冬史の苦悩
新章の第一話が完成しました。
まだまだ、執筆中ですが先に一話目だけを投稿しておきます。まだ、この章では大きな動きはありませんのでお手柔らかにお願いします。今のところ、次章から色々と動きが出る予定です。
お楽しみ下さい。
(伯和皇子……)
漢帝国、首都洛陽は後宮のある自室で、義真こと冬史は翡翠からお願いをされた皇子の件で悩んでいた。その悩んでいる姿にはどこか疲れたような陰のある顔をしていた。
何皇后による王美人毒殺の報が大陸を賑わかした、あの事件から五年が過ぎていた。年が過ぎるにつれて事件の記憶は人々から薄れていき、すでに事件は過去のものとなっていた。
しかも、あろうことか事件の当事者である何皇后は、廃されることなく皇后のままでいた。
さすがに、宮中のその決定にあんまりだと思い、冬史は主の董太后に直訴したが取り合ってもらえなかった。しかし、珍しく食い下がる冬史の気持ちを察した董太后は他言無用との約束をさせて、宮中でのやり取りを冬史に聞かせたのだ。
それを聞き、宮中の腐敗が進んでいることを知ったのと同時に、董太后が事件後しばらく機嫌が悪かった理由がようやく分かった冬史だった。その後、董太后から正式に劉協皇子の専属警護を言い渡されたのだった。
しかし、警護初日から皇子に異変があることを冬史は知ってしまったのだ。
あんなに明るく笑っていた皇子が全く笑わなくなったのである。
しかも、笑わないだけではなく、泣き声をあげることすらなくなってしまっていた。
すぐに董太后付きの医師に診察をしてもらったが原因はよく分からなかった。また、病気とか前兆も見られず、乳母の乳もしっかり飲むことから翡翠様を亡くしたことによる一時的なショックでは?と医師は結論付けてしばらく様子見になったのである。
自分に何か出来ることはないかと思った冬史は、よく非番の日に姉妹や兄弟のいる同僚や引退して子を産んだ上司のところに足を運び相談していた。そして、教えてもらったことを試行錯誤して色々と試してみたが幾日過ぎても皇子が笑うことはなかったのだった。
一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、一年が過ぎたが皇子が一向に笑うそぶりはなく、寡黙な赤子になってしまっていた。引き取られた頃は皇子の後見人の董太后に恩を売ろうとした宮中の人間の出入りが多かったが、皇子の異変が宮中に知れると少しずつその数は減っていき、一年が過ぎた頃には誰も来なくなっていのだ。
それは董太后の宮殿内で働いてる人間も同じだった。
董太后も最初は頃は何度も皇子の元に足を運んでいたが、笑わない皇子に少しずつ足が遠退き、今では無理に時間を作ってまで会おうとしなくなっていた。また、侍女達もいつになっても泣き声すらあげない皇子を気味悪がっていた。そのため、今では皇子の世話をする侍女は必要最低限の人数しか配置されなくなったのだ。ただ、冬史もその頃には一向に笑わない皇子に対する無力さを痛感していたため、侍女達に何も言えなかったのである。
そして、事件から5年経つ今日もそれは同じだった。
(翡翠様。本当に私に任せて良かったのですか…)
冬史は疲れた表情で答えのない自問自答をしていた。最近では皇子のことを考える時は必ずといっていいほど心の中で呟いていた。
「はぁ〜。どうにか出来ないものかな」
深いため息と同時に思わず声が漏れてしまった。それはこの五年間、ありとあらゆることを試した結果の答えだったかもしれない。
(私は無力だな…)
気分が憂鬱になりかけた時、部屋の扉が強く叩かれたのだった。
すぐに気を取り直して背筋を正して返事をした。
「どうぞ、入ってくれ」
入室を認めると一人の侍女がよそよそしく入室してきた。ただ、その顔は真っ青だった。
(またか…)
侍女の顔を見て、冬史も背筋を正した体から力が抜け疲れた表情に戻ってしまったのだった。内心では侍女の話しを聞きたくないと思っていたが、なんとか重い口を開けて侍女に訊ねた。
「またなのか?」
「はい、申し訳ありませんが…」
「わかった…、すぐ行く」
予想通りの侍女の答えにどこか疲れたような声で冬史は返事をしていた。
冬史が察した答えとは皇子の…そう、また皇子が癇癪を起こしたからだった。
実は、三年ほど前から皇子は癇癪を起こすようになっていた。
最初は幼子特有のうまく言葉で感情を表せないことの表れだと誰もが思ったが、どうやら違っていたらしい。それは年々、癇癪を起こす頻度が増え五歳になった最近では二、三日の割合で度々、癇癪を起こしていた。しかも、しっかり言葉を話せるようになってから癇癪を起こす度に、それとなく原因を聞いみたのだが皇子は睨みつけるだけで何も答えてくれないのだ。
この話も噂となり宮中に広がり、いつの間にか洛陽の街まで広がっていた。それを聞いた人々は初めは母を亡くしたことが原因だろうと思い、皇子に同情的な見方が多かったが、その状況が長いこと続くと様変わりしてしまったのである。そのため、今では宮中での皇子の評判は一番底まで落ちていたのである。
これは董太后も同じであった。
最近では引き取ったことを後悔してると側近に漏らしているとの噂を耳にしたが、冬史自身もそれを確認するのが恐くて直接董太后に聞けないでいた。
いずれは大陸全土にもこの噂が広がるだろうと思っていた。
もし、そうなれば諸侯はここぞとばかり宮中の責任を問うだろう。そして、もっと言えば董太后の後見人としての責任も問われることになるだろう。霊帝の長子たる劉弁皇子がいる以上、董太后は皇子のことを手放して有力諸侯の誰かの家に養子に出さざるおえないだろう。勿論、迷惑料として莫大なお金をつけた実質的な宮中からのお払い箱…地方での軟禁だ。
これが最近の冬史の一番の悩みの種だった。しかも、ことこの事に関しては誰構わず相談してもいいものではなく悶々としていたのである。そんなことを考えながら、皇子の部屋に近づくと投げた物が何かにぶつかる大きな衝突音が辺りにに響いていて、部屋の前にはそれを聞いた侍女達が集まっていた。そんな侍女の一人が冬史を見るとすぐに周りの侍女達に伝え、冬史に道をあけた。
「見世物ではないぞ!各自、自分の仕事に戻れ」
冬史は少し強めに言葉を発し、侍女達もそれを聞いて自分の仕事に戻っていった。このやり取りも癇癪を起こす度にしているため、特に侍女達も冬史の態度を気にした様子はなかったのである。
部屋の扉の前に立つと、室内から物を投げた音と窘める侍女の声がより鮮明に聞こえてきた。
冬史は一息吸うと背筋を正し扉をゆっくり開けた。
びゅん
(……ッ!)
私は少し目を見張った。扉を開けて入室しようとした瞬間、いきなり顔の横に積み木か何かが飛んできて、すぐ横の扉に当たってけたたましい音をたてたからである。私の入室を見て、部屋で一人おろおろしていた侍女は助かったとばかりの表情を浮かべていた。
(やれやれ、私の気も知らないで…まったく)
侍女の態度に内心毒気づいたが、すぐに部屋を確認して隅にいる皇子の元へ足を進めることにした。そんな近寄る私を見て皇子は周りにある物を手足り次第に掴んで投げてくる。
びゅん
びゅん
びゅん
しかし、皇子には申し訳ないが所詮は子供の力で投げるそれに当たるほど、やわな鍛え方はしていない。そのため、皇子の元に近づく頃には皇子の周りには投げる物がなくなっていていたのだ。それでも顔を真っ赤にして睨みつけてくる皇子の目の前まで近づいた私は、膝を落として皇子に目線を合わせて極力優しく言葉を紡いだ。
「皇子、侍女も恐がっております。もうおやめ下さい」
「………」
「今日は何があったのですか?良ければ教えて頂けませんか?」
「………」
「皇子」
「………」
「わかりました、答えて頂けないのですね。ただ、無闇に人に対して物を投げてはいけませんよ」
「………」
「それだけはわかって下さい」
今日も何が原因かは教えてくれなかった。
話をする私を皇子はじっと睨み付けて見ている。その顔を見て、初めて皇子に会った時のことを思い出して心が悲しくなってしまった。
(翡翠様、私はどうすれば…)
昔を思い出して少し心が堕ちかけてしまったが、すぐに平常心に持ち直し皇子に問いただした。
「わかって頂けましたか皇子?」
「………」
「伯和皇子」
「…あ……い…」
私の問いに皇子は掠れそうな声で返事をしてくれた。それを聞き、私は少しだけ笑みを浮かべ体の力を緩めたのであった。
「ありがとうございます。では、お昼寝にしま…えっ!?」
びゅん…バシッ!
それは体の力を緩めた一瞬だった。
皇子がわかってくれたと思い立ち上がろうとした瞬間飛んできのだ。
周りに投げる物などなかったはずなのに…
唯一あった、首にぶら下げていた形見の首飾りを私には投げたのだ。
今までどんなに癇癪を起こしても、けして投げることはなかったため、咄嗟に反応できず私の顔に鈍い痛みが走った。
私の心の中では私に対して首飾りを投げたことへの驚きや痛みよりも、形見の首飾りを投げた行為に対しての怒りが芽生えていた。
(翡翠様と木蓮の形見の首飾りを投げるなんて…ッ)
パン!
そう思った瞬間、反射的に皇子を頬を平手で叩いていた。
(しまった!)
さすがにいくらなんでもこれは不味かった。警護が皇帝の御子の皇子を叩いてしまったのだ。いくら理由があったといえ主を叩くなどはご法度だった。そんな心中を余所に皇子は目を大きく見開いて私の顔を見てくる。ただ、その片方の頬には私の手のひらの痕が赤くしっかりついていた。
それを見て咄嗟に我に返った私は直ぐ様、床に土下座をして皇子に謝罪をしたのだった。
「皇子、申し訳ありませんでした。罰はいかようにでも…」
そんな私を見た皇子は何かを噛み締めるような表情をして消え去りそうな声で言葉を発したのだ。
「……おまえ……嫌い…」
と、私の耳にははっきりと聞こえた。
そう私に告げると皇子は部屋から出ていったのだった。すぐに皇子を侍女が追いかけたが、耳にはっきりと残るその言葉に私は固まってしまい動くことが出来なかった。
「……皇子……翡翠様」
そのまま茫然としていた私が別の侍女から声をかけられて我に返ったのは、だいぶ時間が経った後のことだった。
読んでいただきありがとうございます。
しばらく、冬史の視点で物語りは語られます。その後、要の心情に焦点をあてる予定ですので、投稿までお待ち下さい。




