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縁結びの聖女なのに「お前の菓子など不要だ」と婚約破棄されたので、砂糖菓子ごと隣国へ亡命します〜転生した私の縁結びが無いと、この国の全ての結婚が破談するのですが?〜【短編・ざまぁあり・完結】

作者: uta
掲載日:2026/07/10

「お前の砂糖菓子など不要だ」


縁結びの儀式。その荘厳な壇上で、王太子アルベルトはそう言い放った。


民衆が見守る、公開の場で。


「愛のない儀式など、時代遅れだろう?」


金髪碧眼の見栄えだけは良い彼が、勝ち誇るように顎を上げる。


わたし——縁結びの聖女セレナ・エルフィードは、焼きかけの儀式菓子に手を添えたまま、静かに彼を見上げた。


(愛のない儀式が時代遅れ? その愛のない儀式で回ってた国、どうするおつもりで)


内心のツッコミは、もちろん顔には出さない。


隣に寄り添う男爵令嬢ミレーユが、愛らしく微笑む。


「わたくし、心で結ばれる縁を信じておりますの」


ああ、心で結ばれる縁。


けっこうなことだ。


わたしの目には——この世界の聖女にしか見えない『縁の糸』が視える。


結ばれる二人の間には、金色の糸が渡る。


そして、今。


アルベルトとミレーユの間には。


(……一本も、無い)


糸が、一本も渡っていない。


面白いくらいに、何も。


でも、言わない。


愚か者に、施しはしない。


わたしは焼きかけの菓子を、ゆっくりと箱にしまった。


砂糖の甘い香りが、指先で崩れる。


「……承知いたしました。では、この菓子は下げさせていただきます」


喚きもしない。


涙も見せない。


ただ、静かに。


「なんだ、その態度は。何か言い返さないのか?」


アルベルトが、拍子抜けしたように眉をひそめる。


わたしは、ほんの少しだけ微笑んだ。


「いいえ。菓子は、嘘をつきませんので。……いずれ、それだけが真実になります」


壇上のざわめきが、遠くに聞こえた。


愛のない儀式は、時代遅れ。


——ならば、この国そのものが、じきに時代遅れになるだろう。


わたしがいなくなった、その後で。


───


神殿の控えの間に戻ると、侍女のリゼットが顔を真っ赤にして駆け寄ってきた。


「お嬢様っ……! あんな、あんな言い方……!」


そばかすの残る頬が、怒りで震えている。


「お嬢様の菓子の価値も分からない殿方なんて、こちらから願い下げです!」


わたしが淡々としている分、この子が全部怒ってくれる。


ありがたいことだ。


「リゼット。怒ってくれて、ありがとう。でもね」


「でも……?」


わたしは箱の中の、焼きかけの菓子を見つめた。


淡い蜂蜜色。前世で焼いたどんなケーキより、この菓子には意味がある。


「怒る必要はないの。あの方たちは、これから自分で気づくから」


「気づく……? 何にです?」


前世——日本の製菓専門学校を出て、パティシエとして働き詰めた。


報われないまま、過労で倒れて。


気づけば、この世界の聖女に転生していた。


『糖化魔法(シュガーアーツ)』というスキルと、前世の製菓知識。


その二つを掛け合わせて焼く砂糖菓子だけが、この国の縁結びの加護を宿す。


「加護なき婚姻は、縁が濁る。数年で、不和。不妊。破談。国の史書に記された、神託レベルの事実。それを『迷信』と切り捨てたのは、王太子ご自身」


リゼットが、息を呑んだ。


「では……この国の縁は、すべてお嬢様の菓子で……?」


「ええ。わたしは、唯一の担い手。……リゼット、荷造りを。辞めさせていただきます。聖女も、この国も」


リゼットは一瞬きょとんとして、それから——にっと笑った。


「……どこへでもお供します。だってわたし、お嬢様の焼き菓子の一番弟子ですもの」


わたしは、少しだけ笑った。


菓子の型を、そっと抱える。


これさえあれば、どこでだって焼ける。


「ふふ。行きましょう。菓子は、嘘をつきませんから」


───


神殿を出ようとした廊下で、老神官ゲオルグが待っていた。


白髭の温厚な老人は、わたしを咎めなかった。


「セレナ様。……お止めはいたしません」


「ゲオルグ様」


「あなたの菓子が、この国をどれほど支えてきたか」


皺の刻まれた目が、静かに細まる。


「いつか彼らが思い知る日が、来ましょう」


王家の婚姻加護は、代々わたしの菓子で『延命』されている状態だった。


それを知る数少ない一人が、この老神官だ。


「王家の婚姻加護が、代々わたしの菓子で延命されていたこと。……ご存知の数少ないお一人が、あなたでしたね」


「ええ。だからこそ、引き留める言葉を持ちませぬ。心置きなく、お発ちなさい」


「あなたがそう言ってくださるなら。……ありがとうございます」


わたしは頭を下げた。


神殿の外には、一台の馬車。


隣国ヴェルンの紋章。


以前から、縁結び菓子の輸入を熱望していた国の使者だ。


——いや。


使者ではなかった。


馬車の扉が開き、降りてきたのは。


銀灰色の髪。切れ長の、紫紺の瞳。


氷像のような美貌の青年。


「あなたが、セレナ・エルフィード殿か」


低く、静かな声。


リゼットが息を呑んだ。


「ま、まさか……ヴェルンの摂政公アシェル様……ご本人が……?」


冷酷無比と噂される、若き為政者。


政敵を容赦なく退ける辣腕。国中から恐れられる男。


その人が、なぜ、自ら。


アシェルはわたしの手にある菓子箱を見て——ほんの一瞬、目元をやわらげた。


「その香り。……間違いない」


「香り、と申しますと?」


「あなたが名を伏せて、うちの国へ輸出していた試作の焼き菓子」


彼は、少しだけ視線を逸らした。


まるで、告白でもするように。


「……あれを毎日買っていた匿名の顧客は——私だ」


……え。


「冷酷な摂政公様が……お嬢様の常連さん……?」


リゼットが呆然と呟く。


アシェルは咳払いをして、真顔に戻った。


が、その耳が、少し赤い。


「……この菓子を焼く人間を、正当に扱わない国など、信用に値しない」


真っ直ぐな、紫紺の瞳。


「ヴェルンへ来い、セレナ。あなたの居場所は、用意してある」


甘い砂糖の香りの向こうで。


わたしの縁の糸が——ほんの少し、揺れた気がした。


「……身に余るお言葉です。ですが、一つだけ。わたしの菓子を、正しく食べてくださる方の元でなら」


アシェルは、静かに頷いた。


「約束しよう。……一つ残らず、私が味わう」


リゼットが、こっそり天を仰いだ。


(……この方、絶対に全部食べる気だわ)


わたしは、菓子の型を抱え直した。


さよなら、報われなかったこの国。


こんにちは、まだ見ぬわたしの居場所。


───


セレナ離脱から、三ヶ月。


ラングレイ王国の社交界は、静かに崩れ始めていた。


最初は、些細な噂だった。


どこそこの伯爵夫妻が別居した。


どこそこの侯爵令嬢の婚約が、突然破談になった。


やがてそれは、連鎖になった。


政略で結ばれていた高位貴族の縁が、次々にほどけていく。


離縁。破談。不和。


——縁が、濁っていく。


神殿の縁視鏡の前で、老神官ゲオルグは静かに目を閉じた。


「迷信と侮った者が、真実に呑まれていく」


王城では、国王と王妃の縁の糸が濁ったと囁かれ始めていた。


そして、王太子アルベルトは。


自らの婚儀を、目前に控えていた。


「代役の聖女はどうした。菓子を焼かせろ」


苛立ち混じりに命じる彼の前で、代役の聖女は青ざめていた。


「も、申し訳ございません……糖化魔法が、加護を宿しません……」


「なぜだ」


ゲオルグが、静かに進み出た。


「殿下。この菓子は、誰が焼いても同じではございませぬ。セレナ様の菓子だけが、加護を宿す。何度も申し上げました」


オーブンから出てきたのは。


ただの、砂糖の塊だった。


加護の光も、甘い香りも、何もない。


アルベルトの顔から、血の気が引いていく。


「……ありえない。菓子など、誰が焼いても同じだろう」


「迷信と侮った者が、真実に呑まれていく。……三ヶ月で、社交界の縁が次々に濁りました。国王陛下と王妃陛下の糸さえも」


違う。


同じでは、なかった。


あの静かな聖女が焼く菓子だけが、この国の縁を支えていた。


王家を。社交界を。


そして——彼自身の、足元を。


「セレナを……呼び戻せ。今すぐだ!」


「……婚儀は、明日にございます。殿下」


だが、遅い。


婚儀の日は、もう明日に迫っていた。


───


婚儀の日。


神殿には、王国中の貴族が集まっていた。


祭壇の前で、アルベルトとミレーユが並ぶ。


ミレーユは純白のドレスに身を包み、いつものように愛らしく微笑んでいた。


「わたくし、心で結ばれる縁を、信じておりますの」


その言葉が、これから自分を滅ぼすとも知らずに。


儀式が始まる。


代役の聖女が、震える手で砂糖菓子を捧げる。


——加護なき、ただの塊。


そして、老神官ゲオルグが、静かに告げた。


「……縁視鏡が、起動いたします」


本来なら、結ばれる二人の金色の糸を映し出す、神聖な鏡。


だが。


鏡に映し出されたのは。


ミレーユの周囲に絡みつく、複数の——黒く濁った糸。


過去に彼女が関係を持った、幾人もの貴族との、濁った縁。


「な……っ、これは……!」


貴族たちが、ざわめく。


「あれは……あの令嬢と、うちの息子……?」


「私の夫とも……?」


ゲオルグの声が、静かに、しかし痛烈に響く。


「ミレーユ嬢の周囲に絡みつく、複数の黒く濁った糸。過去に関係を持たれた、幾人もの貴族との縁でございます」


ミレーユの顔から、愛らしい笑みが剥がれ落ちた。


「ち、違います……これは、何かの間違いで……!」


「心の縁を口実に、物的な縁を否定なさった。……その嘘を暴いたのは、物的証拠たる縁視鏡。皮肉なことでございます」


『心の縁』を口実に、神聖魔法の物的な縁を否定した女。


その嘘が、物的証拠——縁視鏡によって、公衆の面前で暴かれる。


二重の、皮肉。


そしてアルベルトとミレーユの間には。


変わらず、一本の糸も無かった。


「……ミレーユ、お前……そして、私たちの間には……糸が……」


「一本もございませぬ。あの日、壇上でセレナ様が視ておられた通りに」


アルベルトは、崩れ落ちるように膝をついた。


「菓子など……迷信では、なかった……」


「『時代遅れ』『迷信』。……殿下が振りかざした二つの言葉が、今、すべて殿下ご自身に返ってまいりました」


『時代遅れ』『迷信』。


彼が振りかざした二つの言葉が、今、すべて彼自身に跳ね返る。


失って、初めて気づく。


セレナの菓子こそが、この国を、王家を、彼の足元を支えていたのだと。


遅すぎる、悔恨だった。


「ヴェルンへ……使者を送れ。菓子と、聖女の返還を請う……!」


───


追い詰められたアルベルトは、隣国ヴェルンへ使者を送った。


菓子と、聖女の返還を請う、みじめな使者を。


ヴェルンの摂政公アシェルは、その使者を静かに迎えた。


執務室には、山積みの空の菓子箱。


彼が毎日、試食と称して平らげた痕跡だ。


「摂政公アシェル様……聖女セレナ・エルフィードの、返還を……何卒……」


頭を垂れる使者に、アシェルは何も言わなかった。


ただ、一枚の砂糖菓子を差し出した。


セレナ本人が焼いた、淡い蜂蜜色の菓子。


「……これを、持ち帰れ」


「これは……菓子、でございますか……?」


「セレナが焼いたものだ。あなたの国の縁視鏡にかければ、分かる」


使者が持ち帰ったその菓子を、神殿の縁視鏡に映すと。


そこに視えたのは。


アシェルとセレナを結ぶ、一本の——確かな金色の糸。


濁りひとつない、まっすぐな金色。


ゲオルグ老神官は、その糸を見て、静かに微笑んだ。


「……ご覧なさい。アシェル様とセレナ様を結ぶ、一本の金色の糸。濁りひとつない、まっすぐな金色でございます」


そして、菓子には一枚の手紙が添えられていた。


セレナの、静かな筆跡で。


「菓子に、手紙が添えられております。……『私の縁は、もうこの国で結ばれました。菓子は、嘘をつきません』」


アルベルトは、その金色の糸を前に。


「……そんな……」


完全に、敗北した。


返す言葉も、縋る資格も、もう何ひとつ残っていなかった。


ゲオルグが、最後に静かに告げた。


「愛のない儀式は時代遅れだと、殿下は仰いました。……ですが、時代遅れになったのは。殿下が、選ばなかった未来のほうでございました」


愛のない儀式は時代遅れだと、彼は言った。


だが、時代遅れになったのは。


彼の、選ばなかった未来のほうだった。


───


ヴェルンの街角。


わたしは、小さな縁結び工房を開いた。


前世で夢見た、『自分の店』。


この世界で、ようやく叶えた。


身分に関係なく、縁を結ぶ菓子を焼く。


貴族も、商人も、下町の恋人たちも。


みんな、わたしの菓子で笑ってくれる。


報われなかった前世の自分に、見せてやりたいくらいだ。


「お嬢様、今日も焼き上がりましたよ!」


「ありがとう、リゼット。……前世で夢見た、自分の店。この世界で、ようやく叶ったわ」


「身分に関係なく、みんなお嬢様の菓子で笑ってくれます。一番弟子として、鼻が高いです!」


リゼットは工房の実務を、陰でしっかり支えてくれている。


仕入れも、接客も、運営も。


一番弟子は、伊達じゃない。


そして——工房の扉が、静かに開く。


銀灰色の髪。氷像のような美貌。


冷酷無比と恐れられる摂政公が。


「……試食に来た」


真顔で、そう言う。


リゼットが、こっそり肩をすくめた。


「摂政公様、また試食という名の全部食いをなさっている……」


「……聞こえているぞ、リゼット」


「あら、聞こえるように申し上げましたので」


アシェルは焼きたての新作を一口味わい、目元をわずかにやわらげた。


その瞬間だけ、彼は年相応の——いや、少年めいた顔になる。


このギャップを知っているのは、たぶんわたしとリゼットだけ。


「……セレナ」


「はい」


「この新作。私と、誰の縁が視える?」


甘えるような、それでいて素直になりきれない声。


わたしは、くすりと笑った。


答えは、もう分かっているくせに。


「あら。ご自分でお確かめになれば? 答えは、もうお分かりのくせに」


「……あなたの口から、聞きたい」


窓辺には、まだ名前のない新作の砂糖菓子。


そこに視える——二本の糸が、絡み始めた、金色の予兆。


わたしにしか、視えない糸。


(菓子は、嘘をつきませんから)


「……もう少しだけ、焼き上がるのをお待ちください。菓子は、嘘をつきませんから」


アシェルは、少し不服そうに、けれど嬉しそうに、菓子をもう一口。


「……そうか。ならば、待とう。何度でも、この工房に通って」


リゼットが、そっと目を逸らした。


(それはただの全部食いの口実では……とは、言わないでおこう)


この縁の続きは、きっと。


もう少しだけ、焼き上がるのを待てばいい。


報われなかった前世の、あの日のわたしへ。


わたしは今、ちゃんと。


自分の居場所で、自分の菓子を焼いている。

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