2・黒を持つもの
「魔物を捕らえろ! 奥の娘を救い出せ!」
何を言われているのか解らなかった。解るのは敵意と恐怖。
腰に剣を刷いた男たちが殺到してくる。
理久は反射的に由梨をかばうような位置に立って身構えた。
近くにいた男の股間を蹴り上げる。そこにわずかな隙を見つけた。
「由梨、逃げろ!」
由梨の背中を強く押す。由梨が男たちに敵意を抱いていないことに気づいてくれればいいが。
「理久っ!」
「この、悪魔め!」
「誰が悪魔だ!」
男たちの一人が由梨を受け止め捕獲……というよりはあの手つきから考えると保護と言ったほうが正しそうだ。
その様子を意識しつつ、近づいてきた男の鼻を容赦なく殴りつけ、別の男の喉仏めがけて肘を打ちつける。
理久は格闘の達人と言うわけではない。ただ、兄弟が多いために喧嘩に慣れているだけだ。普段は無意識に避けている部分を意識的に狙う。
しかし、やはり素人は素人だった。
背中まで意識をまわしつづけるのは厳しい。
「バケモノがぁぁっ!」
最初に倒した男が復活したらしい。
背中に熱。女性の悲鳴。男の怒号。理久が血を流しながら倒れる、重いようでどこか軽い音。
薄れ行く意識の中、理久が最後に聞いたのは由梨の悲鳴だった。
◆
眼が覚めると、薄暗く湿った空間があった。霞む意識を叱咤しながら周囲を見る。鉄格子で仕切られた部屋だ。
「牢屋、か……?」
背中は焼けつくように熱い。一応の処置はなされてあるようだが本当に「一応」だ。ぞんざいに止血をした程度なのだろう。消毒などの気のきいたことは期待しない方がいいかもしれない。
「傷害、拉致、不当な拘束……うわ、裁判になったら勝てるぞ私」
低く不機嫌な声でそんなことを言ってみる。普段ならこの手の憎まれ口をたたくと由梨のツッコミが入るはずだった。しかし。
「……由梨……?」
「目が覚めたか、悪魔」
返ってきたのはいつものツッコミではなく嫌悪を隠さぬ声だった。どうにか目だけを上げてみると、いかにも重要人物と言ったいでたちの男が理久を見下ろしている。
「誰が悪魔だ……犯罪者が」
「好きに喚けばいい。我らの神も断末魔代わりの妄言程度は見逃してくださる」
だめだ。話が通じない。そう直感した。この男と理久は話す言葉が違う。おそらく住む世界が違うのだろう。一般的女子高生を斬りつけて牢屋に監禁するような輩がマトモな世界に住んでいるとは思えなかった。
「わかったら公開処刑まではおとなしくしていることだな。」
「……は?」
男は理久の疑問の声を無視して去っていく。ふたたび静寂があたりを支配した。
(つまり、サイコな妄想に付き合わされて殺されるってわけか……なんだそれ。)
胸には絶望を通り過ぎて呆れしか宿らない。あまりに現実味のなさすぎる事態の連続に思考回路が付いていかないのだ。死ぬ。重くのしかかるべきその言葉が、どこか薄っぺらい。比喩表現ではなしに殺されることはぼんやりとわかるというのに。
「そもそもどうして私が悪魔なんだ……」
低い愚痴を一つ残し、再び意識が闇にまぎれていった。
◆
この世界にはたくさんの神がいる。光、闇、大地、風、水、炎……。なかでも光と闇の双子神は昼と夜をそれぞれに支配し、強い力を持っていた。しかし人間は本能的に闇を恐れる。恐れ避けられた闇の神はやがてその姿を魔人へと変貌させ、人に害をなすようになった。魔物を人に襲わせるようになったのだ。
その魔物の特徴というのが……
「黒髪、黒の瞳……例はいくつもありますが、体のどこかに黒を宿しているのです」
「だからって! 理久は悪魔じゃないです!」
貴賓室だと言われて由梨が通されたのはどうみても洋風の座敷牢。見た目はそれなりに豪華だが、地面に固定された家具類や窓にはめられた鉄格子がその部屋の本質を物語っている。
「ですが現に……リク、でしたか……黒髪と黒の瞳を持っていたでしょう。あれが悪魔でなくてなんだというのですか」
「だから……っ」
あまりに話が通じなさすぎる。そもそも、黒髪が排除の対象になどなりえない。日本人はその多くが黒髪だ。他の民族まで視野を広げても、東洋人はたいてい黒髪だし、アフリカ系でも黒髪は一般的だ。地球人類の何割が黒髪の持ち主か考えれば、これはあきらかにおかしい。
――これが地球ならば。
ようやくここまできて頭が冷えた。おかしいにもほどがある。そう思って目の前の男を注意深く観察してみる。
クセ毛の由梨にとっては妬ましいほどのストレートヘアは白金色。日焼けとは無縁そうな肌。どこか気弱そうな印象を与える瞳は――エメラルドグリーン。
「う、そ……」
由梨は自分の瞳の色がコンプレックスだった。西洋人の祖母譲りの青みがかったヘーゼルは、日本では異質そのものだ。そのことを気にして調べたことがあるのだ。人間が持つ瞳の色について。
それによると――純粋なエメラルドグリーンの瞳の人間は、存在しないはず。
カラーコンタクトかとも思ったが、それにしては自然すぎる。
「ここ、どこ? 日本じゃない……」
「ここはリュース王国の王都です。ニホンとは、あの悪魔の部族か何かですか?」
そう。由梨がいる場所は日本では……ましてや地球ですらなかった。
何か、眼の前の男の発言が嘘か妄想だという確証がほしい。衝動に突き動かされて窓に駆け寄り外を見る。
双子の三日月が、由梨の希望をあざ笑うように浮かんでいた。