第31話:喜びと悲しみと
夕刻になり、ここ最近の日課となったクラリスの迎えをするため、フィードは学院の門の前に来ていた。さすがに数日連続で生徒を迎えに来ているとなれば最初は無愛想だった門番とも少しは打ち解けるようになり、挨拶をすれば返事をしてくれる程度の仲になった。今日もまた、クラリスが来るまでの間、門番との雑談をして時間を潰すフィード。
「どうも、お疲れ様です」
「……またあんたか」
渋い顔をしてフィードを見つめる老人。その反応にフィードは苦笑する。
「またとか言わないでくださいよ。一応こっちも用事があって来ているんですから」
「わしは別にあんたが生徒を迎えるためにここにいることに文句は言っておらん。それ自体はいいことだと思っておる。最近は殺人事件などで物騒だしのう。だが、毎回毎回こうして話しかけられると気が散って仕事にならんのだが」
「――いや、それを言われちゃうと話を止めるしかないんですけどね」
「まあ、お前さんにも色々と事情があるのかもしれんがのう。あんたにとってはたいしたことのない仕事に見えるかもしれんが、わしにとってはこの仕事はやりがいのある大事なものなんだよ」
「この仕事は長く続けられているんですか?」
話をされると気が散ると言われたばかりなのに、ついフィードは聞き返してしまった。それに老人は少しだけため息を吐き、それでいて自慢するように語る。
「もうかれこれ数十年この仕事を続けてきた。たくさんの生徒がわしの前を通って学院を入っては出て行った。一日の初めに明るい顔をして学院内に入っていった生徒が帰りには暗い顔をして帰ってくることなんてこともあった。普段遅刻ばかりしてこの門を通っている生徒が実は優秀な生徒だと知って驚くなんてこともあったなぁ」
「へえ、それはまた随分といろんな生徒を見てこられたんですね」
「いやいや、わしが一方的に見ているだけだよ。彼らにしてみればわしなんて記憶にも残らないような人間さ」
寂しそうにどこか遠くを見つめる老人。そんな彼に何か言葉をかけようとフィードが思ったところでクラリスが学院の中からこちらに向かってくるのが見えた。
「ほら、お前さんの待ち人が来たぞ」
「ええ、そうみたいですね。今の話の続きはまた明日にでも聞かせてください」
フィードがそう言うと、老人は少し驚き、困ったように笑った。
「まあ、気が向いたらの」
老人が返事をすると同時に、クラリスがフィードの元へと辿りつく。
「フィードさん、お疲れ様です」
「クラリスもお疲れ様。今日も学院は楽しかった?」
何となしに訪ねるフィードにクラリスは目を輝かせて何かを伝えたそうにうずうずとしている。分かりやすいその様子にフィードは思わず吹き出してしまう。
「あ、ちょっと。笑わないでくださいよ!」
「いや~ごめん、ごめん。クラリスがあまりにも分かりやすくてさ。なんかアルが大きくなったみたいに思えて」
「もう! アルちゃんは確かにかわいい子供ですけれど、私そんなに分かりやすい人間じゃないですよ?」
「いやいや、クラリスは結構分かりやすいって。それで? 何か話したいようなことがあるんじゃないの?」
フィードが話をしやすいように促すとクラリスは先ほどにもまして落ち着きがなくなった。しかし、ここが学院の前だということに気がついて、冷静になる。
「――コホン。その話は帰りながらしましょう。ここだと人の目もあるので」
妙に落ち着いた様子を取るクラリスを見てフィードはあることを思った。
(なるほど、それは人目がなかったらはしゃぎたいような話題なんだな)
クラリスの年頃ではしゃぐようなことといえば恋愛関係で何かあったかなと予想を立ててフィードとクラリスは歩き出す。しばらくの間互いに無言のまま一定の距離を保ち歩き続けた。そして、学院からだいぶ離れ、クラリスたちの家のある区にまで来たとき、それまで重く閉じていた口をクラリスは勢いよく開いた。
「よ、よし。ここまでくればもう大丈夫ですね」
何が大丈夫なのかはフィードには分からなかったが、ようやく話せる準備ができたクラリスを止める理由もなかったため、そのまま話を聞いた。
「実はですね、私今日研究グループに所属しないかっていう誘いを受けたんですよ」
「研究グループ?」
「あ、普通分からないですよね。えっとですね、研究グループというのはそこに所属する研究員がお互いの持っている知識を分け合ったり、研究を手伝ったりして切磋琢磨するところなんですよ」
「それってギルドみたいなものか?」
「まあ、似てなくもないですね。それでですね、私が誘われたのは兄さんが学院生だった時に所属していた研究グループなんですよ。普通研究グループへの所属というのは学院を卒業してからっていうのが普通で、兄さんとシアさんが学院生として所属したのは異例中の異例だったんです」
「へえ、でもクラリスも学院生でそのグループの誘いを受けたって事は異例ってことになるんだろ? よかったじゃないか」
「はい! でも、ちょっと不安に思っていることもあって。兄さんは本当に才能があってその才能に見合った成果を出してきました。ですけれど私にできることなんて勉強くらいで本当に結果が出せるか、せっかく誘っていただいているのに期待を裏切ってしまうのが怖いんです」
喜びも束の間、クラリスの声は小さくなり、それまであった覇気は見る見る萎んでいく。
「そんな風に思っているのか。だったら頑張ればいいと思うぞ。確かにクローディアのやつは才能もあると思うし努力もしている。だから結果を出したんだろうけれど、努力している点だったらクラリスだって負けていないと俺は思う。なんでもやってみないと分からないものだよ。そうやって何でもクローディアを引き合いに出すのはクラリスの悪い癖だぞ」
コツンとクラリスの額を指ではじき、嗜めるフィード。クラリスはたった今はじかれた額を両手で押さえて、しばらく考え込んだそぶりをみせたあと、フィードに返事をした。
「そう、ですよね。フィードさんの言うとおりです、私頑張ってみようと思います! 話を聞いてくださってありがとうございます」
「頑張ったのはクラリスなんだから俺にお礼なんか言わないでもっと自分を褒めてあげたらどうだ?」
「確かにそれも一理あります。それじゃあ、家に戻る前に私にお菓子を奢ってください! お祝いということで」
「いいけど、食べ過ぎるなよ。夕飯食べられなくなっても知らないぞ」
「大丈夫です。女の子にとって食事とおやつは別物ですから」
二人とも笑顔を浮かべながら帰り道を並んで歩く。クラリスは自分の成果を他人に褒めてもらい上機嫌になっていた。今までは兄に対して劣等感があったが、今回の件でそれも払拭できるだろうと心の隅で思いながら。フィードは努力してきた彼女の成果が報われたことを心から喜んで。
クローディアが帰ってきてクラリスの報告を聞いたらきっと喜ぶだろうとフィードは思い、その反応を想像して楽しんでいた。
だが、その予想は裏切られることになった。
「駄目だ、クラリス。お前に研究グループは早い。例え誘いがあったとしても先生のところだけは絶対に許すわけには行かない」
帰宅したフィードとクラリスは留守番をしていたアルに早速今日のことを報告した。アルもまたフィードと同じようにクラリスの成果を祝い、喜んでいた。そのため、クローディアが帰ってきてクラリスが話を持ちかけたときは誰もが同じように喜び、祝うものだと思っていた。だが、それは叶わなかった。
「え? に、にいさん? なんで……」
ここ最近ぎこちなかった兄との関係を自ら修復しようという気持ちも持って話をしたクラリスだったが、帰ってきた兄に告げられた言葉によって笑顔に満ち溢れた表情は静かに凍りついた。
「聞こえなかったか? 駄目だっていったんだ」
最初は兄の言っていることの意味が分からなかったクラリスだったが、次第に冷静になっていきその言葉の意味するところに気がつき沸々と胸の奥底から湧き上がる怒りと共に反論する。
「ど、どうして! 何で駄目なの? せっかく喜んでもらえると思って話したのに!」
予想外の反応を見せた兄に対して反発という形で言葉をぶつけるクラリス。そんな二人をフィードは静かに見据え、アルはおろおろと慌てふためいていた。
「理由は話せない。ただ、今のクラリスの実力じゃ研究グループはまだ早いって言ってるんだ。だいたい、誘ってもらえるほどの実力があるのだったらどうして一つのグループからしか誘いがなかったんだ?」
「そ、それは……」
「僕の時は幾つものグループからの誘いがあった。だけど、クラリスは一つの、先生のところからしかこなかったよね。これがどういう意味か分かる? クラリスを誘ったのは何か別に理由があるんだよ」
「そんなことない! だってジョゼ先生は私のことを見込んでって言ってくれたもん!」
「まさか、そう言われたからってその言葉を鵜呑みにして一時の感情で動いているんじゃないだろうね? 強い感情だけで動いているだけなら研究者を目指すものとして失格だよ」
クラリスを責める言葉なのに、何故かとても悲しい表情を浮かべながらクローディアはキツイ口調で話す。そんな彼の態度にとうとう我慢の限界がきたのか、クラリスが声を張り上げて怒鳴る。
「うるさい! なによ、兄さんなんてシアさんに振られちゃったくせに。その理由も話さないでさ。私知ってるんだから。ジョゼ先生と兄さんの仲が悪いんだってこと。学院を卒業したとき兄さんはジョゼ先生のグループに所属することを断ったのにシアさんは先生のところに所属したのが気に入らなかったんでしょ? だから先生との仲が悪いんじゃないの!? 今回の事だって、私が先生に正当な評価を貰ったのを認めたくないからそんな意地悪なこと言うんでしょ」
「クラリス……」
「兄さんはいいよね。努力すればその分成果がでるから。でも私は違うの! 兄さんみたいに才能があるわけでもないのに、兄さんと同じくらいの結果を常に求められてきた。プレッシャーはあったよ。でも頑張らなきゃっていつも思ってた。自慢の兄さん、いつも求められた結果を出してきた兄さんを傍で見てきたから! だから頑張ってきた。それで、それでようやく今回私の成果が実りそうなの。頑張った結果が出そうなの! なのにどうして兄さんはそれをよろこんでくれないのよ!」
今まで己のうちに溜まり続けていた不満や鬱憤を吐き出すクラリス。クローディアは驚いた表情をしたまま黙って彼女の言い分を聞いていた。
「ずるい、ずるいよ……。どうして私頑張ってるのに、褒めてくれないの? フィードさんもアルちゃんも喜んでくれたのに……どうしてっ!」
涙を流し、かすれた声で呟きながらクラリスは勢いよくその場を後にし、家を飛び出した。そんなクラリスを見てそれまで二人のやりとりを黙ってみていたフィードが動き出す。
「あのさ、家族同士のことだからあんまり口は出したくないけれど、さすがに今回はお前が悪いと思うぞ。ちゃんとした理由を話さないで頭ごなしに否定したらクラリスだってそりゃ怒りたくもなるぞ」
「うん……。そうだね、ごめん」
「俺に謝ったってしょうがないだろ。とりあえずクラリスを落ち着かせて連れて帰るからきちんと仲直りしろよ。このままじゃ今まで以上に仲がこじれていずれ修復不可能になっちまうぞ」
自分とリオーネのことを思い出してフィードはクローディアにアドバイスを送る。人と人との関係は取り返しがつかなくなってしまったら後悔しか残らないということを知っているからこその意見だった。
「わかった。でも、理由は話せないんだ」
「何か話せない訳があるのか?」
「うん、ごめん。そこだけはどうしても譲れない。きっとこれを聞いたらクラリスは余計に悲しむことになると思うから」
「……わかったよ。お前を信じる。でもいつかその理由をきちんと話してやってくれよ」
「……わかった」
そう言い残してクラリスの後を追うフィード。家の中には既に後悔の表情を浮かべるクローディアとこの状況をただ眺めていることしかできなかったアルが残された。
「あ、あの! 元気出してください。きっとクラリスさんもクローディアさんがクラリスさんのことを思って厳しいことを言ったってこと分かってくれますよ」
どうにかして元気付けようとするアルにクローディアはクスリと力なく微笑み。
「君は優しいね、そんな君がいたからフィードはあれだけ優しくなったのかな?」
おろおろとするアルの頭を撫でてクローディアは呟く。この状況をどうにもできない自分を歯がゆく思いながら、アルは俯いていた。
やがて、アルの頭を撫で終わったクローディアは自室へと向かい、部屋に備え付けられているベッドに倒れこんだ。顔を手で覆い、先ほどまでのやり取りと、過去の出来事を思い返す。
「楽しいことがたくさんあった。クラリスが生まれて、シアと出会って。二人で勉強して、互いに成果を出して……。フィードやリオーネと出会ってシアと結ばれて……」
気づけば一滴の涙が頬を流れて涙の跡を残す。
「でも、楽しいだけじゃ何も守れない。もう二度と、後悔だけはしたくない」
ガチッと歯が鳴る音が聞こえるほど強く、強くクローディアは歯をくいしばった。
「だから、僕は……」
明かりの灯らない部屋の中、クローディアの意識は静かに静かに闇の中へと吸い込まれていった。