休憩場な、お茶会。
「えっと、俺はチェシャ猫で……ん? そう、そうそう。だからこの耳とか尻尾ね。あと髪。なに、首輪? いや、これは俺の趣味。はーいそこ、ひかない、ひかないでちょっと離れすぎ!」
私が頭突き後に叫んだとおり、正座をしたままチェシャが叫ぶ。ちなみにコイツは“正座”すら知らなくて涙が止まらないまま私が教えた。
にしても、これも私の夢っていうか深層心理なのかなぁ。趣味悪すぎだよ本当……。
「で、チェシャ。何がしたかったわけ?」
「あれ、昔みたいにチェシャ猫さんって呼んでくれないの?」
「名前のところだけ声高くしないで気持ち悪いわ」
やっぱり彼の口からも出てきた“昔”という単語に、少し顔を歪ませる。だけど段々それが当たり前な気がしてきて、心が痛まなくなってきた。
正座の辛さを理解してきたのか、ゆらゆらとチェシャが体を揺らして笑顔がときどきブレる。うん、見下ろすのも悪くないし……むしろ楽しいかも。
「私、昔の記憶がないみたい。だから貴方も始めまして、なの」
「……あぁ、だよねぇ。なら始めて会った人に頭突きをしたわけだ! さっすがぁアリス~」
一瞬、暗い顔になって、すぐにテンションが上がって笑う。……前言撤回。やっぱり少し痛かった。
「仮に知り合いだとしてもナイフ突きつけたり目を潰そうとしたり出血させたりする奴よりはマシだと思うわよ」
「うん、やっぱり泣いちゃったの根に持ってる?」
いい終わるギリギリのところで、加減をして彼の足を蹴る。初めてで、しかもそれなりの時間正座をしていたから、効いたらしい。悲鳴も上げずに前のめりに倒れた。面白いから後ろに回って足を突く。魚が水揚げされたような動きのまま、チェシャが叫ぶ。
「いたいっ、いたいいたいたいっ!! アリス! たんまたんまっ、あれだ! 美味しいお菓子と紅茶が飲める場所につれてってあげるから許し「許す」
パッと手を離し勢いよく立ち上がる。そして、叫びすぎのせいか虫の息になったチェシャの腕を容赦なく引っ張る。流石にまだ無理らしく、立ち上がろうとしない。むしろ脱力している。
それでも諦めずに腕を引っ張ると、そこを支えにして、チェシャが器用に足を前に投げ出す。衝撃を受けないために、ゆっくりと地面に足を下ろした彼は、少し目を大きくして呟いた。
「……お菓子でつれた」
「なに、撤回して欲しいならそういいなさいよ?」
そう言いながらすばやく指を構える。いつものニヤニヤ笑いに戻っていたチェシャが一瞬で真っ青になった。
慌てるように手を動かしながら森の奥を見て、口を開く。
「ごめんなさいっ、あーえっと、それで場所のことなんだけどね―-――」
「――――それでその“お菓子の美味しいところ”がお茶会場だと?」
嬉しそうで優しそうな雰囲気なのに、どこか冷たさと苛立ちを含んだ声音で、お茶会の主であろう青年は言った。
小さなタルトを頬張りながら、そっと長方形の色とりどりのお菓子の並べられたテーブルの、いわゆるお誕生日席に座る彼と、私を盾にするようにして座るチェシャに目を走らせる。
とりあえず両者とも「好きに食べていい」と言ったからそうさせてもらっているものの、まだ名前も知らない人の……お茶会? の物を食べ漁るのは申し訳ないから、飲み込まずにひたすら咀嚼して、ゆっくりとタルトを消費する。
「貴方は、貴方のお家に帰ればいいでしょう? 休憩場のような扱いを受けるのは不愉快です」
ぶつぶつと文句をいいながらも、紅茶をチェシャにも配るところを見ると、歓迎はしているらしい。……ただ、扱いに不満があるだけで。
手渡された紅茶を受け取る際に、じっと彼を見る。
中世の執事が着ていそうな燕尾服に、白い手袋、青みがかかったような黒髪が少し目元を隠している。翳ったせいで眼の色が良くわからないけれど、おそらく髪と同じか少し明るい色なのだろう。
だけど、それでも十分に彼もかっこいいのだと分かる。……なんてイケメン揃いの世界なんだここは。どんだけイケメンに飢えていたんだ私は……。
新事実(仮)に落ち込みながらも、彼の観察を続ける。
……確かにイケメンだけど……きっと完璧ではないんだろうな。うん……もう私は私を信じていないから、大丈夫よ。
さっきあえてツッコまなかったけれど、彼は黒のシルクハットを被っている。一周巻かれたリボンは灰色と水色を混ぜたような色で……まぁ、そこはいいとして、何故か[10/6]と書かれた紙がそこに付いている。そこもあまり気にしない。だけど、そのおかげで、頭部が見れない。
私は今までに出会ってきたイケメン (見た目は) を思い出す。どちらともウサギ耳や猫耳がついていた。……あ、でも可愛い女王様 (見た目は) は耳無かったよなぁ。でも、この人男だし。いや、男だから動物の耳がついているとは限らないし、ていうかどうせなら女王様についていたほうが嬉しかったわ。
じっと見つめながら何かを考える私に気づいたのか、困り笑顔で青年が私に声を掛けてくれた。
「なんですか、アリス?」
案の定、私の名前も知っていた。やっぱり知り合いの人なんだろうなぁ。
だけど、今はそんなことを考えているヒマはない。私はさっきまでとことん咀嚼していたタルトの最後の一欠けらを放り込み、紅茶で流した後に言った。
「その帽子の下には、何の耳があるの? 犬? くま?」
次の瞬間、前後から同時に笑い声が響いた。私が殺意を覚えるくらい、それはそれは愉快そうに。長く長く長く、響き続けた。