幕間3:スパルタ×時空の亀裂 〜女神の誤算と開かれた門〜
オリュンポスの神殿、その最奥にあるアテナの私室。
戦と知恵を司る女神は、最高級の神酒が満たされたクリスタルグラスを片手に、ふかふかの長椅子に深く沈み込んでいた。
「はぁぁぁ……終わった。やっと終わったわ……」
彼女は神殿の天井を仰ぎ、数百年分にも感じる長いため息をついた。
目の前に浮かぶ巨大なホログラム映像には、紀元前480年の「正しい歴史」――テルモピュライの戦場が映し出されている。
そこには、異世界から帰還し、元の装備、元の肉体に戻ったレオニダスと三百人のスパルタ兵が、ペルシア軍の総攻撃を前に槍を構えている姿があった。
「長かった……本当に長かったわ。最初は日本の戦国時代に飛ばされて、次は世界中の戦場、挙句の果てには次元を超えてファンタジー世界で魔王退治……」
アテナは、机の上に山積みになった「歴史修正報告書」の束を忌々しげに睨んだ。
彼らが暴れるたびに、アテナは裏で必死に帳尻を合わせてきたのだ。
ワールシュタットで彼らがモンゴル軍を止めてしまったせいで生じたタイムパラドックスの修正。
箱館戦争でガトリング砲を弾き返した事実を「集団幻覚」として処理する記憶操作。
そして何より、異世界で魔王を殺してしまった件の事後処理。
「私の休暇、全部消えたじゃない。……でも、それもこれで終わり」
アテナはグラスを掲げ、独り乾杯した。
「彼らは歴史のレールに戻った。このあと、史実通りに勇敢に戦い、史実通りに全滅し、伝説となって冥界へ行く。私の『推し活』兼『介護』も、これにてコンプリートよ」
彼女は、最後の仕事として、スパルタ兵たちが旅の中で積み上げた「魂の功績データ」をサーバーに保存しようとした。
本来なら、それは静かな光となって冥界へ送られるはずだ。
だが。
手元の羊皮紙(魂の管理簿)が、ジジジ……と不穏な音を立てて振動し始めた。
文字が、警告色である真っ赤な色に発光している。
「……ん? 何これ。エラー? 容量オーバー?」
アテナは眉をひそめ、リストをスクロールさせた。
そこには、レオニダスたちの魂と「縁」を結んだ者たちの名前が表示されているのだが――その数が、異常だった。
「えっ、ちょっと待って。何このリンク数」
リストは巻物のように伸びていき、床に届き、さらに神殿の入り口まで転がっていった。
数千、数万の「魂のパス」が、時空を超えてレオニダス一点に繋がっている。
【真田左衛門佐信繁(日本・1615年)】 ――『共鳴度:MAX』
【島津義弘(日本・1600年)】 ――『共鳴度:MAX』
【リチャード1世(パレスチナ・1191年)】 ――『共鳴度:MAX』
【張飛益徳(中国・208年)】 ――『共鳴度:計測不能(ERROR)』
【ヤン3世ソビエスキ(オーストリア・1683年)】 ――『共鳴度:MAX』
【土方歳三(日本・1869年)】 ――『共鳴度:魂の兄弟』
さらに、異世界の住人たちの名前までが、文字化けしながらも刻まれている。
【セラフィナ(異世界・騎士団長)】、【ガンテツ(異世界・鍛冶師)】……。
「あいつら……どんだけ友達作ってきたのよ!? ただ暴れてたんじゃなかったの!?」
アテナは叫んだ。
これはただの記憶ではない。魂の底で結ばれた、強烈な「加勢したい」「助けたい」「もう一度会いたい」という意志の集合体だ。
それが今、レオニダスの「死」の瞬間に向けて、一斉に収束しようとしている。
ブブブブブ……!
神殿が激しく揺れ始めた。因果律の許容量を超えたエネルギーが、逆流しているのだ。
紀元前480年。テルモピュライの戦場。
現実世界に戻ったレオニダスは、迫りくるペルシア軍100万の威容を前に、静かに笑っていた。
「王よ。戻りましたね」
アステリオスが、ボロボロの青銅盾を構える。
見てみろ、と言いたげに盾の裏を見せた。
そこにはもう、ドワーフのガンテツが施してくれたミスリルの補強はない。ただの、古びた青銅だ。
あるのは、傷だらけの生身の肉体と、錆びかけた槍だけ。
「ああ。夢のような旅だった」
レオニダスは答えた。
だが、喪失感はない。
その体には、数多の戦場を駆け抜け、数多の英雄たちと肩を並べた「記憶」という名の筋肉が宿っていた。
それだけで十分だ。
「祭りは終わりだ。俺たちはここで死ぬ。それが運命らしい」
レオニダスは、兜の緒をきつく締めた。
ペルシア軍の弓隊が構える。
空を埋め尽くす矢の雨が、彼らの命を終わらせるために放たれる。
これで終わりだ。
スパルタの三百人は、ここで歴史の教科書通りの結末を迎える。
――そのはずだった。
ビキィッ。
空が、鳴いた。
雷鳴ではない。もっと硬質な、世界の殻が割れるような音。
矢の雨が降り注ぐ空中に、ガラスに入ったヒビのような亀裂が走った。
一つではない。
東の空、西の空、北の空。
あらゆる方角の空間が、内側からのとてつもない圧力に耐えかねて、悲鳴を上げている。
「な……なんだあれは?」
ペルシア軍の兵士たちが、矢を放つのを忘れて空を見上げる。
クセルクセス王も、黄金の玉座から立ち上がった。
「空が……割れている?」
オリュンポスのアテナは、モニターの前で絶叫していた。
「嘘でしょ!? 時空の壁が……こじ開けられてる!? 誰がやったの!? ゼウス様!? ハデス様!?」
『いいえ』と、管理システムが冷徹に告げる。
『神力反応なし。検出されたのは、純粋な闘争本能と、友情エネルギーの過剰供給です』
神の奇跡ではない。
もっと原始的で、泥臭く、そして熱苦しいエネルギー。
それは、時代も世界も超えた場所から、レオニダスたちに向けて放たれた「あいつらが死ぬ? 次は俺達の番だ!」という、英雄たちの強烈なエゴの集合体だった。
テルモピュライの海岸線に、場違いな音が響き始めた。
最初は、微かな鈴の音だった。
次に、腹の底に響く太鼓の音。
戦場を駆ける馬の蹄音。
法螺貝の音。
トランペットのファンファーレ。
そして、大気を震わせるドラゴンの咆哮。
「……王よ」
アステリオスが、呆然と空を見上げた。
亀裂の向こう側に、見覚えのある旗印や、見覚えのあるシルエットが蜃気楼のように揺らめいている。
「幻聴でしょうか。以前、どこかで聞いたような音がします。……それも、一度に全部」
レオニダスは、ニヤリと笑った。
やはり、来たか。
あの頑固者たちが、自分たちだけ先に死ぬのを黙って見ているはずがないと思っていた。
全員、自分と同じ「死にたがり」で、そして「負けず嫌い」な馬鹿野郎どもだ。
「アステリオス。席を用意しろ」
レオニダスは槍を天に掲げた。
「三百人分の席じゃ足りんぞ。……どうやら、貸切パーティになりそうだ」
バリンッ!!
決定的な破砕音と共に、空の亀裂が砕け散った。
時空の門が、物理的にこじ開けられた。
そこから溢れ出してきたのは、歴史の教科書をミキサーにかけてぶちまけたような、混沌と熱狂の軍勢だった。
アテナは、頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
「もう知らない……。歴史改変どころの騒ぎじゃないわよ……。パラドックスで宇宙が消えるわよ……。ゼウス様に怒られるのは私なんだからね……」
だが、彼女は指の隙間からチラリとモニターを見た。
その口元には、諦めと同時に、隠しきれない期待の笑みが浮かんでいた。
「……ま、いいわ。最後だもの。派手にやりなさいよ、この馬鹿息子たち」
歴史上、決して交わるはずのなかった英雄たちが、一つの点に集結しようとしていた。
ペルシア王クセルクセスは、まだ知らない。
自分が相手にしようとしているのが、ただの三百人ではなく、全世界・全次元から選りすぐられた英雄たちであることを。
この戦場に、全てが雪崩れ込む。
宴の準備は整った。
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