自分の娘と異なる性格なのによく馬が合っていて、二人とも才気に溢れている。雪蓮と冥琳の二人の両翼が揃えは孫家はどこまでも高みを目指して飛んでいけると感じていた。また、雪蓮は自由闊達で孫堅以上に感で動くため臣下達の言うことを全く聞かないのだ。そんな雪蓮に諭すことが出来るのは孫堅を除けば冥琳しかいない。冥琳は雪蓮の対になる存在であり、今後の孫家には無くてはならない柱石なのだ。その片翼が失われれば孫家は飛ぶことが出来なり、いつか雪蓮と臣下達の間に歪が生まれることになるのが見えていた。だからこそ、普段は冥琳に対しては怒ることのない孫堅は怒っていたのだ。


「ごめんなさい、母様」

「文台様、本当に申し訳ございませんでした」


雪蓮と冥琳はうな垂れながら孫堅に謝った。


「……ぐすん…おか…あさま……ごめ…んなざ…い…」


蓮華は泣きながら怒る母に謝っていた。


「次からは気を付けなさい!わかったわね」


そんな三人を見下ろす孫堅の目はどこまでも厳しかった。


「はい、母様」

「わかりました、文台様」

「…ひっく…はい」


雪蓮と冥琳は神妙な面持ちで返事をして、蓮華は泣くのを堪えながら返事をした。


「ほらほら、いつまでも泣かないの蓮華」


三人の返事を聞いた孫堅の顔にはすでに怒りはなくなっていた。そして、泣く連華にあやすように優しく話しかけた。顔を上げた蓮華の目に写ったのは普段の厳しくて優しい母の姿だった。


「おかあさま〜」

「よしよし、可愛い顔が台無しよ蓮華」


その母の姿を見た瞬間、蓮華は母に抱きついた。そんな娘の頭を優しく撫でながら孫堅は孫家の長ではなく、母親としての表情を浮かべ三人に優しく語りかけた。


「孫家の長に立つ者としては許せない行動だけど。………でもね、貴女達の母親としては来てくれてすごく嬉しいわ」


怒りも本心であったが、これもまた孫堅の本心であった。


「母様♪」

「文台様」


「やれやれじゃな……」


雪蓮は自分と一緒に駆け寄る冥琳を巻き込みながら孫堅に抱きついた。そんな親子たちを見ながら祭はほっと胸を撫で下ろしていた。


(雪蓮、冥琳、蓮華、いつもは無理だけど甘えられる時だけ、一杯甘えなさい。そして、いつか家族を作って今度はそれをあげなさい。家族はいいものよ、貴女達もいつか私の気持ちが分かるわよ)


孫堅は娘たちを抱きしめながら心の中でそう語りかけていた。

この娘たちの存在があるからこそ自分はどこまでも強くなれる。どんな状況に陥っても諦めることなく娘たちの元に帰ってこれると。この娘たちにとって母親として無くてはならない存在だが、同様にこの娘たちの存在は孫堅にとって無くてはならない存在であり安住の地なのだ。


ふと、かつて同じような気持ちを感じさせた者を思い出していた。


(翡翠………。そういえば劉協皇子はどうなのかしらね。明日、聞いてみようかしら………)


皇子達が泊まっている方向を見ながら、母を亡くした幼子のことを考えていた。



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