縁結びの聖女なのに「お前の菓子など不要だ」と婚約破棄されたので、砂糖菓子ごと隣国へ亡命します〜転生した私の縁結びが無いと、この国の全ての結婚が破談するのですが?〜【短編・ざまぁあり・完結】
「お前の砂糖菓子など不要だ」
縁結びの儀式。その荘厳な壇上で、王太子アルベルトはそう言い放った。
民衆が見守る、公開の場で。
「愛のない儀式など、時代遅れだろう?」
金髪碧眼の見栄えだけは良い彼が、勝ち誇るように顎を上げる。
わたし——縁結びの聖女セレナ・エルフィードは、焼きかけの儀式菓子に手を添えたまま、静かに彼を見上げた。
(愛のない儀式が時代遅れ? その愛のない儀式で回ってた国、どうするおつもりで)
内心のツッコミは、もちろん顔には出さない。
隣に寄り添う男爵令嬢ミレーユが、愛らしく微笑む。
「わたくし、心で結ばれる縁を信じておりますの」
ああ、心で結ばれる縁。
けっこうなことだ。
わたしの目には——この世界の聖女にしか見えない『縁の糸』が視える。
結ばれる二人の間には、金色の糸が渡る。
そして、今。
アルベルトとミレーユの間には。
(……一本も、無い)
糸が、一本も渡っていない。
面白いくらいに、何も。
でも、言わない。
愚か者に、施しはしない。
わたしは焼きかけの菓子を、ゆっくりと箱にしまった。
砂糖の甘い香りが、指先で崩れる。
「……承知いたしました。では、この菓子は下げさせていただきます」
喚きもしない。
涙も見せない。
ただ、静かに。
「なんだ、その態度は。何か言い返さないのか?」
アルベルトが、拍子抜けしたように眉をひそめる。
わたしは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「いいえ。菓子は、嘘をつきませんので。……いずれ、それだけが真実になります」
壇上のざわめきが、遠くに聞こえた。
愛のない儀式は、時代遅れ。
——ならば、この国そのものが、じきに時代遅れになるだろう。
わたしがいなくなった、その後で。
───
神殿の控えの間に戻ると、侍女のリゼットが顔を真っ赤にして駆け寄ってきた。
「お嬢様っ……! あんな、あんな言い方……!」
そばかすの残る頬が、怒りで震えている。
「お嬢様の菓子の価値も分からない殿方なんて、こちらから願い下げです!」
わたしが淡々としている分、この子が全部怒ってくれる。
ありがたいことだ。
「リゼット。怒ってくれて、ありがとう。でもね」
「でも……?」
わたしは箱の中の、焼きかけの菓子を見つめた。
淡い蜂蜜色。前世で焼いたどんなケーキより、この菓子には意味がある。
「怒る必要はないの。あの方たちは、これから自分で気づくから」
「気づく……? 何にです?」
前世——日本の製菓専門学校を出て、パティシエとして働き詰めた。
報われないまま、過労で倒れて。
気づけば、この世界の聖女に転生していた。
『糖化魔法』というスキルと、前世の製菓知識。
その二つを掛け合わせて焼く砂糖菓子だけが、この国の縁結びの加護を宿す。
「加護なき婚姻は、縁が濁る。数年で、不和。不妊。破談。国の史書に記された、神託レベルの事実。それを『迷信』と切り捨てたのは、王太子ご自身」
リゼットが、息を呑んだ。
「では……この国の縁は、すべてお嬢様の菓子で……?」
「ええ。わたしは、唯一の担い手。……リゼット、荷造りを。辞めさせていただきます。聖女も、この国も」
リゼットは一瞬きょとんとして、それから——にっと笑った。
「……どこへでもお供します。だってわたし、お嬢様の焼き菓子の一番弟子ですもの」
わたしは、少しだけ笑った。
菓子の型を、そっと抱える。
これさえあれば、どこでだって焼ける。
「ふふ。行きましょう。菓子は、嘘をつきませんから」
───
神殿を出ようとした廊下で、老神官ゲオルグが待っていた。
白髭の温厚な老人は、わたしを咎めなかった。
「セレナ様。……お止めはいたしません」
「ゲオルグ様」
「あなたの菓子が、この国をどれほど支えてきたか」
皺の刻まれた目が、静かに細まる。
「いつか彼らが思い知る日が、来ましょう」
王家の婚姻加護は、代々わたしの菓子で『延命』されている状態だった。
それを知る数少ない一人が、この老神官だ。
「王家の婚姻加護が、代々わたしの菓子で延命されていたこと。……ご存知の数少ないお一人が、あなたでしたね」
「ええ。だからこそ、引き留める言葉を持ちませぬ。心置きなく、お発ちなさい」
「あなたがそう言ってくださるなら。……ありがとうございます」
わたしは頭を下げた。
神殿の外には、一台の馬車。
隣国ヴェルンの紋章。
以前から、縁結び菓子の輸入を熱望していた国の使者だ。
——いや。
使者ではなかった。
馬車の扉が開き、降りてきたのは。
銀灰色の髪。切れ長の、紫紺の瞳。
氷像のような美貌の青年。
「あなたが、セレナ・エルフィード殿か」
低く、静かな声。
リゼットが息を呑んだ。
「ま、まさか……ヴェルンの摂政公アシェル様……ご本人が……?」
冷酷無比と噂される、若き為政者。
政敵を容赦なく退ける辣腕。国中から恐れられる男。
その人が、なぜ、自ら。
アシェルはわたしの手にある菓子箱を見て——ほんの一瞬、目元をやわらげた。
「その香り。……間違いない」
「香り、と申しますと?」
「あなたが名を伏せて、うちの国へ輸出していた試作の焼き菓子」
彼は、少しだけ視線を逸らした。
まるで、告白でもするように。
「……あれを毎日買っていた匿名の顧客は——私だ」
……え。
「冷酷な摂政公様が……お嬢様の常連さん……?」
リゼットが呆然と呟く。
アシェルは咳払いをして、真顔に戻った。
が、その耳が、少し赤い。
「……この菓子を焼く人間を、正当に扱わない国など、信用に値しない」
真っ直ぐな、紫紺の瞳。
「ヴェルンへ来い、セレナ。あなたの居場所は、用意してある」
甘い砂糖の香りの向こうで。
わたしの縁の糸が——ほんの少し、揺れた気がした。
「……身に余るお言葉です。ですが、一つだけ。わたしの菓子を、正しく食べてくださる方の元でなら」
アシェルは、静かに頷いた。
「約束しよう。……一つ残らず、私が味わう」
リゼットが、こっそり天を仰いだ。
(……この方、絶対に全部食べる気だわ)
わたしは、菓子の型を抱え直した。
さよなら、報われなかったこの国。
こんにちは、まだ見ぬわたしの居場所。
───
セレナ離脱から、三ヶ月。
ラングレイ王国の社交界は、静かに崩れ始めていた。
最初は、些細な噂だった。
どこそこの伯爵夫妻が別居した。
どこそこの侯爵令嬢の婚約が、突然破談になった。
やがてそれは、連鎖になった。
政略で結ばれていた高位貴族の縁が、次々にほどけていく。
離縁。破談。不和。
——縁が、濁っていく。
神殿の縁視鏡の前で、老神官ゲオルグは静かに目を閉じた。
「迷信と侮った者が、真実に呑まれていく」
王城では、国王と王妃の縁の糸が濁ったと囁かれ始めていた。
そして、王太子アルベルトは。
自らの婚儀を、目前に控えていた。
「代役の聖女はどうした。菓子を焼かせろ」
苛立ち混じりに命じる彼の前で、代役の聖女は青ざめていた。
「も、申し訳ございません……糖化魔法が、加護を宿しません……」
「なぜだ」
ゲオルグが、静かに進み出た。
「殿下。この菓子は、誰が焼いても同じではございませぬ。セレナ様の菓子だけが、加護を宿す。何度も申し上げました」
オーブンから出てきたのは。
ただの、砂糖の塊だった。
加護の光も、甘い香りも、何もない。
アルベルトの顔から、血の気が引いていく。
「……ありえない。菓子など、誰が焼いても同じだろう」
「迷信と侮った者が、真実に呑まれていく。……三ヶ月で、社交界の縁が次々に濁りました。国王陛下と王妃陛下の糸さえも」
違う。
同じでは、なかった。
あの静かな聖女が焼く菓子だけが、この国の縁を支えていた。
王家を。社交界を。
そして——彼自身の、足元を。
「セレナを……呼び戻せ。今すぐだ!」
「……婚儀は、明日にございます。殿下」
だが、遅い。
婚儀の日は、もう明日に迫っていた。
───
婚儀の日。
神殿には、王国中の貴族が集まっていた。
祭壇の前で、アルベルトとミレーユが並ぶ。
ミレーユは純白のドレスに身を包み、いつものように愛らしく微笑んでいた。
「わたくし、心で結ばれる縁を、信じておりますの」
その言葉が、これから自分を滅ぼすとも知らずに。
儀式が始まる。
代役の聖女が、震える手で砂糖菓子を捧げる。
——加護なき、ただの塊。
そして、老神官ゲオルグが、静かに告げた。
「……縁視鏡が、起動いたします」
本来なら、結ばれる二人の金色の糸を映し出す、神聖な鏡。
だが。
鏡に映し出されたのは。
ミレーユの周囲に絡みつく、複数の——黒く濁った糸。
過去に彼女が関係を持った、幾人もの貴族との、濁った縁。
「な……っ、これは……!」
貴族たちが、ざわめく。
「あれは……あの令嬢と、うちの息子……?」
「私の夫とも……?」
ゲオルグの声が、静かに、しかし痛烈に響く。
「ミレーユ嬢の周囲に絡みつく、複数の黒く濁った糸。過去に関係を持たれた、幾人もの貴族との縁でございます」
ミレーユの顔から、愛らしい笑みが剥がれ落ちた。
「ち、違います……これは、何かの間違いで……!」
「心の縁を口実に、物的な縁を否定なさった。……その嘘を暴いたのは、物的証拠たる縁視鏡。皮肉なことでございます」
『心の縁』を口実に、神聖魔法の物的な縁を否定した女。
その嘘が、物的証拠——縁視鏡によって、公衆の面前で暴かれる。
二重の、皮肉。
そしてアルベルトとミレーユの間には。
変わらず、一本の糸も無かった。
「……ミレーユ、お前……そして、私たちの間には……糸が……」
「一本もございませぬ。あの日、壇上でセレナ様が視ておられた通りに」
アルベルトは、崩れ落ちるように膝をついた。
「菓子など……迷信では、なかった……」
「『時代遅れ』『迷信』。……殿下が振りかざした二つの言葉が、今、すべて殿下ご自身に返ってまいりました」
『時代遅れ』『迷信』。
彼が振りかざした二つの言葉が、今、すべて彼自身に跳ね返る。
失って、初めて気づく。
セレナの菓子こそが、この国を、王家を、彼の足元を支えていたのだと。
遅すぎる、悔恨だった。
「ヴェルンへ……使者を送れ。菓子と、聖女の返還を請う……!」
───
追い詰められたアルベルトは、隣国ヴェルンへ使者を送った。
菓子と、聖女の返還を請う、みじめな使者を。
ヴェルンの摂政公アシェルは、その使者を静かに迎えた。
執務室には、山積みの空の菓子箱。
彼が毎日、試食と称して平らげた痕跡だ。
「摂政公アシェル様……聖女セレナ・エルフィードの、返還を……何卒……」
頭を垂れる使者に、アシェルは何も言わなかった。
ただ、一枚の砂糖菓子を差し出した。
セレナ本人が焼いた、淡い蜂蜜色の菓子。
「……これを、持ち帰れ」
「これは……菓子、でございますか……?」
「セレナが焼いたものだ。あなたの国の縁視鏡にかければ、分かる」
使者が持ち帰ったその菓子を、神殿の縁視鏡に映すと。
そこに視えたのは。
アシェルとセレナを結ぶ、一本の——確かな金色の糸。
濁りひとつない、まっすぐな金色。
ゲオルグ老神官は、その糸を見て、静かに微笑んだ。
「……ご覧なさい。アシェル様とセレナ様を結ぶ、一本の金色の糸。濁りひとつない、まっすぐな金色でございます」
そして、菓子には一枚の手紙が添えられていた。
セレナの、静かな筆跡で。
「菓子に、手紙が添えられております。……『私の縁は、もうこの国で結ばれました。菓子は、嘘をつきません』」
アルベルトは、その金色の糸を前に。
「……そんな……」
完全に、敗北した。
返す言葉も、縋る資格も、もう何ひとつ残っていなかった。
ゲオルグが、最後に静かに告げた。
「愛のない儀式は時代遅れだと、殿下は仰いました。……ですが、時代遅れになったのは。殿下が、選ばなかった未来のほうでございました」
愛のない儀式は時代遅れだと、彼は言った。
だが、時代遅れになったのは。
彼の、選ばなかった未来のほうだった。
───
ヴェルンの街角。
わたしは、小さな縁結び工房を開いた。
前世で夢見た、『自分の店』。
この世界で、ようやく叶えた。
身分に関係なく、縁を結ぶ菓子を焼く。
貴族も、商人も、下町の恋人たちも。
みんな、わたしの菓子で笑ってくれる。
報われなかった前世の自分に、見せてやりたいくらいだ。
「お嬢様、今日も焼き上がりましたよ!」
「ありがとう、リゼット。……前世で夢見た、自分の店。この世界で、ようやく叶ったわ」
「身分に関係なく、みんなお嬢様の菓子で笑ってくれます。一番弟子として、鼻が高いです!」
リゼットは工房の実務を、陰でしっかり支えてくれている。
仕入れも、接客も、運営も。
一番弟子は、伊達じゃない。
そして——工房の扉が、静かに開く。
銀灰色の髪。氷像のような美貌。
冷酷無比と恐れられる摂政公が。
「……試食に来た」
真顔で、そう言う。
リゼットが、こっそり肩をすくめた。
「摂政公様、また試食という名の全部食いをなさっている……」
「……聞こえているぞ、リゼット」
「あら、聞こえるように申し上げましたので」
アシェルは焼きたての新作を一口味わい、目元をわずかにやわらげた。
その瞬間だけ、彼は年相応の——いや、少年めいた顔になる。
このギャップを知っているのは、たぶんわたしとリゼットだけ。
「……セレナ」
「はい」
「この新作。私と、誰の縁が視える?」
甘えるような、それでいて素直になりきれない声。
わたしは、くすりと笑った。
答えは、もう分かっているくせに。
「あら。ご自分でお確かめになれば? 答えは、もうお分かりのくせに」
「……あなたの口から、聞きたい」
窓辺には、まだ名前のない新作の砂糖菓子。
そこに視える——二本の糸が、絡み始めた、金色の予兆。
わたしにしか、視えない糸。
(菓子は、嘘をつきませんから)
「……もう少しだけ、焼き上がるのをお待ちください。菓子は、嘘をつきませんから」
アシェルは、少し不服そうに、けれど嬉しそうに、菓子をもう一口。
「……そうか。ならば、待とう。何度でも、この工房に通って」
リゼットが、そっと目を逸らした。
(それはただの全部食いの口実では……とは、言わないでおこう)
この縁の続きは、きっと。
もう少しだけ、焼き上がるのを待てばいい。
報われなかった前世の、あの日のわたしへ。
わたしは今、ちゃんと。
自分の居場所で、自分の菓子を焼いている。




