第2話:酒場にて
この世界、名の付けられていないこの世界には一つの大陸が存在する。
大陸は大きくわけて四つの国が存在し、
東の武の国 ジャン
西の剣の国 フラム
南の知の国 トリア
ジャンは武芸に優れた国。武術や気を扱う人々、それらを学ぶ人で溢れている。
フラムは剣技に優れた国。勇猛果敢な騎士たちが今日も人々を守っている。
トリアは魔術に優れた国。魔術に関する蔵書や、魔術の最先端である学院が存在し、その研究のためにここを訪れる人々も多い。
そして、それら三国に囲まれ貿易国として栄える国、セントール。
各国の情報や特産物などが入り交じり、どの国よりも賑わい、人が行き交う国だ。
一見すると他の三国に比べて武力に劣ると思われるこの国だが、各国から亡命するものが多く、彼らが集まって作った組織があるため、簡単に侵略される心配はない。
そのためか、ここにはなんらかの理由で国を追われた者たちが多く存在する。そんな人々が次々とこの国に流れてきたためか、この国は亡益国と揶揄される事もある。
物語は、そんなセントールの西側、剣の国フラムに近い小さな下町から始まる。
「おーいオッサン! なんか仕事紹介してくれ〜」
下町のとある酒場の扉を勢いよく開いて、一人の青年が中へと入ってきた。まだ日も昇りきっていないこの時間帯では酒場にいる人もまばらであり、彼が勢いよく登場してきても誰も大きな反応を示さない。
初めて彼を見た者は何事かと一瞬驚き、しかしたいした事ではないと彼の言葉と雰囲気からすぐさま察して、食べかけていたパンに再び手を伸ばす。対して、この酒場の馴染みの者は最近ここによく顔を出すようになった青年の毎度の行動に呆れ、ため息を吐き、そして店主に同情の眼差しを向ける。
「おい、今うちは営業中だ。仕事が欲しけりゃ食事の一つや二つ頼んでからにしてもらおうか」
顔全体に深く生えた髭に、強面で体格のいい、暗い路地裏で一般人が出会った日には腰を抜かしてしまいそうな風貌をした中年の男性がカウンターの中で木製のグラスを拭いていた。
「そんな堅いこと言わないで紹介してくれよ。俺を路頭に迷わすつもりかよ」
愚痴をこぼしながら、青年はカウンターの一席に座った。
「そうだぜ、レオード。さっさとそいつに仕事でもなんでも紹介してつまみ出しちまえ! こう毎日毎日入り浸られたんじゃ、せっかくの酒がまずくなって仕方がねえ」
馴染みの客の一人がテーブル席から冗談混じりに文句を言う。
「うるせえ! おめえだってこんな日中からろくに働きもしねえでうちに入り浸ってるじゃねえか。おめえとこいつに違いがあるならうちに金を払ってるか払ってないかの違いくらいだ」
すかさずカウンターの中からレオードが言い返した。その言葉に他の馴染みの客は「まちがいねえ」と頷いた。もっとも、頷いた彼らも結局のところ同類なのだという事に気がついていないのだが。
「そんじゃ、俺もここに寄付をするとしますかね。いつも仕事紹介してもらってるし。オッサン、俺アップルパイとラム酒ね」
「このガキ。頼むと言っておいてそいつはうちで一番安い料理と飲み物じゃねえか。どうせだったらもっと高いもん頼みやがれ!」
「え〜。だってオッサンの料理ってそんな上手くないし、せっかく高い金を支払っていいもの頼んで、黒こげになったもんを食わされちゃたまったもんじゃないからな」
青年の一言にまたしても酒場に笑い声が響き渡る。「そりゃあそうだ」とか「おめえの負けだレオード」と言った野次が飛び交う。
「くっ……言わせておけば、好き放題言いやがって。おい、フィード! 俺は昔傭兵ギルドでも名の通った腕利きの傭兵だったんだ。あんまし馬鹿にしていると痛い目を見る事になるぞ」
フィードと呼ばれた青年はレオードの脅し文句に、
「みんな聞いたか? ついに出たぞオッサンの謳い文句、傭兵レオード。一体それで今まで何人の女を口説いて相手にされなかった事やら」
その言葉にまたしてもドッとひときわ高い笑い声が上がった。ある者はテーブルをドンドンと勢いよく叩き、ある者は「また始まったよ」とレオードのいつものやりとりに呆れかえる。
この酒場の店主、レオード。彼が言うには彼は昔有名な傭兵ギルドで名のある傭兵だったらしい。その名を聞けば、誰もが恐れかえって彼に道を譲り、任務成功率は相当なものだったようだ。
実際、彼の身体には剣で切り刻まれたような痕や、魔法によって傷つけられたような痕もあるので信憑性は高いと思われる。だが、なにぶんこんな下町の酒場でそんなことを言っても、相手は酔っぱらいばかり。まともに話を取り合うわけもなく、みんなホラを吹いているか、さもなければ妄想だと切り捨てていた。
もっとも、彼自身いつからここにいるのか知っている人は少ないし、実際体格の良さから話の話を聞いた一部の人々は実は本当ではないかと疑っている。しかし、彼が戦っている姿など誰も見た事がないので、結局冗談だとしてみんな扱う事が暗黙の了解となっているのだった。
「お前たち……今日は閉店だ! おめえらもこんなところで油売ってないでとっとと仕事にでも行ってきやがれ!」
レオードは怒声とともに中身の空いた木樽を酒場の中央へ放り投げた。
さすがにマズいと思ったのか、彼の怒りの矛先を自分に向けられたくないと思った人々は代金だけ置いてそそくさと外へ出て行った。
ただ一人、フィードを残して。
「オッサンのおかげで他の客はみんな仕事に行ったな。俺も同じように労働に勤しみたいんだけど」
レオードの怒りもなんのその。気にした様子を一切見せず、フィードはいつもの調子で話を続けた。
いつものことながら、相手のペースに乗せられたことにようやく気がついたレオードは沸き上がる怒りを抑え、しぶしぶフィードの要求を飲むことにした。
「まったく、お前が来るとうちは商売上がったりだ。頼むから二度と来るな」
「そんなこといって、俺が来たときはみんな盛り上がっているじゃないか」
「お前が余計な事ばかり言うからだ!」
カウンターの奥から何枚かの羊皮紙を持ってきたレオードはフィードの目の前に勢いよくそれを叩き付けた。
「ほら、お前が欲しがっている仕事だ。どれでもいいから好きなのを選べ! なんなら全部やってもいいんだぞ」
「いや、そこまで欲しいと思っていないから。どれどれ……」
目の前に置かれた羊皮紙に書かれた内容をフィードはじっと見つめた。そこには下町に関する事件や人手の足りない作業の手伝いに関する内容が書かれていた。
「なになに? 中階層の建築の手伝い。土木作業じゃねえか、これ。嫌だよ、あんな男臭いところにいくなんて」
「仕事を紹介してもらってる立場で文句を言うんじゃねえ。だいたいお前、なんでこんな風に仕事紹介してもらうなんていう形式をとってるんだ? そこらにいけば仕事なんて溢れるほどあるだろうが」
「う〜ん。べつにそうしてもいいんだけど、なるべくみんなの手に負えなくて困ってそうな仕事をこなしたいし。せっかく自分にできる事があるならできるやつがそれをやるべきだとは思わない?」
「まあ、そりゃあそうだけどな」
確かにフィードの言った通り、できるやつがやれることをするべきだという考えはレオードにもある。しかし、比較的身分への差別が少ないこのセントールでもやはり格差が存在し、中階層、上階層の人間に比べれば下町の人々は魔術師や傭兵などといったものに依頼を頼む余裕がない。そのため、何か事件が起こったとしても自衛が基本になってしまう。
もっとも、どうしても手に負えないような事件が起これば騎士団や魔術師団に依頼を出すのだが、彼らも下町の人々だけしか被害が出ていないうちは中々動こうとはしないのだ。中階層、上階層に被害が出てようやく動き出すといった具合である。
だからこそ、今ではすっかりこの下町に馴染んだフィードたちが、初めて下町で起こった事件を手伝い解決し、何も金銭などを要求しなかった際、この町の誰もが彼を疑った。元よりよそ者、しかも亡益国と揶揄されるこの国に腕の立つものが現れたら警戒しない方がおかしい。きっと彼らもどこかの国で何か事件を起こし、亡命してきたのだろうと誰もが思ったのだ。
「ん? どうしたの、そんなにじっと俺の事見て」
見たところまだ二十にもなっていなさそうな容貌をしているのに、どこか激戦をくぐり抜けてきたような貫禄も感じる。本人は何も言わないが、やはり訳ありなのだろうとレオードは勝手に考える。
「いや、特に何もない。いいからお前はさっさと仕事を選んで出て行きやがれ」
ぶっきらぼうに言うが、フィードを無理やり追い出すこともなく、こうしてわざわざ仕事を紹介しているのは、レオードが彼を信頼しているからだろう。
「それじゃあ、こいつを貰ってくよ。任務成功したら報酬を町長から貰っておいてくれよ。それじゃあ、またな」
「二度と来るな、このくそったれが」
ひらひらと羊皮紙をはためかせ、フィードは酒場を後にした。そんな彼の背を見送りながらレオードは残った羊皮紙を片付ける。そして、それらに一通り目を通したところで気がついた。
(ったく、あの野郎。なんだかんだ言って一番面倒な仕事を持って行ったじゃねえか。本当に素直じゃないやつだ)
数枚あった仕事の依頼でフィードが持って行ったのは今下町を一番騒がせている事件、盗賊による被害防止の依頼だった