第一話 出会い
「…暑い。」
今年もまた年々ひどくなる暑さと共にさまざまな種類の蝉が鳴いている。
今日はまだ7月16日なのに、昨年の8月よりも暑く感じる────こんな事ももう何年も言っている。
その少年はクラブ上がりで汗だくのままふらふらした足どりで校門から出て、登校用の鞄を持ち直した。
彼の名前は安田悠繕、この伊之島に住んでいる中学生だ。
今日もいつもどおりの下校ルートの最初の角を曲がった場所にある自販機に200円をいれ、スポーツ飲料のボタンを押してゴトンと落ちてきた缶とお釣りの80円を拾う。
「よーう悠繕!」
「風見。」
振り返ると一人の同級生が小銭を片手にこちらに向かってきていた。
風見漣。彼は悠繕にとってこの島に引っ越して初めてできた友達であり、親友だ。
風見は小銭を自販機に挿入し、左端のボタンを押して黄色のラベルの缶を取り出した。
彼はいつもコーンポタージュばかり飲んでいる。
「たまには別の物も飲めよ。 例えばこれ。」
細長い人差し指で右手に握っているさきほど回収した缶を指した。
「誰がこのクソ暑い中スープなんか飲むかよ」
「ん…まぁ何でもいいけどさ。 今日もなっちゃん家に行くのか悠繕?」
悠繕はいんやと言いながら首を横に振り、飲料水を一気に半分ほど飲み干した。
「今日は巫女さんとこに用があるから先に行っててくれ。」
悠繕の家からほんの数十メートルほど離れた所に島の中心部へと続く階段があり、階段を上ると神社があり、 そこは溝越という親子が管理している。
「優美さんとこ? そっか、お前もついに恋愛というものに…」
「んな訳ないだろ! ただ物を届けるだけだし、年上には興味ないっつの!」
そう言って風見の返答を聞くまい、とさっさと歩き出してしまった。
風見は少し怪しい笑みを浮かべた後、そのまま彼の背中を追いかけていった。
十数分後、風見と分かれたところで悠繕は神社へと向かっていた。
階段自体は緩やかなのだが、暑さと段数が神社に参る者の体力を徐々に奪っていく。
神社の赤い鳥居の前に来る頃には既に握っていた缶の中に飲料水の姿はなかった。
神社の赤い鳥居をくぐると、いつも巫女さんがせっせと落ち葉を掃除している。そしていつもこう言うのだ。
「──あ、ユウだ!」
溝越優美、悠繕より2つ年上の高校一年生で、学校に通いながら父親の神社で巫女を務めている。
「ども、母さんがまた何か巫女さんに渡すものがあるんだってさ、たぶんまた野菜か何かじゃないかな。」
そう言ってかばんの中から中にずっしりと入った大きめのビニール袋を取り出して差し出した。思ったよりも重かったらしく、優美は一旦手を滑らしたがすぐに持ち直して笑顔を作った。
「ありがとう、でもそんなに気を使ってもらわなくてもいいのに~」
「ん~、まぁ母さんはおせっかいだしな。 そんじゃ!」
「うん、気をつけて」
そういって笑顔で手を振る優美に対して悠繕は少し笑みを浮かべて右手を首元まで上げて、軽く左右に2,3度手を振ったまま歩き出した。 同時に気持ちのいい風が吹き出して、木はざわざわと騒ぎ出し、悠繕も軽く深呼吸をした。
「…うおぁあっ!?」
とその時、バサバサァと鳥の集団が飛び立つような音がした瞬間彼はふっと消えてしまった。
この神社の周辺は山のようになっていて、神社を中心に周りは全て木に覆われた斜面になっている。 どうやら悠繕は足を滑らせて林の中へと落ちてしまったようだ。
「って、言ってるそばから!! 大丈夫~?」
「あ~、うん、だいじょ~ぶ!」
かなり混乱していたらしく、林の中から少し声が裏返った妙な返事が返ってきた。 優美はぷっと軽く吹き出しながら軽快な足どりですぐに階段を下りて悠繕の元へと駆け下りた。
「…なんだ、この古臭い箱」
気がつくと悠繕の膝の上にはかなり色の落ちてボロボロになっている小さな箱がポツンと腰を下ろしていた。特に鍵などもなく、蓋を片手でひょいと持ち上げればすぐにでも中身を拝見できそうなほどだった。どうやらこいつに躓いて転げ落ちてしまったようだ。
「お~い、本当に大丈夫なの?」
「あぁ、大丈夫! 落ちてた箱で躓いたみたいなんだ!」
「箱ぉ?」
悠繕のそばへと駆け寄ると優美はすぐに膝の上の箱をひょいと持ち上げてじろじろと眺め始めた。
開けてみようとも試みたらしいが、蓋が開く気配はまるでない。
「お、おい…」
「ん~…もうちょい…」
箱は静まり返って動く気配はまったくないが、優美は力みすぎて顔は少し赤くなっていた。それを見た悠繕はため息をつき、立ち上がって今度はこちらが優美の手の中から箱を奪った。
「あっ!」
悠繕が蓋を持ち上げようとすると音も立てずにあっさりと取れてしまった。
「不器用だね、巫女さんは」
「うるさいなぁ、ていうか普通に名前で呼んでよ。」
「分かった分かった…それよりこれの中身は何だ?」
中には五芒星が描かれた紺色のカードが一枚、さびしげに入っているだけだった。
悠繕も最近流行っているトレーディングカードは持っているが、そのようなものとは遥かに違い、あやしい雰囲気を漂わせていた。
「…なんだ、ただのおもちゃか。それじゃ、今度こそ気をつけてね。」
何かの遺品のようなものを期待していた優美はすっかり気落ちしたらしく、さっさと神社へ帰ってしまった。
しかし悠然はまだその場に座り込み、ただひたすらその一枚のカードを眺めていた。なぜだろうか、どうしてもこの存在が頭に引っかかり、心をくすぐってくる。何かを感じるようだった。
その後、灯台の光が漆黒の海を照らす頃、悠繕は昼間に拾ったカードとにらみ合いをしていた。穴が開くほど見つめていたが、どこからどう見てもただのカード。普通の人ならものの10秒足らずで興味を失いそうな古ぼけたカードだが、悠繕の場合は何かに取り付かれたように、さらにその物体に引き込まれていった。
遊びに行く約束なんかもすっかり忘れてずっとこのカードに依存している悠繕に母は心配をかけずにはいられなかった。 晩御飯の支度をしながらも、ずっとそわそわしている悠繕が気になっていた。
「…んん~」
あれから彼もそれなりにこのカードについて調べたが、出てきた情報は皆無だった。近所の人にも聞き込みをしたし、インターネットで調べもした。ネット掲示板に画像を出してまで調べたが、結局は何かのイタズラだと勘違いされ誰も見向きもしなかった。
悠繕は疲れ果てて、自室の畳の床へゴロンと転げ落ちた。このまま眠ってしまおうかと上半身を起こして蛍光灯の近くからぶら下がっている紐を2度引っ張り、明かりを消した。部屋は真っ暗になったが、悠繕が寝転がっている1畳ほどは一筋の美しい三日月の光によって照らされていた。
「…? うわっ!」
ふと左手に預けていたカードを見てみるとなにやら青白い光に包まれていた。
祭りでこのような光を放ち腕に巻くネオンブレスレットは今までに何度も見てきた、それとは違い美しくもどこか怪しい光に満ちていた。
──月の光に反応しているのだろうか? それとも暗くなると発光する物質なのか──
そんなことを考えていると突然カードは点滅を始めだした。悠繕は驚きそのままカードを部屋の端へ投げ出すも、点滅は止まらずむしろ点滅の間隔が狭まっているようだった。
そして次の瞬間、カードから大量の光があふれ出し、部屋中を覆った。目の前は真っ白になり、何も見えなくなってしまった。そしてしばらくは目も開けられない状態だったが次第に目の違和感は取れ始めていた。
「……ご主人様!!」
すると彼の目の前、丁度さっきカードを投げ出した辺りから愛らしい声が発せられ、悠繕の耳の中へと入ってきた。
これが一人と一匹の出会いだった。
いつかどこかであったお話。まだ夏は始まったばかりだ。