第10話:仇敵
オレンジ色に染まり始めた空。その下を走る一つの影があった。速さは俊足。普通のものには一瞬で影が通り過ぎたとしたか捉えられない速さだろう。身体強化の魔術を使ったフィードが、先ほどの虚構魔術を使用した際に上書きした契約魔術の縁を辿って、ゲードたちの元に向かっているのだ。
だが、その表情にいつもの陽気な笑みはなく、代わりにあるのは鋭く冷たい眼差し。深い悲しみと燃え盛る憎しみ。長い間抑えられていた、それをぶつけることができる喜びから口元は酷く歪んでいる。人を寄せ付けない気配を放ち、その姿はまるで鬼。
「あいつらが、ここにいる」
待ち焦がれた仇敵との再会に心臓がドクンと激しく高鳴る。落ち着けと心の中で叫ぶもう一つの声は今の彼には届かない。脳裏に浮かぶのは昼間にあった炎など焚き火に感じられるほど広く、激しく燃え盛る炎の嵐。家を燃やし、地を燃やし、熱風が吹き荒れ、息も絶え絶えになるほどの炎。
目の前で凄惨、残虐、悪趣味極まりない殺し方をされ、殺されてなお弄繰り回される知人、友人、家族を見せ付けられ、それでも死ぬことは許されなかった……かつて。
己の無力さをかみ締めさせられ、下卑た笑いと共に去っていった仇敵。
『十二支徒』
数年前、東の武の国ジャンを騒がせた犯罪者集団。個々の実力はまさに絶大。盗賊など生ぬるい。やつらは災厄。襲われたものはひとたまりもない。諦めるしかない。そういわれるほどの一団だった。
村を焼き、町を襲い、人を殺し、金を奪い、辱め、実験し、死してなおその尊厳も奪われる。
そんな一団にかつてフィードの村も襲われた。生き残ったのは彼一人。正確に言えば助けられらたのだ。よりにもよって、その十二支徒の一人に。
当時の自分の無力さをかみ締め、歯軋りをする。魔力探知の結果からして距離はもうそう遠くない。相手も既にこちらが探知していることに気がついているだろう。そんなこともできない相手ではない。グリンの元にイオを連れて戻った際、自室から持ち出した愛剣をギュっと力強く握り締める。
地を駆け、屋根に飛び移り、目的の場所まであと少し。そこでフィードは目的の場所から数十メートル単位で人払いの結界が張ってあることに気がついた。
(誘ってるってことか……舐めた真似を!)
走る速度を上げ、目的の廃屋の屋根を突き破り、降り立つ。目の前には二人の男。その奥には身動きが取れないよう重りのついた鎖につながれた少年少女がいた。
「マス……ター?」
その中には彼を慕っている少女の姿もあった。夜目の利くフィードは暗くてもアルがどんな様子だかわかった。頬は赤く腫れ、殴られたのだと一目で分かった。衣服は裂け、肩を震わせて怯えている。その様子を見て、ようやくフィードは心の声に耳を傾けた。
「心配するな、アル。もうちょっと待ってな、すぐに自由にしてやるから」
笑顔を向けるが、身体からあふれ出るのは激しい殺気。それに気がついたのか、ゲードが声をあげた。
「おいおい、いきなり上から落ちてくるなんて常識知らずにもほどがねえか? よほど教養がないみたいだな、お前」
戦での前口上のように挑発するゲード。
「お前らみたいに子供を使って裏でコソコソと動くような卑怯者に、教養がどうだとか説教を受けたくないな」
言葉ではゲードの相手をしているフィードだが、その視線は奥にいるフードをかぶった男へとずっと向けられている。そのことにゲードも気がついたのか、
「おい、こいつお前の知り合いか? そうだとしたらずいぶんと無粋なやつじゃねーか」
ゲードは肩をすくめて男に問いかける。
「知り合いといえば知り合いですかね。ただし、お互いに命を賭けあうやり取りをする知り合いですが。こんなところまで追いかけてくるなんて困ったものです。しばらくおとなしくしていたと思っていたんですがね」
それまで黙っていた男がようやく口を開いた。しかし、口から出るのは皮肉ばかりで、フィードに気おされた様子は微塵もない。
「黙れ。おとなしくしていたのはお前たちのほうじゃないのか? 今まで派手に活動していたくせに一体どういう風の吹き回しだ」
「どうもこうも……。私たちのメンバーをこの数年で半数近く殺した相手がうろうろしているんですよ。派手に動いて居場所を知られるのはちょっとマズイじゃないですか。
といっても私たちが集まって行動するなんてことはめったにないので、他の人がどのような考えでおとなしくしているかは私には図りかねますが……」
「ほう。十二支徒ともあろうものがずいぶんと謙虚な物言いじゃねーか。そんなに自分の命が惜しいのか?」
十二支徒という名称をフィードが告げると、相手の素性を知らなかったのか、ゲードが目を見開き驚いた。
「こいつはたまげた。ログ、お前さん悪名轟くあの十二支徒の一員だったのか!」
ログと呼ばれた男に向けるゲードの眼差しに恐怖などなく、そこにはただ羨望と尊敬の念があるのみだった。犯罪を犯すものからすれば、国の力すら寄せ付けない十二支徒は犯罪者たちの畏敬の象徴の一つといえるのだ。
「ええ、そうですよ。言っていませんでしたか?」
「ああ、そんなことを聞いたのは初めてだ。あんたがそんな大物だと分かっていたらもっと派手なことをやったもんだ。こんな奴隷商人みたいなみみっちい事なんてやらず、俺を裏切ったフラムの騎士団に復讐をしてやったのに……」
「おや、物騒なことを言いますね。大体そんな派手なことをしてしまったらフラムの全騎士隊を敵に回してしまうではありませんか。やるならもっと地味なところ、そうですね……騎士団の家族を殺すところから始めないと」
声を殺して笑い声をあげるログにフィードはとうとう我慢の限界がきたのか、
「もう喋るな。お前たちの声を聞いているだけで腸が煮えくり返る」
鞘から剣を抜き出し、構える。
「――死ね」
身体強化の魔術によってあがった異常なまでの速度で一気に相手との距離をつめる。だが、そのままあっさりとやられてくれるほど相手も馬鹿ではない。すぐさまフィードの動きに反応し、左右に分かれる。
すぐさまフィードは十二支徒のログを追撃した。
「おやおや、そんなに私と戦いたいのですか? 困ったものですね」
飄々とし、余裕を保ちながら、ログは廃屋の外に出た。障害物のない通りで、二人は互いに魔術の詠唱を始める。
「風よ、微細な力の塊を集め、固め、極限まで鋭く鍛えよ。
その速さとともに敵を切り裂け――ウインドスラスト――」
「大気を漂う数多の液体。その欠片を集め、我に与えたまえ――アクア――」
風の魔術を詠唱するのはログ。対して水の魔術を詠唱したのがフィード。詠唱の速度は互いに同じ。だが、高位の術を詠唱しているログが初歩魔術を詠唱しているフィードと速度が同じということは、魔術の分はログにあるといえる。
幾つもの魔力光を帯びた風の刃と水球が両者の周りに漂う。
「さて、あっけなく死ぬなんて結果だけは勘弁してくださいよ」
そう言って先に動いたのはログだった。空中に漂う風の刃の一つをフィードの首目掛けて解き放つ。
(チィッ! いきなり致命傷狙いかよ)
とっさに風の刃を避けるが、刃は追尾してきた。おそらく、ログが操作しているのだろう。
「――ッ! アクア!」
フィードは叫び、宙に漂う幾つかの水球を固め、一つの大きな水球にし、それを縦に伸ばして風の刃にぶつけた。ぶつかり合う水球と風の刃。対消滅した二つの魔術を見て、「ほう」とログが呟く。
「やりますね。普通ならあれだけで首が飛んで終わるんですが。どうやら、他のメンバーをあなた一人で殺したというのも、あながち嘘でもなさそうだ」
そう言うと、ログは次々に風の刃をフィードに放った。今度は一撃必殺を狙ったものでなく、少しでもいいからダメージを与えるという目的だ。だが、フィードは自分の周りに大きな水の膜を作り出し、風の刃の勢いを吸収した。
「モノは使いようですか。なかなかどうして魔術の扱いに長けています」
新たな詠唱を始めようとするログに隙を与えまいと、フィードは張ってあった膜を再び水球に戻し、それを投げつけた。大量の水球が勢いよくログへと向かう。詠唱を中断するが、迫り来る脅威に慌てるわけでもなく、易々と水球の束を避ける。
「困りましたね。これは私一人ではキツイかもしれません。なので、他の者の手を借りることにしましょうか」
ログの視線の先にあるものに気づきフィードはとっさに身を捩る。いつの間にか背後にフィードの身の丈ほどはありそうな両手剣を持ったゲードの姿があった。殺気を抑えて近づいたのだろう、一瞬反応が遅れたフィードはゲードの一撃を避けそこね、切られた左腕から薄っすらと血が滲み出した。
(マズイな、二対一か。ログはともかく、ゲードとかいうやつ。たいした相手じゃないと高をくくっていたが、思った以上に腕が立つ。長期戦はマズイ。早めに片をつけないと)
フィードは負傷していない右手で剣を構え、次の一手を打った。標的をログからゲードに変え、剣を打ち込む。ぶつかり合う剣と剣。手数で攻めるフィードに対し、一撃必殺のゲード。どっしりとした構えで、すばやく、あらゆる方向から切りつけるフィードの剣撃に対応する。そして、連撃の隙を見ては強力な一撃を放ってくる。
「なかなかやるな! 騎士団で副隊長を務めてた俺相手にこうも切りあえるとは」
「今はただの犯罪者じゃねーか。過去の栄光を偉そうに誇るんじゃねえ!」
嬉しそうに剣を交えるゲードに皮肉を返すフィードだが、内心はかなり焦っていた。騎士団で副隊長を務めていたと豪語するだけはある力量を目の前の男が持っていたからだ。これではますます長期戦に持ち込むことができない。どちらか一方の腕が悪ければ、そちらを片付けてもう一方の相手をすぐにできるのだが、こうなってしまってはそうもいかない。
「そら、相手は一人じゃありませんよ。サポートしますよゲード」
ログが詠唱を開始する。
「速さを、効率を求め、より単純、より俊敏に――インプロスピード――」
詠唱を終えると、先ほどまでフィードのスピードに遅れていたゲードが同じ速さで打ち合うようになってきた。より隙のなくなった相手にフィードは内心舌打ちをする。
(くそっ! ただでさえ打ち込む隙がないのに、スピードまで追いつかれたらますます攻めづらくなるだろうが)
そんなフィードの考える時間すらも奪おうとゲードが速くなったスピードで攻めにまわる。
「おお! これは身体が軽い。ほらほら、さっきまでの勢いはどこにいった? それとも威勢がいいのは口だけだったか? ここまで来ておいてそりゃないぜ、小僧」
防戦一方。さっきまでとは打って変わって守りにまわってしまったフィードはどうにか隙を見つけようとするが、二対一のせいか、迂闊に身を削って攻めることもできない。
(どうする、このままじゃジリ貧だ。いずれ致命傷を負う)
わかっていながら、どうしても相手の連撃を防ぐことに意識がいってしまう。
(どうすれば……)
追い詰められたフィードの脳裏にかつて告げられた言葉が浮かび上がる。
『よいか、お主は弱い。絶対的に弱い。そんなお前さんが自分よりも強い相手を相手にするときに効果的なことを教えてやろう。それは相手が思いもかけないことをすることじゃ。といっても勝算があることをせねばならん、投げやりになっても意味がないからのう。
これは自分が強くなって自分よりも弱い相手を相手にするときにも有効であるじゃから、自分が弱いときから実践して後になっても戦術の一つとして使えるようにしておくがいい。わかったか?』
一つの考えが頭に浮かび、フィードはすぐさまそれを実行した。鍔迫り合いの際、わずかに身体を傾け、血のにじんだ左腕をゲードの身体に重なるように合わせる。それが、ゲードには隙に見えたのだろう、両手剣に今まで以上に力を込め、一気に押し込もうとする。
「もらったあぁぁ!」
その一瞬の機会をフィードは見逃さなかった。
「血よ、身体から流れ出た我が一部よ、その身を凝固し、敵を貫け!――ブラッディーニードル――」
詠唱を終えると、フィードの左腕から流れ出る血が細い針のように鋭く伸び、ゲードの身体に突き刺さる。細く、薄いそれは痛みこそあれど、損傷はそれほどない。しかし、攻め立てる中で一瞬でも痛みに悶えてしまったゲードにとってその一瞬の隙は致命的だった。
「終わりだ!」
フィードは鍔迫り合いを解き、ゲードの背後に回り、首元に魔術で強化された肘打ちを思い切り叩き込んだ。
「――かッ」
その一撃で昏倒するゲード。フィードは倒れた相手に一瞥すると、
「次は……お前だ」
ログの方へと向き直り、鋭い殺気をぶつけた。
「おお、怖い怖い。このままあなたの相手をしてあげてもいいんですが、どうもこの国のお偉方に気づかれたみたいですね。あなたが後先考えず強大な魔力と殺気を振りまくからですよ」
「御託はいい。それに俺はお前を逃がすつもりもない。お前の言うお偉方が気づこうが関係ない。俺はお前を殺せればそれでいい」
「後先を考えない馬鹿はこれだから……。そうですね、ならあなたの言葉が本当なのかどうか試させていただきましょうか。私は勝算のない戦いはしない主義ですので」
「風よ、微細な力の塊を集め、固め、極限まで鋭く鍛えよ。
――詠唱省略―― ――ウインドスラスト――」
言うや否やログは再び幾つもの風の刃を宙に漂わせた。しかし、簡易で作ったせいか、先ほどに比べるとその数は少ない。
「チッ! 大気を漂う数多の液体。その欠片を集め、我に与えたまえ――アクア――」
先ほどと同じように数多の水球を作り出すフィード。
「では、見せてもらいますよ。あなたの選択を」
ログの言葉と共に風の刃が一気に解き放たれる。
「甘いんだよ! 同じ手が通じると思ってるのか!?」
フィードも同じように水球をぶつけようとするが、風の刃の対象がフィードではないと気づく。
(このままだと、これは俺に当たらない。何が狙いだ? 時間稼ぎのつもりか?)
と、そこまで考えてフィードの背後にアルたちがいる建物があることに気がついた。
「――ッ。これが狙いか!」
フィードはすぐさま水球を集め、建物へ向かう風の刃を防ぐ壁とした。だが、風の刃の半数はそこから軌道を変え、フィードの元へと向かう。
(水球を戻す暇がない。くそっ!)
迫り来る風の刃を向上した身体能力でどうにか避けるフィード。地面や建物に避けた風の刃が次々とぶつかり、目も眩む砂埃を巻き上げる。
「今回は中々楽しい戦いでしたよ。いずれまた命を賭けた戦いができるといいですね」
ログの言葉が聞こえたと思うと、一瞬にしてその気配が消えた。
「ふざけるな! 逃げるのか、十二支徒のお前が! 待て、待ちやがれ!」
砂埃が止み、視界が開けるが、そこにログの姿はなく、フィードによって昏倒され、風の刃によって起こった衝撃によって地面を転がったゲードの姿があるのみだった。
「ちくしょう……」
悔しさをかみ締め、それでもログがいた場所の先をフィードは睨み続けた。
フィードは捕縛魔術でゲードを縛り、建物の外に置くと、アルや捕らわれた少年少女が待つ建物の中に入った。
「……マスター?」
「もう大丈夫だ、アル。これでみんな自由だぞ」
そう言ってフィードは風の魔術で捕まっている皆の鎖を切った。
「あとは、騎士団とかに任せることになる。これだけ大事になってればこの国の騎士団といえど怠けていられないだろうからな」
安心させようとなるべく優しく話しかけるフィード。そして、アルの元へと近づこうとしたとき、それは起こった。
ビクッ!
フィードが一歩を踏み出した瞬間、アル以外の少年少女たちが身体を震わせたのだ。
「怖い、怖いよ……」
それはフィードがログやゲードの仲間という意味ではないとわかっていての言葉だった。少年たちからすれば圧倒的な力を持っていたゲードやログに変わって現れたフィードはいくら彼らと違う優しい言葉を投げかけても、より強い力を持った恐怖の対象としかなりえなかったのだ。そんな、周りの様子に戸惑い、おろおろとするアル。
「……」
フィードは困ったような笑みを浮かべ、頭を掻き、
「ちょっと待ってろよ、今から町長に報告して騎士団を呼んでもらうからな。それまでここには結界を張っておいて誰も寄せ付けないようにしておくから、お前たちも動くんじゃねーぞ」
そのまま後ろを振り向き、入り口に向かって歩き始めた。
アルはそんなフィードの背を眺めていたが、何故かフィードが遠くに行ってしまうような予感がして立ち上がり、フィードの元へと駆け出した。そして、まさに入り口を出ようとしたフィードの腰に抱きついた。
「一人で行っちゃ駄目です。私も付いていきます!」
必死にフィードにしがみ付いて離そうとしないアルに、フィードは戸惑ったが、やがてその目に浮かぶ決意の強い光に根負けし、
「わかった、わかった。アルも一緒に行くか」
と、アルの同行を許可したのだった。安心したのか、アルはフィードから離れ、その隣に並び立った。
(一瞬、マスターがどこかに行ってしまいそうな気がしました。それに、みんなが怖いって言ってた時のマスターはとても悲しそうでした。なら、せめて私だけでもマスターの傍にいて、笑顔でいてくれるように努力します。
今回は失敗してしまいましたし、マスターについて全然知らない私ですけど、それでもマスターの役に立てるようになれば……きっと)
「ん? どうした、アル? ほら、行くぞ」
フィードの役に立とうと考えてる最中、声をかけられたせいか、アルは驚き、つい思ってもないことを口にしてしまう。
「マスターは駄目駄目マスターですね。私がしっかりしないと」
そんなアルにフィードは苦笑し、
「んな事言うなって。お前の面倒見てるの俺なんだから」
と、返事をし、二人は町長の元へと向かって歩き出した。