第14話:スパルタ×魔王軍総力戦 〜百万の絶望と三百の希望〜
機工将軍タロスを粉砕し、黒鉄の橋を渡りきったレオニダス一行。
だが、その先に待っていたのは、安易なゴールではなかった。
視界が一気に開ける。
そこは、魔王城の直下に広がる、広大なカルデラ盆地だった。
空は紫色に澱み、絶え間なく雷鳴が轟いている。
だが、彼らが足を止めた理由は、悪天候のせいではない。
大地が見えなかったのだ。
盆地の端から端まで、視界の限界まで、全てが「黒」で埋め尽くされていた。
オーク、ゴブリン、オーガ、トロル、キマイラ……。
魔界に生息するありとあらゆる魔物が、押し合いへし合いしながらひしめいている。
その数、およそ百万。
「……嘘でしょ」
案内役のミナが、腰を抜かして座り込んだ。
「魔の山脈にいた軍勢が……全部ここに移動している……?」
どこからともなく声が響き渡った。
『ククク……愚かな人間どもよ。迷宮などという裏道を通れば、我が軍を出し抜けると思ったか?』
『貴様らがネズミのように地下を這いずっている間に、全軍をここに再配置させてもらった。これぞ我が総力。絶望の海に溺れて死ぬがいい』
百万の軍勢が放つ殺気は、物理的な圧力となって肌を刺す。
当初、レオニダスたちはこの数を避けるためにダンジョンを選んだ。だが、運命は彼らに「最大の試練」を突きつけたのだ。
しかし。
その絶望の中でただ一人、レオニダスだけは腕を組み、冷静に、いや、楽しげに敵陣を見上げていた。
「……感謝するぞ、魔王」
レオニダスは、意外な言葉を口にした。
「実は心残りだったのだ。いかに戦略とはいえ、敵を避けてコソコソと裏道を歩くなど、スパルタの王として恥ずべきことだったとな」
彼は獰猛な笑みを浮かべ、槍の石突きで地面を叩いた。
「だが、お前のおかげで借りを返せる! やはりスパルタは、正面突破でなくてはな!」
狂気。
だが、その言葉にアステリオスたちもニヤリと笑った。
彼らもまた、同じ思いだったのだ。「避けた」という事実が、喉に刺さった小骨のように引っかかっていた。
今、目の前にはその小骨を砕くための、最高の舞台が用意されている。
「アステリオス。計算しろ。敵は百万。我らは三百。一人何匹殺せば終わる?」
アステリオスは、嬉々として即座に答えた。
「約三千三百三十三匹です、王よ」
「そんなもんか」
レオニダスは笑った。
「不可能ではない数字だ。一日百匹殺せば、一ヶ月で終わる。……まあ、向こうがそこまで持つかは知らんがな」
スパルタ兵たちの顔に悲壮感は微塵もなかった。
彼らはダンジョンでアンデッドを砕き、ドラゴンを食らい、四天王を葬ってきた。今の彼らは、旅立つ前とは比べ物にならないほど強靭だ。
「腕が鳴りますね」「あの時の鬱憤を晴らせるぞ」と軽口を叩き合っている。
レオニダスは、セラフィナを振り返った。
「弟子よ。ビビっているか?」
セラフィナは、深紅のマントを翻し、愛剣『岩断』を抜いた。
「いいえ、教官。……武者震いです。私も、こそこそ隠れるのは性に合いませんから」
その瞳は澄み切っていた。彼女もまた、完全に「こちらの住人」になっていた。
「よし。行くぞ」
レオニダスは槍を掲げた。
百万の敵に対し、たった三百人で突撃を敢行する。
歴史上、最も無謀で、最も勇猛な戦いが始まる。
魔王軍の総司令官である魔将軍バハムート(竜人族)は、進撃してくる極小の部隊を見て、嘲笑を漏らした。
「人間どもめ、気が触れたか。百万の海に飛び込むとは」
彼は指を振った。
「すり潰せ。塵も残すな」
ゴオオオォォ……!
魔物の大波が動いた。
先陣を切るオークとゴブリンの混成部隊、数万が殺到する。
対するスパルタ軍。
レオニダスは、地形を一瞥した。
盆地の中央には、かつての大河が干上がった跡――巨大な「溝」があった。幅は五十メートルほど。
「あそこだ! 溝に入り込め!」
スパルタ兵たちが溝に飛び込む。
両側が切り立った崖になった地形。これで敵は左右から回り込めない。正面からの勝負を強制できる。
あの伝説の戦い、テルモピュライの再現だ。
「盾壁!」
最前列の五十人が、溝の幅いっぱいに盾の壁を作る。
そこへ、魔物の津波が激突した。
ドガァァァァン!!
肉と金属の衝突音。
魔物たちの質量攻撃。だが、スパルタの壁は一ミリも揺るがない。
彼らは衝撃を足腰で逃がし、即座に反撃に転じる。
「突き!」
盾の隙間から、無数の槍が高速で出し入れされる。
ミシンの針のような正確で残酷な反復運動。
先頭の魔物が串刺しになり、倒れる。その後ろから来た魔物が、死体に足を取られ、さらに串刺しになる。
「次ッ!」
休む間もなく次が来る。
レオニダスは叫んだ。
「死体を積み上げろ! バリケードにしろ!」
スパルタ兵たちは、倒した魔物の死体を盾の前に蹴り出した。
オークの巨体が積み重なり、肉の壁ができる。
後続の魔物たちは、仲間の死体を乗り越えなければ進めない。その足場が悪い瞬間に、スパルタの槍が襲う。
効率的な殺戮システム。
溝の中は、巨大な「肉挽き機」と化していた。
戦いは数時間続いた。
最前線の疲労は激しい。スパルタ兵は完璧なローテーションで休息を取るが、敵の圧力は弱まらない。
その中で、一人の女戦士が鬼神の如く戦っていた。
セラフィナだ。
彼女はレオニダスの隣に立ち、盾と剣を振るい続けていた。
「シールド・バッシュ!」
彼女の盾が、トロールの顔面を粉砕する。
巨大な棍棒が振り下ろされるが、彼女は半歩踏み込んで懐に入り、剣を心臓に突き立てる。
ただ、研ぎ澄まされた「基本動作」の繰り返し。
「ハァッ、ハァッ……!」
汗が目に入る。腕が鉛のように重い。
だが、止まらない。
(重い……でも、走れる。振れる!)
かつての魔法剣士だった頃の彼女なら、とっくに魔力切れで倒れていただろう。
だが今の彼女には、地獄の特訓で培った無尽蔵のスタミナと、鋼鉄の精神力がある。
「セラフィナ! 右だ!」
レオニダスの声。
死体の山を乗り越えて、キマイラ(合成獣)が飛びかかってきた。
セラフィナは反射的に盾を掲げた。
ガリィィィッ!
鋭い爪が青銅を削る。衝撃で腕が悲鳴を上げる。
だが、彼女は笑った。
「軽い!」
彼女は盾を押し返し、キマイラのバランスを崩した。
そして、ドワーフ製の剛剣を一閃。
獅子の首が宙を舞う。
「見事だ」
レオニダスが、槍で蛇の尾を釘付けにしながら称賛した。
「いい動きだ。もう教えることはないな」
「まだまだです、教官!」
セラフィナは返り血を拭い、前を見据えた。
「敵はあと九十九万匹いますから!」
日が暮れ、夜が明けた。
戦いは二日目に突入。
魔王軍の死傷者は、すでに五万を超えていた。
溝の中は死体で埋まり、スパルタ兵たちはその死体の山の上に立って戦っていた。
彼らの足元は、敵の死骸で舗装され、さらに高い位置から攻撃できる有利な地形へと変化していた。
魔王軍の本陣は、静まり返っていた。
魔将軍バハムートは、震える手でワイングラスを握り潰した。
「な、なぜだ……なぜ抜けない!?」
百万の軍勢が、たった数百人の「点」に止められている。
敵は疲れていないのか? 眠らないのか?
否。彼らは交代で眠り、飯を食い、談笑しながら殺しているのだ。
「奴らは人間ではない……化け物だ……」
魔物たちの間に、恐怖が伝染し始めていた。
あの赤いマントの集団に近づけば、必ず死ぬ。
どんなに強くても、どんなに数が多くても、ミンチにされて積み上げられるだけだ。
死体の山が、無言の警告として立ちはだかっている。
「ええい、引くな! 行け! 行かぬ者は私が殺す!」
バハムートが督戦隊を送り込むが、前線の魔物たちは動かない。
彼らの生物としての本能が、「あそこは死地だ」と告げているのだ。
膠着状態。
レオニダスは、死体の山の上で大の字になって座り、乾パンをかじっていた。
「……敵の足が止まったな」
アステリオスが水を渡す。
「ビビっていますね。魔物のくせに臆病な連中です」
「数が多すぎると、個々の責任感が薄れる。誰かがやるだろうとな」
レオニダスは立ち上がり、眼下に広がる魔王軍の海を見下ろした。
海は広いが、波は止まっている。
今こそ、潮目を変える時だ。
「総員、注目!」
レオニダスの声が、戦場に響き渡る。
「敵は恐怖している! 百万の軍勢が、三百の俺たちに怯えているのだ! ならば、攻めるのは今しかない!」
彼は槍を、遥か彼方の魔王城に向けた。
「この死体の山を越え、敵の中央を突破する! 王手をかけに行くぞ!」
スパルタ軍が動いた。
彼らは防衛ラインである死体の山を乗り越え、魔物の海へと打って出たのだ。
逆突撃。
「ウー! ハー!」
三百人の雄叫びが、百万のどよめきをかき消す。
ファランクスが、巨大なドリルのように敵陣を掘り進む。
「ひ、ひぃぃッ! 来たぞ! 赤鬼が来た!」
魔物たちがパニックを起こし、左右に逃げ惑う。
「海が割れる」ような光景だった。
スパルタ兵の殺気と、二日間の殺戮劇によるトラウマが、魔王軍の戦意を完全に粉砕していたのだ。
その先頭を駆けるレオニダスとセラフィナ。
行く手を阻む大型魔獣サイクロプスが現れる。
「邪魔だ!」
レオニダスが盾でサイクロプスの足を砕き、体勢を崩す。
そこへセラフィナが跳躍し、眉間に剣を突き立てる。
巨獣が倒れ、道ができる。
「止められん……誰も奴らを止められん!」
魔将軍バハムートは、自らの敗北を悟り、腰を抜かした。
百万の軍勢は、統率を失い、ただの烏合の衆と化していた。
スパルタ軍は、その混乱した海を悠々と渡りきり、ついに魔王城の正門へと到達した。
巨大な黒鉄の扉。
レオニダスは、血まみれの盾でその扉を叩いた。
ガン! ガン!
城門が、ゆっくりと重々しい音を立てて開く。
中から漂ってくるのは、これまでの敵とは別次元の、冷たく重い魔力。
この世界の支配者、魔王の気配だ。
「……ようやくお出ましか」
レオニダスは、ニヤリと笑った。
振り返れば、百万の魔王軍は、彼らの背中を呆然と見送るしかなかった。
たった三百人で、百万を「通過」したのだ。
「行くぞ、野郎ども。最後の仕事だ」
「ウー! ハー!」
スパルタ兵たちが、魔王城の闇へと足を踏み入れる。
その背中には、世界最強の証明である「Λ(ラムダ)」の文字が、誇らしげに輝いていた。
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