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名乗るための口はあっても、

 アリスって何? 何でできているの? 私はどうしたらアリスでいられるの? 私はどうしたら私でいられるの? 私はいていいの? 私は私でいていいの? 私はいたいの? 

 愛らしくて、優しくて、礼儀正しくて、信じやすくて、好奇心旺盛――――どんなにアリスの断片を集めても、私はアリスでいられる気がしない。でも、そうじゃないと私は無くなっちゃう。


 私は誰かに見てもらわないと認めてもらわないと存在できないのに、存在が意味を成さないのに、生きている意味がなくなるのに許してもらえないのに。

 ねぇ名前を頂戴、私じゃなくて構わないから誰の代わりでも、どんなものでもいいわ、名前を、私が私でいられるように。“私”が存在できるように。




――――『俺はお前に名前を聞いたんだ。だから今は、お前が“誰なのか”決めて良い』


 必死なのがバレないように必死だった私に、ぶっきらぼうにかけられた言葉がなぜか温かくて。

 でも、“言葉遊び”に近い言葉選びのせいで、その人が何を言いたかったのか分からなかった。だから、なんでその言葉が温かく感じたのか、その時の私は理解できなかった。


 ……なのに、どうして、“その人”が誰か分からなくなった今、その優しさが理解できるんだろう。

 今更分かっても、もう遅いのに。




『俺はお前が誰であっても、お前である以上、俺はお前を――――』











「目が覚めたか、お間抜けさん」


 此処が何処だとか、今は何時だとか、何をしていたかとか。

 そんなことを思い出すよりも早く、刺々しい声が私の耳に響いた。


 目を開ききって最初に映ったのは、ゆるゆると雲が流れる青空でも、太陽に透けて輝く緑の木々でもなく、濃い緑の葉の裏だった。


 周りを見るために、上を見るようにして顎をあげると、頭から少し離れた先に人影が見えた。

 膝のようなでっぱりが此方を向いているから、私のほうを見ているのだろう。


「……だ、れ?」


 声を出した途端に頭が冴えた。

 待って、私はイモムシを探して、歩いて、岩見つけて寝ちゃって……うん寝ちゃったわ。で!? 何で上に葉っぱ? 空は実は緑色だったの? せめて夕方の空で「寝過ぎちゃったわ☆ あはは」じゃないの!? 何をしてんのよ私、夢遊病? うわぁ、食事制限しても痩せないのって、夜中にこっそり食べてるってオチ――――


「おい、考えることが逸れとる。それに、何よりワシが居るところには何ら疑問を持たんのか」

「誰ですかあなた!」


 食いぎみに叫んで起き上がると、葉に激突して……あ、傘みたいにかけられてたのね。日除けかしら? うわ親切。

 ……ちょっと葉っぱに気をとられてから、持ち直してキッと人影を見ると、頭を下に向けてため息をついていた。な、なによ。


「お前……なんで、そこまでワシを二の次にできるんだ」


 怒りを通り越して哀れみを感じたかのような顔で、私を見た。

 それ以上は何も言わず、私の様子を伺っているようだったので、こちらも容姿を観察する。


 焦げ茶色の土みたいなローブは、フードは被るのに前は閉じていなかった。その間から着古されたのか煤けた色をしたシャツに、深緑のジャケットが見える。

 黒ズボンに包まれた足は、こっちに来てから出会った誰よりも高身長だと分かる程長かった。……ていうか、こっちの人みんな背が高いのよね。私の首への配慮が足りないわ、本当に。


 フードで陰った髪は深緑に更に黒を足したようで、目はそれが透き通ったような色。

 そして何より……肌が白い! 女王の肌がお人形のように透き通った白なら、目の前の人は病人のそれだ。青白い、血が通っていないみたいで、見ていて心配になる。羨ましくもないほどに白い白い、青白い!!


 それに、さっき“ワシ”って言った気がするけれど、どう見積もったって成人式の思い出が新しい部類の人だと思うのよね。ていうか、それすら怪しい。

 でも、傍らに置かれた


「なんだ、人の顔をじっと見て。ていうか哀れんでないか? いや、引いてないか?」

「……両方かなぁ」

「お前、本当に……っ!!」


 反射で答えると、一瞬声が大きくなった後に唸り声に変わった。押さえられるんだなぁ、偉い偉い。帽子屋も是非とも見習ってほしいわ。


「怒ってもいいのか?」


 個人的には感心したつもりだったのに、静かに怒気を孕んだ声で確認された。でも、私絶対声に出してないわよ。この人も私のプライバシーを無視するのかしら。


「ごめんなさい、怒らせるつもりはなかったのよ。それより……あ、そうよ! ねぇ、イモムシを知らない? この森にいるらしいんだけれど」

「イモムシ……? 知ってはいるが、何故だ?」


 特に引っ張る性格ではないようで、あっさりと元のテンションに戻ってくれた。

 いや、なんか不穏な空気になっているわ。こころなしか声のトーンも低い気がするし。


「え、な、なんか、ダメだった? あの、チェ……」

「チェ?」


 今までの成り行きを口走りかけて、口を噤む。

 『俺、嫌われてるからさ』 と、笑みを浮かべずにいったチェシャが脳裏によぎる。あ、これは名前を出しちゃいけないってことなのかしら。

 え、でも……なら、何て説明すればいいの? ま、え、ちょ、どうすればいいの!?


「おい?」

 

 黙ったまま、瞬きをして青ざめだした私を不審に思ったのか、少し雰囲気を和らげて、彼が此方へよって来た。

 ……優しさからの行為だろうから口にする気は無いけど、貴方が立ち上がったり、近寄ったりすると、私の首が直角になってそろそろ限界を迎えそうなのよね。本当に。


「あー、あのね、チェックしとこうと思ったのよ!」


 目を逸らす、という仕草を言い訳に持ち上がった顎を下げ、首への負担を軽減する。

 にしても、チェって言ってしまったから、とりあえず続く言葉を考えたけど……チェックって何よ。チェックって。

 彼も同じことを思ったのか、そもそも理解できていないのか、私と違う意味で首を酷使していて、あ、左から右へ首を倒しなおしたわ。きっと疲れたのね。

 お互いしばらく首の運動をこなした後、“会話”を置き去りにしていたことを思い出したらしく、彼が歯切れ悪く切り出した。


「えっと、イモムシをチェックしにきたのか? ……何故?」

「……さぁ、何でかしらねぇ」







 沈黙が痛い。

 今の返しはダメだったと私も思うわ。ほらすごい微妙な目でこっち見てるわ。「うわぁこいつ大丈夫か」って声が聞こえてくるわよ。

 でも、本当に分かんないんだもの。


「お前、その見た目で実はかなりお年なのか?」

「うん。もうそれでいいかもしれないわ」


 適当すぎる返答を怒られるわけでも、突っ込まれるわけでもなく、心配されてしまい、妙な空気が合間を漂った。

 自分が招いたとはいえ、なんともいえない雰囲気に耐え切れず、目だけではなく顔まで背けていたら、小さく控えめなため息が聞えた。圧を与えるようなワザとらしいものではなく、心の底から、自然にこぼれたものだと感じさせるため息が、さらに何ともいえない。

 そんな私の胸中を察したのか、呆れを隠さない声で沈黙を破ってくれた。


「まぁいい。とりあえず……イモムシはワシだが?」

「あ、本物のイモムシじゃなかったのね」


 ちゃんと人型だったわ、なんて。含んだ意味が通じたらしく、そんなものに会いに行くつもりだったのか? と苦笑いされた。イモムシが虫だなんて決め付けるのは良くないぞ。とも言われた。

 で、とりあえず“イモムシに会う”って目的が達成されてしまったんだけれど、どうしよう。


 そんなことを考えていたら、肩を突かれた。意図が分からず、見上げているとまたため息をつかれた。


「お前は? ワシだけ言うのもおかしいだろう」

「え?」


 名前、そう呟かれて、そこでようやく私は理解できた。


 なんだ、当たり前のことじゃない。

 本当なら“人に名前を尋ねる前に、自分が先に名乗る”べきだったかもしれないけれど、今回はイレギュラーな展開だったから仕方ないとして。

 それでも、自分だけ名乗らないのはおかしなことじゃない?

 なのに、どうしてそれに気付けなかったの?






 見つけましたよ、アリス。

     久しぶりじゃのうアリス。

         ねぇ、俺の可愛いアリス?

               なんですか、アリス?         

                   あれ、お帰りアリス。

                        ……ぁ、り……す……?




 


 私は、ここに来て名前を名乗ったことがあっただろうか。いや、ない。

 だって、みんな私のことを知っていたじゃないか。みんな、最初から私をアリスと呼んだじゃないか。

 でも、それが当然だったでしょ? 私が忘れてしまっただけで、彼らとは面識があったんだから。思い出が、あったんだから。

 なら、目の前のこの人は――――






「お前の名前はなんだ?」






 ――――なんで、私に名前を聞くの?

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