迷わない帰り道。
明けましておめでとうございます。
今年も、のろのろと進行するアリスたちの物語をよろしくお願い致します……!!
砂をわざと靴裏で擦って音を出したり、落ちている枝を踏み折ったり、斜め前を歩くハクトを無意味に見つめたり、余所見をしてみたり――――手を引かれているのを良い事に、歩いている間に出来る一通りの遊びをし尽くすと、見計らったようにハクトが口を開いた。
「なんだか、昔に戻ったみたいですねぇ」
懐かしむように穏やかな声でそう言われ、自分のしていたことを振り返り、頬が赤くなる。もしかしなくても、かなり子供っぽいことをしていたんじゃないかしら私。うわぁ今更だけど、すごく恥ずかしい。なんであんなことしてたのよ。
そんな私に気付いているのかいないのか、なんでもないような口ぶりでハクトは続ける。
「昔のことなので、覚えてらっしゃらないかもしれませんが……」
まるで、私に記憶がないのを、時間の流れのせいだというように。それこそ、うんと昔に遊んでもらった親戚の人のように自然に、当たり前のように。
それを語るハクトがいて、それに頷く私がいた。
「アリスはよく迷子になられたんですよ。何にだって興味を持たれるからなんですかね、ちょっと目を離した隙にいなくなってしまうんです。小さい足だから、そんなに遠くにいけないだろうと思っても、なかなか見つからないんです」
「うん」
「でも、お腹が減ったり、おやつの時間や夕方になると泣き声が聞えてきたんですよ。時計でも内蔵されているのかと思うくらいに、正確な時間に、それはもう大きな大きな泣き声が」
「……へぇ」
「それで、僕が見つけると、まだ涙も止まってないのに『お腹減った』って抱きつくんですよ。迷子になって怖かったとか、勝手にどっかに行ってごめんなさいとか、そういうことは一切言わずに」
「…………そう」
「しかも、食べるだけ食べて満足されるとお昼寝もせずに、また何処かへ行かれるんですよ」
もう、本当に大変で……と、だんだん懐かしむような温かい声から、お母さんが小言を言うような声に変化しながら、つらつらとハクトは続ける。
それなのに、僅かに見える表情は嬉しそうで、愛おしそうに微笑んでいるのは、ずるいんじゃないだろうか。
「もう! 悪かったわね、今も昔も落ち着きがなくて」
「いえいえ、急に走り出したり立ち止まらない分、成長されたと思いますよ?」
思わずそう叫ぶと、悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべてハクトが振り返った。そして、わざわざ繋いだ手を持ち上げて見せ付けながら、同意を求めるように首を傾げる。
眼前で揺れる手がリードの代わりのように見えて、前科がある分後ろめたく感じながらも、抗議の声を上げた。
「私は犬じゃないわよ」
「確かに。犬は遠出しても必ず戻って来れられると聞きますしね」
「ねぇ、それってもしかして私が犬以下だって言いたいのかしら?」
わざとらしく頷くハクトの手を、必要以上に握り締めて尋ねると、しばらく考えるような仕草の後に軽く握り返された。違う、そう意味で握ったんじゃないのよ、ムカついたからと牽制を込めたのよ。
そういう意味を込めて、更に手を握る力を強めても、反応は依然変わらない。
諦めて力を抜くと、嫌味なくらいニッコリと微笑んだ後、ハクトは前へ向き直った。
「冗談ですよ、冗談。それに、どちらかというと僕が犬でしょうし」
「、え? 貴方兎でしょう? それとも……え、ねぇ、ちょっと待って、もしかして」
さらりと落とされた爆弾発言とも取れる台詞に、それ以上は返さず、少しだけ身を引く。ついでに小さく、うわぁと呟くのも忘れなかった。
……せっかく、ちょっとはまともな人だと思い直していたのに、なんてことを言い出すのかしらこの人。
「アリス、念のため確認しておきますが、その反応は冗談ですよね?」
「何言ってるの。私は冗談でも嘘はつかないことを心情としているのよ?」
途端、笑顔だけで感情表現をしているような錯覚を与えるほど笑顔しか浮かべなかったハクトが、真顔にで振り返った。
その変化がおかしかったのと、仕返しがしたかったのもあって、ニッコリと微笑んで自分でもよく分からない台詞を返すと、キュッと眉根を寄せて、口を引き結び、怒っているというよりも拗ねたような顔になる。
そして、そのままプイと前へ向き直ると、少しだけ握る手に力を込めてハクトが呟いた。
「僕は、アリスが何処に行っても必ず見つけ出して見せますから」
拗ねているからだけじゃない、低く重みのある声が耳へと届く。突然のシリアスな雰囲気に戸惑うよりも、その言葉にハクトの何かを垣間見た気がして、返事に窮した。異様なまでの決意や、含みのある言い方の意味を追求するのも、おどけるのも、この場合相応しくないのだろう。
「……そう、なら犬よりも凄い有能じゃない」
だから、そう返すのが私の精一杯だった。
「さて、もう着きますよ」
それからしばらく、わざわざ音を立てなくとも砂の擦れる音が聞えるような居心地の悪い沈黙が続き、そしてそれにも慣れてきた頃。不意に、ハクトがいつも通りの明るい声でそれを破った。
その声につられるようにして、無意識に下げていた顔を上げ、日を遮る木々がなくなるからなのか眩むほど輝く前を、目を細めて見つめる。
しばらくすると、その光の中から見覚えのある一面赤いバラが広がる庭園が現れた。
「あ……」
どこにも落ち着く要素のないはずのそれを見た途端、身体から力が抜ける。今まで感じていなかった疲れが一気に湧き上がって、まだ庭が見えただけで入ってもいないのに、重石が付けられたみたいに足が動かなくなった。
相変わらず、高い位置に太陽があるのだから、ハクトと離れてたいして時間は経っていないはずなのに、この疲労感はなんなのだろう。そんなに体力がなかったかしら私。
「アリス、いかがなさいましたか?」
庭園を見つめたまま呆然と立ち尽くしていた私に、ハクトが笑いかける。
いつでも運ぶことは出来ますよ、とでも言いたいのか、両手はこちらを向いて大きく開かれていた。安心した途端、足が重くなったことを見透かされたのが恥ずかしくて、ハクトの手を軽く叩くと、早足で脇を通り抜けた。
「別に。相変わらず目に優しくない庭だと思って眺めてただけよ」
「よく目立っていいでしょう?」
ぶっきらぼうに呟いた言い訳を明るく笑い、そのまま後ろからついてくるハクトは、まぁ確かに“寂しいと死んでしまう”と例えられるような兎よりは犬のようだと、少しだけ思った。