第5話:買い出し
外に出るといつもより遅い時間に起きたせいか、多くの人が道を行き交っていた。露店に商品を並べ、商品を売り込むために声を張り上げる店員や、子馬に荷物を引かせる郵送屋、それらを眺めながら何を買おうかと悩んでいる一般人。多種多様な人々がいた。
日中という事もあってアルがフードをかぶっていても特に誰も不審に思う事はなかった。これが小汚い上着であれば物乞いなどと勘違いして怪しまれたかもしれないが、フィードに買ってもらった綺麗な上着で特に汚す事もなく大切に扱っていたので新品と遜色ないほど綺麗さを保っていた。
もちろん、それだけが不審に思われない理由ではない。最近セントールには厳しい日射しが照りつけており、一足早い夏季が訪れているのではないかと人々の間で噂になっていた。そのため、アル以外にも上着に付けられているフードをかぶる人や、藁で編まれた帽子をかぶる人、他にも日陰で休む人の姿も数多く見受けられる。
これが実質アルが疑われない理由の大半だろう。大勢の人波をかき分けながらアルはいつもグリンが肉を仕入れている精肉店へと歩いて行った。
「あ、あの。鳥の胸肉を……くれませんか」
精肉店についたアルはいつものフィードに話しかけているような毅然とした態度ではなく、下手をすれば町の雑多が鳴らす音にかき消されてしまうほど小さくか細い声で店主に話しかけた。
「ん? なんだい嬢ちゃん。買い物か? 鳥の胸肉が欲しいのか、いくつだい?」
店主はアルに向かってできるだけ優しく声をかけた。少年少女のお使いに慣れているのか、どこか相手を気遣った話し方は淀みない。
「えっと……これくらいなんですけど」
アルは持っていたメモ用紙を店主に見せた。店主はそれを見ると、
「おや? もしかしてあんたグリンさんのところにいる嬢ちゃんかい?」
思いがけない店主の言葉にアルは少し面食らった。
「はい、そうですけど……」
自分の知らない相手が自分の事を知っているという事実にアルは警戒心を抱いて身構えた。しかし、そんなアルを見て店主はケラケラと笑い声を上げる。
「いやいや、そんな警戒しなくても大丈夫だよ。実は少し前にグリンさんの所に食事をしに行った時に君の事を見かけてね。噂の可愛らしいお嬢さんがどれほどか確かめに行こうって友人に誘われて行ったのだけどね。
そうしたら見かけない白髪の小さな子供がたどたどしく料理を運んでいる。しかもそんじょそこらじゃお目にかかれないような可愛いさときた。
それに、後から聞いた話じゃ君の保護者はあのフィードだっていうじゃないか。実は前に荷物の護衛を彼に頼んでトリアの方の村に行った事があってね。その時野盗に襲われたんだが、彼は難なくそれを追い払ってね。あれは見ていて気持ちのいいものだったな。
まあ、そういった訳で私は少々君たちの事を知ってるんだよ。もっともそれは私だけに限らず、下町の人間の大半はもう彼の事を知っていると思うよ。良くも悪くも彼は目立つからね」
長々と続ける店主の話に一度も口を挟む事をなくアルは黙って聞いていた。確かに、フィードが荷物の輸送の護衛をするといって数日アルの元を離れた事はこれまで何度もあったため、店主の話は信用できる。問題はそんな事よりも自分とフィードが自分たちが思っている以上に下町の人間に覚えられているという事だった。
「そんなに私たちは有名なのですか?」
「そうだねえ。ただでさえこの下町というところに住んでいる人々は刺激に飢えているからね。ちょっとした話題でさえここじゃすぐに広まるよ。それにさっきも言ったけれど、君たちは良くも悪くも目立つからね……」
良い方はともかく、悪い方で目立つのは願い下げしたいのだが、その悪い方で目立っているのは少なくともアルではないため、今すぐにはどうすることもできないのだった。
「ありがとうございます。以後気をつけるように言っておきます」
店主が用意した肉の入った包みを受け取り、代金を支払う際にアルはそう伝える。店主は何の事だか分からないのか首を傾げていた。
その後も残りの材料を買う時に、店員や店主から「グリンさんの所のかわいいお嬢さん」と言われ、じろじろと眺められ、果てはフードを取られて頭を撫でられる始末だ。さすがに、それについては怒ったアルだったが、怒り方も強く言えないため、黙ったままじっと不満げに相手を睨みつけるだけになり、結局それもまたかわいいと評される要因の一つになるのだった。
「はぁ、ただ買い出しに出かけただけなのに疲れました……」
両手いっぱいになった買い出し品を抱えながらアルはグリンの元へと向かっていた。道中で何度か見知らぬ人々に声をかけられて困ったが、特に何かをされる訳でもなかったので、よかったのだが。
「そもそも、みんな私が奴隷だって事知らないからあんな風に気軽に声をかけてくれるんですよね」
自分の肩に刻まれている烙印を一瞥してアルは独り言を呟く。
「実際に知っていても普通にしてくれるグリンさんはきっと珍しい人なんでしょうね。あれを普通だと思いたいのは私の希望でしょうし」
実際、このセントールに来てから、今までのように外見で差別されるような事は余りなかった。物珍しそうに皆に見られるのは変わりないが、それで気味悪がられたりすることはほとんどない。他国との貿易をしているこの国だからこそ、アルのような変わり種の人間を見る機会は少なくないのだろう。
しかし、奴隷となるとまた扱いは変わって来る。アルを最初に買った主とまではいかないものの、少なくとも今のアルとフィードのような関係性は見られない。奴隷は主人を立て、彼らの言う事に従順でなければならない。
そして、彼らに対する一般人の対応もまた粗雑だ。奴隷が粗相をし、それが気に入らなければ乱暴な扱いを受けて当たり前。もちろん、奴隷は主の所有物なのでそれで怪我をした場合は主にそれ相応の金を支払わなければならないが、結局全て金で解決できてしまう。
(……やっぱりこの世界はお金が全てなんでしょうか)
そう思い、すぐさま否定をする。それは彼女自身を助け、面倒を見てくれているフィードに対する侮辱だ。アルは彼の屈託のない子供のような明るい表情を思い出し、
(とはいっても私たちの場合はマスターに面倒を見てもらっているのか、私が見ているのかどっちなのかわかりませんけど)
やれやれと思っていると、気が逸れていたせいか、前を歩く子供にぶつかってしまった。
「うわっ!」
「あっ……」
アルと同じようにフードをかぶっていた少年が持っていた硬貨袋を落とし、アルも持っていた材料を地面に落としてしまう。慌てて落ちた材料を拾うアル。幸い、材料は包みに包まれていたため、汚れずにすんだ。そして、アルの足下に落ちた相手の硬貨袋を拾って手渡そうとして気づく。
(これ……マスターの硬貨袋)
フィードがこれまで使っていた硬貨袋がアルの手元にあった。普通の硬貨袋であれば気づかなかったが、アルは何度かフィードから買い出しを頼まれてこの硬貨袋を使った事があったのだ。そして、それがフィードのだと気づく決定的な要因となったのは、一度袋の底が抜けた時にアルが縫って直した痕が残っていたからだ。
自分で縫ったものを忘れるほどアルも子供ではない。おそらく、この少年が昨日フィードから硬貨袋を盗んだ少年なのだろう。そう理解するとアルは手にした硬貨袋をギュッと握りしめて目の前にいる少年を睨みつけた。少年の方もアルが硬貨袋に関して何か気づいたと悟ったのか、徐々に距離を取り、恨めし気に一瞥するとその場から逃げ出してしまった。
「まっ……」
静止の言葉をかける間もなく少年の姿はその場から消えた。アルは手にした硬貨袋と材料を何度も見て、何事もなくすんでよかったと安堵するのだった。
(マスターの硬貨袋も戻ってきましたし、これで今月の家賃も払えそうです。本当に世話が焼けます。この事を話したらマスターの事ですからきっと褒めてくれますよね……)
フィードに優しく褒められることを想像すると自然と緩む頬を抑える事ができず、終始笑顔のままアルはグリンの元へと歩いて行くのだった