第9話:スパルタ×崩れゆく時空と英雄の帰還 〜戦友たちとの別れの杯〜
神王クセルクセスの失墜。
ペルシア軍百万の崩壊。
歴史上、あり得ないはずの勝利が確定した瞬間、テルモピュライの空が悲鳴を上げた。
バリバリバリッ……!
耳障りなノイズが世界を覆う。
鮮やかだった青空が、色褪せたセピア色に変色し、地面が揺らぎ始める。
それは地震ではない。この「奇跡の空間」を維持していた因果律が、限界を迎えて崩れ去る音だった。
『聞こえる!? レオニダス!』
アテナの切迫した念話が、全員の脳内に響き渡る。
『もう限界よ! あなたたちが暴れすぎたせいで、歴史の修正力がパンクしたわ! このままだと、次元ごと「無」に帰す! 強制送還を開始するわよ!』
レオニダスは、ノイズの走る空を見上げ、肩をすくめた。
「やれやれ。女神様はケチだな。勝利の美酒に酔う時間くらいくれてもいいだろうに」
だが、彼は理解していた。
これは「夢」だ。
時代も場所も異なる英雄たちが集い、神を倒すという、あまりにも都合の良すぎる、しかし最高に熱い夢。
夢ならば、いつか醒めねばならない。
「……潮時か」
レオニダスは、傍らのアステリオスに頷いた。
アステリオスも、満足げに血濡れの槍を拭った。
「ええ。最高の祭りでした。これ以上の戦場は、冥界に行っても望めないでしょう」
英雄たちの体が、蛍火のような光の粒子を帯び始めた。
世界が彼らを「異物」として排除し、あるべき場所――それぞれの「歴史」へと戻そうとしているのだ。
最初に光に包まれたのは、日本の武士団だった。
新選組副長・土方歳三が、短くなった煙草を指で弾き飛ばした。
「ふん……。どうやらお迎えらしいな」
彼は愛刀『和泉守兼定』を鞘に納め、ニヒルに笑った。
「楽しかったぜ、スパルタの旦那。ガトリング砲も刀も、存分に振るえた」
レオニダスは歩み寄り、土方と固い握手を交わした。
「お前の持ってきた武器、うるさいが威力は抜群だった。……戻れば、どうなる?」
「さあな。負け戦の続きだ。銃弾の雨の中でくたばる運命さ」
土方は死ぬことを知っている。だが、その顔に陰りはない。
「だが、悪くねぇ。ここで神様を殴った思い出がありゃ、地獄の鬼とも仲良くやれそうだ」
その横で、真田幸村が十文字槍を掲げた。
「我が魂は六文銭と共にあり! レオニダス殿、貴殿の赤きマント、忘れることはないぞ! 大坂に戻っても、この熱き血潮で徳川を震え上がらせてくれる!」
島津義弘も、豪快に笑いながら鉄砲を担いだ。
「チェストォッ! 薩摩隼人の肝っ玉、世界に見せつけてやったわ! さらばじゃ、南蛮の益荒男たちよ! 関ヶ原の借りは返したぞ!」
源義経と武蔵坊弁慶も、馬上で手を振る。
「赤鬼! あの崖降りの興奮、忘れんぞ!」
「おう! またいつか、どこかの橋の上で会おうぞ!」
楠木正成と上杉謙信、そして織田信長が並んでいる。
信長は、懐から見事な金泥の扇子を取り出し、レオニダスに放り投げた。
「褒美だ。とっておけ」
レオニダスが受け取ると、信長は不敵に口元を歪めた。
「貴様との舞、悪くなかったぞ。……是非もなし」
日本の英雄たちが、桜の花びらのように光となって散っていく。
彼らは戻るのだ。それぞれの「滅びの美学」が待つ、あの歴史の瞬間へと。
続いて、世界各国の王と将軍たちが消え始めた。
張飛が、蛇矛を振り回しながら大声で叫ぶ。
「おい赤鬼! 酒だ! まだ飲み足りねぇぞ! 今度は俺の家に来い! 桃園で宴会だ!」
その声は、姿が薄れてもなお、雷鳴のように空に響き渡っていた。
リチャード獅子心王とカール・マルテルが、互いの武器を打ち鳴らす。
「神の加護があらんことを。……いや、貴公には不要だったな。貴公自身が戦神のような男だ」
「氷の森より熱い場所だったが、悪くない運動だった」
ローマの百人隊長マルクスが、スパルタ兵たちに敬礼する。
「我々の盾も頑丈だが、貴殿らの盾には負けたよ。ローマの誇りにかけて、この恩は忘れん」
ヤン3世ソビエスキとフサリア軍団が、翼を広げて空へと駆け上がる。
「さらばだ! 止まらぬ翼が必要な時は、いつでも呼んでくれ!」
ナポレオンの老近衛隊、カンブロンヌ将軍が、熊皮帽を正した。
「メルド(クソ食らえ)! ……最高の戦場だった。皇帝陛下も満足されているだろう」
安市城の楊萬春、コンスタンティノープルの最後の皇帝、そしてアステカのジャガーの戦士たち。
言葉も文化も違う彼らが、一様にレオニダスに敬意を表し、光の中に溶けていく。
李世民が、静かに言った。
「この戦いの記録は残らないだろう。だが、余の記憶には刻まれた。世界は広い。そして、時代を超えても、人の魂の熱さは変わらぬとな」
中華の皇帝は、満足げに頷き、消滅した。
戦場を埋め尽くしていた万国の軍勢が、潮が引くように消え、元の静かな海岸線が戻ってくる。
最後に残ったのは、異世界の住人たちだった。
セラフィナ、ミナ、リリス。そしてドワーフのガンテツやエルフのラースたち。
彼女たちは、涙を流していた。
「教官……!」
セラフィナが、レオニダスの胸に飛び込もうとするが、その体はすり抜けてしまった。
もはや触れることもできない。次元の断絶が始まっている。
「泣くな」
レオニダスは、厳しく、しかし優しく言った。
「スパルタの戦士は涙を見せん。盾が錆びるぞ」
セラフィナは、必死に涙を拭い、背筋を伸ばした。
その肩には、レオニダスから譲り受けた真紅のマントが掛かっている。
「はい……! 私は泣きません。貴方が教えてくれた強さで、私の世界を守り抜きます!」
ミナも、杖を握りしめて叫んだ。
「レオニダスさん! ご飯、美味しかったです! 黒いスープの味、一生忘れません!」
ドワーフのガンテツが、親指を立てる。
「あんたの盾、いい音だったぜ! 達者でな!」
リリスは、妖艶に微笑んで投げキッスを送った。
「いい夢だったわ。筋肉だらけの悪夢だけど、悪くなかった。……元気でね、野蛮人さん」
彼女たちの背後に、異世界へのゲートが開く。
紫色の空、ドラゴンの飛ぶ世界。
彼女たちは、平和を取り戻した故郷へと帰るのだ。
「行け。振り返るな」
レオニダスが命じる。
セラフィナは一度だけ深く敬礼し、光の中へと飛び込んだ。
ゲートが閉じる。
全ての光が消えた。
祭りの喧騒は去り、あとには、薄暗い夕暮れのテルモピュライと、波の音だけが残された。
静寂。
圧倒的な静寂が、海岸線を包み込んだ。
数分前まで、ここには数万の英雄たちがひしめき合い、轟音と怒号が渦巻いていた。
だが今は、レオニダスと三百人のスパルタ兵だけ。
彼らの装備は、元のボロボロの青銅に戻っていた。
ドワーフのミスリルも、アテナの加護も、異世界の魔力も、全て夢のように消え失せた。
残ったのは、傷だらけの肉体と、折れかけた槍。
そして、現実。
目の前には、ペルシア軍がいる。
クセルクセス王は、一度は敗北し、腰を抜かしていたはずだが――歴史の修正力が働いたのか、あるいは彼らもまた「夢から覚めた」のか、再び軍を整え、圧倒的な殺気でこちらを包囲していた。
その数、百万。
神王の威厳も戻っている。先ほどの失態などなかったかのように、冷酷に死刑宣告を下そうとしている。
「……戻ったな」
アステリオスが、重い盾を持ち上げた。
「夢は終わりです、王よ。我々はまた、ただの三百人に戻りました」
絶望的な状況。
助けはもう来ない。真田も、張飛も、セラフィナもいない。
ここで死ぬ。全滅する。
それが、彼らに定められた運命。
だが。
レオニダスは、空を見上げて笑った。
その笑顔は、これまでのどの瞬間よりも晴れやかだった。
「ああ。ただの三百人だ」
王は槍を地面に突き立てた。
「だが、俺たちの胸には、一万年分の記憶がある。世界中の英雄たちと肩を並べ、神を殺し、歴史を変えた記憶がな」
兵士たちも笑った。
恐怖など微塵もない。
彼らの魂は、既に満たされていた。
十分に戦った。十分に暴れた。十分に生きた。
あとは、この最高の人生に、相応しい幕を引くだけだ。
『……レオニダス』
脳内に、アテナの声が響いた。
それは、いつものヒステリックな声ではなく、優しく、慈愛に満ちた女神の声だった。
『ありがとう。……おやすみなさい、私の愛しき戦士たち』
視界が白く染まっていく。
意識が遠のく。
夢と現の境界線が溶けていく。
レオニダスは、薄れゆく意識の中で、部下たちに最後の号令をかけた。
「……総員、構えろ」
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