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手の加えられた道。

「目が覚めましたか、アリス」


 此処が何処だとか、今は何時だとか、何をしていただとか。

 そんな事を考えるよりも、優しく私の名前を呼んだ声に安堵を覚えることが先だった。


 張り付いたように開かない瞼を擦ってこじ開け、ぼんやりと映ったのは、声の主の顔でも穏やかな青空でも輝く木々でもなく、濃い緑の葉の裏だった。

 どこか見覚えのある光景に違和感を覚えつつ、周囲へ注意を向けると、手を伸ばせば届きそうな距離に赤の目立つ人型が見えた。

 ……頭部に人ならざる何かが揺れているところは、そろそろ関心がなくなってきたみたいで……自分の順応性を褒めるか疎ましく思うかは、ちょっとすぐに決められそうにないわね。


 でも、そのお陰で想像通りの人物だということに確信は持てた。もっとも、双子だったりしたらその確信は嘘になるのでしょうけど――――






「――――アリス? また寝られるんですか?」


 知らないうちに眠っていたらしく、呆れたように笑う声は半分も聞こえなかった。

 何か返事をしなくては、そう思うものの、瞼と同様に貼り付けられたように唇は開かない。それに、ガンガンと鈍い痛みが脳に響いていて、その断続的な痛みすら眠気を誘うほどの倦怠感が身体を苛んでいる。おまけに、寝ている間ずっと敷かれていたであろう片腕は痺れるどころか感覚すらない。ただの重たい肉の塊だ。


 基本、風邪にもならない健康体な私にとっては、なかなかの絶不調にあたる症状だ。


「珍しいですね。いつもは目が覚めるのは早いのに、今回は目が開かないどころか……声を出すのも億劫ですか?」


 私の心を読んだのか……昔の私を知っているからか、昔から私を見てきたのか。ハクトが笑いを引っ込めて囁いた。

 驚きと焦りが混じった、不安や心配。それを労りや優しさで包んで私を安心させようとしている。

 それなのに――――隠しきれていない、喜びのようなものが混じっている声で。


「……あと五分」


 ただ、大部分が不安や心配なのは本当で。それを拭わなくてはいけない使命感に駆られた私は、少し間の抜けた台詞を搾り出した。

 ほとんど呻き声だったのにもかかわらず、しっかりと聞き取れたらしいハクトは「開口一番にソレですか?」と、抑え気味に笑う。

 その表情を確認したくて、手で無理矢理目をこじ開けると、想像以上の笑顔を浮かべていたハクトと目が合った。

 途端、更にハクトは破顔し、不意に距離をつめると、私の顔にかかっていた髪を払いながら、笑顔の質を変化させた。


「別に構いませんが……五分後に起きられなかった場合は僕が負ぶって帰りますからね?」

「いや……流石にそれは……ちょっと」


 妙に威圧感のある声で、淀みなく紡がれた言葉に焦りを感じて、慌てて痺れていないほうの腕を支えにして上体を起こす。

 途中で、背中に手が回されあっさりと起き上がることが出来た。しかも、もう片方の手には、しっかりと葉の傘が握られていて、私にぶつかることなく、しっかりと日傘の役目を果たしている。

 

 そんなさりげない気遣いに感心していると、そこでようやく身体に力が入っていないことに気付いた。赤ん坊のように支えのなっていない頭は、どこまでも重力に引かれて上を仰ぐどころか、逆さまになった木さえ目に入るほどに倒れている。

 それでも、そのままの体勢でいる私を改めて抱き起こしながら、ハクトが今度は真剣みを帯びた声で言った。


「……本当に負ぶって帰りましょうか?」

「ん……んー、いや、本当に……へいきだから」


 抱き起こされた時に、カクンと俯きがちに傾いた頭を横に振りながら、もぞもぞと手足を動かす。

 感覚が戻ってきたせいで、冷たさすら感じられるピリピリと痛む片腕以外は、どこにも異常はなかった。頭痛も段々と鳴りを潜めてきて、頭に綿をつめられたようなだるさだけが停滞している。

 服の汚れを払っているのか眠気を誘うつもりなのか、軽く身体を叩きながらハクトが小言めいた口調で私を非難した。


「こんなところで寝るからですよ。まったく……今までどうしていたんですか? 急にどこかへ行かれるので、さすがに焦りましたよ」

「こんなところ……? え、ていうか貴方がいなくなったんじゃない。それで、そしたらチェシャが」

「――――へぇ、チェシャ猫に会われましたか。だから」


 明らかに声の低くなったハクトの顔を伺うために、離れて向かい合う。

 葉とハクト以外映らなかった視界に、明るく太陽に照らされた一面の木々が広がった。そして下を見ると程よく大きな岩で寝ていたことも把握できた。

 ただ、“此処は何処”で“何故こんなところで眠っていたか”が分からない。……いや、思い出せないの方が適当なのかしら。


 しばらくして、帽子屋たちとお茶会をしたことも思い出したけれど、何を話していたかは曖昧だ。それに、そこからどうして私が一人になったかはブツリと記憶が絶たれていて全く思い出せない。席を立った記憶すらない。


「あぁ、忘れられましたか?」


 脳内を見ようとせんばかりに眼球を内へ内へと蠢かせていると、なんでもないようにハクトが笑った。

 何処か違和感のある言い方に引っかかりつつ、それを言及する以上に自分の経緯のほうが気になって、首肯一つで済ましてしまった。

 思い出せないことに恐怖と不安が膨れ上がって、返事すらしていないのに、私よりも低い位置にいるハクトは殊更明るく、楽しげな声を出す。


「それなら良いんですよ、気になさらないでください。それよりも、立てますか? アリスの服の砂を払いたいのですがっ」


 そう言いながらハクトは、返事を待つ様子もなく手を引いて私を立たせ、さっき払えなかった背中以外の箇所の砂をテキパキと払い落としていく。

 やけにバラバラと落ちる砂を眺めながら、ちらりと葉の置き場となった岩を見た。……綺麗だとはいえないが汚れてもいない。砂まみれになることは到底ないだろう。風が吹き荒れて、というのも考えられるけれど、それにしては顔周りには被害がない。口に砂も入っていないし。

 空白の記憶が、とたんに現実味を帯びて実感されて、一瞬で視界が真っ暗に染まる。


「さて、と。ある程度は落ちましたかね。ですが、流石に城へ帰ったら着替えを――――アリス?」

「っ、え? あ、な、なんだった……?」


 私がぼんやりと考えているうちに、私の服の汚れを払い終え、すでに立ち上がっていたハクトが私の顔を覗き込んだ。

 相変わらず、楽しそうな笑みの引っ込んでいない顔へ慌ててピントを合わせると、安心したのか。置きっぱなしにしていた葉を一瞥し……葉が必要とないと感じたのか、すぐに私の手を取り、踵を返した。


「とりあえず、城へ帰りましょうか。アリス」

「あ、そうね――――帰りましょう、お城に」











 そう言ったときのハクトの顔は見えなかったけれど、声は変わらず弾んでいた。

 だから、今この瞬間もハクトの表情は変わらず笑顔なのだろうと、繋がれた手を眺めながらそう勝手に決め付けて、私は舗装されたように綺麗な一本道へと着いていった。



毎月五日投稿が目標だったのですが……。

遅くなってしまい申し訳ありません!


おそらく、次話は来年の投稿になりそうなので、とりあえず抱負は「期限を守る」にしようと思います(汗)

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