第39話:夜這い
薄暗い室内を小さな灯火が照らす。細長い廊下を渡る際に板がきしむ音はやけに不気味でまるで異形の何かが暗がりに潜んでいるのではないかと感じさせる。
ゆらり、ゆらりと灯火が揺れながら移動する。小さな棒に油を浸した布を巻いたそれを持って歩く人影が一つ。影はゆっくりと焦ることなく、それでいてなるべく早く内に秘めた興奮をさらけ出そうと目的の場所へと向かう。
やがて、長い廊下を歩ききり、影は目的の場所である大広間へと辿り着いた。
「失礼致します、香林でございます」
香林と自ら名乗った人影は大広間の襖の前に座り、奥にいる人物へ中へ入っても良いか許可を伺う。
「……よいぞ、入れ」
香林の言葉の返答に、襖の奥から妙齢の女性のものと思われる声が聞こえる。
「では……」
丁寧に襖を開き、香林は中へと入った。薄暗い廊下と違って広間は明るい。部屋の四方に置かれてある明かりによって室内が照らされているためだ。
中へと入った香林は、部屋の最奥に位置する場所で足を延ばし、肘掛にもたれかかってくつろいでいる一人の女性を見つける。
「さて、一体なに用じゃ? こんな夜更けにわしの元に来るとは夜這いに来たわけでもあるまい。それともそれほどまでにわしの傍を離れるのが嫌なのか?」
ククッと喉を鳴らして笑いながら女性は冗談を口にする。今の時期にしては少し肌寒いのではないのかと思われる薄着の肌着を一枚。それも胸元を大きく露出させたものを着ているだけの女性は誘うように香林を誘惑する。
「ご冗談を。私は女の身です。そのようなことをなさるのならばせめて男性の方をお呼び付けください」
女性の前へと移動した香林はしゃがみこみ、頭を垂れながらあっさりと冗談を否定する。
「なんじゃ、つまらん。どうしてお前はわしの前だとこのように堅物な人間なのじゃろうな」
「そのような性格になるように申し付けられたのはあなた様ですので」
生真面目に返答を続ける香林の反応に飽きたのか、女性は渋い顔をして問いかける。
「それで、本題は何なのじゃ?」
これ以上続けていても面白い反応が得られないと悟ったのか女性は香林に本題を話すよう促す。その言葉に香林はすぐさま身を正して報告をする。
「はい。まず一つ目はつい先ほど町の近くに野盗が現れました。旅をしている二人組みを襲ったようですが、幸い警護人たちが駆けつけたおかげで事なきを得たようです」
香林のその報告をまるで聞く気がないとでもいうように、欠伸をしながら聞き流す女性。だが、そんな彼女の反応を見て香林は呟く。
「いいのですか、そのような反応をしていると後悔しますよ?」
「よい、よい。そのような瑣末な出来事、いい加減聞き飽きた」
「そうですか……。では、その瑣末な出来事の続きをさせていただきます」
そう言って報告を続けようとする香林。そんな彼女の報告をこれ以上聞く気がないのか、女性は香林を下がらせようとする。しかし、次に出てきたある人物の名前を聞いてその表情はそれまでのやる気のないものから一気に変わった。
「その旅人はこの町を目指していたため先ほど保護し、町中へと迎え入れました。一人は青年、もう一人は少女。少女の方は名前をアルといい、青年の名前はフィードといいます」
そこまで言って香林は一度報告を止め、己の主である女性の反応を伺った。顔を僅かに上げ、女性の顔を見ればそこにはここ最近では滅多に見られなかった愉悦の笑みを浮かべた女性がいた。
「……ほぉ。ようやく来たか、あの馬鹿め。わざわざこのわし自ら筆を手に取り手紙を送ってやったというのに、散々待たせおって。どれ、ここは一つ顔を見に行くとしよう」
起き上がり、衣服をそれまでの薄着から外出用の物へと替え始める女性。そんな女性の姿を見て香林の頬もまた緩む。
「楽しみですね。なにせ数年ぶりの再会ですもの」
女性の着付けを手伝いながら香林は呟く。そんな彼女の問いかけに女性も嬉々とした様子で答える。
「そうじゃのう。あの未熟者が一体どれほど成長して帰ってきたか気になってしょうがない。風の噂ではそこそこ強くなったみたいじゃが、わしから言わせればまだまだひよっこじゃな」
嬉しさを滲ませる主の様子を見て香林は満足そうにしていた。彼女もまた女性と同じように彼に会うのを楽しみにしている者の一人であった。
「あの人は、今もまだ復讐に囚われているのでしょうか?」
女性の帯を締めながら香林が言葉を零す。そんな彼女に女性は答える。
「そうでなくては困る。だからこそわしはあやつを拾ったのだからのう。まあ、そんなことはないであろうが、万が一にでも復讐を忘れて腑抜けておるようなら……」
帯を締め襖の前を歩いていく女性。その後ろを香林がついていく。そして、女性は勢いよく襖を開き、
「……その時はわしがこの手で殺してやるまでよ」
そういい残して彼女は屋敷を後にして目的の人物の元へと向かっていく。
「いや~それにしても本当にお久しぶりですフィードさん!」
野盗との一件の後、李明の案内の元、セントールとジャンの国境線近くにある小さな町、倭東へと訪れたフィードとアル。李明の知り合いということもあってか、事情を詳しく聞かれることもなくすぐに解放され、今は李明に案内されて彼の家に来ていた。
セントールでは見かけない木造建築の和風の家に町に来て早々アルは圧倒され、李明の家に案内されてからも不思議そうに家中をうろちょろと動き回っていた。そんな彼女をある程度好きに行動させ、フィードは旧知の間柄である李明との会話に花を咲かせていた。
「本当に久しぶりだな李明。俺がこの町を出るときはまだあんなに小さかった少年が今では立派に町の警護人をやっているだなんて驚いたよ」
フィードはそう言って記憶の中にあるかつての李明の姿を思い起こす。元気がよくわんぱくな少年。背丈は自分の腰よりも少し上くらいの大きさだった少年は、今では自分よりも少し大きくなり、声も渋く低いものになっていた。がっしりと筋肉のついた腕や、鍛え上げられた身体がかつての少年との差異や成長ぶりを実感させる。
「いや~。そう言ってもらえると嬉しいです」
照れているのか李明は頭を掻いて視線を下げている。そんな子供らしさを残した様子にフィードは変わっていないところは変わっていないのだと、どこか安心する。
「でもビックリしましたよ。野盗に襲われている人を助けにいったらフィードさんがいるんですもん。一瞬夢かと思いました」
「ビックリしたのは俺もだ。町に着く前にあんな奴らが待ち構えているなんて思わなかったからな」
冗談で野盗の件を口にすると、李明が改めて申し訳なさそうにする。
「それに関しては本当に申し訳がない。俺たちの力がないばかりに向かうのが遅れて」
身体に力を入れ、俯く李明。その様子を見てフィードは彼ら警護人の間でなにやら問題が起こっているのだろうと予想した。
「いや、気にしなくていい。悪いのはあいつらで李明たちには何の問題もないからな。それよりも一つ頼みごとがあるんだがいいか?」
「ええ。なんですか?」
「実は俺は明日あいつのところに行かないといけない。だが、仮にも町の人間じゃない俺がいきなり会いに行ったとして門番達に因縁をつけられるなんてこともあるかもしれない。だから、お前にも一緒についていってもらって俺の代わりに話を通してもらいたいんだ」
フィードの言う“あいつ”が誰なのか理解したのか、李明は即座に頷いた。
「分かりました。門番達には俺のほうから話を通させていただきます。そうだ、どうせ明日あの方に会いに行かれるのなら香林のやつにも会ってやってください。きっと喜ぶと思いますよ」
香林という名を聞いてフィードの表情が明るくなる。
「そうか、彼女とも久しく会っていなかったからな。懐かしいな、昔は君達二人が俺の後ろをついて回っていたっけ」
当時を思い出してしみじみとした様子になるフィード。だが、対照的に李明は子供の頃の話をされるのは恥ずかしいのか顔を赤くして話を遮ろうとした。
「そんな昔の話はいいじゃないですか! それよりも今日は家に泊まってください。今から宿を取るってなっても大変でしょうし」
「それは助かる。ありがとう、李明」
「いえいえ。こんなことでよかったら……」
今日の宿を確保したというところまで話し終えてフィードは部屋の隅でしゃがみこんで物珍しそうにいろいろなものを見ているアルに声をかけた。
「おい、アル。今の話を聞いてたか? 今日は李明の家に厄介になることになったから一言お礼を言っておけ」
フィードの言葉で夢心地の状態だったアルは現実へと引き戻される。そして、すぐさま彼の傍へと駆け寄り、李明にお礼の言葉を述べる。
「今日一日お世話になります。よろしくお願いします」
明るい場所で改めて目の当たりにする少女の奇抜な容姿に李明は一瞬驚くが、その様子を悟らせることなくお礼を受け入れ返事をする。
「こちらこそよろしくね。えっと、アルちゃん?」
お互いに挨拶を交わし終え、李明がフィードとアルの部屋へと案内をする。空いている客間に布団を敷いて二人のための寝床を用意する。そんな中、部屋にしかれている畳を見たことがないアルはその上に寝転がりゴロゴロと部屋中を転がっていた。
「マスター、マスター! この部屋とってもいい匂いがしますよ。自然の香りで一杯です!」
満足そうにしているアルを見てフィードは優しく微笑んだ。荷物を部屋に置くと、外で待機していた李明に声をかけた。
「そういえば李蒙さんはどうしてるんだ? もしよければ挨拶をしておきたいんだが」
李蒙というのは李明の父親で、この町の警護隊の総括をしている人物だ。
「ああ、父さんだったら今警護人たちの会議に出ているところだからいないんですよ。明日には帰ってくると思うので、挨拶はそのときでいいと思いますよ」
「そうか。それならまた改めて挨拶に伺うとするよ」
「ええ。そうしてあげてください」
そう言って自分の部屋へと戻っていく李明を見送り、フィードはあてがわれた部屋に戻った。
「……えへへ~……」
いつの間にか先ほどまで元気よくはしゃいでいたアルが気持ち良さそうに畳の上で眠っていた。おそらくここ数日の疲れが一気に出たことと、野盗から逃れたことで緊張が解け安心してしまったことが原因だろう。
「まったく、こんなところで寝てたら身体を冷やすぞ」
眠っている少女を抱きかかえて部屋に敷かれた布団の一つに彼女を乗せ、掛け布団を上から被せる。しばらくアルの寝顔を眺めていたフィードだったが、次第に自分も眠くなり欠伸を噛み殺しながらもう一つの布団に入った。
瞼を閉じ、ここ数日は見なくなった悪夢をまた見ることないよう祈りながら意識を徐々に手放す。後は一瞬。意識はすぐに睡魔によって刈り取られた。
「まったく、人が来ているというのに出迎えもなしかこの家は」
「そもそも今は殆どの者が就寝している時間だということをお忘れなく」
眠ってからどれくらいの時間が経ったか。人の気配と少し離れた場所から聞こえる話し声によってフィードの意識は徐々に目覚めていった。
(……こんな夜更けに一体誰だ?)
瞼をこすりながら一応警戒心を持って布団を引き剥がして身を起こす。気配は徐々にこちらへと向かってきており、話し声も段々と大きくなる。
「さて、あやつは一体どんな顔をするかのう。まあ、まず好意的な反応はせぬだろうな」
「嫌な反応をされると分かっていてあなたはそれを止めようとはしないのですね。趣味が悪いと思いますが……」
「黙っておれ。あやつはわしの物じゃ。ゆえにわしがどうしようがあやつに拒否権はない」
己に近づくその声。あまりにも聞き覚えのある声にフィードは驚き、嫌な顔をした。
(どうして一日も待っていられないのか。これだから……)
思考を遮るように突然襖が開く。魔術でも使っているのか、勢いよくあけた襖は音もせずに開いた。そして、暗闇の中、現れたのは二つの人影。
一つはまだ幼さを残しながらも大人への変化を確実に見せている女性。ショートカットの黒髪を持ち、大人しそうに己の前に立っている女性に付き従っている。
そして、もう一つは暗闇の中でも分かる赤目を光らせ、長い髪を団子状に束ねて簪でとめている妙齢の女性。勝気で不遜な態度を浮かべ、フィードを見下ろしている。
「久方ぶりじゃのう、フィード」
両手を組み、背中を逸らしてフィードを見ながら挨拶を交わす女性。そんな彼女を見て苦い表情を浮かべ、睨みつけながらフィードは挨拶を返す。
「ああ、久しぶりだな。次にお前の顔を見るのは、お前を殺すときだと思っていたよ」
あくまでも拒絶の姿勢を貫きながらフィードは答える。その言葉は刺々しく、どこまでも冷たい。
「なんじゃ、つれないのう。こんな夜更けに女子が勇気を出して男の元へと来ておるというのに」
しゃがみこみ、着ている衣服をはだけさせながら女性はフィードに近づく。そんな彼女をどこまでも冷めた目で見ながら、フィードは呟く。
「はっ! お前が女子ね。いったいどれだけ年食ってるかも分からないようなやつが女子とは笑わせる」
酷くキツイ言葉を女性に投げかけるフィードに対して女性はさして気にした様子も見せず、
「相変わらず口の悪さだけは一人前じゃの。誰に向かってそのような口を聞いておるのか分かってるのじゃろうな」
一瞬の緊張。フィードに投げかけられる視線がそれまでの冗談めかしたものではなく、圧倒的な力のものへと変わる。だが、それに怯むことなく、フィードは女性に言い返す。
「ああ、分かってるさ。そうだろ、元十二支徒のリーダー『卯月』」