第16話:再会
アルがリオーネと会った翌日、下町は例の騎士隊副隊長が既に訪れているという噂で集まった人で溢れかえっていた。
事の発端は昨日のリオーネの行動によって家に帰った人々が、家族や知人にこのことを話したせいで噂が広まったのである。噂はすぐに下町全域に駆け巡り、中には中階層から下町に訪れる人の姿も見られた。リオーネが宿泊している宿は大勢の人で取り囲まれ、我先にと姿を見ようとする見物客でいっぱいであった。
そして、噂の張本人であるリオーネはというと、
「これは困りました……。まだ隊の皆が到着していないのに、勝手に名乗ってしまったのがマズかったようです」
自分の容姿についてあまり意識をしていないリオーネは、騎士隊にいたときから散々、部下たちに「副隊長はもっと自分の容姿について自覚してください!」と口酸っぱく言われていた。そして、その言いつけを守らなかった結果がこれである。
リオーネは自分を目立たないようにするために、近くの露店で売っていた薄い生地のハンチングを買い、目元深くまで被り、顔が見えないようにした。そして、昨日出会った白髪赤眼の少女、アルに会うために約束をした場所に向かっていた。
(まだ時間はだいぶありますが、遅れるよりはいいでしょう。時間が余っているようなら近くの露店や店の商品を見ていればいいだけのことですし……)
気が付けば少女との再会にどこか心躍らせている自分がいることに気が付く。初対面だったはずなのに、どこか懐かしい雰囲気があの少女からは漂っていた。性格も容姿も全然違うはずのアルに、リオーネは昔の自分を重ねていたのだ。
(私があの子くらいの歳の時は、ずいぶんとわがままでしたね。気が強くて、不平不満を周りに当り散らして……。厚顔無恥もいいところでした)
下級といえど富裕層の家系に生まれたリオーネ。幼い頃はさんざん甘やかされ、厳しい現実を知らずに育ってきた。そのためか、プライドばかり無駄に高く、自分では何一つできないようなお嬢様としてすくすくと育っていった。しかし、そんな日々も長くは続かず、事業に失敗したリオーネの父親は家から逃げ出し、母は心を病み衰弱して死に、家は没落し、リオーネも家に残った借金の肩代わりとして奴隷にされそうになった。
(そういえば、あの人に出会ったのも、ちょうどアルちゃんくらいの歳でしたっけ……)
思い出せば胸が痛み、心は黒く染まっていくというのに、彼のことを思い返すのを止めることができない。激しい痛みの中にある、ほんのわずかな痺れるような甘さが忘れることを許さないのだ。
それは、彼、フィードの居場所が分かってからより顕著になっていた。
(最初は反発ばっかりしていて、ろくに私の言うことを聞かないあの人を、私は下僕のように思ってましたね。周りから見たら実際は逆だったと思いますが)
思い返すのはフィードとリオーネが出会った最初の時。奴隷商に連れて行かれそうになったリオーネは、プライドを投げ捨ててまでも「助けて!」と声高に叫び続けた。しかし、周りの人間はそんなリオーネを一瞥するだけで、関わりたくないという意思だけ示し、傍観するのみだった。そんな状況にリオーネは絶望し、もう駄目だと諦めかけたときに声をかけたのがフィードだった。その時のリオーネよりも遥かに暗く、深い絶望を目に浮かべ、心が擦り切れそうな様子だったフィードは、
『自由に生きたいのか?』
とリオーネに問いかけ、
『自由に生きたい!』
と答えたリオーネを奴隷商と交渉して引き取った。思い返してみれば、当時家には相当な借金があったため、それを全額支払い、リオーネを引き取ったフィードは相当金が消えたと思う。そのあとも、リオーネの世話をし、剣を教え、魔術を磨かせ、知識を増やしとさまざまなことをリオーネに教えた。そのおかげで、今のリオーネはあるといえるし、もしあの時にフィードが救いの手を差し伸べなかったらと思うとリオーネはゾッとする。
だからこそ、リオーネは成長し、フィードの足を引っ張らず、自信を持ってパートナーだと言える様になった頃に今まで自分が受けてきた恩義を自分の人生をかけてフィードに返そうと誓ったのだ。フィードも何も言わずにリオーネを傍に置いていてくれたし、実力がついたころにはリオーネを信頼して背中を預けてくれるようにもなった。
これからもずっと彼の傍にい続けられるとリオーネは信じていたのだ。
――――あの日までは。
いつものように各地を旅し、フラム近郊まで来たとき、フィードはリオーネに告げた。
『リーネ、お前はこれから自分のために生きろ。これ以上俺の傍で時間を無駄に過ごす必要はない。お前に一番合っているフラム騎士団に少しツテがあるから、お前のことを紹介しておいてやる。
なに、お前なら上手くやれるさ。それに、そっちで生きるほうがお前の性に合ってる』
あまりにも突然の宣告に、リオーネは一瞬フィードが何を言っているのか分からなかった。お互いに通じ合っていると思っていたのは、リオーネだけで、フィードはリオーネを必要としていなかったのだ。だが、その言葉に到底納得できないリオーネは当然フィードに反発し決闘を挑んだ。その結果敗北し、次に目が覚めたのは騎士団の医務室だった。そして、そこにフィードの姿はなかった。
フィードとの戦いで傷ついた身体に鞭を打ち、無理を押して彼を探しに行こうとするリオーネだったが、一人の男性によってそれは止められてしまった。
それが、リオーネの所属する騎士団の総隊長で、フラム騎士団第一隊隊長エルロイドだった。齢三十にも満たない彼は、若くして騎士団の総隊長にまで上り詰めた真の天才としてフラムに留まらず他国にまでその名が知られている。
『君が彼のことを探しに行くのは構わないが、一人では捜索するにも情報収集するにも限界があるとは思わないか? どうせなら騎士団に入って上を目指し、他国の情報も手に入れて彼を見つけるほうが早いと、私は思うが。どうかね?』
そう言って、騎士団に勧誘するエルロイドの手をリオーネは即座に握り返した。その時のリオーネにとってフィードが見つけられるのなら、どんなものでも利用しようという考えしか頭になかったのだ。
騎士団に入り、エルロイドの紹介ということもあり、リオーネに対する周りからの注目は多かった。基本装備の鎧を着ないで戦場に出たり、依頼をこなすことを許され、それでいて騎士団でも数少ない女性騎士なのだ。注目されないほうがおかしい。
実際、始めのほうはいわれない誹謗や中傷、妬みや僻みの視線や言葉を数多くぶつけられていたリオーネだったが、依頼をこなしてその実力を発揮していくうちに、周りからそのような視線や言葉を投げかけられることはなくなっていき、代わりに羨望や親しみの態度をとる人々が彼女の周りに集まりだした。それは、荒んでいたリオーネの心を少しずつ癒していき、騎士団に入って半年も経つ頃には リオーネにとって新しい居場所が騎士団にできていた。
一向に見つからないフィード。そして自分は捨てられたのでは? という以前から思っていた考えを少しずつ受け入れるようになったリオーネは、やがてフィードのことを忘れるように努めて、騎士団での新しい自分として生きようと思い、より一層周りの期待に応えるようになっていった。
普段から私服同然のリオーネは、そのままの格好で城下町を歩き、そこに住む住人たちと交流をし、困ったことがあれば彼女の手でできる範囲で解決してきた。そのかいあって、彼女は騎士団に入って八ヶ月が過ぎる頃には、騎士団のメンバーや住人から多大な信頼を受けることになり、異例の早さで空いていた九番隊の副隊長を就任することになった。
薬屋の前に辿りついたリオーネは立ち止まり、行き交う人波を一人眺める。まるで、そこに彼女が探している相手がふと現れるんじゃないかと想像し……。
(まだ、ここにきて二日目です。そんなすぐに会えるわけないですよね。それに、あの人は私のことを避けてどこかへ行ってしまってる可能性もありますし)
リオーネが来るということを知らないフィードではない。もしかしたらもう別の地域へ旅立ってしまっている可能性もある。そのことを考えなかったリオーネではない。
(ですが、それでも。私はもう一度あの人に会いたいと思っているんです……。なぜ、私を捨てたのか、それを知りたい……)
実際に会って、どんな反応を自分が起こすのか、予想も付かない。だが、けしていい反応を示すことはないとリオーネは思っている。それだけ、フィードがリオーネにしたことは残酷で非情なものだったのだ。
「リオーネさん!」
と、ふいにリオーネから少し離れた場所から、人波を掻き分けて自分の元へと向かってくる小さな少女の姿が見えた。手にはバスケットを持ち、笑顔を浮かべ、駆けて来る。そう、アルが来たのだ。その姿を見て、リオーネも自然と笑みを作り返す。
「ゆっくりでいいので、気をつけてきてください。転んだら痛いですよ」
そんなリオーネの心配する言葉にアルはますます笑顔になり、
「大丈夫ですよ~。もうすぐそっちに行きますね」
と元気よく返事をし、勢いよくリオーネの元へと走ってきた。しかし、勢いをつけすぎたのか、最後の最後で止まり切れず、リオーネの胸元に飛び込む形でアルは到着した。
「あ、すみません。リオーネさん」
えへへと笑いながら少しも反省した様子がないアル。そんなアルにリオーネは仕方がないなと苦笑する。
「そんなに急がなくても私は逃げないですよ。それよりもその手に持ったバスケットはどうしたんですか?」
アルが持っているバスケットを見て、リオーネは疑問を投げかける。
「これはですね、昨日のお礼にリオーネさんにクッキーを焼いてきたんです。上手にできたと思うので、よかったら食べてもらえませんか?」
恥ずかしがりながらも持っていたバスケットを手渡すアル。そして、それを受け取ったリオーネは早速バスケットの蓋を開け、香ばしい香りのするクッキーを一つ摘み、口の中へと放る。よく味わい、胃の中へとクッキーを入れたリオーネは、
「うん。とってもおいしいわ、これ。わざわざありがとうね、アルちゃん」
アルに負けないくらいの笑顔でお礼を述べる。褒められたアルは、ふにゃりと頬を緩ませて、
「はい! 昨日は本当にありがとうございました!」
と昨日に引き続きお礼を述べた。楽しい気分に浸る二人。容姿は違えど、二人の戯れる様子は端から見ればまるで姉妹のようだった。
「それで、今日はアルちゃんは一人で来たの?」
何気なく質問するリオーネ。それにアルは先ほどからの元気のよさで答える。
「いいえ、今日はマスターと一緒に来てるんですけれども……。マスターはリオーネさんの姿が見えたときに『一人で手渡してきな。その方がきっとよろこんでくれるよ』って言って、一緒に来てくれなかったんですよ。たぶん今も近くにいると思うんですけれど」
「へえ、近くにいるんだ。そのマスターっていうのがアルちゃんの保護者なの?」
「はい、そうです。このお礼のクッキーもマスターが提案してくれたんですよ」
「そうなんだ。私ちょっとアルちゃんのマスターに会って見たいかな」
これだけ真っ直ぐな少女を育てられるのだから、よほどいい保護者なのだろう。気を使わせてしまったようなら悪いし、一度話もしてみたいと思っていたリオーネはアルにそう提案した。
「わかりました。それじゃあ、ちょっとマスターを呼んできますね」
そう言って再び人波の中へと駆け込んだアルを見送り、リオーネはアルが持ってきてくれたクッキーに手を伸ばし、もう一つ口にする。実に甘く、慣れ親しんだ味のするクッキー。これだけのものを作ってくれたアルの姿を想像して、リオーネの頬もアルのように緩んだ。
しかし……。
(え、ちょっと待って。なんでこの味、おかしい。だってこれは……)
あまりにも慣れ親しんだその味。ここしばらくは口にしていなかったそれに、リオーネの脳内が一気に刺激される。そして、この味をアルが知っているはずがないという考えが頭の中に浮かんでくる。なぜなら、これはリオーネがフィードと旅をしているときに自ら考えて作った味だったからだ。
動揺し、考えのまとまらない、リオーネの耳に再びアルの声が聞こえた。この疑問についてアルに問いかけよう。そう思うリオーネだったが、答えは問いかける前に自ら目の前にやってきた。
「よう……久しぶりだな。リーネ」
懐かしい声と共に現れたのは一年前までずっと一緒に旅をしてきた青年。その容姿はまるで変わることなく、つい先ほどまでずっと一緒にいたと感じさせるほどだった。
あまりにも突然のことにリオーネの思考に行動が付いていかない。驚きのあまり、口をパクパクと開けることしかできないリオーネにアルが決定的な一言を告げる。
「リオーネさん! この人が私のマスターのフィードです」
リオーネとフィードの間にできている微妙な空気に気が付くことなく、アルは一人嬉しそうに話を続ける。こうして、一年の時を経てかつて旅を共にした二人は再会した。