第47話:大切な者は
揺ら揺らと暗闇に灯る一つの明かりがあった。メラメラと燃えるそれは、パチッ、パチッと宙に巻き上がる火の粉を舞わせ、薪は身体を折って音を鳴らしている。
燃え上がる炎の煌めきに照らされ、写し出される一つの人影。筋骨隆々として力強い野生の獣を思わせる男が火の手の前に座り込んでいた。
大量の血が染み込んだ大地に一人存在するその姿はまるで悪鬼や修羅の類いに見える。
香ばしい匂いが漂い始めた事に気がついた男は嬉々とした様子で炎に晒していた肉を手に取ると、豪快にかぶりついた。
溢れ出る肉汁。ブチブチと千切れる筋繊維。湯気は空へと昇り、姿を消して行く。がつがつと、一瞬にして肉を食らいつくし、満足げにする男。
満腹になった腹部を撫でる男。数日前に負傷し、傷のあったそこは既に完治していた。
「さて、行くとするか」
立ち上がり、己が狩ると決めた獲物が逃げた先を見据える男。燃え上がる炎を踏みつぶして消化し、地面に突き刺していた大剣を抜き放つ。
月夜に照らされ、光を反射する黒剣。血に飢えたそれは今か、今かと新たな犠牲者が生み出されるのを待っている。
目標に向かって修羅が歩む。その後ろには血道ができ、生き残るものは誰もいない。
倭東にフィードが戻り療養生活を始めてから数日が過ぎた。傷を塞ぎ、体力を付けることだけに専念した結果、完治とまではいかないものの、八割ほど怪我は治り体力もほとんど回復したのだった。
拳を握っては開き、力が入るかを確認する。握力は少し落ちていたが、剣を握る分には問題ない程度はあった。鞘に入っている剣を抜き、握りしめる。来るべき再戦に向けてフィードは静かに覚悟を決めた。
「マスター。ご飯ができたようですよ~」
扉を開き、アルが剣を握りしめるフィードに声をかけた。
「ああ、今行く」
剣を鞘に仕舞うと、フィードはその場を後にし、居間へと向かった。居間にはすでに李明とその父である李蒙が座って待っていた。
「フィードさん、体調の方はどうですか?」
居間に入ってきた彼に李明が問いかける。
「大丈夫だよ。体力もだいぶ戻ったし、いつでも戦える」
「そうですか。それはよかった」
「それで、町の近辺で何か異常な出来事はあった?」
「いえ、特には。ですが、本当に来るんですか? あの十二支徒が」
この町に運ばれ、意識が戻った翌日には李明に猿哨との戦いのことをフィードは話していた。そして、彼が自分を追ってこの町へ来るかもしれないということを。それを聞いた李明は探索隊を派遣し、町の近辺や盗賊の拠点としていた場所へと向かったが猿哨の姿は見当たらなかった。
すでに別の場所へ移動したと仮定も立てたが、フィードの心がそれを否定していた。
(あれほど戦う事に執着している男が自分に傷をつけた男を放っておくはずがない。弱者には興味がないが、歯ごたえのある相手なら決着をつけておきたいと思うはずだ。このまま何事もなく終わるとは思えない)
そう思うフィードの周りの空気が張りつめているのをこの場にいるのを誰もが感じていた。この町に帰って目覚めてからというものの、何かを決意したのかフィードの様子は以前とは少しだけ変わっていた。それが何かと問われれば答えに困るが、どこか危ういものをその内に秘めているのだけはわかるのだった。
「あ、そうだ! さっき香林さんが来て李明さんに話があるっていってましたよ。食事が済んだらいつもの所に来てくださいだそうです」
この場の空気を変えようと思ったのか、アルがつい先程預かった伝言を李明に伝えた。
「えっ、いつの間に……」
「いえ、ホントについさっき来られて。伝言だけ頼まれて帰られたんです。なんでもお買い物の帰りだったみたいで」
「そうなんだ。わかった、後で向かっておくとするよ。伝言ありがとう」
そんな二人のやり取りを見ながらフィードは空いている場所に座り、机の上に置いてある食事に目を移した。
「お、これもしかしてアルが作ったのか?」
見れば、不格好ながらもジャンで有名な和風の料理がいくつかテーブルの上に置かれていた。
「は、はい。せっかく異国に来たのでできたらこちらの料理も覚えておこうと思って李明さんに教えてもらったんです」
「といっても、自分にできる数少ない料理だけですけどね」
「そうなのか。悪いな、何から何まで世話になっていて」
「そんなことは……フィードさんにはこの数日稽古に付き合ってもらってますし。お互い様ですよ」
そう、李明の言う通りここ数日療養中でも腕が落ちないようにとフィードは李明と木刀を使った稽古を行っていた。やはり、昔と違い力もつけ町を守っている警護人なだけあり、李明は並の剣士よりは強かった。
それでも、さまざまな敵と戦いつづけてきたフィードの経験や地力が勝っていたため、病み上がりでも李明相手に負ける事はなかった。
「やっぱりフィードさんは強いですよ。俺なんかまだまだです」
「そうでもないさ。後十年もしたら今の俺じゃ勝てなくなると思うぞ。李明は鍛錬も怠っていないみたいだし、もっと自信もってもいいぞ」
「ホントですか? いや~そう言われると照れますね」
和気あいあいと会話を交わしていると、ダンと机を叩く音が聞こえた。その音の発信主は李明とフィードの対面に座っている李蒙だった。
「そろそろ……食事にしないかね」
ジロリと二人を睨み、食事の開始を提案する李蒙。一見すると怒っているように見える彼だが、実際はそうではなく、ただ口べたなだけである。ただ、鋭い目つきや威厳のある風格、がっしりとした屈強な体格のせいで誤解される事がしばしばあるだけである。
「はい、はいわかりましたよ父さん。でも、机を叩くのは止めてください。話を切り出しにくいのに毎回そうやっているからみんなから怒っているって誤解されるんですよ」
「む……そうだな。すまん」
「別に謝らなくてもいいですよ。フィードさんもそのことはわかっていますから。ねえ、フィードさん」
「ん? ああ、俺は別に構わないんだけどな~」
話を振られたフィードは半ば無意識に返事をし、すぐ近くで腰を抜かしてしまった少女に視線を向けた。
「まだ、アルは慣れていないみたいだな」
微笑を浮かべ、涙目になっているアルを小馬鹿にしながら、起き上がれずにいる彼女の元へ近寄り、両脇に手を入れて抱きかかえた。
「わ、わっ! マスター、はなっ、離してください~」
バタバタと手足を振るわせてもがくアル。嫌がる彼女を見てますます愉快そうに笑うフィード。そんな彼女達を見て李明もまた微笑んだ。
「ほんと、二人は仲がいいですね。まるで一緒にいるのが当たり前みたいです」
「そうか? だってさ、アル」
「それはどうもありがとうございます。……って、そうじゃなくて! マスターは早く下に降ろしてください!」
「わかった、わかった」
言われたとおりにアルを床に降ろしたフィードは自由になったアルからすぐに反撃を受けた。
「もう! からかうのはよしてください。李蒙さんも困ってますよ」
「すまなかったって。そうだな、食事もまだだし。せっかくアルが作ってくれたんだ。おいしく頂くとしようか」
アルを連れて再び席に着くフィード。そのまま四人はゆっくりと食事を始めた。
「ん、こりゃ美味い。アルもだいぶ料理を作るのが上手になったな」
「ありがとうございます。だてに宿屋で働いていませんからね」
「へえ、アルちゃん宿屋で働いているんだ。セントールに行く機会があったらそこに泊まってみようかな」
「是非来てください。その時はマスターと二人でお出迎えしますね」
「その時は早めに連絡してくれよ。突然来られていませんでしたなんて状況は嫌だからな」
「はい。事前に手紙を送っておきますね」
他愛無い会話を続け、一同は食事を終えた。一人だけ、李蒙が最初から最後まで会話に混ざろうとしなかったが、これは単に口べたなだけであろう。
「それじゃ、俺は約束があるので出かけてきますね。二人とも今日の予定は?」
「う~ん、特にはないな。強いて言えば鍛錬」
「私も特には。マスターのお傍にいて鍛錬を見ている事くらいでしょうか。あ、でも魔法の練習もしないといけないんでした」
「そうですか。俺は今日は午後から見回りや警護があるんで、次に合うのは夜ですかね。それじゃ、また後で」
「ああ、またな」
そう言って居間を出て行く李明を見送り、フィードもまた寝床に置いてきた剣を取りに行こうと起き上がろうとする。だが、その前に静止の声をかけられた。
「フィードくん。少し話があるのだが、いいかね」
真剣な表情の李蒙が立ち上がろうとしていたフィードを止めたのだ。
「いいですよ。もしかして李明のことですか?」
李明がこの場を立ち去ってすぐに話を持ち出してきたことから、フィードは何となく彼に関する話ではないかと推測していた。そして、その質問に李蒙は首を縦に振って肯定した。
「うむ。実は、一つ君に聞いてもらいたい事があるのだ」
「何でしょう。俺でよければ何でも聞きます」
「ありがたい。それでな、話というのは……」
そう言って李蒙は一度口を閉ざして言葉を切った。そして、一拍を置いて続きを口にした。
「私はあやつを、李明を次のこの町の警護人の総括にしようと思っているのだよ」
家を出てしばらく歩き、李明は目的の場所へと到着した。そこは町の四方に立てられた見張り台だ。高さは三、四メートルほどあり、町に向かってくる外敵の存在や行商人の姿をいち早く見つけられるようにと作られたものだ。本来であれば時間によって警護人達が見張りを交代するのだが、まだ若い警護人達の間では、仕事中にこっそりと恋人達と会うための場としても活用されていた。
もちろん、最初は李明もこの事態を遺憾に思っていたのだが、周りの隊員の言葉に流され、いつの間にやら自分も共犯者に仕立て上げられていた。こうなったら、バレるまでとことんやれとの事で、自分も含めた隊員達はこっそりと恋人達との逢瀬を楽しんでいるのだった。
添え付けられた梯子を昇り、見張り台の頂上に到着する李明。そこには既に彼を待っている香林の姿があった。
「遅かったですね。もう少し早く来てもらえると思っていました」
「ごめん、ごめん。思っていたよりゆっくり食事をしててさ」
「そうですか。私の方もあまり時間がないので少しの間だけしかここにいられませんが」
「そうなんだ。今日も忙しいの?」
「ええ。こっちは仕事をしない主が常に私に仕事を割り振ってくるので」
「ホントうちの領主様は横暴だよな」
「悪口ですか? そう言った事を言っていると私がそのまま伝えてしまいますよ」
「止めて、そうなったら俺この町で生きていけなくなるから」
「そうですか、嫌だというなら止めておくとします」
そよ風が二人の間をすり抜ける。風に揺られてたなびく香林の髪に李明がそっと手を伸ばす。
「駄目ですよ。今は仕事中なんじゃないんですか?」
「そんな事言ってもここに来てる香林だってここに来てるじゃないか」
「私はちゃんと許可を貰っていますので」
「じゃあ俺の仕事の邪魔をしている代価ってことで」
そっと口元を近づける李明に香林は……。
「いけません。それは、また今度です」
やんわりと断りの言葉を告げ、近づく唇に指を添えるのだった。
「ちぇっ、ちょっとは期待してたんだけどな」
接吻を拒否された事が不満なのか、李明はあからさまに不機嫌になっていた。まるで大きな少年のような彼の態度に仕方ないなと思い、香林は膝元をポンポンと叩いた。
「こちらでしたら使ってもらって構いませんよ。お詫び……というわけじゃないですけれどね」
それを聞いた李明はすぐに香林の傍に寄り、膝の上に頭を乗せた。
「気持ちいいな~。しかもこの位置から見える景色は絶景だ」
そう言って香林の胸元へと視線を移す李明。下心丸出しである。
「私が許したのは膝元だけですよ。それ以上下品な目で私の胸元を見るのでしたら両目とも潰させてもらいますけど?」
「それは勘弁。ごめん、もう見ない」
サッと視線を横に逸らす李明。先程のお返しとばかりに自分の膝元にある李明の頭に手を近づけ彼の髪を触る香林。
「髪の毛、だいぶ伸びましたね」
「ん? そうかな」
「伸びました。私が言うので間違いないです」
「そっか、それじゃあまた切ってもらわないとな」
「そうしましょう。次のお休みの日なんてどうですか?」
「そうだね。それじゃあ、その時に切ってもらえるかな」
「わかりました。また予定を開けておきますね」
静かで、穏やかな時間が過ぎて行く。厄介な問題は起こることなく、ただ平和な時が。
「ねえ、香林」
「なんですか、李明」
「フィードさんが言っているようにその猿哨って男はこの町に来ると思うかい?」
「どうでしょう。来るとも言えるでしょうし、来ないとも言えます」
「もし来たらさ、やっぱり戦わなくちゃいけないよね」
「そうですね。でも、戦うとしてもフィードさん一人でしょう」
「どうして?」
「あの人しかまともに戦える人がいないからです。卯月様も戦えますが、あの人はフィードさんを戦わせたがっているようですし」
「でも、フィードさんはまだ全快じゃない」
「でしょうね。でも、そんな事は相手に関係ありません」
「だから……」
その続きを言おうとして、李明は再び香林の指によって唇を押さえられた。
「その続きは言わないでください。聞きたくありません」
「いや、でも……」
「あなたがこの町の警護人だということは分かっています。そのために外敵と戦っている事も。ですが、今回は戦わないでください。あなたでは十二支徒には勝てません。
フィードさんのことも確かに大事ですが、私はあの人かあなたかを選べと言われたら間違いなくあなたを選びます」
「そう言ってもらえるのは嬉しいよ。でも、この町は俺の生まれ育った町だ。子供のときからお世話になった人もたくさんいる。もし、十二支徒がこの町に来てそんな人たちに害をなすというのなら俺はそれを黙って見ていられない。
フィードさんに戦いを任せて自分は何もせずにいるなんて事はしたくないんだ」
「そうやって我を通そうとしても無駄です。私たちは黙ってみてればいいんです。その方があの人のためにもなりますし、邪魔にもなりません」
「……わかったよ。そこまでいうのなら、俺はフィードさんの戦いに手を出さない」
「はい、そうしてください」
「だけど、その相手が香林に手を出そうとしたら俺も戦う。俺は君を失いたくない」
「それであなたに死なれると私は困ります。ですから、もしそうなったら無理矢理でも一緒に逃げてもらいます」
互いに互いを想い合う二人。このまま何も起きずにいてほしいと願わずにはいられない。そう、何も起こらなければ誰かが危険な目にあうこともなく、相手の身の安全を心配する必要もないのだ。
だが、そんな願いを祈るほど、現実は非情な事態ばかり引き起こす。
轟音とともに土煙が舞いあがる。異常事態に気がついた二人が見張り台から外を眺めると、町の門の一つが打ち破られていた。
襲撃者が、倭東の町へと訪れた。激戦の火蓋が再び切られる時は、近い。