第40話:朝の散歩
フィードの反応を見た卯月は満足そうな笑みを浮かべると、彼に近づくのを止めてその場にあぐらをかいた。
「その反応を見るとどうやら復讐を忘れていたわけではなさそうじゃの」
「当たり前だ。あの出来事を、覚えていられる犠牲者は俺一人なんだ。村のみんなの無念を晴らすためにも俺は奴ら全てを殺す。それは十二支徒を抜けたお前でさえも例外じゃない」
「大言壮語もそこまで行くと立派なものじゃ。よい、よい。わしは非常に満足しておる」
威勢良く卯月に噛み付くフィードに、彼女は先程よりも更に喜んだ様子を見せた。その様子が不快なのか、フィード自身は終始苦い表情を浮かべていた。
「確かに風の噂や香林の予知でお前さんがそれなりの成果を上げてきておるのも事実じゃ。そこはきちんと評価せねばならんのう」
そう言って卯月は再びフィードに近づき、その頬に手を当てて顔を近づける。だが、フィードはその手を振り払い、彼女を遠ざける。
「触るな! お前のような奴と同じ場所で息をしていると思うだけで吐き気がする」
微塵の隙もない拒絶。卯月を見るフィードの眼は怒りの炎が燃え上がっている。
「つれないのう。かつては何度も一夜を共にしたというのに。それほどまでにこのわしが憎いか? お前に武を、魔を、知を授けて復讐の手助けをしておる師がそれほどまでに憎いのか?」
「ああ、憎いさ。今すぐにでもその喉を切り刻んでやりたいほどな。お前さえいなければ十二支徒なんてものが生まれる事もなかったんだからな!」
息を荒げるフィードにやれやれと肩をすくめてため息を吐く卯月。
「まったく、せっかくお主が町に辿り着いたという報告を受けてこのわし自ら来てやったというのに……。これではまともに話もできん。困ったものじゃ」
「話なら俺が明日そっちに出向いてやるから待っていろ。そもそもこんな夜中に訪れるって事自体非常識だ」
「仕方ない。こうまでして拒絶されるのでは一旦引き下がるしかないのう。行くぞ、香林」
「はい、卯月様」
卯月はそれまで己の後ろに黙って控えていた香林に声をかけ部屋を出て行こうとする。しかし、香林の名前を聞いたフィードが気になってつい彼女を引き止める。
「香林? もしかして、君はあの時の……」
かつて李明と共に己の後ろにくっついて歩いていた少女の姿を思い出してフィードは問いかける。昔とは変わって美しい美女になった少女がそこにはいた。
「ええ、そうです。お久しぶりですフィードさん」
懐かしさから昔と変わらない優しい笑みを浮かべて挨拶を交わす香林。だが、彼女がそんな笑みを浮かべる理由がフィードには分からなかった。
「どうして、どうして君は未だそんなところにいるんだ? だって君は……」
と、次の言葉を紡ごうとしたとき、何の気配もなく香林がフィードの目の前に現れ指先で彼の口を抑えていた。
「その話の続きはまた明日。これ以上騒ぐと後ろにいる女の子が目を覚ましてしまいますので」
思わず抱きしめたくなるような儚げな笑みを浮かべて香林は呟く。かつて色香に欠けていたただの少女は、今では一瞬で男を惑わす妖艶な美女へと成り代わっていた。
「……わかった。俺もこいつに余計な心配はかけたくない。また、明日……でいいんだよな?」
不満げな態度のフィードにさして気にした様子も見せず香林は頷いた。
「ええ。フィードさんに時間があればいくらでも話す事はできます。この数年間どんなことをして過ごしていたのか、どんな出逢いや別れがあったのかなど。でも、一番に聞きたいのは復讐に関する事ですが……」
「わかったよ。時間はたっぷりあるし、君には全て話すよ。それに俺も聞きたい事がたくさんあるからな」
互いに明日の約束を交わし、別れようとする。そんな二人の様子が気に入らないのか、先に帰ろうとしていた卯月が口を挟んだ。
「なんじゃ、なんじゃ。お前達二人ともわしを差し置いて仲良くしおって。つまらん、実につまらんのう。命の恩人であるわしにもう少し優しくしても罰は当たらんぞ」
駄々をこねる子供のように嫉妬を露にする卯月に二人は全く同じ反応を見せた。
「ご冗談を。あなたに優しくする理由が私にはありませんので」
「冗談! お前に優しくするなんて死んでもごめんだ」
そんな二人の反応にますます落ち込み、ようやく家を後にする卯月。そんな彼女を追うように、香林もフィードに一礼してその背に続く。そんな二人を見送った後、フィードはようやく再びの眠りにつくのだった。
「マスター! 見てくださいよ、これ。よくわからない木が水を溜めては音を鳴らして溜まった水を吐き出してますよ!」
卯月の突然の襲来から数時間後。夜が明け、朝が訪れた倭東の中をフィードとアルは巡っていた。目新しいもので一杯の町をアルはうきうきとした様子で走り回っては目につくものをフィードに尋ねるのだった。
「それはししおどしっていうものだよ。元々は農場に被害を与える獣を追い払うための装置として使われていたものだったんだけど、今では富裕層の人々が庭園の装飾として使うようになっているものだ」
「そうなんですか~。じゃあ、じゃあ。これはなんですか?」
ししおどしを見終わった後、次にアルが指したのは店の高柱にくくり付けられてある鉄製の風鈴だった。
「あれは風鈴っていって、夏期の時期に少しでも涼しい気分になれるように、ああしてくくり付けてその音を聞いて心を和やかなものにするんだ」
「それで涼しくなるのですか?」
「う~ん。実際に涼しくなるわけじゃないぞ。でも気持ちの持ちようだってよくいうだろ? あの音を聞いて涼しいと感じる事が重要なんだよ」
フィードがそう言うと、丁度タイミングよく風が吹き、チリンチリンと風鈴が音を奏でる。
「なるほど~。気持ちが大事……。それじゃあ、あれはっ!?」
息を吐く間もなく次々と質問を投げかけるアルにフィードは振り回されながらも、その無邪気な様子を微笑ましく思い笑顔を浮かべていた。会いたくない人物がいるこの町だったが、アルを連れてきた事によって図らずともフィードは心地よくこの町で過ごす事ができそうだと思っていた。
(ホント不思議だな。俺なんかよりもずっと弱く、頼りなくて。ただの小さな女の子のはずなのに……)
少女の無邪気さに救われている部分があると心のどこかで理解しながらもフィードは己の内に抱えている矛盾について考える。
アルを危険なことから遠ざけたい。そう思っていたはずなのに、今ではあれだけ教えるのを拒んでいた魔術を教え、こうして己の復讐の対象でもある卯月のいる倭東にさえも連れてきている。グリンの元で留守を頼み、そのまま一人でこの町に来ていたならば昨夜のように突然現れた野盗にアルを怯えさせることもなく、彼女の存在を気にせずあのまま野盗を切り刻むことも……。
キーンとふいに耳鳴りが響き、フィードは一度考えるのを止めた。
“そうではない”
(俺がアルを連れているのは、あくまでも俺の身勝手な考えからだ。目の届くところにいて欲しい。危険が及んでも救いの手を差し伸べられる場所にいて欲しい。そう思ってるから、こうして連れてきているんだろうな。それ以外にあれこれ理由をつけても仕方がない)
アルを連れて旅をする理由についてそう結論づけるフィード。そんなことを彼が考えていると知りもしないアルは、ただ楽しそうにはしゃぎまわっているのだった。興奮して走り回る少女を見て、フィードは苦笑する。
「そんなにはしゃぎまわると夜まで体力持たないぞ、アル」
「昨日たくさん寝たんで大丈夫です! それよりもマスター。今日はどこに向かうんですか?」
「今日か? そうだな……しばらく町を離れていたことだし、探索がてら挨拶に行かないと行けない人のところに行く予定だ」
もっとも、その挨拶自体アルが寝ている間に既に行われているのだが、これを話すとまた余計な心配をかけるだろうと思い、フィードはアルに話をしなかった。
「そうですか。この町は見たことないものがたくさんあるので、ただ回っているだけでも楽しいです!」
「そうか、それはよかった」
ようやく先を歩くアルの隣に並んだフィードは、彼女がいつもと一点だけ違う部分があることに気がつく。
「あれ? そういえばその髪留め見たの久しぶりだな」
そう言ってフィードはアルの髪に付けられている赤色の髪留めに視線を移した。それはリオーネがセントールを訪れた時にフィードがアルに日頃の頑張りの報酬としてプレゼントしたものだった。トリアに向かう前には定期的に付けているのを見かけていたが、それもここしばらくは目にすることはなかった。
「あ……はい。その、ここ最近付けていなかったのでたまにはと思いまして」
いつもの自分と違う点にフィードが気づいてくれたのが嬉しいのか、アルはもじもじとしながらも上気した頬で上目遣いにフィードを見ていた。
「なるほどな。そう言えばその髪留めを見て思い出したがイオのやつに頑張っていたら同じようにプレゼントしてやるって約束をしていたな。ここならセントールになさそうなアクセサリーもありそうだし、また時間がある時に探してみるか」
と、そこまで上機嫌のアルだったが、フィードがイオの名前を出し、あまつさえプレゼントを探すと口にした瞬間それまでとはうってかわって不機嫌になった。
「……マスターって本当にどんな女性にも優しいですよね」
ムスッとしながらアルは呟く。
「どんなって……そんなつもりはないんだがな」
「マスターがそう思っていなくても、こっちはそう感じるんです! もう、ホントにしょうがないですね……」
何故か一人で怒って自己完結してしまっているアルにフィードは苦笑いを浮かべるのだった。それから昼時になるまで二人で色々なお店を巡り、町を散策して李明の待つ家へと戻った。
「あ、二人共お帰りなさい。町を見た感想はどうです?」
ジャンの言葉ではなく、他国の共用語で話しかける李明にアルが答える。身振り手振りを交えながらアルが答える。
「すごかったです! 今まで見たことのないような家や物がたくさんありました! ここに住んでいる人の服装も普段見られないような和装でしたし。とにかく目新しいものでいっぱいでした!」
この興奮を誰かと分かち合いたいのか、アルはそれからしばらくの間ずっとこの町や人々のことについて話し続けた。これほどの反応が返ってくると思っていなかったのか、李明は薮蛇だったかと質問を投げかけたことを少し後悔しているようだった。
しばらくして、アルの話が一段楽したところでフィードが話題を変えた。
「そう言えば、この後あいつのところに行く予定なんだが、その間アルをここに置かせてもらっても構わないか? ちょっと連れて行くのは気が進まなくて」
そう言ってチラリと横目でアルを見るフィード。卯月の元にアルを連れて行くのはとある理由から止めておこうとの考えからだった。
「ええ、構いません。元々今日は非番で俺も家にいますし、いざって時に呼び出されたとしてもアルちゃんが家にいてくれれば問題ありませんからね。
「そういうわけだ、アル。今から俺は出かけてくるが、その間留守番していられるか? もちろん行きたいところがあるなら李明に言って出かけてもいい」
フィードの問いかけにアルはすぐさま頷く。
「はい、マスター。でも今日は朝のうちに町を一緒に回ってもらえたので満足です。ここで帰りをお待ちしていますね」
ニコリと微笑みながらアルはそのまま昨晩あてがわれた部屋へと向かっていった。アルの姿が見えなくなると李明が小さな声でフィードに問いかける。
「は~。本当によくできた子ですね。というか昨日は聞きそびれたんですけれど、あの子フィードさんとどのような関係なんですか? 下女か何かです?」
不思議そうにしている李明にフィードは意地悪そうに唇をつり上げて答える。
「お前も昨日言ったろ、あいつは俺の娘みたいなものだよ」
その答えに勘弁してくれといった様子の李明を見てフィードは口元を抑えて笑いを堪えるのだった。