迷っているのは道か、それとも。
「んー……おかしいわねー」
気味が悪いくらいに優しく、静かに見送られてから数十分。
見上げれば日光を遮る深緑の葉、俯くと石や枝の転がった荒れた地面。
前を見れば木が無限に続いた先に真っ暗闇だし、振り返っても一筋も明かりは見えない。
ちなみに、森に入って数分の間は絵本に描かれているような、光に照らさた木々と小道が広がっていた。
「この年で、ま……いや、そんなはずはないわ。大丈夫よ真っ直ぐ歩けば」
もう何回言ったか分からない言葉を繰り返す。
けれど此処にいるのは私一人で、だから誰も助けてくれないし、ましてや誰も突っ込んでくれない。それに、どんどん状況が悪化している気がする。
そもそも“真っ直ぐ行けば大丈夫”って、何を根拠に言ってるのかしら。来た道を戻るならアリよ。でも、あの微妙な空気だったお茶会に戻る? 戻れるの? そんな勇気が私にあった? ……ないわよ、そんなもの。
あ、でも目的地はないのよ? 会いたい人はいるけれど、何処に行けば会えるかなんて言われていないし、“歩いていれば会える”って言われたんだから、そして今私は歩いてるし、だから、だけど――――
「現在地が分かってない時点で、迷子よね……はぁ」
足掻く自分に止めを刺して、ため息をつく。
せめて、こんな危険な荒れ道を歩き出したあたりで気付いてほしかった。なんで歩き続けちゃったのかしら、私。
「カロリー消費とか言って、早歩きするんじゃなかったわ」
そのせいで速く足を動かすことに気をとられて、周りを見なかったんだと思う。……一つのことしかできないし、尚且つ優先順位がおかしいことに今更気付きたくなかった。
しかも、体力があまりないのも考慮しなかったから、足は痛いし、喉は渇くし。もしゲームみたいにHP表示があったらレッドゾーンに入ってるわ。
「そもそも歩いてれば会えるって何よ!? 沢山いるってこと? え、本当にあっちのイモムシ? ていうか、森の規模が分かんないわよー!!」
わよーわよーわよーーと木霊すらせず、やけくそに叫んだ私の声が、鬱蒼と生えた木々の中に吸い込まれていく。カラスすら鳴かないほどの静寂に、そろそろ心が折れそうだ。鳴いたら鳴いたで、怖くて私が泣いてしまう気もするけれど。
「なんで私の夢が私に優しくないのよ! なんか休めそうな切り株や岩くらい出てきなさいよ!!」
止まったら恐怖心が更に増す気もするけれど、そろそろ足が限界に近い。ここまでリアルに体感が再現されている私の夢の精度を誇るべきか怨むべきか……確実に、怨むほうね。
なんとかして休もうと思い、さっきよりも素早く足を動かしながら休めそうな場所を探す。休もうと思った瞬間、身体に力が戻ってくるから、人間って不思議だと思う。
「あ、岩!? ……なんかすごい大きい気がするけど、まぁ、そんなものなのかしら」
ぶつぶつと呟きながら、思いのほか綺麗な岩の窪みに腰をかける。硬いせいで座り心地が悪いことを抜けば、背もたれもあってとても良い。
少し浮いた足を揺らしながら、手を上げて伸びる。うら若き乙女とは思えないほど関節が音を立てたけれど、聞えなかったことにした。
「こんな精度の高い夢、私今まで見たことないわよ……」
岩の上に落ちていた葉を摘み上げて呟く。先を抓んでくるくると回すと、少しだけ風を受けて重くなるし、指先の茎の感触も確かだ。
ハクトに担がれたときにの苦しさや、チェシャに噛まれたときの痛み、お茶会で飲んだ紅茶の熱さやクッキーの感触も何もかも本当のように感じられた。
直射日光は暑くて痛いし、足の裏に当たる小石も枝も痛い、あぁ、本当に私に都合の良くない夢ね!
「そもそも夢への落ち方が酷かったのよ」
もう違和感も寂しさも感じなくなった独り言を続ける。
学校に行ってからなのか、学校に行ったのも夢なのか。あまり気にしていなかったけど、かなり問題よね。それに物理的に落ちる必要は無かったと思うの。しかも、わざわざ階段上るなんて。
あと私の夢のくせに……ファンタジー? ファンシー? メルヘン! とにかく趣味に合わないわ。異色のラインナップ、って感じ。仮に、深層心理だとしてもこんな形で知りたくなかったし……。
「あんなにぶっ飛んだ性格の知り合いもいないし」
そう、例えば女王は……最後、なんであんなにご乱心だったのかしら。あんなに歓迎してくれていたし、私が何処かに行くって言うのがご乱心のスイッチだったはずなのに、その私にフォーク投げつけるし……あれは怖かったわ、本当に。
あ、ハクト。ハクトはどうなったのよ!? あいつ私を庭に連れて行ってからどこへ行ったのよ、そうよいつの間に消えたの!? ……ていうか、私が勝手に消えたのかしら。それは、ちょっと申し訳ないわよね。
あと、三月たち今は何処を探し回っているのかしら。森って広いわよ、今実感してるわ。
それにチェシャも。あのままずっと帽子屋のところにいたら、いつか三月たち帰って来ちゃうわよね。それって、チェシャは平気かもしれないけど、確実にお茶会場が荒れ果てるわよ?
そしたら、帽子屋は怒るでしょうね。いや、キレるのかしら……? あれは驚いたわ。怖いを通り越して驚いたわよ本当。ナイフ取り出すし、帽子から取り出すし、そういえば最後は何を取り出そうとしたのかしら。チェシャも顔色が変わったし……ナイフより凄いもの? 包丁? 確かに危ないけれど……それを上着に忍ばせていることが何より危ないわね。でも、有り得そうだわ。
なんだか不穏な物や事ばかり起こるのね。
「私の夢って本当に……ふぁー」
そこからは欠伸で言葉にならなかった。
……私の夢も大概有り得ないけれど、こんな状況でも眠くなる私が一番有り得ないわ。
自分に呆れても、落ちてくる瞼には逆らえずどんどん視界が暗くなっていく。
暗闇の中、ふわふわとした心地で、取り留めのないことが、浮かんでは消えて、無意味に繋がっていく。
四階から落ちて、私は夢に落ちた。なら、こうして眠りについたら、また夢は見るのだろうか。夢の中でも夢は見れるのだろうか。
夢を見るために落ちて、その夢の中で今夢に落ちて、そしたらその夢の中の今から見る夢が私の……?
アリスは落ちるものなのよ。私は落ちるからアリスなの。私はアリスで、アリスは私。だから私は夢に落ちて、落ちるのがアリスの役目で、だから落ちるのはアリスとして当然で、それに私の意思は無くて? いや、アリスが私なら落ちるのも私の意思で、でもそれは私じゃなくてアリスで――――――――私、は ?
「一人で叫んだり、体力無いのに忙しく動いたり、無言になったと思ったら表情がコロコロ変わるし、果てはこんなとこで寝おって……なんにも変わらんな」
日光が何かに遮られて、物理的に暗くなったとき。夢なのか現なのか、懐かしい匂いがした。