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第10話:スパルタ×熱き門の三百人 〜レオニダスよ、伝説になれ〜

 意識が、深い海の底から浮上してくる。

 白い光が消え、代わりにまぶたを灼くのは、ギリシャの強烈な太陽。


 鼻をつくのは、潮の香りと、腐りかけた死体の臭気。

 耳に届くのは、波の音と、無数の鉄靴が大地を踏みしめる轟音。


「……うよ……おう……王よ! 敵が迫っております」

 副官アステリオスの声で、レオニダスは目を開けた。


 目の前には、見慣れた風景があった。

 左手には切り立った崖。右手にはエーゲ海。

 そして前方には、地平線を埋め尽くすペルシア帝国軍、百万の威容。


 レオニダスは、自分の手を見た。

 そこにあるのは、ドワーフに鍛えられた剛剣でも、神殺しの槍でもない。


 使い古され、刃こぼれした青銅の槍と、へこんだ円盾。

 体は鉛のように重く、古傷が痛む。

 元の、ただの人間だ。


「……王よ? いかがなされました?」

 アステリオスが、心配そうに顔を覗き込む。


 レオニダスは、ゆっくりと首を振った。

 何か、とても大事なことをしていた気がする。


 友と語らい、酒を飲み、世界を救うような大喧嘩をしたような……。

 だが、その記憶は指の隙間から砂がこぼれるように、急速に消えていく。 


「……夢を見ておった」

 レオニダスは、兜の緒を締め直しながら静かに言った。


「内容は覚えてないが、幸せな夢だった」

 アステリオスも、微かに口元を緩めた。


「奇遇ですね。私もです。……なぜか、とても不味いスープを腹一杯飲んで、大笑いしたような気がします」

 二人は顔を見合わせ、ニヤリと笑った。 


 夢は終わった。

 だが、今の彼らの胸には、根拠のない全能感と、煮えたぎるような闘志が満ちていた。


 レオニダスは、背後に控える三百人の部下たちを振り返った。

 彼らもまた、同じ顔をしていた。


 死を前にした絶望など微塵もない。まるで祭りの続きを楽しもうとする子供のような、晴れやかな笑顔。


「総員、構えろ!」

 レオニダスの号令が響き渡る。


「敵は百万! 我らは三百! ……随分と減った気がするが、やることは変わらん! ここを我らの墓場とする!」


「ウー! ハー!」

 三百人の咆哮が、テルモピュライの狭い空を震わせた。

 その声には、ただの人間とは思えぬ圧力が宿っていた。


 ペルシア軍の太鼓が打ち鳴らされ、総攻撃が開始された。


「殺せ! スパルタ人を一人残らず踏み潰せ!」

 クセルクセス王の命令一下、一万の兵が波のように押し寄せる。


 対するスパルタ軍。

 彼らは盾を構え、ファランクス(密集陣形)を組んで待ち構える。


 激突。

 ドォォォォン!!

 衝撃音と共に、ペルシア軍の先鋒が弾け飛んだ。


「なっ!?」

 ペルシアの指揮官が目を剥く。


 スパルタ兵の動きが、昨日までとはまるで違っていたのだ。

 一人のスパルタ兵が、盾で敵の剣を受け流す。


 その動きは滑らかで、敵の力を利用して投げ飛ばした。


(……体が勝手に動く!)

 兵士自身も驚いていた。記憶にはないが、体だけが「投げ方」を知っている。


 別の兵士は、長槍をまるで十文字槍のように巧みに操り、左右の敵を同時に薙ぎ払った。


「どうなっている!? 奴らの動きが見えん!」

 ペルシア兵が恐慌を来す。


 アステリオスは、迫りくる騎兵に対し、槍を捨ててタックルした。

 馬の首を抱え込み、強引にねじ伏せる。


「ハハハ! 軽い! ペルシア兵は羽毛のように軽いぞ!」

 アステリオスが笑う。


 彼らの肉体は、経験を覚えている。

 ドラゴンの尾撃に耐え、フサリアの突撃を受け止め、ガトリング砲の弾幕を潜り抜けた、その極限の感覚を。


 それに比べれば、ペルシア兵の剣など、止まって見える。

 レオニダスは、最前線でクシフォスを振るっていた。


 その剣筋は、スパルタの直剣術だけではない。

 鋭く踏み込み、一撃で断ち切る。

 それは、薩摩の示現流であり、新選組の喧嘩殺法の如き鋭さだった。 


「……体が覚えている」

 レオニダスは、斬り伏せた敵の死体を踏み越えた。


「俺は、もっと強い奴らと戦った。もっと熱い背中を知っている。……だから、この程度では倒れん!」


 戦いは数時間に及び、ペルシア軍の死体で壁ができるほどになった。

 だが、多勢に無勢。


 スパルタ兵の武器は折れ、盾は砕け、体は傷だらけになっていく。

 一人、また一人と、仲間が倒れていく。 


 それでも、陣形は崩れない。

 倒れた者の穴を、即座に埋める。


 ある兵士が、敵に囲まれて絶体絶命の危機に陥った。


「死ね!」

 ペルシア兵の剣が振り下ろされる。

 だが、その瞬間、兵士の脳裏に声が響いた。


 『左だ! 避けろ!』

 兵士は無意識に左へ身をかわし、カウンターで突きを放った。 


(……今、誰かの声が?)

 気のせいではない。


 彼らの周囲には、目には見えないが、確かに「誰か」がいた。


 レオニダスが盾を構える時、その横には巨大なローマの大盾スクトゥムが並んでいるような気がした。


 槍を突く時、隣でフランク族の戦斧が風を切る音が聞こえた気がした。

 敵の大群に囲まれた時、背後から雷のような銃声が援護してくれた気がした。


「……独りじゃない」

 レオニダスは確信した。


 記憶は消えた。だが、えにしは消えていない。

 時空を超えて結ばれた魂の絆が、今この瞬間も、彼らを支えている。


「聞け! スパルタ人よ!」

 レオニダスが叫ぶ。


「俺たちの背中には、世界最強の英霊たちがついている! 恥ずかしい戦い方はするな! 笑われるぞ!」


「ウー! ハー!」

 死にかけていた兵士たちが、再び立ち上がる。


 折れた槍を捨て、石を拾い、兜を武器にして殴りかかる。

 その姿は、もはや人間ではない。

 歴史の全てを背負った、三百柱の軍神だった。



 夕日が沈みかけていた。


 スパルタ兵は、残り数十名になっていた。

 レオニダスも、全身に矢を受け、立っているのが不思議なほどの重傷を負っていた。


 クセルクセス王は、遠くからその姿を見て、恐怖に震えていた。 


「なぜだ……なぜ死なぬ! なぜ倒れぬ! 奴らは不死身か!」

 彼は全軍に命じた。


「近づくな! 遠くから矢で射殺せ! 石を投げろ! 埋めてしまえ!」

 ペルシア軍が距離を取り、弓兵が列を成す。 


 空を埋め尽くすほどの矢の雨が、彼らを襲う。

 レオニダスは、空を見上げた。


 黒い雲のように迫る死の雨。

 かつて、「矢で日陰ができる」と笑った友の言葉を思い出す。


 そして、ふと、深い森の中で、矢を弾き返しながら進んだ光景が、走馬灯のように蘇った。


「……涼しいな」

 レオニダスは笑った。 


 盾はもうない。槍も折れた。

 だが、彼の拳にはまだ力が残っている。


「総員! 最後の命令だ!」

 生き残った兵士たちが、王の元へ集まる。

 誰もが満身創痍。だが、その目は少年のように輝いている。


「俺たちは十分に戦った。歴史に名を刻んだ。……だが、最後にもう一つだけ、ペルシアの王に土産をくれてやろう」

 レオニダスは、クセルクセスの本陣を指差した。


「あそこまで走るぞ。王の鼻っ柱を殴りにな」


 狂気。

 だが、全員が頷いた。


 彼らの脳裏に、赤き甲冑の騎馬隊が、だんだら羽織の侍たちが、十字の騎士たちが、敵陣へ突撃していく光景がフラッシュバックする。

 そうだ。俺たちは、いつだって「前へ」進んできた。


「行くぞ! スパルタ・チャージ!!」

 最後の三十人が走り出した。


 矢の雨の中を。死体の山を越えて。

 肉体は矢に貫かれ、槍に刺され、次々と倒れていく。


 だが、魂だけは止まらない。

 レオニダスは走った。 


 足に矢が刺さる。構わん。

 肩を斬られる。浅い。

 意識が霞む。まだだ。


 目の前に、クセルクセスの輿が見えた。

 王が恐怖に顔を引きつらせている。


(……ああ。見覚えがある顔だ。お前はいつだって、そうやって怯えていたな)

 レオニダスは、最後の力を振り絞り、折れた槍を投擲した。 


 ヒュッ!!

 槍は放物線を描き、親衛隊の盾をすり抜け――

 クセルクセスの王冠を弾き飛ばした。


 カラン……。

 静寂。


 レオニダスは、その場に膝をついた。

 もう、一歩も動けない。


 視界が暗くなる。

 だが、彼の耳には、幻聴が聞こえていた。


『見事だ、赤鬼』

『よくやった、兄弟』

『合格です、教官』

 世界中の戦友たちが、彼を称えている。


 レオニダスは、満足げに目を閉じた。


「……悪くない人生だった」

 彼の体が崩れ落ち、大地に還る。

 スパルタの獅子は、眠りについた。


☆★☆



 ――時は流れ、現代。


 ギリシャ、テルモピュライ。

 かつての激戦地は、今は静かな観光地となり、レオニダスの銅像が立っている。


 台座には『MOLON LABE(来たりて取れ)』の文字。

 その近くの発掘現場で、考古学者のチームが作業を行っていた。 


「教授! 見てください! 奇妙なものが出土しました!」

 学生が、泥まみれの金属片を持ってくる。


 老教授は眼鏡を直し、それを鑑定した。

 それは、激しく腐食していたが、明らかにこの時代の、この場所にあるはずのないものだった。


「これは……日本の古銭、六文銭か? なぜこんな所に……」

 さらに、別の発掘員が声を上げる。


「こっちには、鉛玉!?銃弾のようなものが!!」

「教授! この金属片、成分分析の結果が出ました! ……ありえません。これは未知の合金です!」

 教授は、出土品を並べて呆然とした。


 日本の銭。アステカの石。正体不明の合金。そして、近代の銃弾のような鉛の塊。


 時代も場所もバラバラな遺物が、なぜかスパルタ軍の矢尻や盾の残骸と共に、同じ地層から発見されたのだ。


「一体、ここで何があったんだ……?」

 教授は、レオニダスの銅像を見上げた。


 銅像のレオニダスは、槍を掲げ、どこか遠くを見つめているように見える。

 その口元は、微かに笑っているようにも見えた。


「……歴史には、我々の知らない『裏』があるのかもしれん」


 風が吹く。

 テルモピュライの風には、今も微かに、鉄と血と、そして男たちの熱い咆哮が混じっている。


 彼らの魂は、今もどこかの時空で、新しい戦場を駆け回っているのかもしれない。

 最強の友たちと共に。




 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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