反逆者の遺言
鎖で縛られた体はあちこちが鬱血して壊死しかけている。
左腕は切り刻まれたらしい。処置もされないままの傷口からは膿が滴り落ち、蝿が集る肉片を濡らしている。
右目はえぐられた。二度と開かぬようにと捺された罪人の烙印が痛々しい。
立ち込める異臭。浴びせられる罵倒。それでも、残された左目に宿る光は死んでいなかった。
悲鳴すら上げないのは、罪人の矜持によるものなのだろう。それが拷問をさらに凄惨なものにすると知っていたとしても。
「私……たちの、存在が……っ」
背中に焼き鏝が押し付けられた。たんぱく質が焼ける異臭があたりに漂う。役人も、拷問官すらも顔を背けているというのに、罪人はわずかに顔をゆがめただけだった。
「存在が、罪なら……っ」
耳朶が半分切り落とされる。流れ出した血が床に池を作る。左腕から滴り落ちた膿と混じり、悪臭はさらにその異様さを強めた。
正視に堪えない。しかし、見届けなければならない。これは彼がみずからに課した罰。罪人から全てを奪ったのは、直接的には彼なのだから。
罪人は彼個人を憎まない。憎む理由がないと言うのだ。罪人が憎むのは個人ではない。
「私たちを生み出した貴様らこそが罪人だろうが!」
言葉と共に、その口から鮮血がもれた。内臓もやられているらしい。痛みは表情に出さないが、肉体は限界なのだろう、吐く息は荒く、離れた場所に立つ彼にすら血の匂いが感じられるような錯覚に陥る。
「おい」
役人の合図。拷問はここまでのようだ。公開処刑の前に死なれては困る……あくまで役人側の、ひいては国側の都合だ。そこに慈悲はない。
たまらず、彼は役人に申し出た。
「彼女の傷をふさいでも?」
「……」
狂人を見るような眼差しが突き刺さる。それでも役人に拒否権はない。立場は彼のほうがはるかに上なのだから。役人は彼から目をそらし、再び罪人の目の前に立った。
「お前、悪魔じゃなくて淫魔なのか?いつの間にこんなお偉方をたらしこんだ」
「……は、淫魔にだって理はある。貴様のような木っ端役人、淫魔だってお断りだ」
「けっ、言ってろ。どの道お前の公開処刑は撤回されないだろうよ」
いまだ血を流す罪人の傷口で煙草の火をもみ消して、役人は去る。罪人は感情のこもらぬ目でそれを見送った。
立ち込める血と膿と、さまざまな体液が交じり合う匂い。おそらく彼女の体に無事な場所などありはしないだろう。役人の言葉には罪人を陵辱したと思わせる言葉すらあった。
戸惑いながらも治癒術を施す為に手を伸ばす。しかし。
「触れるな、宮廷魔術師。王の狗からの施しなど、誰が受けるか」
「……っ」
「勘違いするな。お前個人を憎む理由はないが『宮廷魔術師』は憎んでいるんだよ。当然だろう、アーロン・エーベルハルト」
名を呼ばれ、彼――アーロンは弾かれたように顔を上げる。熾火のように静かな、しかし強い熱を持つ光が罪人の瞳に宿っていた。
「……にが……」
「解ったら失せろ。拷問役とて阿呆じゃない。死なない程度にとどめてあるだろうさ」
「何が貴方を……」
「聞こえなかったのか。失せろといっている」
――――嗚呼。
(もう、届かないのか)
ようやくその事実を悟り、絶望で目の前が暗くなった。
血の臭い。
膿が放つ熱と異臭。
すでに罪人は死に取り憑かれている。自らの死すらも駒として、願いを果たすつもりなのだろう。
罪人の口元には狂気じみた笑み。だが……
(どちらなのだろうか)
狂っているのは。
罪を犯しているのは。
反逆者リカルド・ヴィンター。闇の象徴たる黒髪を持つ、残虐非道のテロリスト。山間の少数民族を煽り王都を戦火で包む。公開処刑となった彼は『我らが罪なら、我らを生み出した貴様らこそが罪人だ』と遺し、19の若さでこの世を去った。
めちゃめちゃ亀更新になると思います。