第12話:夜半の知らせ
『どうしてですか? どうしてわたしにそんなことを言うのですか!』
広々とした荒野には青年と少女の姿だけがある。何が起こってもいいように青年が人払いの結界を張り、人を寄せ付けないようにしたのだ。
『わかってくれ。これがお前にとって一番いい選択なんだよ』
苦しそうに顔を歪めながら、言葉を吐き出していく青年。だが、少女はその言葉を受け入れるわけには行かなかった。
『ずっと、これまでずっとあなたの傍にいました。確かに最初は足手まといで、あなたは口に出しませんでしたけど、本当は邪魔な存在だったかもしれません。
でも、今は魔術も覚えました。剣技も、知識も磨きました。それでも駄目なのですか? あなたの傍にいてはいけないのですか?』
少女の悲痛な叫びに青年はただ、黙って目を逸らすしかなかった。
『だから、駄目なんだよ……。それだけの才能が有るから……』
少女には決して聞こえないよう青年は呟く。
『本当に、駄目……なんですか?』
再三の少女の懇願にも青年は首を振って拒絶の態度を貫き通した。
『ああ、駄目だ。お前は俺みたいなやつの傍にいちゃ駄目なんだ』
お互いの意見はとうとう妥協点を見つけることなくすれ違ったまま終わった。
『そう、ですか。なら、わたしと勝負してください。わたしが勝てば、あなたの意見は認めません』
腰に下げていた片手剣を鞘から抜き放ち、少女は青年に向かって構える。手を一切抜かない戦闘態勢に入った証拠に殺気が青年の肌を突き刺した。
『ああ、わかった。だが、俺が勝ったら無理やりにでもお前をフラムへ連れて行く』
そう言って青年も剣を抜き放ち、少女に向かって構える。
静寂が場を支配した。お互いに剣を構えたまま、最初の一撃を決めるため、相手の隙を窺っている。両者動かずそのまま時が流れると思われた中、先に動いたのは少女のほうだった。
『ハアァァッ!』
少女は鍛えあげた脚力で一気に青年との距離をつめ、上段から剣を振り下ろした。青年はそれに合わせるように中段から剣を振り抜いた。
『悪い……リーネ』
剣と剣がぶつかり合う寸前、青年がそう呟くのを少女は確かに聞いた……。
「あ、ああああああああああああっ!」
夢を見ていた。懐かしいというにはまだ早い、苦い思い出の夢。一年ほど前、フラム近くの荒野で『彼』と戦い、そして敗れた記憶。
「くそっ! またこんな夢を」
身体をびっしょりと濡らしている汗を室内に置いてあったタオルで濡らし、ふき取る。ひんやりと冷たい感触が荒れていた心を落ち着けた。
「どうして、また今になって。せっかくここ最近は見ないようになったのに……」
今現在自分がいる部屋を見渡してリオーネは呟く。
広い、というにはそこまでの広さはないが、人一人が暮らす分にはなに一つ不自由しない部屋である。雑務をこなすための机や、休眠を取るためのベッド、そして女性ということからか配慮されておかれている浴室。改めてみてみると十分以上といえるであろう待遇がなされている部屋だった。
だが、それもリオーネの肩書きであるフラム騎士団第九隊副隊長という身分を考えれば当然のことかもしれない。他国にまでその名声が届くフラムの騎士団で腕の立つ女、それも副隊長という階級なのだ。個室が与えられて当然だ。
当然、他の隊も副隊長から個室が与えられるので、格別リオーネが特別なわけではない。
夢見の悪さから、すっかり目が覚めてしまったリオーネはいつもの服装に着替える。それは、本来騎士が着るような軽量の鎧姿ですらなく、足にまで届きそうな長めのロングコートにズボンという、騎士であるといっても信じてもらえないような服装だった。
しかし、彼女にはその服装で行動することが認められており、実際これまでの功績もこの服装で打ち立ててきた。身体強化魔術が使え、実力のある彼女にとって鎧は逆に自分の行動を遅らせることになる重石でしかないのだ。
彼女のほかにも鎧を使わないでいる騎士団員はいるが、ほとんどのものは礼儀として普段は着用している。だが、彼女にとってはこれが長年の経験から身体に染み付いた一番いい戦闘スタイルで、普段着としても使えるため、普段からほとんどこの格好で行動している。
少しは落ち着いたリオーネだったが、どうにも眠気が覚めてしまったため、夜風に当たろうと部屋を出て騎士団の宿舎を歩くことにした。
見張りのため巡回する騎士に挨拶を交わし、中庭に辿りつく。冷たい夜風に当たりながら、晴れた夜空を見上げ、煌びやかに輝く星を眺める。
「おや、こんなところで一人で何をしているんですか?」
声をかけられたことに一瞬気づかず、視線を上から声のした先に向けると、そこには柔和な笑みを浮かべた中年男性が立っていた。年のせいか、限界まで鍛え上げていた筋肉は少し衰えの兆しを見せ、それでもまだ力強い体格を保っている。暗闇では少し目立つ金色の髪も所々色素が抜け始め白く染まっている。たれている緑眼は人のよさそうな相手だなと思わせる要因の一つだ。
「いえ、少し眠れなくて……。隊長こそどうして?」
隊長と呼ばれるのは、リオーネの所属する第九隊隊長、グラードのことである。
「僕の場合は少しエルロイドくんと話をしていましてね。それで今彼の部屋から戻ってきたところなんですよ」
疲れているのか、力なく笑うグラード。鎧を着ていなければ、彼を見て騎士団の一隊長だと思う人より、無駄に身体を鍛えた農夫だと言われて納得する人のほうがきっと多いだろう。
「エルロイドさんと、一体どんな話を?」
どうせ眠れないのだ。情報を共有する面でも暇を潰すという面でも都合がいいと思ったリオーネは問いかけた。
「いえ、恥ずかしい話なんですが僕の隊の元副隊長。君の前任だった人なんですが、その人がセントールで事件を起こしてしまいまして。しかもよりにもよって十二支徒と手を組んで」
十二支徒という単語にズキリと胸の奥が一瞬痛んだ。それは『彼』を辿る道標の一つだったからだ。
(我ながら未練がましいな……)
もう忘れたはずだと思考を切り替えてグラードに話の続きを促す。
「それでですね、事件自体は向こうの騎士が解決して事なきを得たのですが、元とはいえ我々フラム騎士団の隊員だったものがそんな犯罪を起こしたとなれば市民の信用は一気になくなってしまいます。
もちろん、この話は公表されますが、市民の信用回復、それとセントールの人々の悪印象を払拭するためにも、騎士隊から一隊を選んでセントールへと派遣しようという話を持ち出されたんですよ」
「なるほど、では選ばれた隊はセントールに滞在し、人々の助けとなり、失われた信用を回復、そしてフラムへの印象をよりよくしようというのですね」
リオーネの返答にグラードは満面の笑みになった。
「正解です。それで、不始末を起こしたの元隊員がうちの隊だったということもあって、真っ先に僕に話が来たんですよ」
「わかりました。それで、隊長はその話をもうお引き受けになったのですか?」
「いえ、まだですよ。副隊長である君に話を通しておこうと思いまして。明朝には他の隊にもこの話が伝わると思うので、できれば早めに伝えておきたかったんですよ。いや~起きていてくれて助かりました」
あまりに楽しそうにグラードが話しをすることをリオーネは不思議に思い、
「なぜ、そんなに楽しそうに話をするのですか? 元隊員のしたことですが、我が隊の信用が一番なくなってしまったのですよ?」
と尋ねた。しかし、グラードはそんなことはまるで気にした様子もなく、
「信用だなんて。大変ですけれどあとからいくらでも取り戻すことができますよ。そんなことよりもっと重要なことがあるんですよ」
言っている意味が分からず、リオーネは首を傾げた。
「これはセントールで噂になっていることなのですがね、実は今回の事件を解決したのは騎士たちではなく一人の青年だという噂が流れているらしいんですよ」
それまで殆ど雑務として淡々と話を聞いていたリオーネの目の色がその一言で変わった。それを見て更に満足そうな笑みを浮かべて話を続けるグラード。
「どうも、その青年はここ数ヶ月セントールに滞在しているみたいで、名前はええと、何だったかな。フ、フィー?」
「フィード……ですか?」
「そうそう、そんな名前だったかな。いや~たった一人で十二支徒とフラムの元副隊長を相手にするなんて、それこそあの『復讐鬼』でもないとできませんよね。
まあ、噂に色々と尾ひれが付いているのでどこまでが真実なのかはわかりませんが……」
この時既にリオーネの耳にグラードの言葉は入っていなかった。彼女の頭にあるのは、ただ今まで分からなかった『彼』の居場所が分かったということ、そしてそこに自分が行く機会があるということだけだった。
(『彼』が、いる。ようやく、ようやく見つけたっ!)
心は喜びと怒り、憎しみ。それらが入り混じりドロドロとしたものでかき乱されていた。
「それでですね、僕は一応隊長なのでそう軽々とフラムを離れるわけにも行きませんし、いざ派遣するとなると副隊長を中心として派遣することになるのですよ。といっても、この話はまだ僕のところにしか来ていませんけどね。
でも、明日になれば他の隊が派遣の希望を申し入れるかもしれません。自分たちの隊の信用を高めることにもなりますし、他国へのいい宣伝にもなりますからね。でも、今ならまだ誰も知りません。エルロイドくんも、まだ起きているでしょう。
それで、どうします? 隊長はここを離れられないので副隊長の君に決めてもらおうと思うのですが」
問いかけるグラードに、リオーネは一瞬も迷うこともなく答えた。
「はい! 我が隊が派遣の要請を承ります。元隊員の犯した不始末は我が隊の働きによって払拭して見せます」
その答えに、グラードは今迄で一番の笑みを浮かべるのだった。