第17話:決別
一年ぶりに再会を果たしたフィードとリオーネは顔を合わせてからしばらくの間、お互いに無言のまま立ちすくんでいた。フィードの挨拶は見事に無視され、不穏な空気が漂い始める。それまではしゃいでいたアルも、二人の間に漂う空気に気が付いたのか、次第に元気をなくして黙り込んでしまった。
周りの雑音ばかりが耳に入り、いつまでも沈黙が続くと思われた。しかし、その沈黙は意外にもリオーネの方から破られた。
「……久しぶりですね。私とはもう会わないつもりだと思っていましたよ」
棘のある言葉を投げかけるリオーネ。フィードは何も言い返すことなく、ただ黙ってリオーネの話を聞き続けていた。
「それにしても、相変わらず女の子を誑かすのが得意のようですね。私の次はこの子ですか? どうせずっと一緒にいるつもりもないくせに……。それがいったいどれだけ残酷なことなのかあなたはわかっているんですか?」
リオーネ自身これほどきついことを言うつもりはなかったはずだったのだが、口からは次々と黒く染まった言葉の羅列が吐き出されていく。
(違う……。こんなことが、言いたいんじゃない。私はただ、どうしてあの時私を捨てたのかが聞きたいだけなのに……)
「どういう、ことですか?」
それまで黙って話を聞いていたアルが、リオーネに尋ねる。フィードとリオーネの二人の関係についても、どうして今こんなにリオーネがフィードを目の敵にしているのかも知らないのだ。そんなアルをリオーネはわずかに哀れみの目で見ながらも、
「そう……。アルちゃんは何も聞かされていないのね。私はね、昔この男に拾われて、今のアルちゃんと同じように一緒に旅をしてきたのよ」
驚愕の色に染まるアル。そんなアルを見てリオーネの心は痛むが、それすらも無視して黒い塊は次々と溢れ出た。
「だけど一年ほど前に私はこの人に捨てられた! 理由は私のためだって言い張って。私のため? 余計なお世話です。私の道は私自身で選ぶはずだったのに、この人は私の意志を無視して捨て去ったの」
「マスター……本当なんですか?」
嘘だと言ってくれというようにアルがフィードを見つめるが、フィードはリオーネの言葉を肯定した。
「いや、リーネの言うとおりだ。俺は確かに、こいつの意思を無視してフラムへと連れて行って、そして置き去りにした」
その言葉にアルの顔に影が差した。今まで信じていたものを裏切られたかのように、アルはフィードに視線を向けることができなくなってしまった。フィードから貰い、アルの髪につけられている、信頼の象徴とも思えた髪飾りがどんどんと色あせていくのを感じる。その不安をリオーネは感じ取ったのか、アルの肩に手を置き、
「この子のことについてもそうです。もし、私と同じようなことになるようなら、今から私がこの子を引き取ります。答えてください! どうしてあの時私を捨てたのです?」
息を荒げ、眉を寄せ、必死に怒りを抑えながら、フィードに問い詰めるリオーネ。それにフィードは淡々と答える。
「言ったろ? お前は俺といるべきじゃないって。お前にはいろんな才能がある。人を惹き付けることもできるし、リーダーとしての素質もな。実際、俺と離れて一年足らずでフラムの騎士団副隊長まで一気に成り上がったんだ。
それだけの才能があるのに、何も持ち合わせていない俺の傍にいたらお前の人生が無駄になると思ったんだよ」
フィードの言葉にリオーネは愕然とし、落胆の色を浮かべる。
(そんな……。そんなことで私を捨てたというんですか!? わからないんですか? 仮に私が人を惹き付けることができ、リーダーとしての素質があるにしても、それはみんなあなたが私にさまざまなことを教えてくれたからそうなったのですよ。
あなたに出会っていなかったら、そもそもこんな風に人の上に立つこともなく、一生奴隷として働くだけの無為な人生を歩くだけだったのですよ!
だからこそ、私はあなたのためだけに生きようとしたのに……)
肩を震わせ、怒りを抑えるリオーネ。そんなリオーネの様子に気が付いているアルとフィードだが、心配するアルとは対照的に、フィードはどこまでも無表情なままリオーネを見続けていた。やがて、震えが止まり、何かを悟ったようなリオーネはアルの手を取り、
「……わかりました。もう、結構です。あなたに会う理由もこれでなくなりました。
それと、アルちゃんはこれから私のところで預かります。あなたに任せても、私のように最後に裏切られて捨てられるだけですから」
キツイ言葉を投げかけると、そのままアルを連れてフィードの元から消えていった。手を取られたアルは、フィードとリオーネの二人を見比べて、しばらくその場に留まっていたが、最後にフィードに悲しげな表情を向けた後、リオーネの背を追いかけていった。
そして、薬屋の前にはフィードただ一人が残された。
フィードとリオーネが言い争っていた時、彼らから離れた場所でその様子を見つめている一つの影があった。赤色の生地に黒色の線が所々に引かれている和装をした少女。腰まで届きそうな長い黒髪は、後ろで束ねられている。
歳の頃は十六、七ほどだ。しかし、幼く見えるその容姿に大人の女が醸し出すような色香を備えている。幼い容姿と溢れ出る色香とのギャップに、たとえどんな男でも彼女を見れば一目でひざまずくだろう。それほどの魅力が少女にはあった。
しかし、道を歩く人々は誰一人として、少女に視線を向けることはない。すぐ傍を通っているにもかかわらず、誰もが彼女に気が付かないのだ。
「ふふふ。いいものみ~つけたっ」
少女は遠くに見える一組の男女を見つめて舌なめずりをする。彼女の仲間内では、もはや誰一人として知らないもののない青年の姿が少女の目に映る。
「ああ! なんて素敵なの。あんなに凛々しい顔をしてるのに、あたしたちを見つけたら、その顔をまるで鬼のような形相へと変えてしまうのね!」
そして、彼女の視線はもう一人、彼のすぐ横に立つ金髪の女性へと向けられる。
「それに、あの子。たしか、『寅』が狙っていたっていう子よね。あの人の大切にしている女だから殺してみてどんな反応するか確かめるって言っていたのに。なによ、殺せていないじゃない。もしかして彼の逆鱗に触れて逆に殺されちゃったかしら」
クスクスと笑い声を上げる少女。かわいらしいその容姿に似合わず、口から出てくるのは残虐極まりない言葉たち。
「どうしよっかな? あの子に手を出すと私に直接被害が来るだろうし~。う~ん……そうだ! いっそのことあの二人を殺し合わせてみましょう。幸い今はあまり仲がいいようじゃないみたいだし。きっと二人も喜ぶわよね!
それに、あの女の顔生意気なのよ。この私を差し置いて人の視線を集めちゃって。気づいていない振りなんてして私に対する嫌味のつもり?
あ~もう! 早く殺してやりたいわ!」
腰にかけてある鉄扇を手に取り、ぶんぶんと勢いよく振り回す。しばらくして振り回すのに疲れたのか、ダラリと力なく腕を伸ばす。
「あ~疲れた。それにしてもあの二人、どう惑わしてあげようかな~」
鉄扇に舌を這わせ、狂気に満ちた目で、分かれた二人の姿を見つめた後、少女はその場を後にした。
フィードと別れた後、アルは一定の距離を保ちながら、リオーネの後を歩いていた。
(どうしましょう。ついとっさにリオーネさんの後に付いてきてしまいましたけど、リオーネさんさっきから一言も話さないで先に進んで行ってしまいますし、声をかけていいのかもわかりません)
思い出すのは、先ほどまでのリオーネとフィードの険悪なやり取り。詳しいことは分からなかったが、昔フィードがリオーネを捨て、この下町へと流れ着いたということは分かった。
(ということはですよ。私は、昔リオーネさんがいた場所に、割って入ったような部外者なんですよね……。もしかして、リオーネさん。私のことも内心では嫌っているんでしょうか?)
そのことを確認したいと思いつつも、本心を聞くのが怖いアルは、リオーネに声をかけようか、かけまいか迷い、伸ばした手は宙に漂っていた。
アルがリオーネの背に手を伸ばして何度目かになったとき、それまでどんどんと前を歩いていたリオーネが突然立ち止まり、後ろを歩いていたアルのほうを振り返った。
「……よし。ごめんね、アルちゃん。ずっと黙ったまま進んでて。ちょっと色々と考えたかったから。そういえば、荷物とか持たずに連れてきちゃったけど、どうしても持ってこなきゃいけないものとかあった?」
「いえ、そんな。私にとって必要なものはそこまでありませんので、戻る必要はありませんけど」
「そっか。それじゃあ、服とかは私が新しいの買ってあげるから、また明日一緒に見に行きましょ」
そう言って、アルの手を取り、再び歩き出すリオーネ。
「あ、あの。リオーネさん」
「リーネでいいわ。親しい人はみんなそう呼ぶから。それで、どうかした?」
「もしかしたらリーネさんは嫌と思うかもしれないんですけど、私今マスターが宿泊している店で働いているんです。それで、そこの店長さんが体調崩してて……。よければでいいのですけど、これからも手伝いに行ってもいいですか?」
アルの話を聞いて、リオーネは昨日の出来事を思い出していた。
「もしかして、昨日の薬ってその店長さんのために?」
「はい。今そこで働いているの私と、もう一人だけなんです。だから……」
リオーネはアルの言わんとすることを察したのか、しばらく考えるそぶりを見せた後、
「うん。別に構わないわ。そもそもアルちゃんがどうするかっていうのもアルちゃんの自由だし。無理やり連れてきたようになっちゃったけど、戻りたかったらあの人のところに戻ってもいいのよ?」
あの人、というのはおそらくフィードのことだろう。と、アルは推測するが、それについては指摘しなかった。それを指摘してしまうと、リオーネがまた悲しみに沈んでしまうと思ったからだ。
「いえ、しばらくはリーネさんの元にいさせていただけませんか? 私、リーネさんのこともっと知りたいので」
アルの言葉にリオーネは満面の笑みを浮かべ受け入れる。
「それじゃあ、今から私の宿に行きましょうか。それからお互いのこと色々と話しましょ」
「はい、リーネさん」
二人は手を繋いだまま、リオーネの宿に向けて歩き出す。そんな中、アルは隣を歩くリオーネの顔を見上げながら、ある事を思っていた。
(リーネさん。気づいてます? マスターはずっと『リーネ』って呼んでいたんですよ。本当に捨てたのなら、そんな風に親しみを込めて呼ばないはずですよ)
それを口に出すことはせず、こじれてしまった二人の関係を悲しく思い、それでも今までの二人に何があったのかが知りたくて、アルはリオーネのところへいることを決意するのだった。