第13話:二人の看板娘
下町での騒ぎから早くも一ヶ月の時が過ぎようとしていた。十二支徒の出現と、その撃退。普段は下町の役に立たない騎士団が真面目に下町の警護に勤しんでいる姿を最初は物珍しげに誰もが見ていたが、一週間も経てばそれが普通だと慣れてしまった。
最初は十二支徒がまだ消えていないのではないかとの緊張感もあり、張り詰めた空気が漂っていたが、それもまた時間の経過と共に少しずつ消えていき、穏やかな毎日がただ過ぎていくだけだった。
それはフィードとアルにも当てはまることであり、
「アル。今日はちょっと中階層の方に行くけれど、お前も一緒に行くか?」
起床し、着替えを終えたフィードが同じく着替えを終えたアルに問いかけた。
「すみません、マスターのせっかくの誘いなのですが、今日もグリンさんの手伝いをしようと思います。それよりもマスター……仕事はしなくていいのですか?」
事件以後、仕事をしている姿を見ていない自分の主に不安の視線と言葉を投げかけるアル。
「う~ん。今は特にしなきゃいけない仕事……というか依頼は来ていないしな。お金もこの間の件で騎士団から口止め料としてもらった分と町長からの依頼達成の報酬がまだ余ってるし」
そう言ってフィードは机の戸棚から硬貨袋を取り出し、アルに見せた。
十二支徒を撃退したのは騎士団ということにして欲しいと頼まれた際、フィードはさまざまな理由からそれを承諾した。しかし、あまりにもあっさりと承諾したため、騎士団側が不審に思ったのか、口止め料として多少の金銭を黙ってフィードの元に送り届けてきたのだ。
とはいえ、フィードは既に今回の件を親しいものに話しており、クルスなどを通じて下町の人々の耳にも真実は伝わっていたため、口止め料は意味をなさなかった。
かといって、わざわざ貰ったものを相手に付き返すほどフィードの懐は暖かくなかったため、ありがたくもらっておくことにしたのだった。
それに加えて、町長からきちんとした報酬を貰ったため、今までに比べて少しはお金に余裕があるのだ。特にやらなければならないような依頼もここ最近はなかったため、下町での些細な出来事の手伝いをしたり、中階層の人々が住む地区に足を伸ばすなどしていた。
要するに、ここ最近のフィードは暇をもてあましていたのだ。
対して、アルはというと、グリンの料理を食べにきたという名目で、噂のフィードを見に来た人々の相手を毎日忙しくしていた。元々お客であるアルはそこまでして手伝う必要はないのだが、二つの理由から、どれほど忙しくても手伝うことを決めていたのだ。
一つは、宿の主であるグリンが大勢の人の料理を作らなければならず、一人では対応できないと分かっていたため、普段お世話になっているお返しという意味も込めて手伝いをするということ。
そして、もう一つ。実はこっちが本当の意味で手伝いを続ける理由なのであるが……。
「おはよう! フィード、起きてる? もう朝食できてるよ」
静かな雰囲気が漂う室内の空気を打ち壊すかのごとく、勢いよく部屋の扉が開いた。そして、開いた扉の前には、一ヶ月前からこの宿で働くことになったアルよりもほんの少しだけ年上の少女の姿があった。
「おはよう、イオ。相変わらず元気だな。だけど、ノックもなしにいきなり扉を開けるなよ」
突然のことに特に動揺するわけでも怒るわけでもなく、フィードは半ば呆れながらイオに注意した。
「いや~ごめん、ごめん。でも早く朝食食べて貰いたくて。今日の料理は私も手伝ったんだよ!」
興奮気味に話をするイオ。アルと違い、客ではないイオは朝食の準備や各部屋の掃除などアルがしない仕事もしているのだ。
「そういえば、お前最近グリンさんに料理の仕方とか教わっていたな」
「そうだよ。最近になってようやく料理の手伝いをさせてもらえるようになったんだ。といっても、まだ下ごしらえとかしかさせてもらえないけどね」
陽気な笑みを浮かべてイオは答える。その表情は一ヶ月前とは比べ物にならないほど多彩な表情を見せるようになっていた。
一ヶ月前、十二支徒のログと手を組んでいたフラムの元騎士団副隊長であるゲードの奴隷として、浮浪児を捕まえて奴隷とするという目的の陽動として下町の金品を盗み、民家に火をつけるなどといった事件を起こしていたイオはフィードによって捕まり、その後ゲードの奴隷から解放された。
自分の命を守るため、仕方がなかったとはいえ、被害を受けたものがそれを許すかといえば話は別だ。償いとしてイオは自分が働いて得られる給金を被害にあった人に全額渡すということになった。
奴隷から解放されるまでは、心が追い詰められていたため、表情も暗く、変化も乏しかったイオだが、フィードに助けられ、グリンの元で働くようになってからは明るい表情が増えていった。彼女と仲の悪いアルも、同じ経験があるため、そのことについてはよかったと思っていた。
明るい表情が増えた理由がフィードになければ……。
「へえ。でも頑張ってるじゃないか。そのうちイオが厨房を任されて料理を出すなんてことになるかもしれないな」
「まあ、そうなるのが理想だけど。やっぱり一から始めたことだから下ごしらえでも大変で」
謙遜するイオにフィードは優しく伝える。
「いや、それだけ一生懸命になれるならすぐにうまくなるさ。これからも頑張れよ」
褒め言葉と共にイオの頭を撫でるフィード。頬を掻き、照れながらもイオは黙ってフィードに撫でられていた。そんな微笑ましい空気の二人を見て、不機嫌になっている人物が一人。
「むむむむ」
二人の隣でその様子を見ていたアルだ。湧き上がる嫉妬と羨望。ここ最近あまりフィードに褒められていないアルは頭を撫でられているイオが腹立たしくもあり、同時に羨ましくもあった。しかし、それを態度に出そうとはしなかった。態度に出すことでフィードに子供だと思われたくなかったためである。
そんなアルの様子に気が付いたのか、イオはニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべ、アルを挑発する。
(なんですか、その笑みは。マスターに褒められたからって調子に乗って……。私だって、頑張ったときは褒めてもらってるんです。その程度の挑発なんとも思いません)
挑発に乗らないアルを見たイオは、その態度が気に入らなかったのか、次の手に移った。
「フィード。くすぐったいよ」
それまで何も言わずにただ撫でられていたイオがフィードに訴える。
「ん? 悪い、悪い。嫌だったか」
とっさに手を離したフィード。離すことまで予想していなかったイオは名残惜しげにその手を眺めていた。
「ううん、嫌じゃないよ。フィードがよければだけどさ、私が頑張ってるなと思ったときでいいから、またこうして褒めてくれる?」
上目遣いで懇願するイオ。特に断る理由もなかったフィードは、
「こんなのでよければいつだってしてやるぞ」
と、そのお願いを承諾した。その返事を聞いたイオは小さく手を握り締めていた。そして、またもやアルの方を向き、自慢げにしていた。
これにはさすがのアルも腹が立ったのか、
「マスター、早く朝食を食べに行きますよ! 早くしないとせっかくの朝食が冷めてしまいますから」
とフィードの手を引いて部屋を出て行った。
「おい、アル。お前なに怒ってるんだよ……」
頑張っている子供を褒めたという程度のことしか思っていないフィードは、何故アルが怒っているのか分からず、ただ必死に自分を引っ張る少女に合わせて部屋を出るしかなかった。
「あんたは今日もここで手伝いをするの?」
そんな二人の後に続いて歩くイオは前を歩くアルに尋ねる。
「ええ。誰かに手伝いを任せるとグリンさんが大変そうだと思うので」
「そうなの? お客なんだから手伝いなんかしてなくていいのに」
フィードを挟んで火花を散らす二人。アルがグリンを手伝うもう一つの理由がこれである。
イオがフィードに好意を持っているということをアルは既に知っていた。そんな彼女がアルと同じように働き出し、先程のようにフィードに褒められるようになった。
色々と背伸びをしていても、まだまだ子供なアルは居場所を取られると思い、イオに対抗して今まで以上に手伝い続けることにしたのだ。
それは自分がフィードに褒めてもらいたいということもあるが、イオに負けたくないという気持ちもあった。
イオとアルの二人は知る由もないのだが、二人が張り合い、きっちりと仕事をこなしているため、フィードを見に来た客の一部が彼女たちの働く姿に惚れ、その姿を一目見ようと食事を取りに来るようになっていた。
こうして、二人は知らぬ間に宿の料理を食べに来る常連客を増やし、看板娘としての地位を着々と築いていたのであった。